

Hajime Matsumoto
松本 哉
1974年、東京世田谷区に生まれる。94年、法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」結成。卒業と同時に「貧乏人大反乱集団」結成。貧乏人のための雑誌『貧乏人新聞』を創刊。05年、友人と共同で古着&リサイクルの店「素人の乱」を高円寺に出店。現在、素人の乱5号店店長。
松本 哉 さん(素人の乱5号店店長)
東京・高円寺に「素人の乱」というムーブメントが起きている。カフェや古着、リサイクルショップ、定食屋など10店舗あまりの店名であり、またインターネットラジオの名称でもある。
担い手は企業社会になじめない若者やフリーターで、さながら素人の乱は高円寺に生まれたコミュニティの様相を帯びている。この運動の立役者が松本哉さん。当初、「貧乏人大反乱集団」というグループを作り、町で楽しく暮らすためのさまざまな活動を行ってきた。
社会が秩序だって清潔になればなるほど管理の度合いは高まる。その高まりと足並みをそろえるように、生活全般がお金なくしては何もできない仕組みになっている。そんな中、松本さんは、お金に頼り切らないでやっていけるおもしろい町をつくろうと試みている。その発想とこれまでの経緯について尋ねた。
高校の頃までは、普通だったんです。でも大学に入ったら、ものすごくびっくりする経験をして、そこで価値観が変わったって感じです。
入学したのは94年、当時の法政大学はまだ薄汚くて自由な感じ、というか何でもありの雰囲気があって、学生運動もまだわずかに残っている珍しい大学でした。
学生運動なんて自分にとっては、イメージ上のもので、実際を知らなかったんだけど、キャンパスで学生と教職員のあわせて数百人が大乱闘し、それで学生の言い分が通ったりして、そんな光景を見たら「うわ、こういうこともあるんだ」と驚いた。「いままでの普通の価値観が逆になることもあるんだな」とわかってからは、自分の中の何かが変わった。

大学は、価値観を揺さぶる意味でいいところなんだなと思ったけれど、大学側としては、学生運動が盛んであることよりも、普通の企業に役立つ普通の人材を育てることが大事で、キャンパスもビルみたいにきれいに建て替え立てようとしていた。すごく汚いけれど24時間出入り可能で、自由な使い方ができる建物も再開発しようとしていて、そういう場所に宿る雰囲気がなくなってしまったら大学じゃない。そんなんじゃ居心地も悪くなるし、おもしろいこともできなくなる。貧乏臭い感じのほうがいいんじゃないか?と思ってました。
とりあえず学生の要求が通る現場を見ていたから、自分の意志を出すことはかっこいいなと思っていて、かといって学生運動に入り込むでもなく、薄く仲間になる感じでした。彼らはまじめなことを言うけれど、誰も聞かない。
その一方で野宿同好会というところに入って、山手線を20周するとか頭に墨つけて人間筆をやったり、わけのわからないことをしてました。
でも、そういうことをやると評判がいいし、すごく注目される。それにやっていておもしろい。自分のセンスを発揮して、なおかつ自分の言いたいことを言えたらストレスもない。人に伝えることを考えたら、そっちのほうがいいなと思うようになりました。
バカなノリで言いたいことを言えたらいいなと思って、「法政の貧乏くささを守る会」をつくりました。大学がやたらと「企業の役に立つ」「就職に有利」と言ってたので、何の役にも立たないわけのわからないことばかりをしようと思ったわけです。
最初にやったのは、学食値上げ反対運動。「ご飯の量も少ないのにふざけんじゃない」というわけで、「学食突入集会」のビラ数千枚を学内に貼って、とりあえず「すごいことになっている」という雰囲気をつくりました。値上げといっても20円ですが(笑)。
友だち3人ではじめたのに、当日150人くらい集まって学食に乱入し、「高いぞー」「食い逃げするぞ」とかシュプレヒコールをしました。結局、20円の値上げは一時的に見送られたけど直に戻ってしまいました。
ただ、「ご飯の量が少ない」という抗議については、それからは秤で量るようになったので、地味な勝利を得ましたね。

団体交渉に応じない総長に抗議して、窓口の前でクサヤを焼くとかやってました。
あとは、高校生を集めて大学の説明を行うオープンキャンパスがあるんですが、そういうセミナーで配られるパンフレットを見ると、いかに就職に有利だとか、企業に役立つ即戦力になるかとか書いてあって、それに釣られて入学する学生なんてろくなもんじゃないし、余計に大学がダメになる。これは蹴散らさないといけないなと思い、そこで当日、スーツを着て、受付のテーブルを出して、大学のパンフレットとそっくりなものをつくって、「就職率が最悪です。そのかわり夜も開いているいい大学です」とか書いたのを配ってました。
なんせ会社に役立つ人間を育てるためだけの大学なんて最悪じゃないですか。そうこうしていたら、早稲田大学の学長やオリックスの宮内会長などを集めて、学生をもっと企業の即戦力になるよう育てるためのシンポジウムが開催されるというんで、とりあえずこれも「蹴散らさないといけないな」と思いまして、押し掛けてペンキをつめた風船をぶちまけた。そしたらお偉いさんは逃げまどい、僕は逮捕されてしまいました。
それにしても大学がキャンパスに警察を入れるなんて、昔だったらありえないことです。政財界のお偉いさんが来ていたので、メンツもあったんでしょう。
周りは就職活動をはじめてましたが、僕は何にも考えてなかったですよ。ちょうど就職状況が悪かった時期で、100社受けても決まらないという話はよく聞きました。
高校までは「世の中って案外つまんないな」とか「企業に入るのはつまらなさそうだけど、そういう人生歩むのかな」と感じていて、でも「なんかおもしろいことはないかな」と思っていました。
実際、大学に入ったら本当にわけのわからない人がいっぱいいました。卒業してフリーで働いている人が遊びに来たり、大学に住み着いていたり、何をやっているのかわからない人がたくさんいて、そういう人を見ていたら、「何とかなるんじゃないか」と思って、いつの間にか就職しようという考えはなくなりました。
とりあえず親は何も言わなかったです。オヤジは作家で、母ちゃんは「自給自足生活をする」とかわけのわからないことを言い出して、長野や北海道へ行くような人なんで、「真っ当に生きろ」とは言わなかったですね。両親は僕が高校のとき離婚して互いに好き勝手やっていました。真っ当に生きてないふたりを見ていて、のびのび生きるのが一番だと感じましたね。
とりあえずやりたいことを優先して、あとは割り切って普通にバイトすれば、そのうち何か見つかるかなと安易な考えを持っていました。
学生の頃からリサイクルショップでバイトをしていて、それにはおもしろ味を感じていました。もともとフリーマーケットや雑貨が好きだったし、バイトをやっているうちに商売にしてもいいと思うようになって、それがいまの店につながっていますね。
いちおう店を出すまでの3年間を下積みといえばそう呼べるかもしれないけれど、楽しいから苦労は感じなかったですね。
というよりも、苦労が人を育てるなんて嘘ですよ。苦労はしないほうがいいし、好きなことをやったほうがなんとかなるもんです。

学生のときは、町で遊んでもそこの住人という意識はなくて、でも、いざ仕事をはじめると町が「自分の居場所」という感覚になってきました。そこで改めて周囲を見回すと、何をするにもお金がかかることに気付いたわけです。それってすごくおかしいでしょ。
昔なら駅前でギターを弾いても、ものを売ってもそんなに文句も言われなかった。でも、いまはそうじゃない。それに駅の待合所は、ただで休憩できたのに、ドトールやスターバックスが入ってきて、挙げ句のはてには、公園で友だちとたむろしているだけで、警察に職務質問される。そもそも公園ってたむろする場所でしょう?
金をかけなくても公共の場だから楽しめる。それが町の本来の姿のはず。そういう中から文化ができるわけですからね。
金持ち=悪とは思っていないけれど、いまの生活スタイルは、金をかけて何かやるってことが前提になっていて、それを悪用して企業はひたすら金を使わせようと宣伝している。しかも、まんまとそれに乗って「遊ぶためには金が必要で、そのために働かないといけない」と思い込んでしまった人が変なサイクルで暮らしている。そういうのが気持ち悪くて仕方ない。
子どものときは何もなくても勝手に遊べたのに、大人になるとひたすら金と何かを交換するだけで、自分で考えようとしない。
そんな頃にちょうど六本木ヒルズができあがって、「敵の最大の拠点が登場した」みたいな感じだったんで、これは懲らしめに行こうと(笑)。
とりあえず六本木ヒルズができて最初のクリスマスに粉砕集会をやることにしました。どてら着て、ちゃぶ台持って鍋をするという集会ですが、ものの見事に警察に排除されました。
というのも景気よく宣伝しすぎて、鍋をやるだけなのに「六本木ヒルズを火の海にしよう」とやたらテンションの高いくだらないビラを何万枚も都内に撒いたせいです。警察もすごいことが起きるんじゃないかと思ったらしく、クリスマスツリーのあるデートスポットに警察が300人くらいびっしりいて、僕らが鍋とか野菜を持っていたら「おまえら何やんだ。鍋やるんじゃないだろうな?」と言われ、「いいじゃないですか鍋くらい」「ダメだダメだ」という押し問答の末、排除されました。
まあ、その時点で六本木ヒルズのクリスマスの雰囲気がむちゃくちゃになっている気がしないでもないですが。
ちなみに僕らのことを警察は「貧乏」と呼んでいて、まったく関係ない通行人に「おまえ貧乏だろ。帰れ」と言っていて、その人はショックを受けていました。それはちょっとかわいそうでしたね。

2005年にリサイクルショップと古着屋を高円寺ではじめてから、特に何か考えて計画的に行ったわけでもないのに、ニートやフリーターが勝手に集まってきた。なんだか僕をフリーターやニートの救世主みたいに扱ってくれる人もいますが、みんなそれぞれ好きなようにやっているだけです。気ままに集まって、その中の連中が勝手に店を開いている感じです。
でも、生きづらさって、そういう「勝手に好きなことをする」ことができなくて、二進も三進もいかないということが大きい。そういうことなら、僕らがやってることは、少しは現状の答えになっているんじゃないかとは思います。既存の流れに頼らなくても、自分達のやり方で勝手に店をつくれますから。
デモをやるためにでっち上げただけです。とにかく町をおもしろくしたいけれど、その上でいま一番気に入らないことはなんだろうと話していたら、「買い物するためにとめて置いた自転車が撤去され、しかも3000円も取られるのはとんでもないな」という話になり、じゃあ自転車撤去反対デモをやろうということになりました。
デモをするには警察に届け出をしないといけないから、「高円寺ニート組合」というのをつくって、「ニートなんですけど、友だち3人とこの辺でデモやりたいんです。車はさおだけ屋に借ります」と申請したわけです。
いざ始まるとでかい2t車の上にバンドのセットとDJブースなどのサウンドシステムを載せた車が登場するわ、150人くらいが参加するわで、駅前は騒然となりましたね。
警察はニートがデモをするというから高をくくっていて、10人くらいしか出動してなかったために対応できなかった。後ですごく怒られました。
でも、やるたびに警察はやたら過剰警備するから、これはいけないなと思って、だから反政府デモとか相当いかつい感じのタイトルをつけて「うちらついに本気を出す」みたいな感じで申請して、「参加者は400人でクリスマスイブと大晦日に行う」としておいて、何人かが様子見いくだけで、当日行かないという「すっぽかし」もやりました。案の定、警察とか機動隊が400人くらいいたみたいです。
「デモはちゃんとやるから警備なんかしなくていいですよ」と言って申請しているのに、いつも必要以上に来る。両側に機動隊がびっしりついてデモをやるなんてよくないから、とりあえず区議選に出ようと思いました。それだと演説はどこでやってもいいし、警察にも邪魔されない。
公約は「自分たちの町は自分たちで作る」「町ぐるみで物を捨てない社会」「金がないヒマ人でも何でもできる社会」を軸に、放置自転車の撤去反対、無料の区営住宅をつくるとか監視カメラの撤去を訴えました。
別に自転車放置がいいわけじゃなくて、上から押さえられて町が秩序だっているのがよくない。自分たちの手で町をつくっていく。その観点がないと町はたんなる中央の出先でしかなくなります。
当然反対の声も聞こえてきます。「せっかく行政のおかげで町がここまで整然としたのに元に戻してどうするんだ」と、行政のほうが大事だと思う人もいます。あとはバカ騒ぎしているだけに見えるからけしからんとか(笑)。
おもしろいのは、商店街の人たちは意見に共鳴するかどうかはともかくとして、「あそこのリサイクルショップのお兄ちゃんががんばっているから」と応援してくれたことです。わりと歓迎されていて、選挙の後、商店街の役員になりましたよ。

店であれ何であれ、自分たちの力でできる環境がどんどん育ったらいいなと思っています。というのも、普通のルートだと不動産屋にすごい保証金を出して物件を借りないといけないし、仕入れも全部業者に発注したら、すごく金がかかる。
でも、人づてに物件を紹介してもらったり、内装の得意な人にお願いしたりと、みんなで力を合わせたら安くできる。そうやって、もっとみんなが好きなことをできる流れがどんどんできたらおもしろいですね。
高円寺の「素人の乱」みたいな動きがほかの町にもできたらいいなと思ってます。人脈が広がって、「あそこの町なら、あの店のあの人に聞けばいい」というふうにつながりができたらみんな生きやすくなるし、町もおもしろくなる。
自分の考えで動くことです。「これはおもしろい」と思ったことに動けるかどうか。会社組織に所属して仕事することを好きな人もいるだろうし、それは立派だと思うけれど、漠然と大学へ行き、何となく就職して半端に出世して、社会的にどういう意味のある企業体なのかも考えずに働いている人は、一人前の大人じゃないと思います。
だから10代のうちは、とりあえず遊ぶことを勧めたいですね。好きなことをできる余裕がないとやりたいことも見つからない。さんざん遊んだからこそ「これで飯を食っていこう」というのが出てくる。それを考える余裕も与えないくせに、ああだこうだと言いたがる人が多い。
特にいまは格差社会だということで「うかうかしていたら生きていけない」「こうやって生きないと人としてダメだ」といった脅迫めいたことを言う人も多い。自分がやりたいことができなかったらといって、人にもそうしないようにさせようなんて最低ですよ。
そういう話をいっさい聞かないで、全部逆のことをやってみるのもいい。「そんなの聞かないよ。知らないよ」って、それくらいやってみせて、びびらせないと相手はつけあがる一方ですよ。こちらがびびって、「まじめにやんなきゃ」と思うと調子に乗るから、強気の態度が必要ですね。
旅の中でいろんな価値観の人に会うことができたのはよかった。本当に世の中にはいろんな人がいるなと実感しましたね。いろんな人とコミュニケーションをとった経験がいまから思うと役に立っています。
特に海外にひとりでいくと、人見知りだなんて言ってられないし、どうしても折り合いつけなければいけないこともあります。
中国に行ったとき、バス停でバスを待っていたら、いきなりナイフを持った男に、「金を出せ」みたいなことを言われました。とりあえず「言葉がわからん」みたいな感じでごまかした。わかんないふりと言っても、相手はナイフを出しているんだけど(笑)、それでも「なになに?」って感じでいたんです。その強盗も間抜けで、「何を言っているのか紙に書け」と僕が身ぶりで伝えたら、ちゃんと書いて寄越したんです。
たぶん「ぶっ飛ばすぞ!この野郎。金を出せ」みたいなことを書いてることが何となくわかったから、「これはやばいなぁ」と思ったけれど、それでも漢字がわからないふりをして、辞書をひいて、時間をかせいてでいたら、やがてバスが来た。それで「このバスに乗んなきゃいけないんですよ」みたいに感じで振り切りました。
旅に出ると全然違う価値観の人や状況が次々登場します。「こんなキャラでもまだボスキャラじゃないんだ」とか「こんな人間でも生きていけるんだ」という思いをすると、そんじょそこらの人間には驚かなくなります。そういう経験は後ですごく役立つ思いますよ。

Hajime Matsumoto
松本 哉
1974年、東京世田谷区に生まれる。94年、法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」結成。学食の20円値上がりに怒り集会を開いたことを皮切りに、学費値上げやキャンパス再開発等に反対する活動を行う。卒業と同時に「貧乏人大反乱集団」結成。貧乏人のための雑誌『貧乏人新聞』を創刊。05年、友人と共同で古着&リサイクルの店「素人の乱」を高円寺に出店。高円寺ニート組合を結成、放置自転車撤去反対イベント「俺のチャリを返せデモ」、中古家電の売買を規制する「PSE法反対デモ」などを高円寺で起こす。07年、杉並区議選に出馬するも落選。現在、素人の乱5号店店長。