

Masaru Anazawa
穴澤 賢
1971年、大阪生まれ。数々の職業を転職しながら文章書きに。2005年に始めたブログ「富士丸な日々」は累計2500万のアクセスを数えるまでになっている。主な著書に『富士丸な日々』『ひとりと一匹 富士丸と俺のしあわせの距離』
穴澤 賢 さん(ライター)
ペットブログとして脅威のアクセス数を誇る「富士丸な日々」。コリーとハスキーのミックスである富士丸と飼い主「父ちゃん」こと穴澤賢さんの日々が綴られた愛情あふれる内容だ。
今回は穴澤さんと富士丸君に登場いただき、ふたりの出会い、そして穴澤さんの来し方についてお尋ねしました。
富士丸と出会ったのは、わりと心が病んでいるときだったんです。当時、コールセンターのバイトを夕方6時から朝5時までしていまして、その稼ぎで一銭にもならないバンド活動をしていました。
バイトは非常に退屈で、特に夜12時を越えるとすることがなくて困っていました。幸い一部をのぞいて勤務中でもインターネットを見ることだけは許されていて、なぜかずっと犬の関連サイトばかり見ていたんです。
そんな中、里親募集のサイトを見つけました。そこではコリーとハスキーのミックスの子犬を紹介していて、なぜか気になって実際に会いにいったわけです。
そのブリーダーの施設は田舎にあって、バスとかが放置してあるような敷地で、狭い場所にビーグルが30匹くらい押し込められていました。辺りに野獣の臭いが漂うようなひどい環境でした。
キャンピングカーの中のケージのひとつにコリーとハスキーのミックスの子犬が5匹いて、その奥でぶるぶる震えている犬がいました。ひときわ小さく、青い目をしているその子犬が目にとまって、「連れて帰っていいですか」とその場で決めてしまった。それが富士丸です。
当時の富士丸は、いまの顔くらいの大きさ。弱そうだし、小さいからそんなに大きくならないだろうと思っていたら、一年でいまのデカさになってしまった。
子供の頃から犬を飼っていたので、「いつか余裕ができたら…」、「一軒家を建てて、一人前になったら…」と思っていましたが、一人前にもなっていないのにこうして一緒に暮らすとは思ってもみませんでしたね。

劇的に変わったことはないけれど、細かい事がどうでもよくなりましたね。つまらないことで言い合ったりするのは時間の無駄だと思うようになったし、気の合わない人なら、近付かなければいいだけだと思えるようになりました。前だったらしょうもないことでイライラしたけれど、そういうのがどうでもよくなった。年をとったのもあるんでしょうが、富士丸と暮らし始めた影響も大きいと思います。
実際、富士丸の世話が大変で、些細なことに注意を向ける余裕がなかったせいもあります。いまは落ち着いたからブログだって書けるのであって、当時は育児ノイローゼみたいでした。富士丸は留守番が苦手でトイレシートやクッションを切り裂いてしまう。寂しかったんでしょうね。
僕も一緒にいたいのは山々だけど、暮らすためには稼がないといけない。「おまえが食べるドッグフードを稼ぐには出かけないといけない。なんでそれをわかってくれないんだ!」という気持ちでした。まあ富士丸も子供だったので、なかなか理解できなかったんでしょう。
やっぱり精神衛生上、犬と暮らす生活はいいんじゃないですかね。僕もとりあえず人が嫌がることは極力しないでおこうと思うようになったし。前は「目には目を」的な考え方でしたが、いまは「嫌なことをされても自分はしない」という考えになりました。
ブログを見た人が癒されるというのは、なぜでしょうね。でも実際、バカですからね。散歩中によそ見しては、しょっちゅう電柱に頭ぶつけていますし、湖に遊びに行ったら木の葉が水面に浮いていて、それを地表と思ったらしく、飛んだら水にはまってしまったり。全身茶色になってましたよ。そういうのんきな感じがいいのかもしれないですね。

そうですね。そもそも僕は小学生のとき、RCサクセションを知って、ライブへ行ったりしたことがきっかけでギターを弾き始めました。それで高校の文化祭で演奏とかして、まだその頃は憧れているだけで、プロになりたいとは思っていなかった。
半信半疑というか、「音楽で食えたらいいな」というくらいで、「食ってやるぞ」という自信はありませんでしたね。ミュージシャンにひたすら憧れていました。
とは言っても、どこかで「行けるんじゃないか?」と思ったこともありました。高校卒業後、とりあえず就職して稼ぎながら、オーディションを受けたらメジャーレーベルのオムニバスに曲を入れてもらって、「下積みゼロでデビューか?」と思ったりもしました。その一方、大阪にいては話にならないなとも思っていました。なんと言うか、都落ちしたような胡散臭い人が周りに多かったんです。「俺、昔○○のマネージャーしていたんやで」という人とか。だから何?っていうことを自慢する人が多かった。
28歳のとき、大阪では無理だと思い、東京へ出てきました。いま思うと「音楽は東京でないと駄目だ」というのは、錯覚でしたね。
仕事というのは、お金を稼ぐために仕方なくやるもんだと考えていましたからね。それに「バンドをやっているから貧乏だ」というのは、言い訳だと思っていた。だから、暮らしていくだけのお金は稼ごうと思っていました。
もともと貧乏育ちなので、自分で稼げるようになってまで貧乏なのは嫌だった。親に頼るわけでもなく、ひとりで生きるしかなかった環境ではありましたね。そのためたくさん転職しました。
仕事がそれなりにできるようになって、任せられる量が増えると残業も増える。そうなるとスタジオにいけないから辞める。その繰り返しでした。出世したいとは思っていなかったので、それは問題ではありませんでした。だから、結局は貧乏だったんですけどね。
どこの職場でも適応能力があって、ある程度そつなくこなせはしましたが、仕事が楽しくないから、それで生きていこうとは思えなかったですね。
でも、年を重ねると音楽業界で売れるのは、宝くじに当たるくらいの確率だし、まして生き残るのは、皆無に等しいと思うようになって。でも、曲をつくるうちに、そこそこうまくできるようになっていたので、そんな自分が評価されないことが不満でした。いま思えば錯覚ですが。

世間との評価のずれに怒りで一杯でした。いま思えばたんなるエゴでしかなかったんですが、当時は、「なんでこんなにカッコイイことしているのに、周りはわからないなだろう」と思っていました。俯瞰で自分を見られなかったんです。自分でつくった曲を自分で聴いて、自分で「いい」って言うなら、そもそも他人に聴かせる必要なんかないわけです。
ただ、何か表現する上で、怒りの感情はあったほうがいいと、いまでも思います。ただ、それは怒りをそのまま表すんじゃなくて、何かをつくるときの原動力という意味で心の奥にもっておいた方がいいような気がします。
客席から見た自分を少しずつ考えられるようになったり、文章を書くようになったせいもあるでしょう。俯瞰で見て、自分に音楽の才能がないと気付いてしまった。
「才能がない」というのは、続けられないということです。好きでいられるかどうかということです。実際、バンド活動の最後のほうは苦痛でした。
たとえば、日本人が黒人のリズム感を望んでも無理な話ですよね。でも、ギターである程度通用するくらいのレベルになるには、練習すれば何とかなります。時間かければ、技術的な問題はクリアーできますし、何をするにもそれは必要。才能があるとかないとか悩む前に、まず練習くらいはしないと。練習もせずに才能がないというのはみっともない。
あと、何をやるにしても人に頼りすぎない方がいい。きっかけは誰かに教えてもらうのもいいかもしれないけど、例えば音楽の専門学校に入ったからといってそれだけプロになれるわけもないし、いつまでも教えて教えてじゃ、その人をこえることもできないと思う。
自分で考えてやったほうがいいですよ。自分はゼロだから基礎から学ばないといけない。だから教えてもらわなくてはいけない。仮に音楽をやりたいならプロミュージシャンはたくさんいるし、CDだっていっぱいある。そういう人から勝手に学べばいいと思いますよ。

最初は近所の鉄工所の兄さんにギターを教えてもらいました。その後、自分で本を買って弾き出して、ギターの腕前はすぐに僕のほうがうまくなりました。でも、その経験から言えるのは、師匠と呼べる人がいるのはいいってことです。その人には音楽だけでなく、「おもしろい本はない?」と尋ねれば、教えてくれる。そういう存在でした。自分で一から探すのは、なかなか大変で何を選択していいかもわからない。まず人に尋ねるのも成長するにあたってのひとつの方法だと思います。
誰でも去年の自分よりいまのほうがマシだし、来年になると「去年は若いことを言っていたな」と思うでしょう。でも、それは仕方ない。だから、いろいろやるしかないと思います。やらないでウダウダするのが一番だめ。やりたいことが見つからないなら、バイトでもすればいい。そうしたら社会の仕組みもわかる。居酒屋で働けば、酔っ払いはみっともないとわかりますからね。みっともないとわかっても、僕は酔っ払いなんですが。

音楽を目指したのもそうなんですが、昔から自分の名前、個人の能力で稼ぐことに憧れていたんです。別に億万長者になりたいとは思わないけれど、自分の力で生きたいなと思ってました。
ピート・タウンゼントっていうギタリストがいて、彼は若い頃に「30歳まで生きてるつもりはねーぜ」みたいなことを言ってたんです。僕もそれに憧れて「30まで生きてなくていいや」と思っていたけれど、本人まだ生きてますし。僕も死ななくてよかったです。
いまのような生き方をするとは、高校生の頃は想像もつかなかった。音楽を諦めたことは、挫折かもしれないけれど、挫折しても死ぬわけじゃないし。そこで折れる人もいるけれど、おもしろがったらいいと思います。
自分の中で考える自分に対していっぱいいっぱいになるのは、しんどいだけ。挫折しても、外側から自分の姿を指をさして笑い飛ばす。そうすると楽になるし、そうできないことでも笑い飛ばさないといけない局面はあると思います。
特に10代の思春期だと無闇に不安になったりしがちです。挑戦もしていないのに挫折を恐れたりとか。それに格差社会とか周囲が言うから、余計に不安感が募ったりするかもしれない。でも、若い頃の不安ほど意味のないものもない。
不安なのは、むしろ僕らおっさんや、もっと年をとった人のほうです。大企業に勤めていても50歳でクビになるかもしれない現実がある。
だから、気持ちはわかるけど若い子が不安になるのは無駄なことです。どうせ思い描いた通りにはならないんですからね。

Masaru Anazawa
穴澤 賢
1971年、大阪生まれ。高校時代からバンド活動に明け暮れ、28歳で上京。数々の職業を転職しながら文章書きに目覚める。2005年に始めたブログ「富士丸な日々」は累計2500万のアクセスを数えるまでになっている。主な著書に『富士丸な日々』『ひとりと一匹 富士丸と俺のしあわせの距離』
富士丸な日々 http://fujimaru.blog16.fc2.com/
【穴澤 賢さんの本】

『富士丸な日々』
(KKベストセラーズ)

『ひとりと一匹 富士丸と俺のしあわせの距離』
(アーティストハウスパブリッシャーズ)