

Yukihiro Maru
丸 幸弘
1978年、神奈川県横浜市生まれ。東京薬科大学生命科学部環境生命科学科、東京大学大学院農学生命科学研究科に在学。博士(農学)。2002年6月、世界で初めてのバイオ教育の会社、有限会社リバネスを設立。代表取締役となる。
丸 幸弘 さん(株式会社リバネス代表取締役)
2002年6月、丸幸弘さんはバンド仲間や研究仲間とともに会社を立ち上げた。子どもの科学離れが叫ばれる中、最先端の科学の楽しさを伝える教育事業を主眼にしたのがリバネスだ。教育と科学とビジネスといえば、それぞれ別のものと思いがちだが、丸さんにとっては同じものだという。その根底には生命活動への驚きと真摯な問いかけがあるようだ。
いえ、理系は得意ではありませんでした。高校時代は物理、化学、生物は偏差値でいえば30台。体育が好きだったので、将来は体育の教師になろうと思い、専門学校に行こうかと考えましたが、親の反対もあって大学進学することにしました。理系を選んだのは潰しが効くという理由があり、その上で男女比率が1:1くらいの学科を探したら生物系が条件にかなうとわかったのです。

一年目の大学受験では、どこの大学も受からず、そこで予備校に通い始めたのですが、生物の講師に影響を受けました。
後に大学院で、根粒菌というマメ科植物の根っこに共生する微生物の研究をしましたが、それは予備校の講師が授業で「マメ科の植物に共生する微生物が空中の窒素を固定し、植物に栄養を与えているけれど、詳細なことはまだわかっていない」と話してくれたことがきっかけです。「わかっていないことがたくさんあるんだ」と驚きました。
窒素を固定する方法は化学的には工業利用されていても、自然界でおこる生物学的なメカニズムがわかっていない。「生物学には未知がたくさんあるんだな」と興味を持ちましたね。
たとえば、一個の卵細胞が分裂し、体になっていくわけですが、まだまだそのメカニズムは分からないことだらけです。そういうのが生物学のおもしろさです。
僕は旅行が好きなんですが、旅には見たことのないもの、行ったことのないところへ行ける楽しさがありますよね。生物学にも答えが見えない楽しさがあります。誰も知らないフロンティアが広がっている。そこにおもしろさを感じました。
いや、大学院進学の当初の目的は遊ぶ期間を延長したかったからです(笑)。勉強はそれなりにやって、大学の生活はバンドを組みライブを行うなど充実していました。それだけに就職活動期になると、まわりのバンド友達がネクタイを絞め始めたことに疑問を持ちました。
「就職活動しなければならない」という一般的な流れがあって、みんなが納得しないまま就職していくことが、僕には納得できなかった。自分は就職を意識もしていなかったし、入りたい会社もない。というよりも、会社が何をするところかも知らない。その上、働くことに興味もなかった。
納得いくまで自分で考えることが好きで、流されるのが嫌だった。納得できないならプー太郎でもいいじゃないかと思っていたし、そうなる可能性はありました。
そんな頃に、教授から研究を勧められ、研究は誰もやっていないことじゃないと論文にならないし、「それで生きていけるなら、おもしろいな」と考え、とりあえず大学院に行くことにしました。
父親は僕の適性を見越してか、はやく就職し、営業職に就くよう勧めていましたが、もう少し遊びたい…とは言えないので「勉強したいから」と説得しました。資金的には国立しか選べないため、懸命に勉強し、東大に入りました。

大学院は都心にありますから、いろんな人と出会うチャンスも多く、経営者に会えたりといった具合に、生命科学という学問以外の出会いがありました。そういう出会いに刺激され、ビジネスを研究するBLSという学生団体をつくりました。別に社長になりたいとは思っていませんでした。研究者になれば、勉強できるし、海外にも行ける。旅人と変わらないから、それがいいかなと考えていました。ただ、「もっと刺激的なものはないかな」と思っていたら、ちょうど2000年くらいから理工系の研究者が経営するバイオベンチャー企業が登場するようになりました。「研究者でありつつ、経営もできるのはおもしろい。経営者なら旅もできる」と思い、起業した人に会っていろんな話を聞いたのです。
ところが、経営者はみんな口々に「バイオベンチャーはこのままじゃうまくいかない」と言う。つまり、一般消費者がバイオを理解していないから、いい技術がうまれても売れない。それと理科離れを指摘していました。
実際、小学校の教師の約8割が文系で、理科のおもしろさ、研究を知っている人が理科を教えていない。科学のおもしろさを学校で伝えられていないんじゃないか。わくわくするようなものが学校にないんじゃないか。そこに気付いたので、きっかけづくりを学校の中でやろうと考え、仲間15人を集めて、おもしろいと思う科学を出前実験することにしました。まずサークルとして始め、それをビジネスモデル化して、起業したというわけです。
僕みたいな人間でも、予備校でのきっかけがあったから生物におもしろみを覚えたわけで、そういう機会があれば、科学に興味を持つ人も増えると思います。
いまや環境問題が急務ですよね。「CO2は減らさないといけない」と政治家が言っても、どうやって減らせますか?と問うたら、たぶん具体的な科学技術を挙げられる政治家は少ないでしょう。物理化学的、生物学的な技術とそれによりどういうパフォーマンスが得られるか。政治家も本当はそういう話ができないといけない。政治に限らず、すべての社会的活動の中から最先端の科学の知見は切り離せなくなっていると思います。
だから教育内容を文系・理系とわけず、環境と生命科学は必須にすべきだと思っています。少なくともアメリカではそのような流れになってきています。自分はまだまだ若いので、文科省に働きかけるより、いま自分のできる範囲で出前実験を行うことのほうがはやい。そして何より、科学を自分たちでわかりやすく伝えたい。そのためのバイオコミニュニケーターという資格(職業)をつくりました。これからは最先端の科学を伝えられる人の育成が急務なのです。
科学コミニュニケーターは、学校の中だけでなく、大学や企業、商社や技術者同士をつなぐ技術移転などの仕事にも適応できます。
野球選手の交渉にネゴシエーターがいるように、研究者が企業にいちいち行く必要はありません。海外ならコンサルの会社がそれをやっていますが、日本ではちゃんと科学技術を伝える人がいないから開発した技術が利用されていない。そういう媒介者としての仕事をすることで、科学のボトムアップを図りたい。

まず、2000年ころは学校に企業が入って授業すること自体が学校教育の聖域を侵すようなことで前代未聞でした。偶然、初めて授業を行った学校の経営者は、理解があり、「チャンスをあげよう」ということで、生徒の評価が5点満点中4.6だったら継続して行うと約束してくれました。おもしろくなかったらビジネスモデルとしては破綻していることになりますから、ちゃんと成果を出しまして、その学校とは、いまも継続して出前実験を行っています。
実験を行う塾がいまは増えましたが、僕らの授業は受験に即してはいません。受験ではなく、生きていく上で、そして、研究で必要な科学の知識を伝えたいんです。
たとえば「みんなで研究とは何か」をディスカッションします。そのことでコミュニケーション能力が知らず知らずのうちに伸ばされます。
実験を通じたコミュニケーション能力の高まりにより、自発的思考もうながされ、おまけに最先端の知見も知ることができます。
例をあげると、色素増感型の太陽電池。キャベツをすり潰して色素を取り出し、それに光をあてると電気が流れます。こうした技術を紹介しています。
コミュニケーションは双方向ですから、子供から教わることもたくさんあります。「なんでそうなるの?」「じゃあ、こうしたらどうなるの?」という問いの中には、考えたことがなかったこともあり、刺激になります。
別々のものではなく、同じことだと思っています。僕は生物学ですべて語れると思っています。というのも、会社も人間の集まった生態系で、その機能は生物学の世界と変わらない。
経営といっても、生態系ですから仕組みをつくれば発展していく。そんな感覚で経営しています。生物に刺激を与えると反応が跳ね返ってきます。それが生物の基本ですが、僕らの仕事はそのきっかけをつくるだけ。だから、教育と科学、ビジネスと別々のことをやっているという考えはありません。
未知への挑戦だったり、納得するまでやりたい気持ち。あとはあまり恐怖感がなく、何でも楽しむことでしょうか。お金を借りるのもそうです。借金が1億円あるというと、「大丈夫?」と言う人がいます。むしろ「お金がないと死ぬの?」と言いたいですね。
一般的に生涯年収2~3億円と言われていますが、お金を貯めてから、それで車や家を買ったり、いい生活をしようとしますよね。でも、50歳でお金がようやく貯まったとしても体が動かなければ、それは悲しい人生ではありませんか。そういうのちのちの生活のためにという、餌を目前にぶらさげて働く20世紀型の会社スタイルでは古い。今を楽しむ。それが基本だと思います。だから、僕はそうした未来のお金を餌にしない、会社自体におもしろさをつくりたいとおもっています。
うちでは毎日会社に来ない人もいますからね(笑)。結果は数字で出ますから、「今年はゆっくりしたペースで仕事をやりたい」と思う人は、そうプレゼンすればいい。発想がすべてですから旅行に行かないといけない休暇を設けてあります。旅行休暇です。
あとは当たり前のことだけど、自分を産んで育ててくれたのは両親なんだから、親を敬いなさいということで、両親の誕生日は休みにしています。もちろん、奥さんと子供の誕生日も休暇です。家族が増えるほど休暇は増えます。なにせ21世紀の経営はおもしろくないといけない。だから会社に備蓄米制度を導入し、会社で田んぼなども管理しています。まさに自給自足ですね(笑)。自分というものを大切にし、今を楽しんで生きること。それが社会に貢献することにつながるのです。

周りからは苦労と見えているかもしれませんが、苦痛ではありません。苦痛になってしまうなら、それは適性がないのかもしれない。努力していけそうなものに出会えたらいいけれど、合わないなら違うことを始めたらいい。やり続ける義務はありませんからね。
根本的なところで信念があれば、若いうちはいろんなことをやってもいいと思っています。いまのように上っ面の情報がネットで流れてくる中で生活していると、浮き草みたいにふわふわしがちだから、信念という根っこをつくることが大事。それには師匠との出会いが必要だと思っています。
僕にとっては、東京薬科大学時代に出会った都筑先生です。環境問題に興味があり、「砂漠の緑化に携わりたい」というようなありがちなことを言ったら、先生は「君は砂漠の何を知っているの? 砂漠が緑化すると本当に地球にとっていいの? 砂漠は本当に広がっているの? 本当に木を植えたら緑が戻ると思うの?」と、ひたすら僕に問いました。本質的な問いだけに、自分の勉強不足が露になりました。でも、そのおかげで問いに対して学ぶ。それが学問だということに気付いたのです。
砂漠の研究ができるかと思ったら、先生は僕に光合成の糖脂質の研究をやるよう促しました。「研究者になりたいならそれをやりなさい」と。糖脂質が光合成にどう関係しているかの論文は当時ほとんど出ていませんでした。
ほかの人は乾燥に強い植物の研究とかしていて、メジャーだし、ビジョンが明確。正直うらやましかった。でも、そこで学んだのは、誰もやっていないことにアタックしないと研究の意味がないということです。学問の意味と研究とは何かについて学ぶことができ、それが僕の根になりました。
ところで、糖脂質の研究でわかったのは、熱を与えるとタンパク質をはじめ生物はだいたい壊れますが、その糖脂質はその修復にかかわっていて、その修復系の作用は乾燥にも関連性があるということでした。そこで自分の研究が砂漠の緑化にもつながっていく。乾燥に強い植物の研究アプローチでは手に入らなかった結果です。
今年の7月21日より、宇宙教育プロジェクトを始めます。打ち上げられた国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の実験枠を使い、宇宙にマメ科の植物の種を持っていってもらいます。6か月間、宇宙で種を保存すると宇宙線や無重力などのいろんな影響があるでしょう。それを全国の高校100校に配布し、来年の5月以降に育ててもらい、最先端の研究してもらうというプログラムです。
そういう夢のある企画をやって、社会に貢献する人材を育てたいし、一緒に研究していきたいですね。
僕が出前実験で話すのは、信念を持ってさえいれば、勉強はいつでもできるし、大人になってからのほうが頭に入るから、いまの時点で教科の点数が取れる取れないはそんなに気にしないでいいってことです。
信念とは、本質的なことを見るということで、その練習をしておかないと、いろんな誘惑があって、たくさんの大人がいろんなことを言うから、ふらふらとさまようはめになってしまう。そうしたことを、いまは理解ができなくてもいいから絶対に覚えておいてほしいですね。

見方はなくて、見ようとし続けないと見えないものです。だから、見ようとする心を常に持つ以外にない。どのようにすれば見えるかではありません。
リーダーシップやマネジメントにも言えますが、見ようとすること、観察を忘れない心が大事です。観察する心っていうのは、科学にも通じます。
何か失敗したとき「あ、失敗した」と結論づけて、捨ててしまいがちです。でも、観察していたら「ん?待てよ」となり、新しいことを発見できることだってあります。
何でも不思議だと思う心は大人になるとなくなっていく。「世の中、こんなもんでしょ」と。でも、観察と疑問がまざった気持ちを持ち続けることが、本質を理解することにつながります。そういう気持ちを持っているせいか、僕は人がやったことは、自分もできると思っています。
「有名企業に入りたい」と思う人がいて、就職活動となったら何万人もの人が応募しますよね。しかも動機が「何となく引き付けられる」というのであれば、ある意味、宗教みたいな力を持っているわけで、大企業ってすごいなぁと思います。
だけど僕は「入りたい」じゃなくて、つくってみたいとおもった。いまでは日本を代表するような車メーカーだって、最初は2人くらいで始めたと聞けば、人がつくったものなら自分もつくれるんじゃないかと思います。日々、楽しみながら研究、分析し、21世紀の企業をつくって、その先にはやく行きたいなと思ってしまいますね。
学問を知った人が一生涯学び続けるのは、問いがなくならないから。自発的な問いがなく、勉強しか知らない人は、高校か大学で学ぶことを止めてしまいます。
偏差値が高くても人生は楽しく過ごせない。人生を豊かにする本質は、楽しく笑っていけるかどうか。だから、この先、僕も会社をやっているかどうかわからないですね。経営に興味があるわけではないので、いつだって新しいことをやり続けたい。経営をやらなければならなくなったら誰か適任者に譲るでしょうね。
おもしろいことを探しながら世界を転々とし、最後はノーベル平和賞くらいもらえるようになりたいですね(笑)。
[文責・尹雄大]

Yukihiro Maru
丸 幸弘
博士(農学)。1978年、神奈川県横浜市生まれ。東京薬科大学生命科学部環境生命科学科に進学。バンド活動が本格化し、インディーズでCDを出す。2001年4月、東京大学大学院農学生命科学研究科に入学。2002年6月、世界で初めてのバイオ教育の会社、有限会社リバネスを理工系大学院生のみで設立。代表取締役となる。
<株式会社リバネス>
http://www.leaveanest.com/
<丸幸弘の会社経営奮闘記>
http://blog.livedoor.jp/marucom_com/