

Hiroshi Hasegawa
長谷川 宏
1940年島根県生まれ。1968年、東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。自宅で学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰するなど、在野の哲学者として活躍。ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。
長谷川 宏さん(哲学者)
長谷川宏さんは在野の哲学者、翻訳家として有名だ。哲学研究とともに学習塾を主宰しているが、合宿や演劇祭を行なうなど、たんに受験を目標にした教育を行ってはいない。「基本的に放っておく」という姿勢をもつ長谷川さんだが、それはたんなる放任でもなさそうだ。教育や哲学に対する思いを尋ねた。
塾は40年近く、合宿は35年ほど続けています。合宿は長野県の諏訪の奥にある廃校となった小学校の校舎で10泊11日の日程で行なっています。参加者は小中学生が20人くらいで、高校生と大学生、社会人を合わせれば50人くらい。塾生に限らず、噂を聞きつけて参加する人もいます。
トイレは汲取だし、風呂はドラム缶で焚きます。おもしろいことに風呂焚きに魅入られる子どもが毎年必ず現れます。かまどの下の炎の熱さをものともせず、へばりついて火をじっと見つめている。
ほかにも、蜘蛛が巣をつくるのを半日ずっと見ている子もいたりします。ちょっと不思議な時間の過ごし方になりますね。
都会と田舎の対比というと通俗的でおもしろくないけれど、合宿の間は最大限に個人の自由を尊重する…。この言い方もなんだか説教臭くて嫌なんだけれど、ようするにこちら側としてはなるべく干渉しない。自分たちで楽しさを見つけるしかないようにしています。

炎も蜘蛛の巣も、その教育上の効用を説明するのは難しいし、そういうやり方に合わない子もいます。それは仕方がない。ただ、およそ日常にない生活感覚を味わう不思議さを感じた子は、毎年来るようになりますから、多少は心の洗浄になっているのかなと思います。そのせいか、合宿の参加については、子どもよりも社会人のほうが熱心かもしれない。
集団生活の鉄則として、何も強制しないし、大人が「ああしろ、こうしろ」と言いません。何にせよ本人が「やる」と言わない限り、基本的に放っておく。そういう中で過ごしていると、各々が勝手な動きをし出して、それがおもしろい。危険なこともありますよ。たとえば、2階の屋根くらいの高さのところを鬼ごっこで走り回ったりする。
骨折だとかで病院に運ぶことはままあるので、それはいいんです。ただ、わざわざ死ぬようなことはさせないし、大ケガも困るし、他人がうんと傷つくようなことも困る。2階から落ちたらさすがに大事です。でも、その行為をただダメだと言っても意味がない。
参加者と議論して、「規制するしかない」となった。じゃあどうするか。子どもらの間から「ゲームを持ってきているから、こんど言うこと聞かなかったら取り上げて燃やしてしまう」「大怪我じゃないくらいの怪我をさせればいい」という意見も出ました。
頭ごなしに禁止しても行動を止めるのは無理です。それなりに収めるためには相手の納得する方策を考えないといけない。
子どもにとって学校とは、秩序が強制される場に他ならないし、たいていの学習塾もそうでしょう。
それを前提にしたとき、「ひとつくらいそうではないものがあってもいいだろう」というのが正直な気持ち。僕の中でも年々、強制しようという考えが少なくなっている。
問題が起きたにせよ、大人が介入せずともだいたいは子どもたちで解決するんですが、当初は「見ておけばいい」とは思えませんでした。
いまはあまり配慮しませんし、それでもそれなりに力がつくこともわかりました。合宿場所に着いて、掃除だとかの仕事が終わったら好き勝手に遊ぶのですが、ぶらぶらとろくでもないことをしてたって何の問題もない。
むしろ、大人たちのほうが球技大会で必死にぶつかりあったりしている。そういう光景を見ると、最初は子どものほうが戸惑っています。
けれども、子どもそっちのけで大人が遊ぶのを見るのは、子どもにとって、自由な振る舞いがプラスに転化する感じを経験するにはいい機会だと思っています。
合宿では自由にできても、日常ではそうはいかないとは思いますよ。でも、塾でも自分の勉強が終わったら他の子におかまいなしで、教室の中でボール蹴り出す子がいたりします。怒れば止めるんだろうけれど、僕は「たまたまそこでやりたいならいいか」と思ってしまう。
子どもにしたって、ボールを蹴ることなんて、ずっとやりたいほどおもしろいことでもない。5分もすれば飽きる。じゃあ、そんなもので秩序が乱れるかといったら、それほど神経質になることはない。
そもそも、もうちょっと育つことへの信頼があっていい。もともと人が育つことに他人がそんなに関われないですからね。秩序をきちんとつくって関わることに意味があるのかな?と思います。

40年も同じことをやっていると、平均的な流れとして、「いまどきの子は飽きっぽいな」とか「あまり人の話を聞かないな」と思うことはありますが、それは変えようがなく、その流れの中でどう付き合うかです。
塾に入った子が小学生なら中3まで5、6年の付き合いになります。こちらは転勤もないし、ここが拠点ですから、そういう中で考えると、いろんな問題が起きても個人と個人として、10年、20年の幅で考えられます。むろん、そこまで付き合えない子はいっぱいいるし、自然に去って行く子もいる。それはそれでいいんです。
ともかく気になる子のことを広い幅で考えると、個人と個人の関係になるから、好きに生きていくことを最大限尊重しようと思います。
長男と末の子が塾の仕事に携わるようになりましたが、高校生や大学生が夜遅くふたりを訪ねてくる。僕は早く寝るから、静かにしてさえくれたらいい。
知っている人もいます。わが家は一年中、鍵を締めるということがありません。こういう時代だからリストカットしている子がいたりと、いろいろです。でも、こちらはリストカットとじゃなく、その子と付き合っている。確かに簡単に踏み込めない問題を抱えている子はいます。でも、付かず離れずの関係を維持できたら、相手の気持ちの安定感もずいぶん違ってきますよ。
若者の中には仕事がしょっちゅう変わったり、鬱病だったりする子もいるけれど、とりあえず「まあしばらく休めばいいよ」と言う。それでうまくいくこともあれば、そういかないこともあります。ともあれ「ここに来られる」という感じをみんな持っていて、そういう場所になっています。
翻訳の仕事していることは知っているみたいです。インターネットで調べると名前出ているから、「へぇ有名なんだ」と言っている。付き合っているときは、このへんのおじさんだから、イメージはつながらないでしょう。

親は教育熱心でしたね。島根の田舎生まれですが、子どもの頃から習い事をやらされて、だから東大には入れたんでしょうが、僕はそれをあまりいいことだとは思っていなかった。
大学では法学部を選んだけれど、途中で哲学科に移った。博士課程までいたから、大学に残って教授になる道はあったけれど、そこから逸れて塾を経営することになりました。
大蔵省を目指すような人が周りにいましたが、「そんな人生って嫌だな」が正直な気持ち。入学時は外交官になろうかなという気があったけれど、本の世界にどっぷりつかっているうちにサルトル(注2)にいかれてしまった。仏文学科に移ろうと考えたものの、人気学科だから空きがない。サルトルなら哲学科でも勉強できるし、おまけに哲学は人気がないから入りやすいという理由で決めました。
その後、大学院でヘーゲルを研究しました。大学教授への道は、東大闘争(注3)にぶつかって止そうと思いました。
はい。大学に嫌気がさしたというより、大学側と徹底的に闘争したのだから筋を通そうと思った。まあ格好つけたわけですね。
方向転換したといっても哲学は家でも研究できます。塾を始めたのは、大学生の頃から家庭教師をしていたので、なんとか食べていけるなと思ったからです。
確かに経済活動を中心に考える時代でした。それを拒否するほど強い姿勢は僕にないし、経済活動がもたらす豊かさ自体の持つおもしろさもわかります。ただ、それに簡単に乗ってしまう道を選択しようとは思わなかった。
学問も大学教授になればそれなりにお金を貰えるけれど、そのために教授になりたいと思ったわけではないから、別に止めたところでかまわなかった。
親は大学教授と塾の講師では全然違うと考えていたから、大学を止めたことを「もったいない」と言ってました。
塾では合宿のほかに演劇祭を開催するようになって、そういうことを始めたらおもしろくて仕方がない。お金はなくていつもギリギリの生活でしたが、僕にとっては、一日一日が楽しくて充実していました。

いまは日本精神史を研究していて、いよいよ書き始めようかというところです。スタートはヨーロッパの近代でしたが、そこからさらに視野を広げていきたいわけです。
ヘーゲルに打ち込んで、かなりはっきりとその輪郭が見えてきたので、さらに研究することによってその奥へ行くことも可能です。特にヘーゲルと付き合いは長く、さらに読めば理解もますます深まるだろうけれど、まあもういいか、ほかのことをやろうと思った。
その上で、自分が生きているこの場でのものの考え方を開いていけないか。その開く手立てとして、日本精神史を考えようと思いました。縄文から始めて江戸の終わりまでやろうと構想しています。
きっかけは奈良でした。高校の頃から奈良時代の古典や美術が好きで、以来毎年奈良を訪れていまして、どきどきする楽しさがいつもあります。これは自分ひとりの問題ではなく、奈良文化のいちばん優れた頂点に触れている感触がもたらすものじゃないか。その感触を言葉にすればどうなるか。
作品におもしろさを感じるだけでなく、それを生み出した時代、人々の思いとか、そういうものにも触れておもしろいと思っているわけです。文物と交流することの持つ意味を考えたいのです。
たとえば阿修羅像を見れば、「いったいどういうつもりでこんな美しい青年像をつくったのだろう。そのとき青年とは、どういうものとして考えられていたんだろう」とか「異国でつくられた仏に対し、仏師はどういう気持ちでいたんだろう」と思うわけです。
美術的に優れた作品に対し、いろんな観点からものを言えますが、僕としては、それを生んだ時代になるべく肉薄して展開していきたい。
言えないけれど手触りが明らかに違う。それを「うまく言えたらいいな」という思いは、関心を持っている人のうちのかなり多くに共有されていると思います。少しでも、言葉にできる糸口でもつかめたらうれしいです。
情報はパッケージされ、確定されたものをただ受け取るだけでしょう。僕がいちばん充実感を味わうのは、奈良に毎年行きながら、同じことの繰り返しでなく、慣れ親しむことでわかってくる貴重さ、不思議さに出会うときです。親しむうちに自分の身体ごとどう対象と向き合うか、その向き合い方がわかってくる。
たとえば「法隆寺は午前中に行ったほうがいいし、できれば晴れの日がいい」とわかってくる。開門の9時とともに、まず五重塔と金堂を訪れ、そこから先へどう進むかは、いわば自分の中で奥の手のようにして持っている。それは何年も行かないとわからないことで、初めての人にはできない。慣れ親しむことで、相手の見え方が違ってきます。そうやって自分の付き合い方が広がっていくことが快感です。
人間関係も同じですね。塾を初めて40年の付き合いの中で、たとえば前は建築の仕事をやっていたけれど、いまはガスや水道の修理の仕事をしている人だとか、教師をやっていたけれど、いまは書店で本を売っている人とかがいます。人生の転機を迎えた人との付き合いがおもしろいなと感じますね。

誰しもそうかもしれないけれど、世の中に違和感を持って、いつも身をよじっていたところはありました。親が「大学付属の中学へ行け」ということで従ったものの、地元の名士たちの子が多く通う学校で、金持ちが多かった。そこでは金持ちが横柄なことに腹を立てたし、担任が元特攻隊員で、特攻隊の経験をやや自慢げに話していると、「戦争なんか賛美するなよ」と思ったりしていました。
身のよじりがすっきりした瞬間は自分ではっきり覚えています。「ああ、これで行ける」と確信したのは、全共闘のバリケードの中でした。いろんな人と議論をする中で、「まあまわりのことを気にかけないでも、自分の考え方で世の中を生きていけそうだな」と思った不思議な感覚がありました。
それまでは仲間といても、田舎の人間だから都会の人に何か遅れをとっている意識があった。それに学生運動でも先鋭的な連中は、大学やめてセクトに入って革命家を目指すし、演劇に打ち込む連中は大学やめて劇団に入るといったふうに、どこか突き抜けているところがありました。そういう人に対して、「あそこまではできないな」と思い、いつもどこかで自信がなかった。
全共闘運動では、さまざまな方針をめぐって議論が行われました。僕の場合、何か観念的な考えをどこかから持ってきて言うのではなく、自分の位置で考えた事柄を言葉にしていたように思います。周囲はすべて賛成してくれるわけではないけれど、耳を傾けてくれ、反論もあったし、自分の意見が通ることもあった。それらすべてが、「こうやって生きていけるんだ」というような晴れやかな感覚につながりました。
たとえば、大学を超えた沖縄闘争や日米安保に反対する運動とのからみで、「火炎瓶を投げよう」という強い意見が出る。もちろん投げたくないという人にまで投げさせることはないけれど、投げたい人は「みんなも投げるべきだ」という。捕まれば大きな罪を背負うことになります。「どうするべきか」という議論の中で方針を決めていかなければならない。いろんな意見が出てきて、いい加減なことでは片がつかない。そういう場でひとつひとつの事柄に自分なりの判断がきちんとできるかどうかが試されました。
それに大学には、いろんな人がやって来、さまざまな問題も起きました。山谷から日雇い労働者が食を求めてきたり、闘争が中だるみの時期には、夜中まで麻雀ばかりやっている部屋もできれば、男女のややこしい話も持ち上がります。会議の最中にまでいちゃいちゃするのはやめて欲しい、という意見が出たりします。ひとつひとつ具体的な問題だから、頭ごなしに禁止などできない。そんなことをすれば、「恋愛も許さないのか」と反論されるに決まっている。
だいたい全員がぴしっとまとまりある行動なんかできるわけない。それだけにひとつひとつ問題を解決していくのは、おもしろい経験でした。
要するに失敗をどれだけ許容できるかに関わると思います。特にいまは「成功しなきゃ、うまくやらなきゃ」と思う人が多いのだろうけれど、そもそも失敗と成功とに物事をわけることに意味がない。
僕は、いわゆる失敗をたくさん経験していますが、自分を肯定する意味ではなく、失敗や成功は客観的にはっきりしないし、そこにこだわるものでもないと思います。
好きなことが実現しなくても、失敗とは言えないし、実現したら成功とも言えない。それはそれでしかない。
以前、塾生の子が「イタリアへ留学したい」というから、送り出したことがあります。イタリア語がぜんぜんできなかったけれど、いまはイタリアでインテリア関係の仕事をしている。それが成功なのかどうかわかりませんが、ちゃんと生きていけたらいいんじゃないでしょうかね。
長男は以前、出版社に勤めていました。塾の演劇祭でシェイクスピア「リア王」をやることになって、その長男がリア王に適任じゃないかということになったんですが、仕事で稽古に出られない。彼はいろいろ考えた末、「いまのままでは両立は無理だ」と会社を辞めた。そういう選択をするとは思いも寄らなかったのですが。
まあ、そういうわけで、わが塾の周辺には好き勝手なことをしながら生きていくというときのモデルがわりとあります。だから臆病な子でも「自分もひょっとしてやれるんじゃないか」思うだろうし、そうなれば選択の幅も広がる。
そういう生き方を選んだ場合、お金をたくさん儲けるとかはまあ無理で、我慢しなきゃいけないことはいろいろ出てくるだろうけど、あんまり突き詰めて考えることなく、かといって、ただサイコロを振るような仕方でもなく、決断していくのが大事だということはわかると思います。
決断に当たっては、様々な思いがわっと押し寄せ、ぎりぎり考えなくてはいけないこともあるけれど、それはそれで案外おもしろいことですよ。
見ていると、いまの子はなかなかしたたかだから、元気づけられます。そういう子が増えたら、世の中いろんなところで風穴が開くかもしれないなと思っています。
(注1)ドイツ観念論哲学の代表的存在。弁証法の提唱者としても有名。
(注2)フランスの哲学者、作家。実存主義の代表的な論客として、1960年代の若者に影響を与えた。
(注3)東京大学の学生を中心に1968年に発生した学生運動。
[文責・尹雄大 撮影・佐藤類]

Hiroshi Hasegawa
長谷川 宏
1940年島根県生まれ。1968年、東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。自宅で学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰するなど、在野の哲学者として活躍。一連のヘーゲルの翻訳に対し、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。主な著書に『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)、『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書)など。ヘーゲルの訳書に『哲学史講義』河出書房新社)、『歴史哲学講義』(岩波文庫)、『精神現象学』(作品社)など。
【長谷川 宏さんの本】

『ちいさな哲学』
(春風社)

『高校生のための哲学入門 』
(ちくま新書)

『丸山眞男をどう読むか』
(講談社現代新書)