

Karin Amamiya
雨宮 処凛
北海道生まれ。21歳のとき右翼団体に入会、愛国バンド維新赤誠塾で活動するがその後右翼団体を脱退。2000年『生き地獄天国』を出版。生きづらさや自殺の問題について多数の書籍を発表。
雨宮 処凛 さん(作家)
いじめの体験やリストカット、オーバードーズ。さらには右翼活動に参加するにいたった経緯など、雨宮処凛さんは、現代社会の生き難さを赤裸裸に書き続けてきた。ここ数年、フリーターの問題について積極的に発言、執筆を行っている。いまの日本の生き難さの一端は、労働問題が色濃く影を落としている。その自覚が精力的な活動の背景にあるという。さまざまな活動と思想遍歴を経た雨宮さんの目に映るフリーター問題とは、そして日本社会とはどういうものなのだろうか。
昨年に行われたフリーターメーデー(注1)に参加したことがきっかけです。それまでの10年くらいは、自殺未遂をしたり、リストカットを繰り返すなど、ずっと生きづらい状態にありました。そういう経験を書くことによって、じょじょに整理されてはいましたが、突破口が完全に見えてはいませんでした。そうこうするうちに、周囲で事故か自殺かわからない人を含め、数十人が死にました。そのときは、心の問題だと思っていましたが、生活状況を考えたり、調べたりするうちに、自殺した人は、不安定な生活をしていたことがわかりました。フリーターという不安定な状況や鬱病で働けないという状態です。
しかも、彼らの鬱病のきっかけは、就職活動で100社以上受けたものの、すべて落ちたことなどにありました。
バブル経済崩壊後の不況の影響を被った世代は、学校を出ても、まともな生き方ができていない人が多い。自殺の原因は、実はそれが大きいんじゃないか。さらに、調べてみると、95年に日経連が働く人をみっつにわける提言をしていました(注2)。また派遣法の度重なる改正により、実は若い人が不安定で貧乏にならざるをえない制度になっていたことに気付いたことが大きいです。

19から24歳までフリーターでした。高校くらいからリストカットをしていましたが、フリーターの頃がいちばん激しかったのですが、生活がとても不安定だったからでしょう。
しょっちゅうクビになってしまったり、即日解雇されたりすると自分が誰にも必要とされていないと思うし、精神も不安定になりますね。
まじめに働いてもフリーターの収入で生活がまかなえたわけではなく、家賃を払えないときには、親に泣きついていました。「親が死んだらホームレスだな」と当時から思っていました。
実は正社員も大変だということも、この間に知りました。弟がY電機で働いていて、18時間労働という激務で死にそうになっていました。それまで正社員はフリーターに比べて楽なんじゃないかと思っていたのですが、周りの同世代や少し下の世代がとんでもない働き方をさせられていることを目の当たりにしました。8時間労働している人など見当たりませんし、フリーターも正社員も大変で、どちらの生き方をしても安心できないのがいまの現状です。
たとえ心身ともに健康な人でも、いまの正社員に要求されている長時間労働だと、やっぱり鬱になります。病気が非常に近くなっている感じがあります。
鬱になると働けない。特にフリーターだと鬱になっても社会保障がない上に、若いというだけで生活保護もなかなか受けられません。
私の周りで鬱病になった人は、家賃を払えず、電気、水、ガスが止まる中で自殺しました。自殺していなかったら餓死していたろうなという人も多いです。
そういう人も生活保障の制度があれば死なずにすんだ。最低限のセーフネットすらいまの社会にはありません。
そうでないことに気付くまでに10年かかりました。バブルの頃のフリーターのイメージは、「好きでやっている」です。バブル崩壊後も、そのイメージはつきまとっていましたが、私の場合、就職できないから諦めてフリーターをしていただけです。
高校卒業後、2浪してフリーターになりました。不況の中、いい大学を出ても就職できない人が多かったので、自分が就職するのは、まず無理だろうと思っていました。
就職できず不安定な立場にいるのはつらいので、「好きなことをする」「やりたいことを探すため」というふうに置き換え、当事者である私が問題をすり代えていたところもありました。自分で選んだのだから、つらいとは言いませんでしたね。
そういうわけで、状況に怒りを抱くよりも、「好きでやっている」と思い込んでいました。ところがさらに生活事情は悪くなっていき、同世代が30代になると、バイトも採ってくれなくなります。そういう人たちがホームレス化し始め、そこで初めて「ちょっと待てよ」と思いました。何も私は好きでフリーターをやっていたわけでもないし、実は好きでやっているというのは、世間の思い込みであって、社会に出るとき、就職の機会から弾かれたんじゃなかったのか?と気付いたわけです。

騙されているというか、問題を先延ばして、考えないようにしていました。冷静に考えると、20代が年収マックスということはわかっていました。20代で年収100万だとしたら、30代でも時給は大して変わらない。だけど、体にはがたがくるし、そうなると精神的にも続けるのは厳しい。
高年齢になってもフリーター的な働き方をしなくてはいけないけれど、確実に稼げなくなっていく。20代でさえ月に15万も稼げないのに将来のことを思うと愕然としました。
その現実を直視すると「自分たちの将来はホームレスだよね」という話にしかなりませんでした。
20代はバンドやっていた人が30代になって夢を諦めて、就職しようとしました。でも、日本にはそういう生き方を変更する人の受け皿がないから相手にされません。就職氷河期ならなおさらで、それで自殺した人がふたりいます。そのときは、自分も将来ああなるんだろうなと感じていましたね。
実際に会った石原慎太郎氏をはじめとした政治家は、ホームレスもネット難民も「好きでやっている」とか「意外とお金を持っている」と発言するなど、現実をわかっていません。フリーターや非正規雇用を「だらしない」「能力がない」といったように「最近の若者は〜」という語り口で判断しようとする。そういうことを言うのは、10年前ならともかく、いまや無知で恥ずかしいことです。
フリーターはやる気や心の問題ではなく、明らかに産業構造の変化の問題であり、グローバリゼーション、経済市場主義のネオリベラリズムの問題であり、雇用の変化と規制緩和から生じたことです。
そもそも経済企画庁は85年に団塊ジュニアの世代全員が正規雇用を全うするのは無理だと指摘していました(注3)。早い段階で問題が指摘されていたのですから、現状は明らかに政策の失敗によるものです。
バブル期の大卒の就職率は80%台、2000年は55%です。この差は自己責任の問題ではありません。上の世代が終身雇用で働けた状況とあまりに違う事態が起きています。
むしろ左翼ではなく右翼に行ってしまいました。最初は左翼の集会に参加したこともありますが、そこで話されている言葉がわかりませんでした。それに自分の置かれている状況が「労働問題だ」という認識がなく、心の問題だと思っていたのです。クビになるたびに自殺したいと思っていたけれど、労働の問題だと思わず、「自分がダメだからいけない」「自分には何か足りないからダメなのだ」「自分が世の中から必要とされないからいけないのだ」。
つまり、全部自分の問題としてとらえていたわけです。そこで労働の構造問題だと気付いていれば、ずいぶん楽になったと思いますね。

それはダメな自分だからこそです。学校を出たものの、社会とどこにもつながりがない。そういう状態だと、どこかに帰属している人がうらやましい。
バイトはクビになる。どこにも帰属できず、個人として浮遊していて、共同体といえば国家だけ。つまり「日本人である」ということにしかつながりが見いだせなかった。
なかったです。当時から「幻の愛国」「幻の天皇」と言ってました。どこにも所属できないから、敢えて選ぶという感じです。ちなみに当時所属していた民族主義団体の同世代は、みんなフリーターでした。
フリーターは単純作業で使い捨てられる存在です。アフリカの飢餓や内戦の様子をテレビで見ると、「まだ日本人である自分は幸せだ」と思えるような、自分についての肯定感が日本人であることだけでした。
私としては、これにすがらないと他になにもない。だから、「これにはまっている私をどうか誰も否定しないでくれ」と思っていました。
赤軍派(注4)の人とも交流があり、その人が北朝鮮にしょっちゅう行ってました。それと私と同世代のよど号グループ(注5)の子どもたちが北朝鮮に住んでいました。当時、彼女らは20歳くらいで、北朝鮮では就職できないし、結婚もできない。学校を出ても中途半端で、日本に帰国したいけれど、パスポートもない。電話で彼女らと話すようになり、それで「来てみないか」と誘われて行くようになりました。
まず、日本語のできる特別な人としか接していないので、北朝鮮の実態はわかりませんが、「三丁目の夕日」のような素朴な人が多く、昔の日本みたいでした。ただ、その一方で大量の餓死者はいたわけですが。
よど号グループの子どもたちが、「私たちは主席がいるから生きていける。みんながひとつの価値観でまとまっていて、いじめもない」と話しました。それはある意味、うらやましいなと思いました。そういうのは、右翼の求めている国家の像とも合致します。故郷への愛に溢れ、みんなが団結している姿はいいなと思いはしました。と同時に窮屈にも感じました。
結局、私は右翼と左翼の違いもわからないまま、まして愛国心もないまま活動に入ったわけです。ただ、生きづらく、リストカットを繰り返し、この生きづらい社会を考えたいのが活動のきっかけでした。
右翼にひかれたのは、彼らの物質主義と拝金主義への批判でした。ものやお金が人の命より優先される世の中で、生きづらいのは当たり前だと主張していて、そこにひかれた。
しかし、そこにひかれても右翼としてのワンセット、「あの戦争は正しい」や「東京裁判史観打倒」だとか「戦後民主主義批判」だとかを引き受けないと、団体にい続けることができません。でも、そういうところが違うのではないかと思い、合わなくなっていきました。
99年の国旗国歌法や周辺事態法の成立が大きかったです。右の人が求めているものが実際に到来してしまったとき、何と言うか少数派がアンチテーゼとして言っていることと国をあげて行うことは違うわけで、そこに戸惑いを覚えました。そういう感慨は小林よしのりさんの『戦争論』に熱狂している周囲を見ても感じました。
確かに、小林よしのりさんの漫画には、当初自分の正しさが証明されたようで、うれしく感じていたのですが、熱狂している人は、みんな特攻隊に憧れるようになって、でもそういう人はフリーターだったりするわけです。それにとても萎えました。
そういうものを求めてしまう自分は何だろう。この時代とは何だろうと、少し退いて見るようになりました。あとは、自分が思想に依存していることに気付いたことが一番大きかったです。
でも、依存したもので偉そうなことを言ったり、歴史を勉強しないままに、右翼の主張する内容をそのまま唱えることは危険で、そのほうが耐えられない。それを続けていると病むか思考停止するかしかない。それが恐ろしかった。
それからは確かに困りましたが、本を書くようになって、整理するようになると、自分で何か探すしかないし、それに開き直ってしまおうと思いました。

この一年くらいですね。精神的な問題としてとらえても出口がないし、不完全燃焼を感じていました。労働問題であり、ネオリベラリズムの問題であると気付いたことが突破口になりました。
まずホームレス化に驚きました。7年ネットカフェに住んでいる人がいましたが、彼は日雇いで月収8万円。それでは毎日ネットカフェにいられないので、週に3回は夜通し歩き続け、始発とともに京浜東北線に乗り、大宮までの往復の電車内で仮眠をとる。それを7年続けていました。
また、35歳でホームレスになった人は養護施設で育ち、正社員として働いていたけれど、トラブルがもとで辞めました。住み込みの仕事だったので、退職と同時に家も失い、そのままホームレスになりました。頼れる親もいない。所持金が底をついて、2週間なにも食べなかったそうです。7日間、何も食べないと胃がひっついて痛くなるけれど、それを過ぎると体の脂肪を使い出すから楽になるそうです。その話を聞いて、本当に21世紀の日本なのかと思いました。そういう話をきくとフリーター層からいつ餓死者が出てもおかしくないと思います。
ネットカフェの寄せ場化もそうですが、敷金礼金0円をうたう物件は、家賃を一日滞納したらすぐ追い出されます。そうしてフリーターがホームレスになる過程では、人材派遣会社がもうける仕組みだとか、サラ金だとかの貧困ビジネスが成立していて、そのことにショックを受けました。
向こうはそもそも違法行為をしているので、ちゃんと声をあげれば主張は通るのだということが、ここ一年でわかったと思います。
若い人ほど非正規雇用率は高く、24歳以下だと50%。ふたりにひとりはフリーターか派遣です。フリーターを積極的に採用したい企業は1.6%と、非正規労働者は、なかなか正社員になれません。非正規だと給料があがらないので、結婚もできないし、特に女性の場合、このままいけばフリーター第1世代の層は年齢的に出産を諦めざるをえなくなります。
非正規雇用の8割が月収20万円以下という数字もあります。10万円もざらにいますが、それでは生存していけません。一方、正社員でも残業代が出ず、時給にすると500円なんて人も沢山います。
賃金は安く、自己責任だとバッシングもされ、保証もされない。不利益を一定の人に押し付けるのは明らかにおかしい。労働の問題は、格差というか生存のかかわる貧困の問題に入ってきています。
まず自分が生き延びるためにどう食べていくか。ひとりでも食べていけるようなスキルは重要です。一番安心できるのは、新卒で大企業に就職して、そこにしがみつくことですが、それでしか安心を得られないのは、あまりに息苦しい社会です。そうしたい人は、そのために自分を磨けばいいでしょう。
でも、私はそうでなくても生きられる世の中にしたいし、いまの企業のあり方や人を使い捨てにするやり方に迎合する必要は全然ないと思っています。むしろ、そちらに合わせてしまっては、過労死かホームレスかの選択になってしまうと思います。
私が若い人に言えることがあるとしたら、もし、いまの社会のおかしさを感じたのなら、それの何が違法なことなのか。こういうことをやられたら怒ってもいいんだといった知識を得ることを勧めたいです。
そうすることで自分ひとりが勝ち残るだけでなく、普通に働いて生きていける世の中を目指してくれたらいいなと思います。

(注1)派遣やアルバイトで働く人たちが主体となり、待遇改善を訴えたデモ。「フリーター全般労組」が始めた。
(注2)日経連は95年、「新時代 の『日本型経営』」と題し、今後の雇用の形態として、長期蓄積能力活用型・高度専門能力活用型・雇用柔軟型の三分類を提言した。その後、終身雇用制度は崩壊し、労働力の流動化、雇用の柔軟化は進んだ。提言で言われた雇用柔軟型とは、フリーター層の増大を見る限り、あくまで企業にとって柔軟であり、労働者にとってはそうではないという批判は外れてはいないだろう。
(注3)経済企画庁が85年に報告した『21世紀のサラリーマン: 社会:激動する労働市場』は、日本型雇用慣行の危機の到来を指摘。2000年には、団塊世代部課長の割合は半減、団塊二世のすべての新規卒業者が正規の就業者として採用されることは不可能になると予想していた。
(注4)新左翼の党派。革命には軍事力が不可欠であり、戦争により勝ち取られるという立場から、軍の創設を主張した。
(注5)1970年 3月、赤軍派9名 は日本航空機「よど号」をハイジャックし、北朝鮮に亡命した。その子息が北朝鮮で生活していたが、メンバーの子息が2001年5月に帰国して以来、既に大半が帰国している。
Karin Amamiya
雨宮 処凛
作家。
北海道生まれ。21歳のとき右翼団体に入会、愛国バンド維新赤誠塾で活動するがその後右翼団体を脱退。2000年『生き地獄天国』を出版。生きづらさや自殺の問題について多数の書籍を発表。主な著作に『生きさせろ!難民化する若者たち』『雨宮処凛のオールニートニッポン』『すごい生き方』。
公式ホームページ
http://www3.tokai.or.jp/amamiya/
すごい生き方ブログ
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/
【雨宮 処凛さんの本】

『プレカリアート : デジタル日雇い世代の不安な生き方』
(洋泉社)

『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』
(祥伝社)

『ワーキングプアの反撃』
(七ツ森書館)