

Mitsu Tanaka
田中 美津
東京都生まれ。70年代初頭に巻き起こったウーマン・リブ運動の中心的存在。75年にメキシコで開かれた国際婦人年世界会議を機にメキシコに渡り、一児を得て4年半暮らす。帰国後、治療院「れらはるせ」を開設し、鍼灸師として活動。
田中 美津 さん(鍼灸師)
差別は、それを支える意識と社会が生み出す。ただ女性というだけで下位に見る意識や風潮は、現代においても歴然とある。セクシャルハラスメントやドメスティック・バイオレンスといった顕著な例だけでなく、たとえば、男性の価値基準に沿う女性を理想とするような考え方の中に。
ウーマン・リブとは、社会や他人の価値基準に従った生き方ではなく、自らが良しと思う人生を生きるために始められた運動を指す。田中美津さんは、1970年代の日本において、ウーマン・リブの旗手とされた人だ。
現在、東京都内鍼灸師として活躍する一方、いまなお自由とは、平等とは何かを常に問い続けている。性を見つめ、身体を見つめてきた田中さんの現在の思いをうかがった。
心とからだはまったく一緒なんだということです。「心とからだ」というと何か違うものがふたつあるような感じですが、心はからだで、からだは心です。その証拠に25年間鍼灸師をしてきて、からだの方は良くなったのに心は暗くなった…という人を私は見たことがありません。
心がクヨクヨしているとからだも悪くなる。気持ちの鬱々は心の方から解いていこうとするのが普通だけど、それだととかく気持ちが過去をさまよってしまう。「ああいうことがあったから、だから私は暗いのだ」とか「生育歴に問題があるからいつも不安なのだ」という具合に。
でも、心が過去にさまよっている限りは、この今太陽の光に心地よく包まれていることも、季節の花が目の前に咲いていることにも気づけない。物事すべて気づかなければないのと同じよ。自分にはいいことが何もない…と嘆く人は、気持ちが過去をさまよっているか、「ああなったら、こうなったらどうしょう」と将来の心配をしてるかのどちらかであることが多い。つまり「この今」を生きてない。「この今」がスカスカになっている。
私たちは過去を全部覚えているわけではないから、不幸の原因を過去に求めても、結局今の自分の暗い気分に合致する過去だけを引っ張って来て、いいように物語化してしまう。親はいつもクリスマスプレゼントをくれていたのに、たまたまくれなかった年のことをよく覚えていて、「私はプレゼントももらえないような、愛されない子どもだった。それだから私は~」というふうに自分を物語化してしまうわけね。
私もそういうことをさんざんやってきて今思うことは、私の場合若いときのあの暗さの半分は体調から来ていたんじゃないか、と。なんせ仮死状態で生まれ、もう小学生の頃から夏はだるくてグッタリ、冬はしょっちゅう百日咳で学校を休み、中学生の時には駅の階段を一気にあがれないくらい虚弱だった。
東洋医学では「七情の乱れ」といって、人は誰でも腎臓が悪ければ不安が強くなる、肝臓が疲れれば怒りっぽくなったり、やる気が出なくなる。消化器が弱ればクヨクヨしてくる、呼吸器なら憂いが深い人になるといわれている。
誰にとっても人生は理不尽なもので、思い通りにはいかない。時に憂鬱になったり不安になって当たり前。作家の角田光代さんは十代の頃気持ちが落ち込むとひたすら街を歩き続けたとか。歩けば血のめぐりが良くなって、気持ちのほうもドントマインドになってくる。
からだが良ければ、そんな風に気分を変えることもできる。でも私のように毎朝目が覚めるとすぐに「あぁーだるい」と思うような体調で生きていると、鬱うつとした気持ちから逃れる手立てがない。からだは心の入れ物なんだから、憂鬱は悪い体調のせいでもあるのに、そんなこと思ってもみなかった。ひたすら「過去にあーゆうことがあったから~」と今の憂鬱に見合う物語を作って、それを唯一無比の真実と思い込んでいた。そのためにめちゃ暗い青春を送った。
幸せって状態です。つまり1個の肉まんに如何に喜べるかという問題です。からだが不快な状態では、楽しいことも楽しくなくなる。おいしいものを食べてもよくわからない。この今吹いている風の気持ち良さとか、犬猫を抱き上げた時の充実感といった小さな幸せに数多く気づいていくうちに、徐々に「今」に気持ちを取り戻すことができる。頑張るときには頑張って、でも頑張らなくてもいい時にはふーっと緩んで小さな生き物に自分を返す。
私の場合いい体調になって、小さな幸せを見つけては喜んでいたら、いつの間にか「生きてるっていいな」の人になれて、そしてトラウマの呪縛から少しづつ脱していくことができた。
もう声を大にして言いたい。いい体調だと幸せになるなんてとっても簡単って。そのことを知ってもらいたくて、25年間鍼灸師をしているようなものね。

私のあの暗かった青春は、①に体調の悪さ、②に幼い頃にチャイルド・セクシャル・アビューズ(幼児への性的虐待)を受けたせいだと今は思ってる。
でもリブになったのは、からだの快より気持ちの快を求めてのことよ。「からだは心で、心はからだだ」と気が付くのはずっと後のことで、物心付く頃から「何で私の頭の上にだけ石が落ちて来たの?」と、そればかり考えてきた。他の女はまだ正札さえつけていないのに、自分はすでにディスカウント台にならんでいる。と思う一方で「そんなバカな!」という気持ちもあって、なぜ私だけがこんな苦しみを背負わなきゃならないのか、その理由がひたすら知りたかった。
チャイルド・セクシャル・アビューズと一口にいってもいろいろで、私の場合日ごろ馴染んでる家の従業員によるそれだったから、5歳の私にはそれが新種の遊びのようなことに思えた。
ある日、いつもは忙しい母に優しくされ、それがうれしくって私は母を喜ばせようとして、「こんな遊びをしてるんだよ」と内緒話をしたら、母が「ええーっ?!」と驚愕。直ちに男とその父親を呼びつけガンガンに怒った。
普通はそういうことが子どもの身に起きても、相手は近所の人や親戚だったりすることが多く、当事者としてその現実にま向かうのが嫌で、「あんたの思い過ごしでしょ」と抑えつけてしまうことが多い。私の母のように躊躇なく怒るというのは珍しい。
いわば母は正しく対応してくれたのね。しかし、それがこういう問題の難しいところで、「母があんなに怒るようなことが楽しかったなんて!!」と、以来私は自分を責め続けるようになってしまって。自分は悪い子だ、穢れている…と思い込んでしまった。
不快きわまるこの思い込みとの格闘が、いわばすべての始まりだった。
5歳から26歳くらいまで、「私はダメだ、穢れてる」「なぜ私の頭の上にだけ石が落ちてきたの?」という想いでただ固まっていた。でも当時、ベトナム反戦運動(注1)が盛んで、ある時ふと新聞を読んでて、「なぜ僕の足だけないの?」と泣いているベトナムの子どもに気が付いた。爆撃で手足や親・兄弟を失って泣いてる子どもは「私だ!」と思った。で、朝日新聞の読者欄に「一緒にやりませんか」と呼びかけて、ベトナムの被災児を助けるグループを作って救援活動を始めた。
いわば自己救済の運動ね。だから南ベトナムも北ベトナムも関係ない、ひたすら泣いている子どもが気にかかった。当時は救援活動より反戦運動のほうが上等と思われていたけど、でもね、北ベトナムが勝利して戦争が終わったら、今度はその北ベトナム自身が隣国を侵略していったという事実を考えると、ひたすら泣いてる子どもを助けるって案外本質的な行為だったのかもしれない。
しかし、傀儡政権だった南ベトナムとそれを後押ししているアメリカをなんとかしないと、泣いている子どもは減らないということもまた事実で、そのことに気づいてからは救援は止めて、グループの人たちと一緒に私はヘルメットをかぶって市民反戦の運動に参加していった。
けれど、69年に東大・安田講堂のバリケードが解除され、急速に学園闘争が終焉、それとともに反体制の運動そのものが衰退していく。「政治の季節が終わって、性の季節が始まった」とかいわれているが、確かに学生たちはアレヨアレヨと相手を見つけて家庭を作り、去っていった。でも、私の中では何一つ終わっていなかったから…。
どうしていいかわからないままに山谷の運動(注2)や秋葉原で働く労働者の解雇撤回闘争などに関わっていたら、ある時突然マイクを渡され、集まった人を前に何か話してくれと頼まれた。でも、何もしゃべれなかった。「人間として」という視点でなにか言おうとするんだけど、ことばが出てこない。出てこないのは当然で、私は日常「女として」という視点でしか考えたことがなかったから。
何も喋れない自分に「あぁまたダメだった」と落ち込んだ。でも…、果たしてそうなの、私って本当にダメな女なの?という疑問が湧いてきた。
私は自分の「ぐるり」のことから世界とつながっていきたい。そういうかたちでしか語れない人間なんだと、やがて気がついた。
私の抱えている苦しみは、私が「女であること」と深く関わったものだった。 そして自分のぐるりのことから世界へとつなげないと話せないのが女で、ぐるりのことから話そうとすると何も話せなくなるのが男だ…ということにも気が付いた。べ平連や全共闘の運動を見て、そう思うようになったのね。どちらも男中心の運動だったから。
さてニューレフトの運動がポシャった後に、「赤軍派」などの過激派が残り、偶然のことから私は自称革命家たちと知り合いになった。そして「革命って私の抱えてる問題、自分を肯定できない気持ちやすぐに湧いてくる自責の想いから私を解放してくれるのかしら」という関心から、彼らのアジトとして自宅を提供した。
でも間近で見たら、彼らのいう革命なんて男の安っぽいロマンに過ぎない、もう児戯に等しいものだとわかった。非日常の武装闘争では、女は解放されない。女への差別は日常的なものだから。見るべきものは見た。しょうがない、「結婚するんなら、運動やってない女がいい」とか何の疑問もなく言ってるような左翼の男たちとは一線を画そう。そう決心して、私は女たちに呼びかけた。
ちょうどアメリカの方でもそういう運動(注3)が起きていたけど、私は英語がゼンゼンできないので、そうした動きはまったく知らなかった。だいたいリブの運動を始めた頃、私は絣の着物を着て家業の割烹料理店の手伝いをしていたのね、裏千家のお茶など習いながら。
ただ、あまりにも長い間「自分はダメだ」と思い続けたために、「この先もずっとこの惨めさがつづくのなら、こんな地球、ぶち壊れてもかまわない」といった殺意に近い思いを抱いていて、今で言えばアルカイダのような切羽詰まった気持ちよね。それだからリブの運動を始めることが出来たのね。
女性差別という視点で声を上げることは、それほど大変なことだった。新左翼なんていったって、女に対しては旧左翼とまったく変らなかったから。私たちは無謀にも火のないところに煙を立てようしたわけです。

リブを始める前の1年間くらいだけど、「赤軍派」のアジトとして家を提供してたから、革命家気取りの男たちが何人も来た。中には夏で窓が開いてるのに大声で武装闘争の話をしたり、野菜炒めを作ってあげたら自分はサッサと肉だけ食べてしまうような奴もいて、「こんな男たちに革命されてもなぁ」と思うようになった。
彼らの組織の女性たちはもっぱら電話番とか警察にパクられた人の救援役で、いわば下働きとして使われるだけだったから消耗してどんどん止めていった。それやあれやを横目で見たり聞いたりして、児戯に等しいと思ったわけね。
「くそっ、私が苦しんだのは『バージニティの神話』のせいだったんだ」と、まず気が付いた。女はまっさらがいい、それも男に対していつも羞かしそうにしている、控えめな女がいいというような価値観ね。そういう価値観がまかり通っているたために、私は自分をディスカウントされた女のように感じて苦しんできたわけよ。
私有財産を自分の子どもに譲りたい。でも誰の子かわかるのは女だけだから、妻にする女には貞淑を求め、その一夫一婦の結婚生活では満たすことができない性的欲望は他の女に満たしてもらう。そういう人生こそ成功者の証とされてきた。そのせいで男は、女を「聖なる母」と「娼婦」に、つまり「母」と「便所」に分けて考えるようになってしまった。
いわば女はそのような男の意識を通じて世の価値観・秩序に組み込まれてきたわけね。すなわち男が良しとする女、イコール「どこにもいない女」として、純情と欲望の両方を合わせ持つ自分を隠し、そして裏切って生きてきた。そう、チャイルド・セクシャル・アビューズを受けたり、レイプされたり、肉体関係のあった恋人に去られた女性が自分を「ディスカウントされた女」のように思ってしまう裏には、母と娼婦に女を2分してとらえる男の意識があったのよ。
長い間自分を否定し続けてきた私。しかし恥しく思わなければならないのは、幼い私にチャイルド・セクシャル・アビューズを行った加害者のほうではないのか。暴力を振るう男もそう、恥しいのは暴力男のほうだ。それなのに、「私がダメだから、彼は苛立つんだわ」とまるで自分のほうに問題があるように考えてしまう女たち。昨今問題になっている「デイトDV」も、かって私が抱えた苦しみとまっすぐにつながっている。
「男は山へ芝刈りに、女は川へ洗濯に行かねばならない」という社会的強制、それをジェンダーといいますが、でもそういう外側からの抑圧だけが問題なのではない。あまりにも長きにわたってそういった強制を受けてきたために、私たちは自から〈山へ、川へ行ってしまう〉人間になってしまっている。それこそが真の問題で。だって権力がなにか押し付けてきても、私たちがそれに迎合し、そのものの見方・考え方を内在化しない限り、権力なんて無力なんだから。
「女らしくしなさい」といわれたら反発するのに、男性が部屋に入って来るなと思ったら、それまで胡座をかいていたのにパッと正座にしてしまったり、恋人に「コンドーム付けて!」と言えないで一人で悩む。また夫がそばにいるのに、電話が鳴ると必ず自分が出る女もそう。みんな、自ら〈川へ行ってしまう女〉たちです。
川へ行ってしまう女も山へ行ってしまう男も、余りにもそれが当たり前になってしまってて、電話が鳴れば女は無意識に走って行くし、男はベルが鳴っても我関せずと新聞を読む。“共稼ぎなんだから家事も分担してやりたい、当然だわ”と思っているにもかかわらず、彼が深刻な顔をして本を読んでいたら、“ご飯をつくって”と言えなくて、結局自分がしてしまう。そういう良き妻を遣りすぎた挙句に離婚したくなる女たち。そういうケースがどんなに多いか。だから離婚を言い出すのは大抵女のほうなのよ。
「自由」とは自分以外の何者にもなりたくないという思いです。男だって自由になんか生きてない。でもその「男はつらいよ」的生活を影で支えているのは女。支えるのが女の務めと思い込まされてきた。でももうこれ以上、そんな、「自分から川へ行ってしまう女にはなりたくない!」と初めて言い出したのがリブなのだ。
セックスまで、男が望むように演出してきた私たち女。セックスは意識構造の核心でもあるのだから、そこのところから女の解放を見ていかなきゃ本物じゃない。そう考えたところがリブと従来の女性解放と根本的に違うところです。
1975年の国際婦人年以降、女性運動が国連のお墨付きを得て、日本のお役所も積極的にかかわる様になり、運動の裾野が広まった。これはいいことね。でも「私」から始まる運動ではなくなってしまった。どういうことかというと、外では男女共同参画社会の旗を振り、家に帰ったら料理したり電話に出たりの良き妻になるという、昔ながらの女性運動家が多くなっていったのです。
経済的に自立するだけでは女は解放されない。法や制度を変えていきつつ、「コンドームを付けて」と言えない〈川へ行ってしまう自分〉も変えていく。「男だって子育てしたい」といったキャンペーンをお役所がいくらしても、山へ川へ自分から行ってしまう、そんな「自分を裏切ってしまう自分」を意識化しないと、ジェンダーの呪縛からいつまでも私たちは自由になれない。
学者中心の今のフェミニズムと違って、リブは普通の女たちが作った運動で、それなのにそこまでラジカルに考え、そして実際そのように自分を変えて行った…ということはもっと知られていいことだと思う。

それは男の人にとっても同じよね。結婚しても、男は実は会社と結婚しているようなもので、仕事ぶりが評価されない限り、家族から「いいお父さん」と言われても、それだけでは自分に価値があると思えない。男も女も他者(上司や夫、恋人、世間エトセトラ)からの評価なしには自分を肯定できないという病を抱えている。
だから、「女だけが大変だ」なんて思ったことないのよ。ただ男の人のことまでは手が回らないから、男は男で、「こんな自分でいいのか!」と悩んだり怒ったりしたほうがいいんじゃないのと言ってきただけ。
制度や法的な変革はもちろん必要。でもそれは人が変わっていくための必要条件に過ぎない。社会がどんなに酷くても、自分の人生が惨めでいい理由にはならないのだから、男も擦り切れる前にマンリブに立ち上がらないと、ね。
リブは「男は敵だ」と煽っているとよく報じられた。そんなこと一度だって言ったことないのに。それっていわば悪意の報道ね。
敵と味方、善と悪といった単純な図式にしないと「人々は物事を理解できない」とメディア自身が思い込んでいて、それでとかく言葉尻を捕らえて矮小化していく。
それってリブに対してだけではないけど、でも私たちの運動に対しては特にひどかったといわれている。〈男なら馬鹿でも殿様〉という社会では、女性解放を唱える女はひどい目にあわさないと承知できない。不安なのよ、既得権を取り上げられるような気がして。彼らの嘲笑の裏には常に不安が張り付いている。
トラウマっていわば一生ものよ。もちろん今は頭に石が落ちてきたのは私だけじゃないとわかってるし、もっとひどい石に打ちのめされてる人たち、たとえば父親が一家無理心中を図ったが、自分だけ逃げて助かったというような凄まじい石が落ちてきた人もいるわけで、これからのその子の人生を考えると本当に胸が痛くなる。でも、トラウマから悪いことばかりが生じるわけじゃないのね。そのことをせめてもの救いだと思いたい。
私の場合、「ダメな存在だ」と思い、自分の中にぽっかり開いたその穴を「ダメじゃない私」で満たそうとして、それで世のため人のために頑張ってきたという一面がある。嘲笑されることがわかっていたのに、リブの運動に一心になれたのも、そして鍼灸師として25年もの間最善を尽くそうとしてきたのも、いわばトラウマがあってできた生き方なのです。ダメじゃないということを誰よりも自分に証明したかったから、それこそが自分への癒しだったから…。
私の頭に石が落ちたのは、たまたまのこと。「なぜなの?」といくら問い続けても答えが見つからなかったのは、それが不条理に属する事柄だったからです。
意味なんてない、たまたま起きただけ。それなのに、その、たまたま起きた事柄に支配されて一生暗いまま生きるなんて、そんなの厭。そんなの私のプライドが許さない。今はそう思ってる。幸せに生きること、それが私の生きる意味です。

生きていく上で大事なことは、みっつあると思うの。ひとつは食いっぱぐれないこと。経済的自立というより、言葉そのまま、食いはぐれないということです。元気な人は自分で稼げばいいし、病気や障害があって働けなければ生活保護で食べていく。正しく福祉を活用することも大事なことです。私たちは助け合うために群れとして生きているわけだから。
ふたつ目は、自分以上のものにも、自分以外のものにもならないこと。他者から認められようとしていい人や立派な人をやっても、そんなの結局「どこにもいない私」になることだ。頑張った果てに、「どこにもいない私」が評価されたって、むなしいし、さびしい。「男はつらいよ」の正体は実はこういうことなんだから、その後を女が追うことはない。
みっつ目は、ゆるむこと。この社会は、頑張らないと生きていけない。いわば交感神経がいつも緊張している状態で私たちは生きている。何事も過剰は悪です。リストラという言葉が登場した頃から、交感神経の緊張から不眠や食欲不振(または過剰食欲)を経て鬱になったという人が私の治療院にもたくさん来る。
私たちのからだは、快がわからないと不快がわからないようにできている。うちの診療所では、男性にもズボンの下にスパッツを履くよう勧めてて、履いて3か月もすると「この頃、冷えがわかります」と必ず言い始める。男は冷え症にならないのではなく、「からだのことをあれこれ言うのは男らしくない」というジェンダーの呪いを代々生きてきたがゆえに、女に比べるとからだ感覚がとても鈍くなっている。からだ感覚が鈍いと病気を芽のうちに摘み取ることができない。それで男は早死になのよ。
あまりにもからだが冷えていると、外気との差が少ないために、冷えを敏感に感じることができない。で、不快なからだの状態が感知できないでいる人が凄く多い。中には逆にホテって困るという人がいるが、ホテリは冷えが一層ひどくなって起きる症状です。
からだ感覚が鈍い人は、妙にくよくよしたり、自分を責めたり、他人のことが気にかかったり憎くなったりする時は、「こうなるのは、からだが疲れているせいだな」と思って、夜は小食にして、早く寝ること。
私たちのからだは快がわからないと、不快もわからないようにできているから、気づいたときは大病…という人になりたくなければ、食欲がないときは食べない、疲れたときは早く寝るといった、からだの声に従う習慣をつけましょう。
とにかくみなさんからだが冷えている。何年か先には男性の前立腺がんが胃がんを抜くと言われている。前立腺は腎臓と関係してて、その腎臓は冷えに最も弱い臓器なのです。
また、腎臓は生殖やセックスにかかわる臓器だから、インポテンツや精子の数が少ないとか弱くなっているという状態にも関係してる。コンピュータの電磁波で前頭葉が影響を受け、それが原因で現代人は性的に弱くなっているという指摘もあるが、それだけじゃない。コンピュータに合わせて人も冷やされているから、東洋医学でいう「腎虚」の状態になっている人が今激増しているのです。腰痛持ちは腎虚予備軍だ。
少子化の問題はこういったからだの問題から考えていかないと、解決しないんじゃないかしら。
私の実家は「商人はからだが資本だから」という母の考えから、しょっちゅう鍼灸師やマッサージ師に来てもらってた。私以外の兄弟はみんな喜んでかかっていた。でも私は一度だけお灸をやってもらったら物凄く熱くて(からだが悪い人ほど人一倍熱く感じるか感じないかのどちらかなのね)、こんなつらいものは二度とごめんだと思った。でも、いつのまにやら鍼灸師に。これだから人生はおもしろい。

女で、チャイルド・セクシャル・アビューズというトラウマを負ってて、虚弱で、高等小学校出の学歴のない親のもとに生まれた。これらはまったく自分が選んだことではなく、いわばたまたまのこと。でもマイナスだと思っていたそれらの事柄は、気が付いたらすべて私のプラスになっていった。
たまたまチャイルド・セクシャル・アビューズを受けたために、「女であること」に拘らざるを得なくなって、でもそのおかげでリブの女になれた。つまり他人の目に脅えないで自分を生きていく強さを持つことができたってわけね。
そしてまた、たまたまからだが弱かったから、自分のからだをなんとかしようと鍼灸師になることができた。そして学歴のない分、頭や理屈で「ねばならない」と考えることの少ない親のおかげで、固定観念や権威にとらわれることなく生きてこられた。
それらのことを思うと、結局、この世に起きる事は完全に善いこともないし、完全に悪いこともないのでは…と思うのね。悪いことは悪いことだけを生むわけではないし、良いこともそう。
たとえば、腸内には悪玉菌、善玉菌、日和見菌がいる。普通ウェルッシュ菌のような悪玉菌は悪い奴で、ビフィズス菌のような菌は善いと思われている。でも、実際はそんなにわかりやすく浅い世界じゃないのね、私たちのからだは。
大腸菌は日和見菌で善玉菌が強いときは、善玉菌にくっつき、悪玉菌が強いときは、そちらに付くというコウモリのような奴。
でも、悪玉菌や日和見菌がまったくいなくなるのがいい腸内環境かというと、そうではなく、日和見菌がそこそこいて、悪玉菌が少しいて、善玉菌がたくさんいるのが善い町内環境なのです。なぜならビフィズス菌は空気があると死んでしまうが、悪玉菌は空気を食べて生きている。つまり善玉菌は悪玉菌なしでは生きていけないという関係なのです。
からだは小宇宙ですから、からだに起きているこういったことは、この宇宙の理にもつながる(と、私は思ってる)。だから悪書追放運動みたいな、悪をなくせば社会は清く正しく美しくなると思いこんでいるような人も運動も私は好きじゃないのね。悪書も人の邪悪な力を内にこもらせない働きをしてるかも。良書はたくさん、悪書もちょっぴり。こういうバランスが大事だと思う。
たまたまは選べない。たまたまは不条理に属する。でも完全に悪いこともいい事もないのだから、結局は自分次第。いや自分次第と言えるような社会を作っていかなきゃいけない。
人間の解放とは、被害者意識からの解放だと田辺聖子さんは言っていた。つまりは「自分の人生悪いことばっかり」という思い込みからいかに解放されるかという問題です。
被差別部落に生まれるのも、在日朝鮮人に生まれるのも、女に生まれるのも、チビに生まれるのも,鼻ペチャに生まれるのもみんなたまたまの事なのだから、そういった自分では選べなかったことで他人を差別するのは恥ずかしいことです。私は未婚で混血の息子を持った。
でも差別って、するほうが恥ずかしい問題だと固く思っていたから、嫌な目に合わなかったわけじゃないと思うんだけど、ほとんど覚えていない。息子もノビノビと育った。
と言っても誤解しないで。差別なんて気にしなければ平気…といいたいわけじゃないのよ。差別はそんなヤワなもんじゃない。ただ、差別されるほうが恥ずかしく思うような気持ちは、差別する側を付け上がらせるだけだし、そんなふうに思うのは間違いだから、「差別はするほうが恥ずかしい問題だ」とシッカリ認識したほうがいいって言いたいだけです。そういう認識があると被害者意識に過剰にとらわれないですむから。
人は幸福になるために生きている。そう私は思うのね。でも幸福は青い鳥みたいなもので、なかなか手に入らないと多くの人が言う。またこの世には良いカードと悪いカードがあって、良いカードを多く集めるほど幸福になれると思い込んでいる人も多い。いわばそういった考えが不幸の始まり。
結婚はマルで、良いカードだと思われている。でも、ホントにそう? 選んだ相手が不誠実だったりお互いの相性が悪かったりで、結婚したせいで不幸になる人も仰山いる。子供ができればうれしい、だからこのカードもマルと思われてる。でも生まれた子が無条件でかわいいのは10歳くらいまでよ。子育ては難しい。良かれと思ったことが裏目にでて、息子や娘が非行に走ったり、親子で憎しみ合うことも珍しいことではない。そうなったら、あぁ子どもなんて生むんじゃなかったと、マルだったカードがバツに思えてくる。
マルからバツへ、バツからマルへと反転するのがこの世の理。物事の善いこと悪いことは単純ではなく、いわば私たちはパラドックスを生きているといってもいい。
それなのに、「これは善くて、あれは悪い」と、善いことだけを集めようとして、他人を蹴散らしたり、自分に無理をさせたりする。幸せになるためには良いカードをかき集めなくては…という思い込みから解き放たれたら、人はもっと優しくし合えるのではないかしら。
前にも言ったけど、そもそも幸福って状態です。だるかった足が今日は軽い。空腹で食べるオニギリはうまい。テストが終わってあぁ良かった。こういう状態を幸せというのです。快眠・快食・快便の気持ちのいいからだで生きているなら、幸せになるなんて簡単だ。
そう思うと、悪い状況でも過剰に絶望する必要はないんじゃないか、と。もし「これは絶対に悪だ」ということがあるとしたら、「過剰」は間違いなくそのひとつだ。まじめだって過剰は悪です。まじめに思い詰めて「もうダメだ」と思ってると、目の前に開けてる道も見えなくなる。まじめや一途は、時に人生を狭めてしまう…ということも知っておかなきゃならないこと。
からだに起きることもそうよ、過剰は悪です。食べ過ぎるのも食べな過ぎるのも善くない。汗も出ないとマズイけど、出過ぎたらエネルギーを失う。呼吸もしなければ死ぬし、しすぎれば過呼吸になってしまう。小宇宙のからだは告げてます。何ごとも極端はダメよ、と。
でもね、矛盾することを言うようだけど、若い時は過剰も悪くない。そういう季節は、そのように生きるのがいいような。「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」だ。
そう思うと、受験や恋愛で失敗して過剰に打ちのめされ、追い詰められるのも、そう悪い状態ではないような…。

(注1)
1959年から1975年にかけてベトナムの南北統一をめぐってベトナム戦争が行われた。アメリカを中心に共産主義勢力の拡大を防ぐため、北ベトナムと対峙する南ベトナムを支援するため大規模な軍事介入を行ったが、目的を達せずに撤退した。この戦争に対する反戦運動は世界的な規模で行われたが、日本においては「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)が代表的な戦争反戦平和運動団体。
(注2)
東京都台東区・荒川区にある日雇い労働者の滞在する寄せ場。労働条件は決して良くはないことから、様々な支援活動が行われている。
(注3)
ベトナム反戦運動やアフリカ系アメリカ人の公民権運動と連動し、性別役割分担に不満を持った女性を中心に、男女間の不均衡な関係を打破すべく始まった。
Mitsu Tanaka
田中 美津
東京都生まれ。70年代初頭に巻き起こったウーマン・リブ運動の中心的存在。「ぐるーぷ闘うおんな」のリーダーとして、1971年、「エス・イー・エックス」など他のリブグループと共に、「リブ新宿センター」を立ち上げる。75年にメキシコで開かれた国際婦人年世界会議を機にメキシコに渡り、一児を得て4年半暮らす。帰国後、東京鍼灸専門学校を卒業し、82年、治療院「れらはるせ」を開設し、鍼灸師として活動。
主な著書に『いのちの女たちへ:とり乱しウーマンリブ論』(パンドラ)、『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会)、『美津と千鶴子のこんとんとんからり』(木犀社)、『自分で治す冷え症』(マガジンハウス)、『ぼーっとしようよ養生法』(毎日新聞社・三笠書房)など。
<れらはるせ>
http://www.tanakamitsu.com/
【田中 美津さんの本】

『いのちの女たちへ:とり乱しウーマンリブ論』
(パンドラ)

『かけがえのない、大したことのない私』
(インパクト出版会)

『美津と千鶴子のこんとんとんからり』
(木犀社)