マッスル 坂井 さん(プロレスラー)
04年から始まった「マッスル」。プロレスらしくない演出が一部で大受けしている。突然、スローモーションになったり、仮装大賞の得点板がレスラーの技を勝手に得点するなど、既存のプロレスのセオリーを覆す手法が話題になっている。
マッスルで活躍するマッスル坂井さんは「プロレスが下手なら、プロレスができないという前提で展開すればいい」と決してめげないアイデアで観客を魅了している。その発想の源、プロレス観を尋ねた。
他団体がやっていたから、やってもいいかなと思ったんです。夜中に始まって始発で帰るくらいのスタイルは、深夜のラジオ番組みたいで、あんまりがんばらないでいい、プチハードな感じなんですよ(笑)。

スローモーションは、従来のプロレスでも悪役同士の試合でおちゃらけるシーンとしてはあったんです。
でも、たとえば全日本プロレスのメインイベントなんかだと、高度な技の応酬がスローモーションに見えることがあるんです。
相手の必殺技をカウント3ぎりぎりで返して立ち上がるときなんか、技をかけたほうも、かかったほうの姿もスローモーションで見える。三沢さんと川田さんの試合だったら、そこに足利工業高校レスリング部時代からの上下関係とか葛藤が見えたりする(笑)。レスラーの過去が背中越しに垣間みえるわけです。
でも、僕らは一流のプロレスラーではなく、四流、五流だからそれはできない。そういう僕らが興行をやったら、それなりの客入りで、それなりの手応えはあるし、確かに需要はあるんです。でも、お客さんにチケットを買ってもらっているのだから、少しでも満足してほしい。「この程度しかできません」といって、ダメなものやグダグダなところだけを見て楽しんでもらうのは嫌なんです。四流、五流でも徹底的に満足させたい。試合だけで魅せられないなら、映像で楽しんでもらえばいいんじゃないかと考えたわけです。
プロレスが下手なら、プロレスができないという前提で展開すればいい。「プロレスラーを目指す集団」というコンセプトでやればいい。そういうふうに考える中で、スローモーションなどのアイデアが出てきました。それで笑えてかつ感動してくれるならいいなと思っています。
はい。試合後の控え室の中継映像がすでに用意されているとか。追加公演をやっても初日と同じ結果になるとか。本当はありえないですね。スポーツのリアリティを逸脱してはいけないと考えている人からは、眉をひそめられるようなことでしょう。
僕はスポーツも勉強も一番になったことがありません。新潟県の進学校に通っていまして、授業はそこそこ楽しかったけれど、毎日行くものでもないなと思ってましたし、友達とも新鮮さを保つためには毎日会わないほうがいいかなと、ひとりで過ごすことが多かったですね。
ただ、剣道部に所属していて、部活は熱心にやってました。全国大会で上位に入る人がごろごろいたので、レギュラーにはなれても一番にはなれない。そういうポジションにずっといました。
でも、一番になりたいともあまり思わなくて、どちらかといえば、一番になる人を見ていたいと思ってました。
ともかく学校へは部活に行くくらいで、あとは映画館に通ってました。映画や漫画を読んでいることが多かったです。

第二文学部に入学しまして、これまた一番ではないんです。漫画家になりたくて、高校3年のとき、「ビッグコミックスピリッツ」に漫画を持ち込みました。面会してくれた編集者の方には「いまは漫画を描くよりも、東京に来て進学し、漫画家のアシスタントをして勉強したほうがいい」とまったくアグレッシブではない助言をいただきました。いま思えば、その通りだなと思います。
手塚治虫さんが「漫画家になるなら映画をたくさん見なさい」と発言されていたので、映像に興味を持ったんです。それならとりあえず大学に行って、映像に携わったほうがいいんじゃないかと思ったわけです。
漫画や映画に没頭したのは、「どうやったら周りと差がつくのかな」という思いもあったからです。だから誰も見ていない映画や誰も読んでいない漫画を読んでいました。そういう自意識と自己顕示欲の塊で、新潟から東京に出てきたものだから、当時は何者かになれたらそれでよかったのでしょう。
いや、まだ当時はプロレスとは接点はなくて、高校までの体育会系から離れようとシネマ研究会に入りました。サブカルチャー偏差値の高い人たちがウジャウジャいて、カルチャーショックを受けたと同時に楽しくて仕方なかった。それまで好きな映画や漫画、本の話をするにも苦労したのに、大学で出会った子の本棚はだいたい同じ趣味構成で、ちょっと気まずいながらも、本やCDを借りるのが楽しかったです。

しなかったですねぇ。シネマ研究会以外にも映画サークルはたくさんあって、実際に映画を撮る人はいっぱいいました。それもプロ顔負けの機材を持って、上手に撮るんです。おませな大学生がたくさんいたわけですが、どうもそれに馴染めなかった。なんだか無自覚にものをつくる人たちが苦手でした。カメラの撮り方とか技術の問題なんてどうでもいい。実際、そういう人の撮った映画はつまらないから、説得力がなかった。だったら、そんなのやってもしょうがない。
新入生をサークルに勧誘する新歓上映会があって、いろいろ見た中で、ひとつだけおもしろいと思って、それがシネマ研究会だったわけですが、ずっと8ミリ映像を流していました。ホラーの要素のまったくないホラー映画で、効果音とか雰囲気とか、潜在的な恐さを感じました。なんというか、1リットル100円の紙パックの麦茶を、しかもプラスティックのコップで飲んだときのザラッとした感じ。そういう恐怖を伝える映像だった。その意味もなく恐い映画を撮った人は、後に「リング」や「呪怨」の脚本や監修をされている高橋洋さん。ほかの人もぼちぼちいま映画を撮り始めている人たちで、そういう人が周りにいたものだから、自主映画を撮るよりも、そういう人を見ること自体が楽しかった。
お話をつくりたい思いはあって、それで人を喜ばせたかった。笑わせたり、感動させたり、楽しんでほしい。おもしろい小説や映画に出会ったときの高揚感が人一倍あるんですね。
プロレスと出会ったのは、たまたまテレビを見ていたら、大仁田厚さんの試合をやっていて、それまでプロレスはスポーツだと思っていたから、これは演劇だなと思ったわけです。マイクパフォーマンスで、「ぶっ潰す」とか言っていても、年間200日近く巡業して、一緒にバスや電車で移動するときは隣席に座っている人ですよ。その人に向かって、試合では「ぶっ潰す」と毎日言う。家族よりも時間を多く過ごしているのに。これはおかしいぞと思って見始めたら、キャラクターの造形やドラマがあることがわかった。そこで興味がわいたので、浅草のアニマル浜口ジムへ行って、一年間くらいトレーニングしました。

いや、なる気はなくて、なろうとする人と友達になりたかった(笑)。アニマル浜口さんには「顔が全日本っぽいな」と言われました。とりあえず大学生活におけるお酒やらなんやらの誘惑で体がおかしくなっていたので、健全になろうと思い、フィットネスのつもりで通ってました。
周りには、地方から来て、レスラーを目指している人がたくさんいました。昼はスーパーでバイトし、風呂のない部屋に住みながら、純粋に練習している。そういう姿はけっこう新鮮でした。その頃は、自分にレスラーはできるとは思わなかったし、恐くてやろうとも考えませんでした。
ジム通いは一年くらいで止めて、その頃、大学の留年も決まってしまい、そろそろ将来につながる仕事をしようと思って、CS番組の制作会社にバイトすることにしました。そうしたら、そこのプロデューサーが「DDT」というプロレス団体を主宰していた高木三四郎さんと同級生でした。「DDT」の試合を撮影する人を探していると聞いたので、渋谷の100人くらい入るクラブでの試合を見に行きました。会場では、先週までの試合の流れとかバックステージの映像や音楽を流していて、それが新鮮でした。ほかにもスポーツ中継のバラエティやドラマの要素を加えた演出や、映像と音楽と寸劇(スキット)の要素もあって、これはおもしろいと思ったわけです。プロレスには演劇も音楽の要素もあることに気付いた。
その頃、「自分はこの先何をやろうか」と思っていまして、スポーツは一流にはなれない。映像も好きなだけで何かできるわけでもない。だけど、いま見ているこの興行は、たった100人相手だけかもしれないけれど、すごい熱意がこもっている。演劇なら5、6回公演できる労力を1回の興行にかけていたし、その上、レスラーはほかに仕事を持っている人ばかりでした。
制作会社に入ったらADを5年くらいやって、ディレクターになれても映像制作しかできない。大きいプロレス団体に入ったらプロレスしかできない。でも、DDTなら全部できる。そこで初めてプロレスに携わる仕事をしたいと思いました。

制作、演出を考える側です。レスラーに「ここで口論になって、ちょっとドタバタがあって、それから試合に流れ込んでください」といっても、「そういう台詞は言えない」とか、こちらの思惑通りにやってくれない。プロレスラーはプロレスラーの言うことしか聞かないんです。これは悔しいと思って、説得力を持たせるためにプロレスラーになったほうが早いと思ったんです。それで最初は練習生として参加していたら、言うことを聞いてくれるようになった。いま思えば、別に僕がレスラーにならなくても、時間をかければ結局わかってくれたろうから、早まったかなと思います。
もし、「つまらない」と言われたらやめます。観客を満足させられなかったらプロとして終わりです。
スローモーションをやったり、いろいろと既存のプロレスではやってはいけないことをしていますが、だいたいプロレス業界でサクセスしてきた人は、周囲の言うことを聞いてこなかった人が多い。有刺鉄線や凶器を使った過剰な演出も、その人たちの先輩達からはプロレスじゃないって言われていたはずなんです。
僕らのやっていることは、ゆるいと思われるかもしれない。プロレスが冗談で芝居だと思うかもしれない。でも、プロレスを演劇的に見せる方法がなかっただけの話で、僕らの活動がずっと続いていくことで認められていくだろうし、そうなることが大事かなといまは思っています。

Muscle Sakai
マッスル 坂井
77年新潟県生まれ。DDT所属のプロレスラー。プロレスにはまったく興味がなかったが、映像制作の仕事を機にプロレスデビュー。DDTの映像制作会社「DDTテック」の社長も務める。