松本 春野さん(絵本作家)
松本春野さんの描く絵を見た人は懐かしさを口にするという。近所付き合い、家族や友人とのおしゃべり。距離の近さ、親しさを感じさせるからだろう。それらはいまはもう失われてしまった光景だから懐かしいのだろうか。それとも時代は変わっても私たちが大事だと思っているから、その感慨を覚えるのだろうか。
「たくさんの人を描いているけれど、会話が聞こえてこない」。大学在学中に、絵を持ち込んだ先の出版社で、編集者にそう言われました。そのことをきっかけに、おしゃべりが聞こえてくるような絵とは何か?について意識するようになりました。
それまではひとりひとりの人物の浮かべる表情は考えても、人同士の関わる様を描く発想自体に欠けていました。
私は東京で生まれ育ったこともあり、近所付き合いも濃密ではありませんでした。家族や知り合いの間柄はとても親密でしたが、まったくの知らない人とコミュニケーションをとることに馴染みがなかったのです。
それにもかかわらず、たくさんの人の出てくる絵を描こうとしていたのは、私自身が生活の中での生身の関わりを求めていたかのかもしれない。そう気づいたのです。

編集者の一言がターニングポイントになったのは確かです。もともと明るい性格ではありましたが、インドア派で部活も経験していません。
世代の特徴なのか、それとも周囲にいた美大を目指す人たちの性格だったのか、私を含め個人主義が多かった。家で映画を見たり、本を読んだりと好きなことには懸命になるけれど、人と協調するような局面に立たされたこともなく、その必要もあまり感じず、ずいぶん頭でっかちだったと思います。
一方で、映画やドラマで描かれる人間模様を見ると「いいな」と思ってもいました。人同士の親密な関係にどこかで憧れがあったようにも思います。
憧れたのは、昔そのままの世界ではありません。私の手がけた『おとうと』は昭和の大阪を舞台にした物語で、山田洋次監督の「おとうと」では、描かれなかった子供時代を絵本にしました。家には畳もあれば、子供をいつも迎えてくれる母のいる世界です。
でも、私の育った家には和室はなく、両親は共働きだった。絵本の世界は、本当は私の知らない風景です。
ひとつひとつの要素は、私の体験にはないけれど、母に抱きしめられたときの感覚や家族みんなで笑う光景は確かにあって、それらの形を変えて描くことで、みんなが「こんな社会だったらいいな」と思えるかもしれない本質を伝えられるのではないか。そう思いました。
たとえば多忙な日々を送っている家庭なら、全員が一緒に食事をとることも難しいでしょう。そうであっても家族みんなで笑う光景を目にしたら、自分が体験したような感覚に一瞬でも浸れるのではないかと思うのです。そういうことを紙の上に実現させたかった。
「昔はよかった」という人がいますが、必ずしもそうだとは思いません。戦国時代のほうが戦争は多かったわけですし。それに「昔と違い、いまの子供は本を読まない」というけれど、DSを寝転がってやっている子だって、何かに夢中になっているときの表情は、ひたむきさにおいて昔と一緒のはずです。時代は確実に変わっているのだから、変化を否定ばかりしても始まらない。
確かにいまの環境を無秩序に破壊していく動きには加担すべきではないけれど、子供が変わって行くことへの恐怖から何かを禁止するよりも、変化を理解していくほうが、みんなが幸せになることの近道ではないかと思います。

映画「おとうと」で笑福亭鶴瓶さんの演じた鉄郎という人物は、周囲から鼻つまみもの扱いされています。大人になるにしたがい、そういう人は排除されていき、誰からも愛されません。そう思うと、なんだか鉄郎が気の毒に思えてきました。
近くにいたら迷惑だけれど、大人だからこの人を無条件で愛してくれる存在がいないだけで、子供の頃は周囲に誰かいたはずです。子供の時代は、できることがなくても無条件で愛される特別な時期だからです。
いまの時代、特別な時期を過ごせない子供がたくさんいるかもしれないけれど、私は子供とは愛されるべき存在だと思っています。
だから鉄郎という人に普通の子供時代をつくってあげたかった。それに吉永小百合さんの演じた姉の吟子は、不満も言わず感情も剥き出しにせず、弟の尻拭いをする大人でした。そんな人にもわがままを言ったり、泣き叫んだりした子供時代があったらいいなと思いました。
絵本ならそれがつくれる。なかったものがつくり出せる。それが絵を描くことのおもしろさですね。
両親ともにいわゆる“立派な大人像”とは遠いところにいるタイプですが、すごく正直な人たちでどこか憎めない。両親はちひろ美術館(注2)を作ることで、世界中の子どもみんなに平和としあわせをという思いを本気で伝えようとしてきた人たちです。
母は頭では「どの子もみんな幸せであってほしい」と考えていて、彼女なりにそのためにできることは全力でやる。そんな姿を見て私は育ってきました。
でも普段の生活でいつもそれが実行できるかというと、そこは人間なので難しい。疲れているときは、理不尽に怒られたこともあります。けれど、親を含め大人たちに本当に酷い扱いをうけた、という記憶はありません。
きっと、私は大人たちから愛されていたんだと思います。それは家に帰ったら必ず母親がいておやつを用意して出迎えてくれる、というようなはっきりとした目に見える形ではなかったけれど。
日が暮れるまで外を駆け回って大笑いしたり、怒ったり、泣きわめいたりする。そんな子どもを受け止め、見守ってくれた。そういう大人がちゃんといてくれたような気がします。

とにかく職業をもち働き続けることが当たり前という考えが大前提の親でしたから、作家を目指すという以前に経済的な自立を考えていました。必然的に専業主婦になるという発想もありませんでした。結婚して関係がうまくいかなくなったとき、経済も精神も相手に依存していたら生活は破綻しますから。
仕事を選ぶ上では、親には「もしできるようならば、誰かのためになる仕事だとすばらしいね」とは言われましたが、そういう仕事を選べとは言われませんでした。
ともかく、まずは経済的な自立だ。そこで思いついたのは弁護士です。中高生の頃は、人権派の弁護士になりたかった。困っている人のための仕事だし、資格をもっていたら安泰じゃないかと思ったのです。
でも、よくよく考えると自分は絵が好きだし、弁護士の資格はロースクールに行けば取れるから、大学は好きなことをやってもいいんじゃないか。そう思って美大を選びました。
ただし、絵で生計を立てられるとは考えていませんでしたし、祖母のいわさきちひろのような存在は稀有です。
私自身について言えば、先行きのことより入学早々「道を間違えた」と感じるようになりました。キャンバスの中での色の配置ばかり考えていて、何を描きたいかが明確にわかっていなかったことに気づいたからです。
描きたいことは何だろう。大切にしたいことは何だろう。それを見出す必要がありました。そこで他大学のゼミを2年間受講し、人権問題の勉強をすることにしました。
美大に入って知ったのは、周囲を見る限り芸術として評価されがちなのは、グロテスクなものやエロティシズムな作品だということでした。私は心底明るい性格なのか、どうしてもそういう作品を理解できなかったし、好きになれなかった。
人間には影の部分があります。けれども、そればかり考え、そこに意味を見出しても、行き着く先は「生きていてもしょうがない」です。
でも、まずは生きているという事実の上に立たないと、私たちの生そのものが成り立っていかない。
だから、影の部分だけに目を注ぐのではなく、たとえば、よく晴れた日に外でおにぎりを食べて「ああ幸せだな」と感じることができたら、生きることとちゃんとつながっていられるように思います。その感覚を味わうのにわざわざ遠回りをしなくてもいい。
たとえ心が殺伐とするものをつくったとしても、その先にある社会とつながるものでないと意味がないんじゃないか。誰もが生きていてよかったと思える世の中を思い描くためには、いまの社会がどういうものかを勉強をする必要があると思ったのです。

本を読んだり、いろいろ考えていくうちにどんどん頭でっかちになり、社会に無関心な人たちのことを見下したりするようになりました。
心が意地悪になっていくと幸せでなくなります。「誰もが生きていてよかった」と思える社会を実現させたいのに、まったく人に対して肯定的でない自分になっていきました。
それでいて、「いろんな問題を考えていないから嫌だ」と思っていた人と実際に話すとなぜだか楽しいと感じてしまう。ひとりで考えていたことがバカみたいに思えてくる。「この人にはこんなにいいところもあるのに、自分は何様のつもりだったのだろう」。他人に対する否定的な気持ちと自己嫌悪の繰り返しでした。
知識は増えるけれど、心が狭くなっていくといった、いちばん自分の心が醜かったときに、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を見て、ハッとさせられました。
それまで幸せになるには“条件”が必要だと思っていました。貧困をはじめ社会問題を知れば知るほど、悲惨な境遇に陥らないためには、とりあえず生きていくためのお金や制度を活用できる知識は欠かせません。
しかし、あれもこれも必要だと考え始めると、学歴や資格だとかどんどん必要となる“条件”のリストが増えていきます。その頃の私は「獲得し、物事をいろいろ考えてなくちゃいけない。そうでないと幸せになれないんだ」と思い込んでいたのです。
でも映画では、そんなことを描いていなかった。「たそがれ清兵衛」には、ないない尽くしの人たちがたくさん登場します。でも、決して不幸には見えない。
否定から始まる問題の解き方よりも肯定から入っていくほうが周囲にとっても自分にとっても楽だし、そのことで人にも自分にも優しくできる。それに気づいた途端、涙が止まらなくなった。心底自分が恥ずかしかったですね。
いま同じ作品を見たからといって、あのときのように感じるかはわかりませんが、当時の私は映画をそういうものとして経験したのです。
映画によって時代や国を超えた人々の生活を知ることができる。紛争地域の子供たちは、“子ども”として生きることは許されず、若者たちは当たり前の恋愛もできない。弱者がつらい思いをする社会はよくしていかないといけないと体感します。たくさんの映画を見ることで理不尽さや怒りだとかいろんなことを感じました。
そういう思いが強かったせいか、マイケル・ムーアみたいな監督になりたいと思ったこともあります。
世の中の富をごく一部の人が握っていて、そのしわ寄せは、自力では苦境を乗り越えられない人たちのところに集まっている。世界には、そういう国が少なからずありますが、あまりにおかしい。日本はそういう構図が見えづらいけれど、社会の構造そのものは理不尽な国とそう変わらないのではないかと思います。
理不尽さをそのままに、自分のことだけを考えて生きて、その結果、みんなの心が硬くなっていき、人を傷つけるような社会を出現させている。やはりみんなが怖い顔をしているより、ささやかなことに幸せを感じる社会のほうが良いはずです。
実際、美大の油画科を卒業しても就職はとても厳しい。友達と会って話すことは、派遣や雇用問題だとかニュースで「若者の問題」とされていることも多いのです。みんな迷走していて、どうしていいかわからない。
集まって、「どうしたらいいの?」という会話になっても、別れるまでにひとつの答えも出ない。そして、次の日の仕事に備えてそれぞれ散って行く。
芸術家ならば、芸術のことだけを考えて生きていられる社会がいちばん幸せかもしれません。でも、日本には芸術に対する補助も少なく、どんなにいい作品をつくっていても創作活動を続けていくことは難しい。
大人はともかく高校生であれば、たくさん夢をもっていいはずだけど、今は目の前の現実の厳しさばかりが見えやすい時代です。
けれども、日々のささやかな発見に胸をときめかせたり、小さな失敗を笑いに変えることで現実の見え方がずいぶん変わってきます。現実のことを考えることはつらいことです。でも、考える必要があるんですよね。

つらいけれど、すべてを嫌だという一言で片付けなければ、そこには楽しさを見出すこともできます。
そして、楽しむ余裕を持つためには、様々な思いを共有しあう友達が必要です。私には高校時代からの親しい友達がいます。彼女は仏像の修復の仕事をしていて、私とはまったく性格は違う。たまに会って話をするととても刺激になり、自分の背筋が伸びる感覚になります。
自分の考えの軌道を修正してくれるような、そんな話しのできる人がそばにいることは幸せなことです。正直に話すことで、人間的なつながりが生まれていく。そのとき過ごしている空間を楽しくすることに徹する。その連続が私にとっては生きる力になっています。
10代の頃、映画を観ると感想をノートに書いていました。誰に見せるでもないのに評論家を気取って一生懸命書いていました。いま読み返すと語彙が少なくて、ただの背伸びした自我の強さの丸出しになった恥ずかしい内容ですが、そういう試みの中で「自分の視点」をだんだんと確立していったように思います。
そして、いまになって思うのは、ひとりで映画を見るだけでなく、大勢と見に行ったこともいい経験になったということです。それぞれが自分の視点から感じたことを言い合う。たまに「えー?」と思うような感想もあるけれど、それによって気づかされることも多いのです。
違う意見の人がいても、その人の人格を否定するような感情を持たない。そういうもの言いはしないよう努めることでいい人間関係ができたように思います。多くの人とものの見方を共有していくことは、自分の幅を広げていくことだと思いますね。
やはり映画を数多く見たことでしょうか。映画でも本でも音楽でもいいのですが、まったく知らない場所、未知の世界に思いを馳せられる。これは大事なことだと思います。
私の場合、映画を通じた追体験で、「どこにも人の暮らしがあるんだ」という事実を知ったことは大きかった。
いまでも夜、電車に乗っていて、窓から見えるたくさんの光を見ていると、あそこにも家庭があり、暮らしがあって、私とは違うそれぞれの人生があるのだなと気づくと、「生きているってなんてすごいんだろう!」と思います。
きっと自分と同じように悩んでいる人もたくさんいるし、解決した人もたくさんいるんだろうな。そんなふうに感じると、立ち行かない状況になっても世界にいるのは、自分だけじゃないなと思えます。
自分だけじゃない。この思いは、自分の行動を制限もすれば、可能性を広げることにもなります。私にとっては、とても心強い言葉として響きますね。
[文責・尹雄大 撮影・渡邉孝徳]


(注1)2010年上映された山田洋次監督の作品。周囲に迷惑をかけ続ける鉄郎(笑福亭鶴瓶)と姉の吟子(吉永小百合)を通じ、家族の絆を描いた。
(注2)絵本作家のいわさきちひろの作品を展示した美術館。いわさきちひろは、子供の平和と幸せを願う作品を描き続けた。松本春野さんは孫にあたる。
Haruno Matsumoto
松本 春野
1984年東京都生まれ。2006年多摩美術大学油画科卒業。現在、子どもの本や雑誌を中心に活動中。2009年、『絵本 おとうと』を刊行。
<公式サイト>
http://harunomatsumoto.com/index.html
【松本 春野さんの本】

『絵本 おとうと』
(新日本出版社)

『絵本 おとうと〈2〉―はじめての学校』
(新日本出版社)