

Dan Kogai
小飼 弾
1969年生まれ。ブロガー/プログラマー/投資家。カリフォルニア大学バークレー校中退。1999年オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)のCTO(取締役最高技術責任者)を務めた。2004年にブログ「404 Blog Not Found」は月間100万ビューを数える。『働かざるもの、飢えるべからず。』など著書多数。
小飼 弾さん(プログラマー・投資家)
「働かざるもの食うべからず」。ときに強く生きる上で背中を押してくれる言葉だ。だが同時に生活にひしがれている人を苦しめる言葉でもある。たかだか企業社会の要求する能力に見合わないことが、人間としての価値の否定につながるような呪文としても使われるからだ。プログラマーであり投資家の小飼弾さんは『働かざるもの、飢えるべからず。』という刺激的なタイトルの著書を出版した。その中で国民の最低限所得を補償するベーシックインカムについて論を展開している。いったいどういう社会を構想しているのか。
以前から税金は生前より死後とるのがいちばん効率いいと思っていました。つまり遺族ではなく社会が遺産を相続する形にする。
毎年約110万人の方が亡くなっていますが、そのうち高齢者が使い切れずに残していく財産が年間80兆円。仮にこの遺産相続人を国民全員にした場合、年間1人あたり64万円、月々にすれば約5万円が給付可能と試算できました。じゃあ相続税100%の財源でベーシックインカムができるのでは?と思ったことがきっかけで、この本を書きました。

あまり資料がなかったし、そもそもすでにある資料の中から考える発想がありませんでした。僕が考えたのはこういうことです。
月5万円をベーシックインカムとして国民に配るとすれば、72兆円かかります。巨額さに驚くかもしれませんが、実は72兆円という金額は、日本政府の扱うお金としては大金とはいえません。政府が社会保障のために配っているお金は年間80兆円くらいです。
はい。先述したように国民全員を相続人にした場合、年間1人あたり64万円ですから、4人家族であれば合計256万円。この額は2008年の世帯年収の中間値である443万円の半分を超えています。OECDによる相対的貧困とは、年収がその国の中間値の半分を下回ることと定義されているので、ベーシックインカムが実現されると、2007年の時点で15.7%あった相対的貧困率は事実上ゼロになります。
死ぬまでは好きに使っていいんですよ。死んで使い切れない分だけ政府が取り上げるだけです。
お金持ちのいちばんの問題は、お金を使わないことなんです。貧乏人のほうが何かと足りていないわけですから、生きている間、お金を必要なものに有効に使い切りますよ。
日本は60歳より70歳、80歳のほうがお金を持っています。年寄りは欲も減って、お金を使うのが下手になりますし、さらに70歳になっても老後が心配という世相があるからお金を減らしたくない。
お金が減ることを気にする方に言うのならば、ベーシックインカムを実行すれば生きている間、税金は安くなります。
2009年の法人税は15.6兆円、所得税は10.5兆円、消費税は10.1兆円ですが、僕の試算ではこれらの税金をチャラにしても、さらに10兆円程度あまります。
ボトムラインとして消費税と法人税を廃止して、所得税だけはプールしておくのもいい。優良企業と資産のある個人を日本に引きつける力になるでしょう。
そうです。生きている間、どれだけ「この金も土地も俺のものだ!」と思っていても、死んだら使いようがないでしょう。
さらに踏み込んでいえば、「俺のもの」といえるものなど、現実にありません。すべて自然から借りたものを利用させて貰っているだけで、本質的に所有などしていません。
人は永遠に生きることはなく、命もいわばレンタルに過ぎない。そこまで考えてくれなくてもいいのですが、とりあえず「生きている間は使いたい放題。死んだら政府に納めたほうがトク」と思って欲しいです。

とりあえず飢えない収入があれば、働くことを義務とせず働いてしまう。そういう人が当然のように存在する世の中になるでしょう。
いま私がこうしてインタビューを受けている時間は仕事でしょうか?本質的に必要かというと首を傾げざるをえないでしょう?でも、そういうことを好んでやっているわけです。飯の食い上げになるから仕事をしているわけではない人は、いますでに存在し、先進国ほどその割合は高い。
対価を考えて働くわけではない。しかも世の中を維持するための仕事に携わり、本当に世のため人のためを考えて働ける人は、現時点で全体の1割くらいじゃないでしょうか。
そうです。だからといって、みんなが本気を出して働き出したら地球の資源はもちませんよ。人類自重しろという話です。でも、自重できない人が一定割合います。ついカッとなって「グーグルつくってしまいました」というような、働くのが義務だからではなく、やってしまう人。そういう人に仕事をしてもらうだけで世の中は回って行く。
特に今後、足し算が利かなくなる仕事が増えます。足し算とは、いままで3人でやっていた仕事をあと3人加えれば、生産量が2倍になるというようなものです。しかし、これからは掛け算になります。
たとえばプログラマーの仕事は100万倍の生産性の違いが普通に起こります。
足し算と掛け算の過渡期のせいか、さまざまな分野で仕事の歪みが見られますが、ようは100万倍もの生産性のある人に「1万くらいにしておけ」といい、1しかつくれない人に「10つくれ」と言っていることに原因があります。それだと両方にとってつらいから、仕事はしたい人だけに勝手にさせればいい。
そうだと思います。この考えは、ものの足りない時代であれば間違いではありませんでした。雇う人を倍に増やせば生産量も倍になった時代もありました。
ところがいまの問題は、技術発展に伴う過剰な生産力です。つくればつくるだけ売れていた時代なら、働くことを奨励する倫理は正しいし、社会的にフェアでした。それがいまや変わらざるを得なくなったのです。

1969年頃にあると思っています。その年、アポロが月に打ち上げられ、大型旅客機のボーイング747、音速旅客機のコンコルドがデビューしました。マクロエンジニアリングの絶頂期にあったと思います。
その後、大きなものをつくる技術はまったくではないにせよ、コンピュータほど進化していません。なにせアポロ計画で使っていたコンピュータは、初代のファミコンにも劣りますから。
69年あたりで本当は足し算の世界に疑念を抱かなくてはいけなかった。右肩上がりの足し算式の考えがヤバいんじゃないか?という意見がようやく出てきたのは、「成長の限界」が発表された1972年です。
このレポートは2000年に、人類の人口は78億人になるだろうと予測していましたが、実際は60億人です。
現在は、2040年代に80億人弱で人口が最高に達するだろうと言われていますが、今世紀中には、人間の増えるスピードそのものの鈍化が見られるはずです。人類全体の状況を見ても、右肩上がりというのはありえないことが、すぐにではなくてもわかってくると思います。
全然違うというより、「やればできる」をそこまでもてはやさず、「ああ、すごいね」くらいに受け止める社会じゃないでしょうか。とりあえず、やれない人に対し、「おまえもがんばれよ」というのは、今すぐ止めてもいいでしょう。
それに働かない人を社会の寄生虫みたいにいう人がいますけど、そもそも人類が地球の寄生虫だという事実から目を逸らすわけにはいきません。
実は私たちはすでに貨幣ではないけれど、太陽や水という恵みをベーシックインカムとして自然から貰っています。同様のことを人間社会に適応し、貨幣という形で実現しようといっているだけです。
ずっと過去にさかのぼれば、人類は動物の腐肉を漁っていたわけです。狩猟していたのではなく狩られる側にいて、人間はとにかくそう大したものじゃなかった。それがいつしか「暖かい家が欲しい」とか「もっと」を望む欲が出てきて、自然の恵みというベーシックインカムでは満足できなくなった。満たすためには、自然からより奪わないといけなくなったわけです。
所有という概念の発生には、自分が食べられる以上のものをつくれるようになった農業の影響が大きいでしょう。農業ができたとき、ちゃんと考えなかったのが第一の誤りです。
余剰の配分で序列がつくようになって、そこで「所有」に価値が置かれるようになったと思います。同時に持たない人は持つ人のために懸命に働かなくてはいけないという考えも生まれた。

ええ。でもみんなの持ち物を持ち寄ってみると、どう考えてもひとりが欲しいと思っている量より多くものが集まるはずです。それだけものの分布に偏りがあるのです。持ち足りない人だけでなく持ち過ぎている人にとっても不幸です。持っていながら使われていないとは、世の中にも人の役にも立っていないということですから。
所有による幸福感が最高潮に達するのは手に入れた瞬間だけでしょう。しかも、ものを持つ効用は多くを持つほどに下がります。
たとえば月収が10万から20万になったら、増えたことへの実感と喜びは大きい。でも1000万が2000万になれば、あるいは1億と2億にもなると感動はずっと少ない。それに年収1億の人は100万の人より100倍幸せかというとそうでもありません。
皮肉なことに、現状では大金持ちになるほど、ベーシックインカムに賛成しています。反対に「働かざるもの食うべからず」で損をしている人ほど心理的に抵抗があるようです。「働いていないのに与えられていいのか」という倫理がベーシックインカムの理解を阻んでいます。
けれども、そもそも誰も自立して生きていません。地球に依存し、自然を収奪して生きている事実に目を向けるべきです。
生活保護を非難する人は、「あいつらを保護するな」と言っても、決して「俺にも寄越せ」とは言わない。不思議です。
税金について文句をいう人に、「じゃあ具体的にいくら払っているんだ?」といえば即答できる人は少ないだろうし、それにたいていの場合、払っている税金に比べて受けているサービスのほうが多いでしょう。
「あと5万あれば楽になるのに」と本音を言わず、貰っている人から奪おうとする。これは嫉妬以外の何ものでもない。自分のところにお金が回ってきていないから嫉妬する。だったら全員にお金を行き渡らせればいいじゃないかと余計に思いますね。
実はベーシックインカムに近いものはすでにコミュニケーションの領域において、「パケ放題」やブロードバンドという形で達成されていて、多くの人が利用しています。もちろん基本料金は払っていますが、メーターが上がることを気にせず使える状態になっています。しかも使いたい放題になると、かえってがっつかなくなった。そういう現象を見ると、ベーシックインカムに関しても、ただ認識が追い付いていないだけなのかなと思います。

そうですね。あまり平和な家庭で育っていないので、しょっちゅう家出しては、コンビニの残飯を食べるような生活していました。そういう境遇からミリオネアになる過程までの体験が大きく影響していると思います。
まず、僕は仕事における努力と収入はまったく比例しないという認識を持っています。
普通の人なら絶対にできない過酷な働き方をしたこともありますし、逆に普通の人には絶対無理だという怠け方をしたこともあります。
でも、いちばん収入が多かったのは怠けているときでした。手元に3億円くらいあれば、電話一本で一日に300万くらい稼ぐことはできます。その代わり一日で3000万なくなることもありますが。
お金を持っている場合、働くことは効率が悪いのです。ひるがえって財産がほとんどないときは、投資よりも働くことがいちばんです。働くことが報われるのはお金を持っていない人にとって事実です。
将来、働くことは義務ではなく権利になります。人間という生き物はややこしくて、人様の役に立っているような気がしないと落ち着いていられない面を持っています。
「働かざる者食うべからず」という倫理は、完全に消滅することはないでしょうし、「ロクに役立ってないのに大口叩くな」という思いは僕の中にもあります。
僕にとって働くとは大口を叩くためのもの。大口叩く必要なければ、あまり働く必要がないと思います。いまは働きたくない人もやたら働きたい人にとっても不幸な状況です。全員で不幸になるのはいい加減かっこ悪いから止めようと言いたいですね。
人と比べないこと。あいつのほうが持っている。あいつのほうが楽しそう。あいつのほうがリア充だとか。人と比べると絶対幸せになれません。心配しなくても、世界一の金持ちを除いて、みんな貧乏なんです。比べても仕方ない。
僕はコンビニの弁当を漁るような生活をしていたけれど、そのとき不思議くらい他人と比較することがなかった。「あいつらはうまくやっているのに、俺はそうではない」というような惨めな気持ちもまるでなかった。
高校へ行かず建築現場のバイトに勤しんでいたとき、ある高校の補修作業をしました。僕がその現場で仕事していたら、同じ中学に在籍していた子がいて、嫌なにやけ方をした。明らかに「コイツ、こんなに落ちぶれやがって」という目つきでした。そのとき「ふーん、世の中ってこういうことか」と思いました。
人と比べることが、いちばん簡単に不幸になる方法です。ただ自分と比べることはできます。昨日できなかったことがいまの自分にはできる。昨日知らなかったことをいまの自分は知っている。これは幸せなことでしょう。
僕が人と比べるとしたら、どこかに同じことをやっている人がいないかと探すときだけです。すでに試みている人がいたら、「じゃあ俺がやらなくていいや」と思う。
でも、世の中には誰もやっていないことがいくらでもありますし、案外隙間だらけです。まだ誰もやっていないにことに挑戦することのほうが断然おもしろいですよ。
[文責・尹雄大 撮影・佐藤類]

Dan Kogai
小飼 弾
1969年生まれ。ブロガー/プログラマー/投資家。カリフォルニア大学バークレー校中退。1999年オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)のCTO(取締役最高技術責任者)を務めた。2004年にブログ「404 Blog Not Found」は月間100万ビューを数える。主な著書に『働かざるもの、飢えるべからず。』(サンガ)『空気を読むな、本を読め。小飼弾の頭が強くなる読書法』 (イースト・プレス)など多数。
<404 Blog Not Found>
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
【小飼 弾さんの本】

『働かざるもの、飢えるべからず。』
(サンガ)

『空気を読むな、本を読め。小飼弾の頭が強くなる読書法』
(イースト・プレス)