

Yasuyuki Shimizu
清水 康之
1972年、東京生まれ。88年、高校を中退し、単身渡米。96年、国際基督教大学を卒業。97年、NHK入局。04年、NHKを退職、自殺対策支援センター「ライフリンク」を設立。以来、代表を務めている。
清水 康之 さん(ライフリンク代表)
いま日本で自殺する人の数は年間3万人にのぼる。1日あたり90人近くが自殺、未遂者も含めれば1日1000人を数えるという。
1998年以来、年間3万人の自殺者をコンスタントに生み出す社会。内戦規模に匹敵する死者がとりたててニュースにならない。異常な事態だが、日常化していることに気付けないほうが、もっと異様だろう。
NPO自殺対策支援センター「ライフリンク」の代表者である清水康之さんは、今年、自殺の経緯を調査した「自殺実態白書」を発表した。そこでは、自殺に追い込まれるメカニズムが初めて分析され、明らかとなった。
日本は世界有数の豊かな社会だとされるが、豊かさを生んだ構造は、なぜ大量に人を死に追いやるようになったのだろう。
職業や立場によって自殺にいたる経路は違い、それぞれ特徴があることがわかりました。特に今回の調査で新たな事実としてわかったのは、労働者の自殺の起点に配置転換があったことです。
部署の異動がきっかけで過労になり、やがて鬱病になり、自殺にいたるケースが非常に多い。
ほかには職場でのいじめや人間関係の不和、そこに仕事の失敗が重なってより人間関係が悪化し、鬱病になって自殺するといった例も見られます。

どの企業も人員にゆとりがありません。そのため総務から営業に異動といったような、これまで経験したこととまったく違う部署への配置転換もけっこうあるのです。
本来なら、新しい仕事に慣れるためには、引き継ぎ期間がじゅうぶん与えられるべきです。
ところが、企業は結果をすぐ求めるあまり、そうした余裕を与えない。そのため前任者が1時間で済んでいた仕事に3時間かけてしまうことも起きます。引き継ぎの時間を与えないことで、むしろ仕事の効率を悪化させているのですが、責任感の強い人だと、自分のがんばりで何とかしようとしてしいます。
しかも、現場で営業をしていた人が総務の部長に抜擢されたといったような、昇進の場合だと特に過労になりがちです。
けれど不慣れな仕事だとうまくいかないのは当然です。責任を感じ、もっと仕事をがんばってしまい、鬱病になり、やがて自殺にいたってしまう。
誰もが闇雲に過労になるのではなく、過労になってしまう大きな要因のひとつに配置転換があるということです。これは、たんに一個人の問題ではなく、仕組みの問題であり、過労になりやすい状況に追いやられるという構造的な問題です。
これまで企業のメンタルヘルスといえば、とかく鬱になった後のケアに関心が払われていました。配置転換後の人が鬱になりやすいとわかれば、そういう人に手厚いメンタルヘルスのチェックを定期的に行い、過労から自殺にいたる連鎖を防ぐことができます。
また、引き継ぎ期間中、人件費を助成したり、非課税にするなど、企業にとって得のある制度を導入すれば、企業は進んで引き継ぎのための研修を行うようになり、結果として労働者が過労に陥ることも防げるはずです。
これも個人的な問題と片付けられません。大企業であれば、事業不振になっても低金利で融資を受けることができるなど、リスクの低い支援策を受けることができます。
しかし、経済基盤の脆弱な中小零細企業はそうした支援を受けることができず、金利の高いところ、場合によっては消費者金融から借りざるをえません。
一時的にしのごうと思って借りたお金であっても、事業主やその家族がケガや病気にかかって、お金を計画通りには返せなくなると、雪だるま式に負債が増えていってしまう。多重債務に陥り、自殺にいたるケースも少なくないのです。
いまは少しずつ法が改正されていますが、やはり経済的に立場の弱い人は、強い人に比べ、その支援策はじゅうぶんとはいえません。

確かに、人の生き死には個人的な問題です。しかし、その人がどういう環境で生きていたのか。あるいは生きていかざるをえなかったのか。それが自殺の問題と大きく関わります。
いまの日本は、問題を抱えた人ほど、より大きな問題を抱えやすい社会になっています。本当は問題を抱えている人ほど、手厚い支援が必要なのに、もっとも支援から遠ざかってしまうといったジレンマが生じているわけです。
98年以降、この10年間で30万人が自殺しています。「自殺しそうな性格の人」が自殺しているのであれば、ある年に25万人、その翌年に3000人とか、その年によって数が変わっていてもおかしくないはずです。しかし、実際には毎年3万数千人が確実に自殺している。
つまり、社会の中に3万箇所の自殺に追い込まれるスポットがあるということです。弱い立場の人からはまって抜け出せない。自殺して穴が空く、そこにまた別の人が落ち込む。そういう構造になっています。これは、決して個人の問題だけで終わらせることはできません。
ロストジェネレーションと呼ばれている20代から30代後半は、就職氷河期を経験していて、一度仕事に就くと、失職することへの恐怖心があるようです。そのため会社の理不尽な要求にも抗えず、過労に陥りやすいのです。
かたや就職できず、非正規雇用という脆弱な生活基盤にある人は、病気や事故などに遭っただけで生活が立ち行かなくなっていく。
一時期、「勝ち組・負け組」という言葉を多く耳にしましたが、どちらにしても、いまの社会のルールは人を死に追いやるような側面を持っているのだと思います。
細かいところまでわかっていません。ただ地域でも都市部とそうでないところとの違いはあるでしょう。
過疎化の進む地域では高齢者の自殺率は高く、都市部では中高年という働き盛りの世代の自殺率は高い。
今回の白書だけですべてがわかったわけでなく、これはあくまで序章に過ぎません。今後、実態がわかればもっと違った対策も見えてくると思います。
地域の特性を見極めていくためには、どういう職業の人たちがどういう理由で亡くなっているのか。リスクを抱えている人の属性を絞り出し、集中的な支援ができれば自殺に追い込まれる人を減らせると思います。

いまでも1日90人が自殺しています。たとえば、イラクで自爆テロが起きて20人亡くなったといったら大ニュースになりますが、その規模の事件が毎日4、5件、それも10年間、毎日起きているという、とんでもない事態が進行しています。異常事態が常態化している。それが認識されていないのです。
実態把握がこれまで行われてこなかった理由として、自殺がタブー視され、個人の問題だと思われていたことがあります。
自殺にいたる過程が見えないために対策も不十分で、必ずしも実践的ではなかった。けれど、亡くなる人たちは繰り返し、同じ理由で追いつめられていたのです。
自殺の問題は深刻ですが、それを冷静に見ていけば、この社会の課題を解決する突破口が見えてくる気がします。
自殺者は何に息苦しさを感じていたのか。どういう支援策があれば、生きる道を選べたのか。それを解明することで、この社会の問題点が浮き彫りになり、そこを変えていけば、もっと心地よい社会にしていけるのではないでしょうか。
遺族からの聞き取りでは、どうしようもない状況に追い込まれた無念の思いを数多く聞きました。私たちは学ぶ必要があります。現実を見て、分析し、対策を立てる必要があります。
人それぞれです。決して一様な段階はありません。ただ、最初は事実に目を向けることすらできなくなる人もいます。
また、「自分が殺したのではないか」や「あのとき自分が気付いていたら死なずにすんだ」と、自らを責めてしまう人も少なくありません。なんで死んだのかわからない。なぜ?と考えるうちに、その原因を自分の中に求めてしまう。自分が殺してしまったという思いに苛まれて、それを誰にも言えない。そうした人が大勢いるのです。
有名人の自殺だとか、特異な例しか報道されず、しかも、その見方が逃避だとか勝手に死んだというものでした。
私たちが白書をつくったのは、まず事実を共有したかったから。自殺は「逃げ」だという人もいますが、実際は追い込まれて亡くなっていることがこの調査でわかりました。
私たちの調査では、自殺で亡くなった内の72%が、亡くなる前に何らかの専門機関に相談に行っていたことが明らかとなりました。つまり、生きる意志はあったということです。その事実を明らかにし、伝えていけば、社会が抱いてきた偏見も払拭できるのではないかと思います。

行政の縦割りの問題があります。支援者や施策を講じる側の人は、「自分たちができることは何か」という考えで対策を立てます。鬱病の対策や金融の支援といった枠組でそれぞれの担当者が考えるのですが、現場では、それら支援がばらばらでしか提供されていません。
問題を複数抱えた人は、ひとつの問題を解く手がかりにたどり着けても、それ以外の支援の方策を自分で全部調べないといけない。重荷を背負った人ほど余裕がないのです。探せないまま追いつめられる。問題解決のコストをひとりひとりに負わせてきたわけです。対策を支援者の都合ではなく、当事者の視点に組み替えることが必要です。
例えば多重債務の専門家と鬱病対策の精神科とか現場で連携させれば、当事者の視点に立った対策を提供できます。相談窓口を現場のニーズに合わせる必要があります。
以前、NHKで報道番組のディレクターをしていましたが、その中で遺児と出会ったことがきっかけです。
遺児たちは、自殺への誤解や偏見に苦しんでいました。社会というのは、私たちひとりひとりが集まってできているわけで、私たちは被害者にもなりえるけれど、加害者にもなりえます。誰かを自殺に追い詰めているかもしれないひとりでもあるのです。遺児の痛みは私たちに責任があると感じたことが大きいですね。
モノはあるけれど、やはり豊かではないのでしょう。豊かさをはかる社会の指標があるならば、それは「いかに納得のいく死を迎えられるか」ではないでしょうか。自殺で亡くなる人は遺書に「ごめんなさい」と謝りの言葉を書き付ける人が多い。自分を否定しながら死ななくてはいけない社会が豊かだとは言えません。

日本人は、いつしか痛みと向き合うことをしなくなりました。その理由は敗戦にさかのぼれるかもしれない。「あの戦争は何だったのだ。誰の責任だったのか。なぜ負けたのか」と問うのではなく、経済成長という手近に熱狂できるものに自分を託し、過去と向き合わなくても生きていける方法を、幸か不幸か見つけられてしまった。
社会だけでなく、個人も痛みと向き合うことを避けるようになってしまったのだと思います。
痛みと向き合うことで、自分が何者かが問われてきます。そこで本質的な個性が問われる。そういう作業をしなくなった途端、私たちは消費者としてしか生きられなくなった。
こんなにも携帯の機種が頻繁に変わり、車がマイナーチェンジを繰り返す社会は、他にあるでしょうか。
日本は、「商業主義」と「痛みと向き合わない心情」が悪い意味で合致し、なんとかやり過ごしてきてしまった。
けれど、蓋を開けると、モノはあっても生きることが何かという本質的な問いへの向かう気構えがない。なぜ生きているのか。その価値が見いだせない状況に追いやられてしまった。
10代の最大の仕事は、「人生は捨てたもんじゃない。生きているって楽しい」と実感できるようになることだと思います。人生の大変さは、これからいくらでも経験します。若い頃に人生を肯定できるようにならないと、苦難に直面した時に乗り越える力が湧きません。
それには、いろんな価値観に触れ、近視眼にならないこと。ものの見方はいろいろあるし、見方によっていくらでも人の感情は変わることを知ることが大事。
たとえば、ケガをするのは悪いことかもしれない。けれど、そのことで痛みがわかるようになります。
何かの体験が、その人の感情を決定づけるのではなく、起きた出来事をどう捉えるかによって感情は変わってきます。
本を読むのでもいいし、旅でもいい。いろんな価値観に触れる中で、「いま自分が思っていることがすべてではない」ことを知る。そうすれば、柔軟さを持てるようになるはずです。
苦難に出会っても冷静に見られるようになれば、それに囚われずに問題を変えていけます。「当たり前」から脱し、新鮮な体験をすることが重要なんだと思います。
[文責・尹雄大]

Yasuyuki Shimizu
清水 康之
1972年、東京生まれ。88年、高校を中退し、単身渡米。現地校に転入学する。96年、国際基督教大学を卒業。97年、NHK入局。「クローズアップ現代」などを担当。04年、NHKを退職、自殺対策支援センター「ライフリンク」を設立。以来、代表を務めている。
<自殺対策支援センター「ライフリンク」>
http://www.lifelink.or.jp/