

Makoto Kuriya
クリヤ・マコト
神戸生まれ。アメリカ、ウエストヴァージニア州立大学言語学部卒業。在学中から地元ライブハウスなどで音楽活動を始める。現在は日本を拠点に毎年欧州公演を行い、常にワールドワイドに活動を展開する異才。平井堅などポップスのプロデューサー、映画音楽監督としても活躍中。
クリヤ・マコト さん(ジャズピアニスト)
「元来音楽というものは、生きていくのが困難な人にこそ最も必要とされてきた」 とジャズピアニストのクリヤ・マコトさんはいう。専門的な音楽教育を受けることはなかったものの、コミュニティで生きる黒人の哀歓を知り、音楽の神髄に触れた経験が人生の転機になったという。そして、その音楽の神髄とは、「真理と対面する強さ」だという。ジャズという音楽と真理とは、いったいどういう関係があるのだろうか。
子どもの頃から誰か先生について専門的にピアノを習ったたわけではなく、基本は自主的に何かおもしろいことをしようというモチベーションで弾いてました。そしたらジャズに出会い、ジャズを好きになりました。
高校生のみなさんも学校で友だちとバンドを組むことがあると思うけれど、僕もそういうノリでたまたまバンド活動を始めたのです。
高校卒業後、アメリカの大学に留学していたのですが、夏休みになってすることもなく、ひとりで構内のピアノを弾いていました。クラシックではなく、ジャズを弾いているのが珍しかったのか、「うちのバンドでやらないか」と黒人たちが声をかけてくれた。彼らとの出会いで、僕は「音楽は生きていくことが困難な人のためにある」と心底知らされた気がします。

60年代に公民権運動があったといっても、アメリカ社会の根本的な部分はあまり変わっていません。黒人たちは、いまなお生きることに困難な状況にあります。能力があっても貧困から脱するチャンスがない。仕事は白人から採用され、黒人から解雇される。とにかく貧乏くじばかり引かされています。皮膚が黒いというだけでハンデを負っています。
文字通り、生きることは戦いで、だから音楽は彼らにとって、自分を解放するためのものでした。
ゴスペルがそうですが、しゃべっていることが歌になるように、ご飯を食べたり、話しているうちに、気分が高まってくるとそれが歌に、リズムになっていきました。音楽家として音楽を奏でるのとは違って、生活の力強さが音楽の強さにそのまま反映されています。
それだけ彼らは人生のよりどころとしてジャズを選び、生活に足りない活力を求めていました。
僕はアドリブが好きなので、そういう意味で、ジャズがいちばんクリエイティブに思えたからです。
アドリブだけならクラシックでも可能だし、譜面の解釈や表現で弾けますが、ジャズはそれよりもさらに白紙に近い状態から即興で演奏できます。そこに魅力を感じますね。即興の要素だけでなく、独特の精神状態になれることも魅力です。
前衛的なものからヒップホップやほかの音楽とクロスオーバーすることもでき、そこも魅力に感じました。あとはノリですね。とにかくノリがよかったんです。
高度成長期は、大企業のサラリーマンになることをお手本とする時代でした。音楽は好きでしたが、そんなに詳しいわけではありません。だから、食べていくには、普通の学問を専攻しようと思って留学したわけです。それが音楽とどうオーバーラップしたかといえば、ようは運命ですね。
まじめな話、音楽を学校で学ぼうとしたら大変です。音大を受験する準備も必要だし、ジャズの専門学校となるとバークリー音楽院などいくつかしかないから、ボストンに引っ越さないといけない。
ところが実際に活動している人は、運命に導かれはしても、音楽大学を出てない人は多いのです。音符は問題になっても学歴は問題にならない。音がよくなかったらどうしようもない世界ですから。

日本で音楽大学とか総合大学に通っていたら経験できないことが多かったです。リハーサルをしようとしたら、誰か来なかったり、部屋の電気やガスが止まっていたりと、彼らの生活が本当に安定してないから、音楽にトラブルはつきものでした。
アメリカの中産階級以下の黒人の占める率は高く、そうした家庭では常に口論があり、赤ん坊が火のついたように泣き、売り言葉に買い言葉が飛び交うといったものでした。お金がない、仕事がないなど常にトラブルがありました。人種差別をはじめ、彼らを取り巻く環境はヘビーです。僕も危ない目にあいましたが、黒人コミュニティに助けられて学生生活を送ることができました。
純粋に音だけです。アメリカにいたら僕も有色人種だけど、日本ではアメリカのような激しい人種差別はありません。アメリカの黒人はヨーロッパだろうが、アフリカへ行こうが差別されます。黒人は最後まで差別され、逃げるところがない。彼らは最後の手段という感じで音楽をやっていて、それは「自分を表現したい」とか「有名になりたい」「食えるようになりたい」というものではありませんでした。
生活の中に苦しみはあっても、何の快楽もないため、音楽は現実からの解放手段でした。彼らとは言葉は通じても、バックグラウンドは違うし、何もシェアできない。だから音でわかり合うことしかできません。
まず音楽は楽しいものでないといけない。けれど、その中で真実を見るというか、常に真理と対面する強さがないと音楽はやれない。それだけ嘘や偽りや犯罪の世界が近接していたのです。
街には麻薬の売人がウロウロしていたり、セッションしていたら、警察に追われ怪我している人が紛れ込んできたりしました。おまけに治安を守る警察も信頼できないし、不当な理由で罰金を払わされたり、KKK(注1)に親戚を殺された人もいました。そういった虚偽や不正が渦まく中では、共通のイデオロギーを持った集合体でないと音楽はやれません。
そこで僕がどういう心境でやっていたかというと、おもしろい音楽をやりたい気持ちは強い。しかし、自分を曲げたり、偽ってはいけない。そうした意識がないと彼らとはつきあえなかったですね。
とにかく間違ったことがアメリカには多いのです。白人は自分の無知を顧みない。極論すると「白人が悪者」ということになりますが、僕らのバンドにも白人がいて、彼は間違った社会の中で真理を見極めようとしていました。
「これは絶対に間違っている」という基準がアメリカでは見えにくい。黒人のある冤罪事件で、「これは絶対に間違っている」と立ち上がったのは、カナダ人でした。不正が不正として指摘されないため、それを見極める強さが必要な国だと思います。
真実を見ようとする人間が集まってひとつの音楽をやろうというのは、いいことだと思いますし、しかもそれが靴屋やパン屋をやりながらジャズをしているんです。それはジャズが生まれた頃のニューオリンズの姿と変わらない。市井の彼らの中には、誰に教えられてもいないのに演奏のうまい、天才的な人がたくさんいました。

その考えは違うと思います。教育はないよりはあったほうがいい。でも、それはマストではない。もしかしたら障壁になるかもしれない。
音楽だと、「いい音を出す」がすべて。楽譜を読めるようになるのは、教育の賜物です。しかし、学校へ行っても行かなくても、楽譜は読めるようになります。さらにいえば、文字を読み書きできなくても人は生きていけます。教育があるのとない状態を比べると、あったほうが膨大な情報量を処理できるようになります。しかし、それだけの違いだと思います。
教育そのものに、音楽の本質はありません。実態はあるようでない。むしろ本質は音楽家の中のハートの部分で、それを表現するときにはじめて音楽が実態を伴うのであって、楽譜に本質が宿るわけではありません。
ただ、何をすればハートを鍛えられるかは誰も答えられません。それを人に尋ねるくらいなら、やらないほうがいい。
何も教えられていないのに、すばらしい演奏のできる人がアメリカの刑務所にいます。生活が苦しいから犯罪に手を染めてしまった若者たちです。僕の親友が刑務所でクリエイティブ・ディレクターとして囚人に音楽を教えていて、そのバンドは町にあるバンドよりもレベルが高い。教育は受けてなくても、譜面が読めなくても、人を説得できる音を奏でることはできます。つまり、その力強さは、動機に関わります。
僕の場合は、そうした強烈な動機はありません。しかし、何かおもしろいものはないか?という貪欲さがありました。
「常に外に目を向け、アンテナを張る」というと「情報は多いほうがいい」というニュアンスでとらえられがちですが、おもしろいものを探す過程で、僕は逆に情報をシャットダウンしていました。情報に翻弄されるくらいなら、ないほうがいい。オリジナルをつくろうという意欲が濃い音をつくるんだと思います。
音楽をやっていて、よりよくなりたいなら聴くしかありません。たくさん聴いて、模範のピアニストを見つける。
ただ、どのピアニストにもいいところと悪いところがあります。評価は絶えずふたつあって、そのとき悪いところを見て、「ダメ」と評価するのか。それとも悪いところはあるけれど、よいところもあるから、自分のために学ぶ姿勢を持つのか。経験的にいうと、前者は、批評家にはなっても演奏家としては進歩しません。趣味で聴いて「いい・悪い」というのはかまわないと思いますが。
でも、音楽と向き合うなら、ものごとをいいふうに見ていくことが必要です。
悪くいうと、即興演奏はデタラメです。何を弾いても怒られません。じゃあ誰でもできるのかといえば、そうでもありません。では、いったい何が違うのか? これは頭で考えてほしくないのですが、基本はパターンです。音楽に限らず物事はパターンで成り立っています。たとえば複雑な人体もDNAとか、細胞とか、分子といったパターンで成り立っています。
人のものの考え方もそうですが、パターンがあることで崩すこともできます。それがないと何も生むことができません。パターンとは、つまり最低要素のユニットです。それをつくりあげることで、何かが始まります。パターンがくっつくことで物事の推進力が得られます。
ドレミという音階も、短調と長調もパターンです。それらを知るとピアノを弾けるようになります。ひとつめふたつめのパターンを覚えたとき、何も考えなくてもみっつめが自然と出てきます。応用とは、そうした考えずとも生まれる推進力、勢いのことです。人間も最低ユニットの組み合わせの言葉を即興することでしゃべっています。

それも含めて可能性は無限にありますが、確かに間違っているものもあります。ピアノをいきなり拳で叩くのは、そういうやり方はありえるとしても、意味がありません。可能性が無限にある中でいかに意味が通じ、人が感動するものをチョイスできるか。それが本当の即興です。
パターンすべてが「即興だ」といってしまうと、猫がピアノに乗って出した音もそうなってしまいます。けれど、そういうものではない。
即興には、もっと自分の生活を振り返り、精神を掘り下げる行為が必要です。それがクリエイティビティにつながります。掘り下げる中で、その人にしかできないものがあります。ジャズの巨匠はそうやってスタイルを築いてきました。
でも、そういう結果だけを見て、彼らのフレーズ、パターンを学習し、「再生できるようになればいい」と思うのは本末転倒です。自分でパターンを編み出すだけの力がないとスタイルになりません。それはものすごく大変なことだから、相当な動機が必要になります。
チック・コリアはラテン系だということで苦労し、キース・ジャレットは白人だったから、相当の努力をしないと認められなかった。だから何かを始めるためには、尻込みしないで行わないといけないと思います。
外に出ることです。なるべく迷わずに外へ出てました。誰かのコンサートに誘われて、最初は面倒だなと思っても、結局行ってよかったことが多かった。これは尻込みせずに思いきってやることと同じだと思います。
あと、自分に有益で大事な話はだいたい口コミです。知らない人に会って、「この演奏がいいから聞いてみな」とか。雑誌はだいたい「どれもいい」と書いていて、だから信用できない。いまとなっては口コミの連続で活動の幅が広がったと思いますね。

(注1)
白人至上主義団体で、黒人をはじめとした有色人種や異民族、同性愛などへの排撃を掲げる。
Makoto Kuriya
クリヤ・マコト
神戸生まれ。アメリカ、ウエストヴァージニア州立大学言語学部卒業。
在学中から地元ライブハウスなどで音楽活動を始め、グラミー受賞者チャック・マンジョーネ、 民族音楽学権威ネイサン・デイヴィスなど多くの巨匠たちと共演。現在は日本を拠点に毎年欧州公演を行い、常にワールドワイドに活動を展開する異才。学生時代に交流を深めた黒人コミュニティの影響を受け、ソウルフルなプレイと鋭いナイフのような切れ味が特徴。時にジャズメンという枠に収まらぬヤンチャぶりを発揮し、平井堅などポップスのプロデューサー、映画音楽監督としても活躍中。最近は土岐麻子、MAYA、SFKUaNK!!、葉加瀬太郎&古澤巌、鈴木勲などのアルバムにも参加している。
<クリヤ・マコト公式ホームページ>
http://members.jcom.home.ne.jp/tothemax/
<クリヤさんの今後のライブ情報>
◆JAZZ LA CITTADELLA NIGHT♪ Xmas SPECIAL
12/11(火)川崎クラブチッタ(044-246-8888)
◆クリヤ・マコト+熊谷和徳 スペシャル・リズムタップ・コラボレーション
12/14(金)天竜壬生ホール(053-922-3301)
◆"Heat Up The Rhythm!" ツアー
〜クリヤ・マコト×熊谷和徳×フィリップ・シャイーブ×大坂昌彦〜
12/16(日)東京コットンクラブ(03-3215-1555)
12/18(火)大阪堂島ホテル(06-6341-3802)
12/19(水)京都RAG(075-255-7273)
12/20(木)名古屋ブルーノート(052-961-6311)
12/21(金)福岡ビルボードライブ(092-715-6666)