

Ruiko Monda
門田 瑠衣子
エイズ孤児支援NGO・PLAS事務局長。1981年熊本県生まれ。明治学院大学大学院国際学修士。2005年12月、エイズ孤児支援NGO・PLASの立ち上げに関わる。現在代表理事。
門田 瑠衣子 さん(エイズ孤児支援NGO・PLAS代表理事)
全世界に約1500万人のエイズ孤児がいるという。性交渉による成人の感染もさることながら、エイズにより親をなくし、生活基盤を失った子どもたちの増大が問題になっている。
PLASは日本初のエイズ孤児の保護と支援を活動方針に据えたNGOだ。国際開発や海外支援活動の経験の少ない学生らを中心に発足。設立から4年で日本のNGOの中でも注目される存在となっている。なぜアフリカのエイズ問題に関わろうとしたのか。代表理事の門田瑠衣子さんに尋ねた。
大学院生だった2005年3月、NGOのボランティアに参加し、ケニアを訪れました。そのときはエイズ問題に関心があったわけではなく、アフリカへ行ってみたかったからです。もともとボランティアや貧困問題にも関心があったというのも理由です。
大学生のとき平和学の授業を受けたことをきっかに、私たちの暮らしと海外との関わりを考えるようになったことが影響していると思います。
私たちが食べているもの、着ているものは、海外から輸送料がかかって輸入されているにもかかわらず、なぜ100円ショップで安く売られたりしているのか。それは安い賃金で働いている人が途上国にいるからで、場合によっては児童労働が行われていることも知りました。
自分の生活が誰かの犠牲の上に成り立っているかもしれないと気づいたとき、自分と世界が一気につながっていく感じがしました。

はい。ですが、ケニアで知ったのは、エイズが蔓延しているにもかかわらず、医療が行き届いていない。しかもコンドームの存在すら知らない人がいたことです。さらに住民が「HIVウィルスに感染するのは天罰のせいだ」と信じている話を聞いて驚きました。
帰国して5カ月後、再びケニアへ行き、孤児院を訪ねました。そこで見たのは、ずらりとベッドに並んで寝ている赤ん坊でした。親はエイズで亡くなっています。それだけでもショックですが、孤児院の医師が「感染者が蔓延している」と話す一方で、孤児院の外で感染者に会わなかったことはなおさら驚きでした。HIV感染者やエイズ患者たちは差別されるため、カミングアウトできずにいたのです。
とにかく「エイズ問題を何とかしたい」と思い、同じ考えをもつ人たちとのメーリングリストのやり取りを通じ、PLASを設立しました。
メンバーのひとりからウガンダにあるエイズ孤児の通う学校が支援を必要としていることを知り、「じゃあやろう」ということになって、06年1月にメンバー3人が自費でウガンダへ調査に渡りました。
いわゆる青空教室はありましたが、雨が降れば勉強できないため校舎を必要としていました。学校建設なら何とかできるだろうと考え、プロジェクトをスタートさせました。

設立メンバーが、NICEという国際ボランティア団体の出身者だったため、まずはNICEで行っているワークキャンププログラムの協力をとりつけ、ボランティアを募りました。ボランティアは参加費を払い、その参加費をプロジェクトに充てさせてもらいました。またエイズ啓発も合わせて行うということで、JICA(国際協力機構)に助成金の申請を行いました。
最初からPLASをNGOとして成長させようと明確に思っていたわけではなく、とにかく自分たちが求められているものをやっていこうとしたら、だんだん形になっていった感じがします。
私がプロジェクトを担当したのですが、建設にあたって、業者がとにかく吹っかけようとしたので大変でした。見積書のおかしさを指摘してもなかなか交渉がうまくいかないので、連日連夜トラックに乗って、山中に資材調達に実際に立ち会い、すべて自分の目で見て値段を確認しました。
あとは、行政の役人にわいろを要求されることもありましたね。
子どもたちのためにやっているのに、なぜ受け入れてもらえないんだという憤りや支援の難しさを毎日のように感じていました。

嫌な思いはたくさんありました。日本に帰国してから、そのとき撮った写真がしばらく見られないほどでした。
けれども、ふとしたときに、彼らがどれだけ努力しても、抜けだせない貧困があることを改めて考えて、そうであれば、彼らの行う選択をいちがいに自分の価値観で判断してはいけないのではないか。そう思うようになってから気持ちが楽になりました。
校舎をつくるのはいいけれど、この先ずっと支援しないと学校はもたないことが建設途中でわかりました。現地の住民は、定期的に学校運営の費用の提供を希望していましたが、エイズ問題は世界中にあるので、私たちがずっとひとつの学校に支援を続けていくわけにはいきません。
お金をあげ続けるのではなく、自立できる道を見つけるのがいいんじゃないかと考えました。
自立的な学校運営には会計が欠かせませんが、それまで学校の職員は会計をつけておらず、その重要性も認識していませんでした。一年かけて会計の必要性と方法を説いて、ようやく理解してくれました。
月年単位の収支がわかったことで、継続的運営に必要な生徒数と学費を算出できるようになりました。それをもとにお金を払える家庭からは学費をもらい、エイズ孤児や貧しい子どもの家庭は学費を払わなくてもいいプランを創案しました。

いまはPLAS抜きで運営されています。また、2007年からは、ケニアでも支援活動を始めました。地域の学校が農業を行い、農作物の販売収益をエイズ孤児の制服代やテスト代に充てるという農業やエイズ啓発のプロジェクトです。
そういうわけではありません。いまケニアで母子感染予防に向けた啓発リーダーの育成プロジェクトを始めています。
母子感染のリスクについて、住民が知らなかったり、もし知っていたとしても、女性が病院に行く時に夫の許可を得られなかったり、差別やジェンダーなど様々な問題があります。妊産婦やその夫がなかなか病院へ行かないため、母子感染予防プログラムを受けられません。
そこで地域のリーダーを選抜し、彼らが地域に帰ったときに、病院へ行く重要性や母子感染のリスクについて啓発できるようトレーニングしています。今年の1月から始めました。
地域住民の行動を変化させるまでは、なかなか大変ですが、こうした試みが軌道にのって、母子感染予防のプログラムを受ける人が増えればと思っています。
それはどうかわかりません。ただ、いまの仕事を始める前は、なんとなく国際協力の業界に憧れをもっていましたが、いざやってみたらかっこ良くもなく、泥臭いことばかりです。
将来、アフリカで支援活動に携わりたいとボランティアに参加した人でも、現地に行ってみれば、暑さや食事、文化が合わないといった理由で向いていないと判断する人もいますし、とりあえず一回経験してみないと適しているかどうかはわからないと思います。

一方的にあげる支援ではなく、地域を共同開発していく。そのためにも地域住民とともに自立できる道を一緒に探したいです。大事なことは、エイズ孤児の受け皿は外国人ではなく、地域の人たちだということです。
私たちはあくまで外部者です。だから、支援はやり過ぎないことが大事。私たちが行いたいプロジェクトでも、住民にとって必要性が感じられないなら行わない考えです。
私は中学から高校にかけて、カウンセラーになりたいと考えていました。家庭環境で悩んでいる友だちが多く、私には励ます以外に何もできなかったからです。そういう人の力になれるのではないかと思って、カウンセラーを志望していました。
友だちという範囲は、あまりに小さな社会かもしれません。けれども、自分が「これが問題だ」と感じたことに対し、「自分なら何ができるか。何をやりたいか」で進むべき道を決めてきました。
いまの仕事も同じです。エイズ問題を解決したいと思ったから始めました。動いてみてみると、すごくやりたい仕事だとわかりました。
だから、私から言えるのは、少しでもひっかかるものがあれば、とにかく動いてみるということです。
「これもできない。あれもできない」と考えないほうがいいです。そう思ってしまうのは仕方ないことですが。
私もいまの仕事を始めるにあたって、ないないづくしでしたが、必要にかられたらできるようになることもあるし、できないことも仲間がいれば、みんなでカバーし合えます。
「できないこと」を考えるのではなく、「どうやったらできるか」を考えたほうがいいですね。
それには自分ひとりで気持ちを奮い立たせるのは難しいので、親や友だちだとか、「それっていいね」と応援してくれる人が周りにいることが大事だと思います。それから、基本は自分の目標が遠くにあっても、目の前のことをやる。悩む暇があったら実行する、ですね。
[文責・尹雄大]

Ruiko Monda
門田 瑠衣子
エイズ孤児支援NGO・PLAS事務局長。1981年熊本県生まれ。明治学院大学大学院国際学修士。在学中のケニアでのボランティア活動をきっかけに、2005年12月、エイズ孤児支援NGO・PLASの立ち上げに関わる。現在代表理事を務める。
【エイズ孤児支援NGO・PLAS】
http://www.plas-aids.org/