

Shintaro Suda
須田 慎太郎
1957年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、81年『フォーカス』創刊時からスタッフカメラマンとして携わる。若干29歳にして日本写真協会新人賞を受賞。一貫して人間ドラマを追う。
須田 慎太郎 さん(カメラマン)
デジタルカメラの普及、携帯電話のカメラの高性能化と以前にも増して、撮る行為が身近になっている。でも、そのぶん「何をどのように撮るか」という思いがあまり見向きされなくなっている。
須田さんは、大学生で早々と多数の賞を受賞し、展示会を開催していた。その須田さんが写真を撮るには、「体を現場に持っていってぶつけないといいものは撮れない」という。指先で簡単に撮れる時代だけに、「体をぶつける」という言葉をよく考えてみたい。
高校生の頃、2年ばかり野球部にいましたが辞めてしまいました。何かやろうと思って、そうしたら父親がカメラを持っていたもので、写真部に入ろうと思いました。写真との出会いのきっかけは、それくらいのものです。万事がそうで、進路も政治学部か法学部に行こうと思ったけれど、日大の写真学科しか受からなかった。だから「これは神様が決めてくれたことだ」と思い、入ったからには一所懸命になりました。
大学3年で三木淳先生という日本の報道写真の草分けのような方が教授でいらしたのですが、その先生と出会って「プロになりたい」と思いました。
僕には、「この写真に影響されてプロを希望した」という経験がないんです。でも、三木先生の名前は知っていました。学内で歩いている姿は、まるで後光が差して見えるような先生でした。三木先生のゼミは4年しか聴講できませんでしたが、許可をいただいて3年のうちから出ていました。
それというのも、大学の3年の春に日本写真家協会のJPS展に応募したところ奨励賞をもらいまして、大学で三木先生にいろいろ写真を見ていただく中に賞をもらった写真が入っていて、先生が「これはどこかで見たことがあるな」とおっしゃった。先生は審査員もやっていたんです。
僕はAPA(日本広告写真家協会)の国際写真展でも奨励賞をもらい、3年のときに写真展を開いたりしたから、見込みがあると思ってくださったのか、ゼミへの参加を許されたのです。

大学に入ったとき「一番で大学を出てやろう」と思って、課題が出る前に自分でテーマを決めて撮っていました。たとえば「赤や白といった色を撮る」といった具合にどんどん撮って、それらをプロアマ問わないコンテストに応募していました。一番で出てやろうと思っていたから、結果的に賞をもらうことができただけです。ずいぶんお金は注ぎ込みましたね。
ほかの人が撮っているテーマを、自分ならこうするなと思って撮っていました。たとえば、スポーツを撮るとして、高速シャッターで被写体を止めて撮影するところをどこまでスローで撮れるかと試みる。そういう課題が出ても、すでに撮っている中から選んで出していました。
明確な理由はなくて、ただやっていただけです。どうせならやってみようという考えでした。やらないことで後悔するよりやって後悔したほうがいいからね。
そういうことは忘れます。写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンは「シャッターチャンスを逃したときに、あなたはどうしているか」と尋ねられ、「忘れることにしています」と答えました。失敗はしてもあまり気にしない。それが若さかもしれませんが、悔やんでも仕方ない。
確かに20年以上前に撮った写真を見ると下手だなと思います。でも、よく写っているなとも思います。いまだと技術もカメラもよくなっているから、「こう撮ったら見る人もわかりやすいだろう」とか、そういうことを考えて撮ることもできます。でも、そういう写真はつまらない。わがままに撮っていない。若い頃は「素直にいい」と思ったものを撮っている。だからよく写っていると思います。
だいたい写真家は35歳くらいが一番よくて、55歳くらいまでじゃないかな。土門拳先生にしてもそうだと思います。それ以降になると頭で考えて撮るようになる。年をとるとうまく見せられるし、技術的にそれができてしまうからこそダメなんです。

体ごとぶち当たらないとね。最近だとパソコンであれこれいじることを前提に撮っている人も増えていますが、そういう写真は軒並みつまらない。現場に体を持っていって、そこで起きることに身を任せないとおもしろいものは撮れません。
被写体に、その場に流れる空気にあわせて撮る。そうじゃなくて、ボタン押して撮って「写ってしまったもの」をパソコンでいじっても、薄っぺらい写真しかできあがらない。そういう意味では、昔の写真のほうがしっかりしているなと思います。
僕は『zoom』というヨーロッパで発刊された写真雑誌の日本版の編集長をしていますが、できるだけ若い人を取り上げたいと思っても、やっぱり外国の写真に負けてしまうんだね。
プロが「撮れている」とか「写っている」というときの意味合いは、「自分の思いが入っているかどうか」ということです。技術的に未熟でも、撮ろうという素直な気持ちがあるから写っている。写真は感覚的なものだから、理屈がくっついている写真はつまらない。被写体に思いをぶつけたのがいい写真。
ただ若いうちは、自分の撮った写真がどういうものかを見極める能力はまだないから、そういうものは目上の人に学べばいい。
三木先生には、よく「ベタ(コンタクトプリント)を持って来い」と言われました。それを見せると「疲れている」とか「気を抜いている」のがばれてしまう。何に興味を持っているかいないかまでわかる。だからプロはベタを見せないんです。
でも、若いころは全部見てもらったほうがいい。なぜなら自分でどの写真がいいかわからないからで、自分でいいと思った写真がいい写真とは限らないからです。
僕は卒業制作でスペインに行って、カラーを10本、白黒を100本撮った。100枚のベタを見せたら、「写っていない」と三木先生に言われた。懸命に撮っているのはわかるけれど、視点が定まっていないからダメだというわけです。ところが、「カラーのほうはまだいい」と言われた。そちらはメインじゃないから気負いがなかったにもかかわらず、です。
つまり気持ちが入り込み過ぎていたからダメだった。カラーで撮ったほうは気負いがないから無意識でぶれていない。「こうでなきゃいけない」という撮り方では撮れないものなんです。

こう撮ろうと思って現場に行っても、想像した通りとは、まったく違うのが当たり前。その状況の中で、かたくなに「こう撮る」と思うと、自分の考えに気を取られてしまう。そういうことは量を撮らないとわからないかもしれない。僕より上の世代は一日3本、年間で1000本くらい撮っている人はたくさんいました。いまは写真学校に通っているのに撮らない子も増えています。それでも新聞社に行く人もいる。なぜ受かってしまうかわかりませんが。
写真の技術は、半年あれば覚えられます。そこから先は、古い言い方だけど、努力と根性。たとえば20代でスランプはありえない。撮りたくないなと思っても、撮ればそこからできることがあります。「自分はこういうこともできるんだ」ということがわかる。
困難なことがあっても、いろいろ自分に言い訳しているとチャンスはなくなりますよ。そのとき興味を持ったものに自分をぶつけないと、半年も経てば興味はなくなってしまうし、それでは自分の成長もなくなります。
写真を見せてらって、「これが撮れるなら、もう1、2回現場へ行って撮ったものを見せてよ」と言っても、撮ってこないんですよ。それでも女性は粘ることが多いかな。
以前は、「こんなの全部ダメだ」と言われたり、捨てられたりするのが当たり前でした。それでも撮り直すと、わかってくることが必ずある。それは言葉にならないものでもあるし、撮る中で見つけていくしかないものなんです。

写真は「ここをこうして」といってその通りに撮っているようじゃダメ。100%満足するような写真はダメで、それ以上の何かがないといいカメラマンではないですね。
建築写真なら、ただ縦横の柱がまっすぐの写真を撮っているようでは、まだまだです。一番いい顔をする状況を選んで撮らなくちゃ。でも、それがいつかはわからない。朝から現場にいるとか、雨の日や桜がちらっとあったらどうなのとか、それらを自分で考える。本人が気付かないとそういうことはわからない。
興味持ったら、どんどん行く。30歳の頃、駐日大使の素顔を撮る企画を思い付いて、出版の見通しもなかったけれど、英語で手紙を書いて各大使館に送りました。いくつかの大使館が「いいよ」と返事をくれた。そういうことがパーティーの場で大使同士の間でいつしか話題になり、「君も撮ってもらえよ」とか「なんであそこは撮っているのに、うちは撮らないのか」という話になる。
最初は全部の大使を撮ろうと思ってはいたけれど、そうはいってもアメリカとかロシアといった大国ほど難しいからどうなることかと思っていました。けれど、蓋をあければ3年の計画が1年経たずにすべて撮影できた。そういうのもまず行動を起こしたから結果がもたらされたと思いますよ。
かといって、踏み込み過ぎたこともありました。チェチェンでは通訳に「車の轍以外は歩くな」と言われて、でも気が付いたらそこから離れて撮っていた。近くのおじいさんがチェチェン語でしゃべっていて、それを通訳してもらっていたら、「そこは地雷があるから危ない」。撮影しているときは、何も思わなかったのに、撮り終えると襟足あたりが粟立つ感じになって、走って逃げましたね。
いろいろ経験した上で思うのは、若い頃は、無理はすべきだと思います。「無理だ」と頭で思っていても、案外無理でなかったりするから。
「ライフ」で活躍したマーガレット・バーグホワイトは絶対に「できない」と言わなかった。可能性が少しでもあればやる。やってみて、できなかったら仕方ない。
でも、できないながらもやればやった分、できることはあるんです。最初に思っていたものとは違ってもできることはある。自分はこの程度だと思って決めてはいけないですよ。

人間だから個性があるし、みんな違う。自分ができることをやればいい。ひとつのものを撮るにしても、1000人いれば1000通りの撮り方がある。どれがいい撮り方かどうかわからない。ただ、自分がやったら、その分の結果は明らかになります。それはやってみないとわからない。
スポーツや料理を撮らせたら、僕よりできる人はいっぱいいます。だからこそ、「これだったら」というところを持つのがプロだし、個性があるのだから、誰にもできることはある。
物事には物理的に不可能なこと、無理なこともあるけれど、「無理」と「できない」は違う。ある条件のもとでは、「できない」だけで、そう思ってもやってみたら、できることはある。個人の可能性を自分で崩してはダメだよね。
手順がわからないと何もできないと思うけれど、「こうしたらこうなる」って自分で決めなくても、できることはあるのだから、まずやってみることが大事だと思います。
プロになろうとしている子には、そのときに興味あるものを撮ることを勧めます。よくライフワークというけれど、若い頃にそう決めて枠に自分を押し込めるのはナンセンス。そのときどきに興味あることにどんどんやる。振り返れば、筋が通っていることがライフワークでいい。撮っているうちに興味も違ってくるし、それよりも何よりも自分自身が変わっていくのだからね。

Shintaro Suda
須田 慎太郎
1957年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、81年『フォーカス』創刊時からスタッフカメラマンとして携わり、数々の衝撃的なスクープを放つ。若干29歳にして日本写真協会新人賞を受賞。一貫して人間ドラマを追う。写真展に『THE AMBASSADORS TO JAPAN—駐日大使の素顔』ほか。作品集に『人間とは何か』(集英社)、『新宿情話』(バジリコ)、『スキャンダラス報道の時代—80年代』(翔泳社)、『エーゲ・永遠回帰の旅』立花隆・著/須田慎太郎・写真(書籍情報社)など多数。
グローバル フォト エクスチェンジ
http://www.globalphotoex.com/
【須田 慎太郎さんの本】

『人間とは何か』
(集英社)

『新宿情話』
(バジリコ)

エーゲ―永遠回帰の海『エーゲ:永遠回帰の海』
(共著、書籍情報社)