

Satoko Kono
功能 聡子
国際基督教大学卒。ロンドン政治経済大学院(LSE)社会政策学部修士課程修了。1995年よりカンボジアの復興・開発支援に携わる。2009年2月、Social Investment Fund for Cambodiaを設立。同年12月ARUN(ARUN合同会社)設立。
功能 聡子さん(ARUN代表)
近年、社会起業や企業のCSR(社会的責任)など、ビジネス一辺倒ではなく、社会を良い方向に変革し、多くの人が幸せに暮らせる世の中をつくろうという動きがビジネスの中から生まれてきている。その中で注目を集めているのが、「社会的投資」だ。いわゆる投資のように経済的な見返りだけを期待するのでなく、社会的なインパクトを重視する投資だ。功能聡子さんは日本で出資を募り、途上国の社会起業家に投資を行う「社会的投資」を行う会社の代表を務めている。その思い、ビジョンについて尋ねた。
まず社会的投資は、寄付や投資とは違うことを知っていただきたいと思います。
たとえば困っている人、助けを必要としている人を支援するためには、寄付という方法があります。自分の支援したい団体を選んで寄付し、それによって社会に何か良いことが行われることを期待はしても、見返りは要求しません。
一方、投資の場合、お金を出す投資家は、利益を目的に事業に投資します。投資を受ける側は、投資されたお金を使って事業を大きくしたいと考えています。
次に社会的投資における投資ですが、これは通常の意味とは異なります。社会的投資の場合、投資を受ける側は事業を成功させたいと考えていますが、その過程で貧困をはじめとした社会的な課題を解決することを目指しています。
また、投資する側も普通の投資のように、お金が儲かることをいちばんの目的にしていません。たしかにビジネスに投資するわけですから、事業が成功することを期待してはいます。しかしながら、事業がもたらす社会を良くする効果のほうにより着目しています。つまり経済的なリターンとともに社会的なリターンを重視しているのです。
私の仕事は、カンボジアで社会の変革に向けた事業やミッションを掲げている人を探し、どのように投資することが互いにとってよいかを考え、実行することです。

はい。参加者は、寄付ではない新しいお金の流れをつくることに関心のある人やカンボジアに縁のある人が中心です。若手のビジネスパーソン、金融やビジネスの世界で働いている人も多いです。
カンボジアで農産物の流通、販売を行う事業に投資しています。特に、自然栽培米の流通、販売を支援しているのですが、このお米は、SRI農法(System of Rice Intensification)という新しい農法によって作られています。
内戦の続いたカンボジアは近隣諸国と比べても農業生産性が低かったので、これを改善しようという様々な試みが行われました。米の生産量を上げようとする試みには品種改良、化学肥料や農薬を使ったり、灌漑設備を整えたりといった外部環境を変える方法がありますが、これにはお金がかかります。
カンボジアの農民の大半は1ヘクタールの土地も持たず、自給のために農業をしているような貧しい人が多いため、新たにお金を投入することはできません。
海外からの援助で新種の稲や化学肥料が農家に提供されたこともありましたが、支援がなくなったら自分のお金では続けられません。これまでの援助のやり方は、必ずしも本質的な農業の進歩につながらなかったと言えます。
農民が自分自身で新たに工夫したり考えたりすることがなければ、持続的な農業や生活の改善にはつながらないのです。
はい。SRI農法にはいくつか非常に特徴的な技術がありますが、一例をあげると、田植えの方法があります。伝統的な農法では、苗を40日くらい育ててから田植えをしていました。SRI農法は10日くらいの小さな苗を植えます。
また、これまでは密集させて植え、その中のどれかが育てばいいという方法だったのですが、新しい農法では元気な苗だけを選んで一本ずつ、間隔を空けて植えます。それによって根がしっかり育ち、実りも大きいのです。
伝統的な農法だと田植えを終えると、田んぼ一面に緑の苗が植わっているのに、SRI農法では小さな苗がまばらに植わっているだけ。しかも水を田に満々と浸すことなく、土が湿る程度にしか入れない。一見すると「こんな状態で大丈夫かな?」という印象を与えます。
この農法を最初に試みた人たちは、家族からも止めるよう言われたり、周囲から嘲られたりと、なかなか理解されなかったようです。
けれども収穫を終えた時、明らかになったのは収量がそれまでの1.5倍以上という事実でした

それまでいろんなやり方を試してみたが、うまくいかなかったという経験を持っていて、「何か新しいことに挑戦したい」と思っていた人たちです。リスクはあるかもしれないけれど、自分で考え、勇気をもって決断したのです。
そういう人たちの成功と確信が全国に広がっていき、2000年に28世帯で始まった試みは、現在10万世帯にまで広がりました。
1980年代にマダガスカルでフランス人神父が地元の農民と一緒に働きながら開発した農法です。
実はその神父は、農業試験所で働いていた日本人による稲の成長に関する研究論文を読んでおり、それがSRI農法の理論的根拠になったそうです。次いでマダガスカルでの成功例をカンボジアのNGOが農業雑誌で読み、試みたところ興味深い結果が出たので、まず28世帯の農家に声をかけたというわけです。ですから、日本とも縁のある農法なのです。
それまでは、農家でありながら1年のうち3ヵ月くらい米が足りず、食べていけなかったため出稼ぎに行くことが当たり前でした。しかし、収量が増えたことで余剰の米を売れるようになりました。
カンボジアでは収穫時、村に仲買人が来て、彼らの示す値で米を売るのが慣例でした。収穫したばかりで精米していない籾は、値段が安いのです。
農家は自分の米がどこに出荷されるか。いくらで市場に出回っているかも知りません。これではいつまで経っても農家の力は弱いままです。
現在、農民と彼らを支援するNGOは、適切な対価を得られる仕組みにしようと流通の改善を行っています。

もともとカンボジアに興味があったわけではありません。以前はアジア学院というNGOで働いていました。そこはアジアやアフリカの農村から自国の発展に意欲を持つ人材を招き、育成する機関です。アジア学院での仕事を通じ、インドに関心を持ち、将来はインドで働きたいと思っていました。
しかし、依頼されたのは、カンボジアでの仕事で、一度は断ったのですが、翌年もまたカンボジアでの保健医療活動に関わる仕事を打診され、これもご縁だと思いカンボジアへ行くことに決めました。住み始めてから関心を持つようになりました。
そうです。そういう意味で印象に残っているのが、一緒に仕事をしたカンボジア人スタッフの言葉です。カンボジアの政治や社会問題について熱く語り合った後、「でも、僕らカンボジア人には現状を変えられない。無理なんだよ」と漏らしたのです。たいへん優秀で勉強熱心な人の発言だけにショックでした。
当時は、彼に限らず自信を持てない人が多かった。それはまだ内戦が終わったばかりで平和に信頼を寄せられず、またいつ戦争が起きるかもしれないという不安を抱いていたせいもあるでしょう。
加えて政治的な腐敗はいまもあります。そういう状況を変えていかなければいけません。それにはいろんな手立てが必要ですが、すぐには世の中を変えられません。
だからといって、「いまの状況が変わらない限り、自分は何もできない」という態度は、正当化されないと思います。

そうですね。日本人にもありますね。誰かに言われたことをそのままやっていたり、不都合なことは周囲や状況のせいにする。政府や社会、境遇が悪いと批判するだけに終始する。そうではなくて、自分の状況は自分で変えていく。そういう気概を持つことが大事です。
いまカンボジアでは、現状を変えていこうという発想をする若い人が増えてきました。私の仕事は、自分の手で状況を変えることができる道筋を農家や起業家と一緒に示していくこと。それが社会的投資の醍醐味であり、おもしろさです。
中学生の時、ネパールの山中で医療活動を行っていた岩村昇医師の存在を知ったことが大きいと思います。岩村さんはネパールの僻地に住んでおり、日本のように手軽に物品が手に入らない環境であっても、現地の人と一緒に生活していました。そのごく普通の暮らしぶりが印象的でした。なんだか楽しそうだし、私もそういうことをしたいと思ったのです。
あまりにも楽しく、心地よくなり過ぎたので、このままではいけないと思って、少し距離を置こうと思いました。いったん日本に帰国し、すぐにイギリスへ行って、ロンドン政治経済大学院で社会政策を学びました。
カンボジアで暮らしていた頃、「フィガロ」という雑誌を時々読んでいたのですが、そこに世界中で活躍している女性に関する連載が組まれていました。その中でビジネスの手法によって、世界の貧困を解消しようとする社会的投資の例が紹介されていました。
記事を読んでとても興味を覚えたのは、ちょうど外国人が援助を行うことの限界を感じるようになっていたからです。
カンボジアは、先進国の援助なしではやっていけない社会になりつつあるように見え、そこに疑問を感じていました。社会的投資についての記事は、それまで携わってきた開発や援助への問題意識への答えに思えたのです。そこで大学院で学んだ後、日本に帰国してから社会的投資に関する事業を準備することにしました。
確信はありませんでしたが、とにかくやってみようと思いました。事業を立ち上げたきっかけは、08年の暮れにSRI農法を推進しているカンボジアのNGOのリーダーから「日本で投資家を探して欲しい」と緊急の連絡があったからです。
カンボジアでは米の収穫は一年を通じて行えますが、いちばん収量を多く見込めるのは、11月から12月にかけて収穫する雨期米です。
依頼のあったNGOは、その米を農民組合から買い取って流通させる事業を始めていたのです。けれども金融危機が起きたため、当てにしていた投資家が手を引き、買い取る算段がつかなくなった。このままでは契約していた農家との信頼関係が損なわれる。そこでぜひ日本からの投資で支援して欲しいという話になったわけです。

社会的投資の事業化は考えていましたが、具体的な準備はこれからの段階でした。実は日本の金融関係の法律は非常に厳しく、投資の仕組みをつくることはたいへん難しいのです。
カンボジアからの緊急の依頼を受ける形で、任意組合を急遽立ち上げ、投資家からお金を集めました。NGOの必要とする金額には足りませんでしたが、とにかく送金することはできました。
銀行や証券会社、中小企業へのコンサルティング、ソーシャルベンチャー事業を支援している人など金融関係の知識に精通した人がいました。
私自身について言えば、これまで経験したことのすべてがいまの事業に役立っています。ただ、だからといって、「時間をかけるのがいちばん」とか「回り道をしたほうがいい」とも思いません。必要な経験やそれが活かされるタイミングは人によって違いますから、いちがいには言えないと思います。
国際協力や社会起業という仕事は、いろんな人の力があって初めてできることです。金融や法律に限らず様々な知識を持っている人との協力なしにはできない仕事です。
いろんな人の持っている「良さ」を素直に受け取ることができる。それが大事な資質だと思います。あとは楽観的な姿勢や希望を持つことでしょうか。
私は「必要なものは必ず与えられる」と考えています。本当に大切で成し遂げなければいけないミッションがあれば、遂行する上で必要な力や助けは与えられるものだと思います。
できるかどうかを心配せずに、邁進する前向きさと「可能性はすべての人にある」ということを信じることができればいいのではないでしょうか。
中学生の時、あるNGOが主催した芋掘りなどを行うワークキャンプに参加しました。参加者は知的障害者や親と一緒に暮らせない子供など様々な背景を持つ人たちでした。みんな働き方が十人十色で、やれることもやり方も違う。
学校生活では、全員が同じやり方で同じことをします。そしてテストという同じ尺度で量られます。そういう環境にいた私にはとても新鮮な経験でした。
途中で作業を止めて、持ち場を離れる人もいたのですが、主催者の方が「あの人が止めたから自分も遊んでいいんだと考えるのは違うよ」と話されたことが印象に残っています。
私と私以外の人はできることが違います。他人と比較するよりも、ひとりひとりに与えられている能力を最大限に発揮することが重要ですし、そもそも能力の出方は違うはずですから比べようがありません。
それぞれの人が自分の能力を発揮し、思わぬことができたり、それが人に喜びを与えることにつながれば素晴らしい。一様ではない人それぞれの輝きを発揮できる社会になればいいなと思っています。
[文責・尹雄大 撮影・佐藤類]

(注1)
カンボジアは1953年、フランスから独立し、シアヌークを国家元首とした社会主義体制に移行。70年に親米派のロン・ノルがクーデターを起こすも75年に共産主義思想を掲げるポル・ポト派が政権を掌握。極端な農本主義的政策により約170万人が殺害されたとされる。78年にベトナム軍が侵攻し、ヘン・サムリン政権が成立。以降、ポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派の3派連合との間で内戦に発展。1991年の「カンボジア和平パリ国際会議」の和平合意でようやく内戦は終結した。
Satoko Kono
功能 聡子
ARUN代表
国際基督教大学卒。ロンドン政治経済大学院(LSE)社会政策学部修士課程修了。民間企業、アジア学院勤務の後、1995年よりカンボジアの復興・開発支援に携わる。2009年2月、日本発の途上国向け社会的投資の仕組みを作るため、Social Investment Fund for Cambodiaを設立。同年12月ARUN(ARUN合同会社)設立。
<ARUN>
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