

Aya Abe
阿部 彩
マサチューセッツ工科大学卒業。タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士号・博士号取得。国際連合、海外経済協力基金を経て、1999年より国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第二室長に就任。
阿部 彩 さん(国立社会保障・人口問題研究所)
昨年の金融危機に端を発して、「派遣切り」問題などから、たんなる経済格差ではなく、貧困問題が存在することが明確に意識されるようになった。
大人の間で貧困があるということは、大人に依存している子どもにも貧困が存在するということだ。しかし、まだまだ子どもの貧困がじゅうぶん論じられているとはいえない。今回登場いただくのは『子どもの貧困』を執筆された阿部彩さん。いったい子どもたちは、どういった環境に生きることを強いられているのだろうか。
そもそも日本では、貧困に対するアレルギーがあります。貧困とは、戦後間もない頃の日本や海外の発展途上国のことであり、「食べ物がない」というような、「衣食住を最低限度満たすことができない」といった絶対的貧困の問題として語られることが多い。
そのため「現代の日本社会の子どもたちが貧困である」という事態を忌避するような反応を起こすのだと思います。

相対的貧困という概念が浸透していない事情もあると思います。相対的貧困とは、人が社会の中で社会の構成員として生きていくためには、ただ飢えないだけの食物があるとか、凍死しないための服を着ているだけではなく、社会で一般的とされている生活様式とまったく同じとまではいかなくても、ある程度は接近しなくてはいけないという考え方に基づいています。
たとえば、ひとりの若者が社会の構成員として機能する上で、就職や結婚、子どもを持つことを希望するとします。就職活動にはスーツが必要だろうし、結婚するにはパートナーと出会い、交流するためのお金が必要です。そのような普通の活動ができない状態が貧困です。
つまり、貧困かどうかは、社会の中に相対的に存在している「通常」レベルからの距離で決まります。人をたんなる生物としてではなく、社会人として捉える見方といえます。
いま先進国では、相対的貧困の概念によって貧困が論じられています。日本では、「生活保護基準にも満たない」ことが貧困の代名詞のように言われます。実は生活保護基準も相対的貧困で決められており、一般世帯の消費基準の約60%になるよう設定されているのです。
相対的貧困では、たとえば、他の子どもと同じ教育を享受できないとか同じグラウンドで就職活動ができない。交遊関係を保つことができないといった問題が起きます。全員がそうなるわけではありませんが、不利益を被る確率が高くなります。
「貧しい家に育ったけれど、がんばって奨学金を得て、大学へ行った」というサクセスストーリーが時々語られますが、だからといって、不利な条件で生きている人すべてが成功できるわけではありません。
国家は、こういう問題を解消するために福祉政策を行います。しかし、日本は相対的貧困の存在をなかなか認めず、有効な対策を立てていません。
両方あるでしょう。見たくない、聞きたくない問題だし、見えにくい問題でもあります。日本の子どもがストリートチルドレンのように路上でいっぱい生活していれば、すぐにも問題だとわかります。
でも、相対的貧困世帯の子どもたちは、見た目は普通に学校へ行き、ちゃんとした服を着ているかもしれない。だけど、高等教育へ行くだけの教育を受けられないとか、見えにくい問題を抱えています。だから周りからは見えない。
一方では、見ることを拒んでいるともいえます。たとえば近年、学校給食費の滞納問題が取りざたされますが、「経済的に困難で払えない」人も多く存在するなかで、「払えるのに、払わない」といったモラルの問題にすり替えられてしまいます。
経済的理由というのはセンセーショナルではないためか、新聞は取り上げず、親のモラルを問題にした記事を書きます。すると、一般の人は、給食費を払わないのは、親の怠慢だと考えてしまう。そう考えたほうが楽なんです。給食費を払えない親が存在すると考えたら、対策を立てないといけませんから。
楽なほうに考える姿勢は、ホームレスやニート、フリーターの問題でも同じです。「好きでやっているんだろう」「努力が足りない」で片付けてしまえば、それ以上、考えなくて済みます。
ある時期まで日本には、「国民総中流」という神話があり、それが信じられていました。だから、いまなお「日本の子どもはそんなにひどい状況にいないはずだ」という思い込みがあります。
けれども、現実はどうかといえば、貧困状態にある子どもは健康面に問題を抱え、学力も劣ってしまい、虐待に合う確率も高くなるといったように、構造的に不利な立場に追い込まれてしまいがちなのです。

少子化のため、子どもに対する投資が増えています。経済的に裕福な層の子どもは、たとえば幼稚園で英語を習う教育環境を得ることができます。
そういう子と貧困状態にある子を比べると、小学校に入学した時点で学力差がついている。不利な立場にいても、もちろんがんばる子はいますが、教育環境が整っていない上に、進学できるかどうかわかないなどの不安な要素があれば、「やっても仕方がない」と希望や学習意欲をどんどん失います。やる気が剥奪されているともいえます。
健康面についていえば、近年、保険のない子どもの存在が取り上げられるようになりました。たとえ無保険でなくても、医療費にかかる自己負担が3割に引き上げられた状況の中では、保険料を払っていても、貧困世帯では、なるべく医療機関にかからないようにするなど、子どもの健康面に差が生じている可能性が高いと思います。
残念ながら、日本では、貧困と住環境が与えるストレス、病気や栄養の領域での格差に関する基礎データが調査されていません。
諸外国では、経済状況と子どもの成長や病気のリスクは関連していることが調査の結果、明らかになっていますから、日本でも同じことが言えると思います。
子どもの貧困に関していえば、以前からありました。ただこの15年で5%くらい上がり、上昇傾向にあります。
前はそれほど貧困が明らかでなかったのは、全体的に親と子の学歴を比べた場合、子のほうが学歴も生活水準も上にあるという時代がある程度続いたからです。それが70、80年代に高止まりになりました。いまは自分の親よりも高い生活水準、教育を受けることが保証されない時代です。
昔も格差はありましたが、親が中卒の場合、子は高校まで行き、親が高卒だと大学までと、学歴の上昇にともない収入も上がっていました。そういうときは、たとえ格差があっても、それを疎外感として受け取りません。
格差はあっても、「みんなが上がって行けるんだ」という希望のもとで生きているため、人々の意識の中で貧困が重きをなさないし、認識されないのです。

そういう部分もあるでしょう。しかし、もともと正社員として守られていなかった人もたくさんいます。企業の社会保障が衰退したからだけとはいえません。
全体的に子どもを持つ世帯の経済状況が悪くなったのが貧困化の最大の理由です。また、母子世帯は増加していますが、子どもの貧困率を引き上げる一番の要因ではありません。
しかしながら、いちばん苦しいのは、母子世帯であるのは確かで、世帯の貧困率が60%を超えています。危機的な状況にあるのは母子世帯の子どもですから、まずそこから手をつけるべきです。
ただし、母子世帯対策といったように世帯形態によって区切るのは得策ではないと思います。なぜなら貧困世帯には、父子世帯もあれば、祖父母に養育されている世帯もいるからで、そういう人たちが漏れてしまうからです。
あくまで子どもの貧困対策が必要だという観点を持ち、その上で一番貧困率の高い母子世帯に対策をまず講じるべきだと思います。
「母子世帯になるのはけしからん」という考えがあると思います。こういう考えは、どこの国でもありますが、日本では男性が稼ぎ手になるモデルが強く蔓延っていますから、母子世帯に手厚い政策を実施したら、「離婚がもっと増えるだろう」という懸念があるのだと思います。
とにかく児童扶養手当を拡充することが必要です。いまの政策の方向は、現金給付を制限し、職業トレーニングを行うといった就労支援にシフトしています。
確かに職業トレーニングは長期的スパンで見れば必要でしょうが、効果が目に見えて上がりません。労働市場が厳しいのであれば、なおさら現金給付との二本立てが必要だと思います。

国会議員も興味を持ってくれるようになりました。どこまで政策につながるかは、なんともいえませんが、期待したいところです。子どもの貧困が目にとまることで、「やはり、それはいけないんじゃないか」という意識が高まってくれたらと思います。
最初はホームレスや高齢者の貧困問題にかかわっていましたが、『子育て世帯の社会保障』という研究書の中の章で、子どもの貧困率について書いたことがあります。それほど反響を呼ぶ内容とは思っていなかったのですが、日本では、子どもの貧困率に関する単純な統計すらなかったため、福祉関係の人が注目してくれました。そこで、もう少し調査しようと考え、母子世帯などを研究し始めたのです。
大人の貧困も突き詰めると、その人たちが子どもだったときの生育状況にかかわってきます。ホームレスの人たちの生育史を聞いていくと、「養護施設で育った」とか「母子世帯だった」という話が出てき、そのときの暮らし向きが苦しかったことがわかります。
子どもの頃の貧困が子どもの時期だけに限らない。こうした貧困の連鎖を断ち切ることが重要ではないかと思います。

もともとは工学部で学び、ソフトエンジニアでした。けれどソフトエンジニアの世界はスクラップ&ビルドで、どんなに努力しても完成にいたらない。寝る時間を惜しんで携わっていましたが、あるとき「自分のやっていることに意味はないな」と気付き、もっと人の助けになることをしたいと思ったのです。それで途上国の開発支援を行いたいと考え、新たに勉強し直しました。
その後、国連などで途上国の開発に関わるようになりました。憧れて始めた仕事でしたが、いつしか自分のやっていることは欺瞞だと思うようになりました。誰かを助ける観点では、チャリティに過ぎない。まして、途上国の問題に、その国のコミュニティの一員ではない私が口を挟むことに違和感を覚えるようになったのです。
ちょうどその頃、通勤途中にホームレスの人たちが寝ている光景を見て、途上国と同じ問題が起きているのを目の当たりにしました。この目の前にいる人の問題は、私の問題でもある。これを見る必要があると思ったのです。
そこで最初はボランティアでホームレス支援に関わりはじめ、そのうち日本は貧困問題に関する基礎的なデータを持っていない国だとわかり、問題解決には、人々を納得させる根拠が必要だと思うようになり、いまの職に就きました。
「いまの若い人」というふうに一般的に語ることができないのはわかっていますが、競争主義がはびこって、とにかく自分は「負け組」にならないようにしなくては、そのためには、他人を蹴落としてでも勝たなくてはいけない、と思っている人が多いかもしれません。でも、若い人々がそう思うことによって、ますますそういう社会になってしまうと思います。
市場主義や競争が社会の原理のように語られますが、これらは絶対の原理ではなく、現状の社会がそうなっているだけに過ぎません。私たちはもっと違う社会を選べるはずです。
子どもの貧困率が低い国がありますが、そこでは所得再分配が大幅に行われています。弱肉強食ではない国はたくさんあります。
競合する世界が当たり前だという価値観があるのなら、そこに「NO」といえる強さを持って欲しいですね。
[文責・尹雄大]

Aya Abe
阿部 彩
マサチューセッツ工科大学卒業。タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士号・博士号取得。国際連合、海外経済協力基金を経て、1999年より国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第二室長に就任。著書に『子どもの貧困』(岩波新書)、『子育て世帯の社会保障』(共著・東京大学出版会)など。
【阿部 彩さんの本】

『子どもの貧困―日本の不公平を考える』
(岩波新書)

『生活保護の経済分析』
(東京大学出版会)

『子育て世帯の社会保障』
(東京大学出版会)