

Kenji Isezaki
伊勢崎 賢治
1957年東京生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド留学中、インド住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOに身を置き、アフリカ各地で活動後、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授。NPO法人「難民を助ける会」副理事長。
伊勢崎 賢治 さん(東京外国語大学大学院教授)
世界各地で内戦、紛争が絶えない。戦闘を調停する行程をDDR(Disarmament,Demobilization&Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)という。
今回、登場いただく伊勢崎賢治さんは、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンでDDRに携わってきた紛争解決のエキスパートだ。
紛争に接した経験から平和の大事さをただ訴えるナイーブさに関心は持たないかわりに、紛争はなぜ起き、国際社会はどう関わり、何が達成されたのか。その研究を通じ、戦争をはやく終結させることに役立てたいと考えている。
紛争の現実とその解決にはどういう視点と技法が必要なのかについてうかがった。
特にアフガンでの武装解除の際に顕著でしたが、私は武器を地上からなくすことを最初から目的にしていません。アフガン戦争では、タリバンが壊滅状態になった後、軍閥による群雄割拠の状態に陥りました。そのため軍閥の手にあった武器を一か所に集め、新しい政権のもとで強大な国軍をつくる必要があった。武装解除はそのために行ったのであり、それが現実です。
たしかに世の中から武器がなくなったほうがいいし、あっても使えない状況があればいいと思います。
でも、それは日本のように、暴力を唯一独占できる国家権力に支配されて暮らせる安心感と法による秩序があって言えることでしょう。

私は20代後半からアフリカで援助事業に関わってきましたが、その中で見たのは、たとえば警察という暴力集団がなかったら、秩序や治安維持が保てないという現実です。
ルワンダでは、高度な武器でなく、素手や棍棒、ナイフで虐殺が行われ、100日間で80万人が殺されました。こういう現実を見ると、治安はタダではないし、武力に頼る局面がないと人は秩序をつくりだせないことがわかります。だからといって暴力を容認しているわけではありませんが。
武装勢力は、「銃を手放したらおしまいだ」と思っているから「銃をおろしても殺されない」という安心感の提供が欠かせません。国連のような信頼のおける第三者が「大丈夫だ」と言う必要があります。
しかし、アフガンでの対テロ戦争はアメリカ主導のため、国連は復興にあたってあまり積極的な活動をしたがらない。そこで日本が主導的にDDR(Disarmament,Demobilization&Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)を行うことになったわけです。日本はそのために100億円を拠出しています。私は外務省の依頼を受け、この事業に関わったわけです。
社会的再統合というのは、社会復帰させ「武装解除すればいい生活が待っている」という夢を抱かせるわけです。はっきりいえば騙すことにしかなりません。産業が育っていない中で、何万人もの人が幸せに暮らしていくのは非常に難しい。
復興プログラムはうまくいかないことが多いのです。むしろ戦後の日本の復興が稀少例です。しかも無条件降伏後、日本軍の一部がゲリラとして山岳に籠り、アメリカ占領軍に攻撃をしなかった。それも不思議です。
ともかく紛争国では、敵対勢力同士が和平合意を締結しても、今度は双方の勢力内で「なぜオレたちの同意もなく和平を結んだ」といった反発を招き、治安が悪化することも多い。

いいえ、利害損得からくるものです。戦争は、たとえ金銭欲などの利害目的から始まったものでも、それを糊塗し、人々を戦争に駆り立てる正義を必要とします。
たとえば「革命」だとか「腐敗した政治を正す」や「イスラム主義への復興」「十字軍による聖戦」といったものです。
正義がつくられないと戦争は起こらない。「悪である敵を倒したい」という正義の裏には、「利権を握りたい。この地域に覇権を示したい」というエゴが必ずつきまといます。
そうです。内戦の場合、それをパワーシェアリングと呼びます。反政府ゲリラにも話し合いのテーブルに着いてもらった上で、新しい政府をつくる。
内戦が長期化すると互いに疲弊するので、そういうタイミングを見計らい第三者が介入し、権力をシェアさせる。
そんなものはありませんよ。むしろ国際社会は無力だと思うことが多い。先進国にいるから人権という概念を維持できますが、その概念がなかったら人は簡単に人を殺します。
私たちの中に「人を殺してはいけない」という宗教的な概念が細々とあるから野獣化しないだけです。それが人権で、だから大事にしないといけない。
人権を維持するには、唱えているだけではだめで、侵害した人間がいたら裁かないといけない。秩序はそうして保たれるからです。
しかし、紛争国の現実はといえば、人権侵害の象徴である戦争犯罪は裁かれないことが多い。数万人規模の殺害を指導した人物が裁かれないとなったら、「別に殺してもかまわない」というメッセージを後の世代に与えることになります。この影響は大きいと思います。

裁判には、お金も忍耐も必要です。紛争国は、社会が破綻しているから裁判官がおらず、外的な支援がないと公判が維持できない。しかも国際支援に持続性はなく一過性です。だから裁判が行われたとしても首謀者全員を裁けない。
シエラレオネでは、50万人が虐殺されました。その指導者がアメリカの支援で副大統領に就任しました。裁くよりも国家が崩壊しない秩序維持を優先させたからです。これが私たち人類の正義のキャパシティなのです。
いま平和構築という言葉が流行っていて、憧れる人もいるけれど、私たちの仕事は、あくまで利害調整です。交渉相手は戦争犯罪者ですし、誰かに命令して殺させただけでなく、自ら殺してもいる。そういう経歴もわかった上で、私たちは交渉し、時には笑いかけないといけないこともある。アフガンでは、そういう奴らがいまは国会議員になったりしている。
私がアフガンで相手した軍閥は、日本の政治家と同じで、党利党略によって自分の主義主張を変え、私利私欲によって昨日戦った相手とも手を結ぶような節操のない連中でした。楽しくともなんともないですよ。
正義の形成において、口コミも含めたメディアの影響力は強い。先に話したルワンダでは、テレビも国営のラジオもないけれど、地元のFMラジオが敵対部族の憎悪を煽った。職にあぶれ世の中に希望をもてない若者が「奴らを殺しても当然だ」という過激なメッセージに衝き動かされてしまった。煽動は時間をかけて行われ、正義と憎悪を醸成します。
これはルワンダに限らず、どの国でも見られることです。たとえばいまの日本の報道では、タリバンが悪者になっていますが、悪の基準を殺した人数に設定するならば、アメリカのほうが世界中でもっと多くの市民を殺している。
北朝鮮に対する報道もそうです。確かにいい政権ではないけれど、あたかも国民全員が悪者のようになり、「例外的にとんでもない国だから報復するのが当然」という雰囲気になっていて、それに見合う映像をテレビが連日、朝から放送する。
このごろの日本のメディアは、大衆に迎合した民意を権力に操られることなく、自ら作り始めている。政治家に先立って煽動を行っているとは、恐ろしい事態ですよ。

私は自衛隊の存在そのものを否定も肯定もしません。武力がない世の中になったほうがいいけれど、私の生きている間に実現するのは無理でしょう。せめて武力を平和利用したい。自衛隊も平和のために活用すればいいと思う。
だからこそ、そういう意味で、カンボジアからイラク、ソマリア沖まで、自衛隊を派遣した政治判断はすべて間違えていると考えています。
そもそも日本人には、アメリカの始めた戦争に自衛隊が協力するのと国連でPKOに加わることの区別が付いていない。前者は戦争、後者は安全保障を目的にしているのです。
アフガンに対するアメリカの「不朽の自由作戦」への協力として、自衛隊はインド洋で給油活動を行った。アフガン戦争は、アメリカの個別的自衛権を法的根拠に開戦、NATOも集団的自衛権の行使に基づいた決定を行っています。
戦争当事国が「集団的自衛権を行使」しているのに、日本政府は「集団的自衛権の行使ではない」という見解をもって、自衛隊に戦争協力させた。テロリストは国家ではなく、したがって「これは戦争ではない」という屁理屈です。
つまり、戦争も貢献になってしまえば、わかりやすい国威高揚にもなるわけです。
憲法9条の根幹は、軍隊を海外に出さない。ソマリア沖のように軍事力を派遣しないと守れないような国益を求めないことにあるはず。
繰り返しますが、憲法上、軍事力で国外の日本人の生命・財産を守ることはできません。同じ理由で日本は日中事変や満州事変を起こしたわけです。その反省があったはずです。
国内と国外とでは状況が違います。そもそも危険な地域に行かなければいい。

それくらいでしょう。生き死にの問題ではない。ビジネスや国益の問題に武力を使ってはいけない。それが憲法発生の原理です。
これは護憲派という立場と関係なく、たかがビジネスのことで根本原理を崩していいのか?という信念の問題です。
ソマリア沖を迂回するコストと生き死を真剣に比べた上での、憲法改正の議論ならすればいい。
ただし、憲法は変わるまで日本の屋台骨です。それを守ろうとする信念くらい日本人はもつべきだと言いたい。
私は教条的な護憲派ではありません。ただ憲法は国益になるし、世界益にも有効だと考えています。国益と世界益を査定しないで、変える・変えないの議論をするのはおかしい。
改憲派の反米派は、国粋的で核武装についても言及しているけれど、そこまでいくと嫌ですね。日本が核兵器をもつのはよくないと思う。どうしてかというと嫌だから。それ以外の理由はいらない。
日本の行く末に関して、特に若い人については、あまり心配していません。そのうちいまの世相の反動がくるだろうし、世界について考える意識をもつ人は、私の世代より遥かに多いと思うから。
実際、「アフリカの子どもを助けたい」といって海外に行ってしまう若者が、それも女性に多い。海外に行く若者のうち8割くらいが女性で、そう思うと男性は保守化して小さくまとまる傾向があるのかもしれない。
世界の動向に意識は向いているのはいいけれど、問題は日本で起きていることをおろそかにしすぎかもしれないですね。ホームレスや派遣労働、フリーター問題もそうだけど、発展途上国と同じ暴力的な構造の問題が国内にも起きていることにあまり目が向いていない。
でも、ワーキングプア問題で声をあげた雨宮処凛さんのように新しい運動の担い手も現れているから、これから日本も変わるのではないかと思いますね。
[文責・尹雄大]

Kenji Isezaki
伊勢崎 賢治
1957年東京生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド留学中、インド住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOに身を置き、アフリカ各地で活動後、東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学大学院地域文化研究科教授。平和構築・紛争予防講座を担当。NPO法人「難民を助ける会」副理事長。主な著書に『武装解除』(講談者現代新書)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(かもがわ出版)など。
【伊勢崎 賢治さんの本】

『武装解除:紛争屋が見た世界』
(講談社現代新書)

『東チモール県知事日記』
(藤原書店)

『自衛隊の国際貢献は憲法九条で:国連平和維持軍を統括した男の結論』
(かもがわ出版)