

Susumu Hirasawa
平沢 進
東京都出身。 1979年にP-MODELのメンバーとしてデビュー。テクノ・ポップ/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントの中心的な存在となる。 89年以降はソロ活動も行う。近年は『ベルセルク』『千年女優』『パプリカ』など、ゲームや劇場アニメーションのサウンド・トラックも手がけている。
平沢 進 さん(ミュージシャン)
日本のテクノミュージックの草分けとも称されることの多い平沢進さんだが、そのような評価をよそに常に新しい試みを行っている。ジャンルの垣根を超えて音楽性、裏声を駆使した歌唱法、太陽光を利用したライブ、音楽産業によりインフラが整備される前に音楽のネット配信を行った。そうした発想はどこからやって来るのか。そして音楽に何を託しているのかを尋ねました。
いろんな音楽があっていいと思いますが、恋愛ものは多すぎです。確かに恋愛は世の中を読み解く入り口に成り得ますが、特定の男女間の物語で完結してしまうような表現にはまったく関心がありません。私の場合、これまで影響を受けてきた物事や楽しんできたSF小説などから創作の動機が生まれてきます。
人々の生活には、それぞれ境遇や環境があります。そういった周辺の描写をすることで、そこに住んでいる人でいるリスナーがどう受け止め、どう考えるか。そこに関心を持っています。ある人物の個人的な物語を描くよりも、「こういう状況に置かれたら、あなたはどうしますか?」といった展開の仕方に関心があります。

たとえば、国や街、家族は、特定の秩序や世界観に従って組み立てられています。秩序や世界観というものは、本来は混沌としているものの中から削り出されてできるわけです。ですが人は削られて捨てられてしまったものに依然として共感するのです。そう私は思います。
しかし、特定の秩序や世界観の中では、その共感を生きられない。あってはならない共感だからです。では、その共感感覚や共感への欲求はどこに行ってしまうのか? そこに常に関心を持って見ています。
多くの人は特定の秩序や世界観に適合するように生きなければなりません。考え方自体もその秩序や世界観の流儀によって組み立てられているので、そもそも秩序や世界観そのものに気付くことも少ないのです。その一方、漠然とした違和感や欲求、不安がどこから来るのか分からずにいます。
たとえば脱落者と呼ばれている人がいます。その人たちは、いまある秩序や世界観の流儀から脱落しているだけであって、もっと違う世界観やもっと違う世界の異なる秩序の中で生まれたならば、天才と評価されるかもしれない。
私たちは、社会に大いに貢献する天才を脱落者にしてしまう流儀を生きているかもしれないのです。
インターネットが普及する前、コンピュータをインターネットにふさわしい環境に改めるための情報があまりありませんでした。私はその頃、秋葉原の裏路地に行き、いろいろなソフトウェアを探しました。そこにはいわゆるオタクと呼ばれる―太っていてあまりお風呂に入っていない感じの人たちがいっぱいいました。彼らは悪い印象を抱かれがちでしたが、そういう人の寄与するところが大であったため、インターネットが発達しました。
彼らは、ものすごく社会に貢献していた。ところがインターネットが明るい印象のものになり、「さあ、みなさん音楽をダウンロードしましょう」というレベルまで到達すると、そういう人たちの悪い印象ばかりが強調されるようになってしまった。
まったく同じものが、良いものから悪いものへと評価が変遷してゆく過程を逆行する視点にも関心があります。
少しずつそうなってきたようですが、きっかけは野球だったように思います。私は野球が嫌いで、それがゆえに友だちと一緒に遊べなかった。当時は野球が友だちになる上で必須でした。それに参加できない自分は排除された側になるわけです。
でも、そこで誇りを持たないとやっていけない。だから自分の好きなものを探しはじめました。それが大勢の人が好きでないものばかりになっていきました。別に対抗しようとするつもりもなくて、落ちこぼれた自分の誇りを回復しようとして、いろいろ探した末の自然な結果でした。
そうやって自分は何に関心を持ち、何が得意なのかを考えるようになりました。そうこうするうちに、大勢が簡単に同意してしまうようなことが、自分の立ち位置から見ると、たいして価値のない、ちゃちなものに見えるようになりました。
また、ひとたび自分の立ち位置から物事を見ると、大勢の人が同意することよりも、もっと楽しいことがいっぱいあることに気付きました。それにどんどんアクセスするうちに大勢の人たちとの距離が広がっていきます。ところが距離が広がっていくほど、多数派の人は私に関心を持ちはじめる。「おもしろいことをやっている」「珍しい人だ」というわけです。
もともとは野球でボールが取れない。それが恥ずかしいことからはじまった探求でした。でも、「取れなくていい」と思った瞬間から、遊びにはもっといろいろあることがわかった。
学校に通っている間は協調性がないと怒られるし、みんなと同じ題材を共有しないと寂しい思いをする。そういう環境が歴然とあります。でも、そこで「そうじゃなくていいんだ」という覚悟と誇りを回復する過程に入るための好奇心を獲得すると、みんなと違うほうがみんなと仲良くできることがわかります。
学校の授業のせいで音楽は嫌いでした。小学校で授業を受けた途端、「これは他の教科よりも自分を拘束し、小さな枠にはめてしまうものだ」という感覚を強く持ちました。音楽や図画工作はそういう枠から解放されるものだと思っていましたが、聴きたくない音楽を無理強いされるなど、音楽が大嫌いになりました。歌わされるのは嫌だと思っていたので、授業では頑として歌いませんでした。
そんな私が音楽を好きになったのは、エレキギターのおかげです。いまではエレキギターは誰でも知っているので、見てもさほどショックを受けないでしょうが、小学生だった私にとって、それは自動車のような塗装をしている薄い板にテコと電線のついたもので、「いったい音楽をやる道具なのか」と思ってしまうような、すごくSF的な代物でした。ショックを受けて、「あのへんな道具を自分も使えたらどんなに楽しいだろう」と、道具に関心を持ったことをきっかけに音楽への興味がわきました。
ただ、葛藤がありました。私が音楽をやっていることにみんなが関心を持つのですが、でも、どういうことをやっているかは説明できませんでした。説明しても理解してくれないことを確信していたからです。というのも、テレビで見られない、ラジオでも流れない音楽をやっていると話しても、周囲は自分たちの知っているものの中に当てはめて解釈しようとして、「こういうものでしょ」と言う。その反応に屈辱を覚えるようになり、だんだん隠すようになりました。
誇りが回復して、自分が好きなものはこれで、得意なものはこれだとわかると他人からの承認は大事ではないと思えてきました。
人前で自分を表現することに興味がありませんでした。自分のやっている音楽を言語化できないにしても、自分でははっきりと何がやりたいかわかっている。しかし、それを周囲に見せれば、確実に誤解を受ける。誤解を受けるくらいなら秘密にしておいたほうがいいと思っていました。
本来ならば何か得意なものがあれば、友だちに見せて「すごい」と言われたいと思うかもしれませんが、言われてもうれしくありませんでした。
よその学校の文化祭に出たことはあります。それは、演奏するからには人に聴いてほしいという純粋な欲求からです。自分の知り合いの前でやりたくなかったのは、人の評価がきっちり自分の思っている通りであってほしいと思っていたからです。よその学校なら、どう誤解されても日常的に接触しない人たちなので楽でした。
中学の頃は、パイロットになろうと思っていました。それを断念したものの、自分のしたいことは、はっきり決まっていませんでした。潜在的にミュージシャンになりたい思いはあっても、親の手前とか不安があって、自分で押し隠していました。
しかし、実生活でどう暮らしていくかを考えないといけない。でも心からやりたい職業はない。そういう状態が何年か続き、高校3年のとき、「音楽のプロになろうと潜在的に思っていることがいけない」と考え、音楽を止めました。ギターをしまい、モトクロスをはじめました。思いのほか楽しくて、これなら音楽をやらなくていいやと思いました。
あるときバイクの手入れをしていたら、腰まで髪をのばした少年が私を訪ねてきて、「一緒に音楽をやってくれないか」と言いました。彼はほかの高校の生徒で、ある人から私を聞いて来た。その「ある人」とは、私の尊敬していたミュージシャンで、その人が「平沢のところへ行け」と言ったのなら、「音楽をもう一度やれ」という意味だろうと解釈して、彼とバンドをはじめました。そうしたら、その彼がプロを目指していて、「世の中にプロを目指している人がいるのなら、あながち自分が目指すのも間違いではないのかな」と思い、一所懸命音楽をやり直すようになりました。

転身は強引でした。プログレッシブロックにも電子楽器は使われていて、叙情的な表現に使われていました。ところで、その頃、周囲では計算機のようなデジタル製品が町に安く大量に普及しはじめていました。それと自分たちがやっている電子楽器の扱い方との間に落差を感じはじめました。
つまり、電子機器として叙情性を表現できるレベルにある楽器と、単純な音しか出ない巷のデジタル製品との落差です。周囲から聞こえてくるデジタル機器の出す音は単純で機械的な「ピッ」といった軽い音です。生活を取り巻く電子音はそういうものでしかなかった。
叙情的で、いくつものプロセスを経て演奏が完了するプログレでは、安いデジタル機器や情報が次から次へと消費されていく生活のスピードに対応できないと思ったんです。
音楽とスタイルと環境との間の違和感を覚えはじめたとき、ニューウェイブ(注2)が現れます。そこで長くのびる音や、複雑で長い曲構成は止めようと思いました。ピッと途切れる電子音と、シンプルで速いテンポのスタイルを作ろうと思いました。
自分たちには電子楽器を使うことの必然性があって、それで世の中とのコミュニケーションを確立させようとするなら、自分たちの持っているテクノロジーを利用し、多くの人が共有しているテクノロジーに対する感覚やニュアンスを入り口にすることが合理的ではないか。そこで叙情性を切り捨て、テクノ感覚を採用したスタイルに変更しました。
それと同時にいくつもの段取りを経て音を聴くというのは、「ボタンを押して結果をすぐ出す」とか「CMで見た商品を次の日に買いに行く」「製品が3か月で壊れてしまい、次のものを買う」といった、テクノロジーの周辺にあるテンポやローテーションと一致しない。音楽の形態も再構築する必要がありました。そうであれば構成は止めるし、テクニックは捨てる。時代との合致と自分の表したいものとのズレは、その頃はありませんでした。
自覚的ではなく、好奇心が先に動くのです。好奇心があって、やると決めて、振り返るといろいろな変遷とともに音楽が変化していることに気が付く感じです。環境問題が起こって、二酸化炭素を発生させないことが求められているからではなく、突然ソーラパネルに関心を持つからそれを使う。後づけでいろんな説明はできますが、正直なところ衝動が先です。
インタラクティブライブやソーラパネル発電でのライブでもそうですが、実現しようとして壁に出会ったとき、その分野に先人がいるとやりにくい。ノウハウを残しているからです。人は何かを実現しようとするとノウハウに先に接触してしまいます。ノウハウに「人材や費用が必要」と書かれてあれば、それだけで挫折してしまう。だから誰もやらなかったことのほうが取り組みやすい。
確かに多くの人が時間をかけてつくりあげてきたマニュアルは、洗練されていて、誰もが利用できるものになっています。
インタラクティブライブでは、映像やCGを使いますが、これが「1分いくらかかる」「エンジニアが必要だ」といったマニュアルから入ると、段取りを踏まえないとできないなら無理だと思ってしまいます。しかし、ただひとりのアマチュアがインタラクティブライブを思い付いて、その分野に先人がいないなら何とかしようとするでしょう。
仕事を続けていくうち不可能性と必ず遭遇します。遭遇するときは、すでに踏み出しているから解決しようとします。実際、その人の能力や人脈の中で解決していきます。その試みよりも先にマニュアルがあると「これは無理だ」と諦めてしまいます。
クリエイティビティには、まず好奇心と表現欲求、それと孤独感に耐える期間が必要だと思います。誰も解決してくれない。その中でものを解決しようとする姿勢です。そのとき自分の中で孤独なセッションがはじまって、アイデアが生まれます。
「まず、こうやるのが常識だ」「あそこに行くには、この道を通るのが当たり前だ」。あえてその道を通らないのは孤独感と不安をともないます。違う道を行こうとすると、孤独感と情報不足の中で何とか次の一歩を踏み出す工夫をします。そうしていると思わぬ新しいものが生まれてきたりします。
いま私はウェブサイトで自分の音楽を販売していますが、最初はひとりでシステムを構築しました。ウェブ上で動くプログラムについて何も知りませんでした。CGIのスクリプトを眺めて、「これを変えるとどうなるかな」とやっているうちにできてしまった。確かに無駄も多く、プロが見たら爆笑する内容になっていたはずです。でも、できてしまった。ほかの人ははじめから「ネットショップはこうやって作る」というマニュアルを見て自力では無理だと結論してしまう。結果、ウエブのショッピング・モールに高いテナント料を払っている。
私は何も知らなかったから、できないとは思わなかった。そして、延々とひとりでやったおかげで、少しずつ助けてくれる人も現れたのです。
経験から言えるのは、楽しいと思っていることや安心だと思っていることを、「本当にそうなのか?」とチェックすることを勧めたい。ただ、これを行うにも、いまの時代では難しいのも事実です。
私の若い頃は、カルチャーショックが成立する時代でした。何かとんでもないものが現れて、親兄弟や教師の言うことが嘘だと気付くショックが成り立ち得た。新しい音楽、映画を見て目から鱗が落ちる事件があったけれど、いまはそれがないと思います。ショックがショック足り得ないほど刺激に溢れている。
しかし、あらゆる安全圏から離れて、自分は何が好きで何が嫌いなのかを考えるのは、やはりいいと思います。その上で、たとえば海外旅行を勧めます。何も危険な国へ行けというわけではなく、一切の自分と社会をつなぐ今までの流儀から出てみる。そこでは、たったひとりの自分対世界という接触の中でダイレクトに情報を受け止めて、別の流儀で処理しないといけない。
日本にいると情報に対し「これは○○系だ」と処理できてしまう。そうした安全圏の外では、人に会えば、その人と自分の関係から全てを判断しないといけない。慣れ親しんだ流儀を前提とせず、直接的なつながりに触れる。10代のうちに、簡単に答えを得られず、自分が答えを出すほかない経験をしてほしいと思います。
(注1)
1960年代後半にイギリスで現れた。ロックという範疇に限らず、クラッシックやジャズを取り入れ、またシンセサイザーなど電子楽器を使うといった、先進的(プログレッシブ)な音楽スタイルを指す。
(注2)
一般的にシンセサイザー、ドラムマシーンなどの電子楽器を多用した陰鬱なメロディが特徴として挙げられるが、必ずしもこの表現だけに限らず、従来の音楽に対する新しいスタイル全般を意味した。

Susumu Hirasawa
平沢 進
ミュージシャン。東京都出身。 1979年にP-MODELのメンバーとしてデビュー。テクノ・ポップ/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントの中心的な存在となる。 89年にはソロ・アルバム『時空の水』をリリースし、P-MODELと並行してソロ活動も行う(2006年現在、P-MODELは培養中として活動休止)。
94年より「インタラクティブ・ライブ」を開催し、99年にはインターネットによる音楽配信を開始するなど、常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行っている。 2001年には、レコーディングに使用するすべての電力をソーラーパネルで供給するスタジオを作り、「Hirasawa Energy Works」をスタート。自然エネルギーのみで行うコンサートも成功させた。近年は『ベルセルク』『千年女優』『パプリカ』など、ゲームや劇場アニメーションのサウンド・トラックも手がけている。
<公式サイト>
http://www.susumuhirasawa.com/