

Keiko Sakai
酒井 啓子
東京大学教養学部卒業後、英国ダーラム大学で修士号取得。アジア経済研究所勤務。在イラク日本大使館調査員。中東総合プロジェクトチーム研究員、アジア経済研究所参事を経て、2005年10月より東京外国語大学教授。
酒井 啓子 さん(東京外国語大学教授)
世界の多くの国が反対したイラク戦争。短期のうちに戦争が終了した際、アメリカは勝利を高らかに宣言した。しかし、戦後になると治安の回復はせず、事態は泥沼の様相を見せる。イラク人の死者はアメリカ軍の侵攻後10万人にのぼり、アメリカ兵の死者は3000人を数えるという。いったい何がイラクで起きているのか。イラク研究の専門家である酒井啓子さんに尋ねた。
まず戦争はなぜ短期で終わったかと言えば、イラク兵は、この戦争には勝ち目がないので、次の政権によって身の振り方を決めようという位置づけでいました。戦わなかったから短期で済んだと思います。
実際、フセイン政権自体は軍政だったわけではなく、軍も政権に不満を持っていました。そのため自分たちはフセイン政権に連座して追放される意識はまったくなかったと思います。
ところが、アメリカの指導のもとにある戦後のイラク政府は、軍や官僚やバアス党(注1)をフセイン政権に連座するものとして切ってしまった(注2)。戦後に期待して、戦わなかったにもかかわらず、自分たちが損をする立場になった。権利を確保するために、改めて戦争を始めたと考えたほうがいいでしょう。

フセインによる独裁政権が長期に渡り続いたこと。また、特に湾岸戦争以降、経済制裁が続いていましたから、イラク国民にとっては、国際社会への恨みもありはしても、現実的な判断として、フセインがいる限り、自分たちの暮らしが苦しくなる。元凶のフセインに倒れてほしいと思っていたでしょう。だから、アメリカに抵抗感はあっても、フセイン政権の崩壊をポジティブにとらえています。問題はその後です。状況は好転したかと言えば、まったく逆で、むしろあんなにとんでもない政権だったけれど、今となってはましな環境だったとしか認識できない状況になってしまいました。そうした中、追放された軍人や官僚が抵抗を始めるようになっています。
さらにはイラク戦争でアメリカを支持した人も、思ったほど自由や生活が確保されていないことへの苛立ちから、戦争直後はおとなしくしていたものの、叛旗を翻すようになりました。戦後の統治の失敗が敵を次々に生んでいます。
いまの政権の問題は、第一に亡命していたイラク人など、アメリカの力を背景にしていて、実力で政権をとったグループではないこと。もうひとつは宗派というよりイデオロギーの問題があります。イスラム主義、つまりイランのようにイスラムを全面に押し出した国家体制をつくろうと考えている人が現政権の中枢を占めています(注3)。
中東の国々は、イスラム主義と呼ばれる人たちと世俗主義の対立があります。特に60年代以降、中東では社会主義の勢力が強く、いまでも世俗主義の伝統はあります。フセイン政権は世俗主義で、イスラム主義を抑えてきました。ところが、いまはイスラム主義が政権の中枢を担っているため、「政権が宗教がかっている」という反発もあります。
それにイスラム主義の人はシーア派(注4)で、イランに亡命していた経験の長い人が多い。どうしてもイラン寄りだと見られます。露骨に言えば、イランに亡命している間に軍事訓練を受けたことから、「イランの手先」と見なされやすい。そうした人が治安関係を担当しているので、宗派的にもナショナリズムの見地からしても「イランに乗っ取られた」という意識で現政権に反発している側面もあります。
よく宗派や民族対立に注目されますが、冷静に見るとイラク国民のうちイスラム教が95%で、シーア派、スンニ派にわかれます。宗派でいえば、日本のほうがよほど複雑です。またイラクの民族は7割のアラブと2割のクルドに二分できますが、ヨーロッパの国の中には民族が3、4つも混在しているので、イラクは民族、宗派的に複雑ではありません。
しかし、日本でも室町時代に一向一揆が起きたように、イラクの宗派もまったく過去に問題が起きなかったわけではないにしても、それらはイデオロギーや環境に左右されます。今は宗派が対立の局面として表れるようになっただけで、環境が変わればただの宗派です。必ず対立を生むような要素ではありませんでした。

まず、バグダッドはスンニ派やシーア派の区別なく、地方から来た人が混在しています。どこの都市でもそうですが、高度成長期に農村から都会へ出稼ぎに来た貧困層が都市にスラムのような地域を形成します。バグダッドのサドルシティと呼ばれるそうした地域には、貧しい若者が多く住んでいます。失業問題や教育問題について、非常に反米的で急進的な内容を明確に言ってのけるポピュリストが支持される傾向が強い。ラディカルな人物が貧困層から人気を博しています。これがサドル派というグループです。一時期は政権に与するなど、おとなしくなりましたが、去年からアメリカに対して、非常に反発を強めるようになりました。
こうしたグループはイスラム主義を標榜するので風紀取り締まりに熱心です。街中で女子学生がベールを被っていないと取り締まるなど、自警団的な組織でもあります。だからこそ貧しい若者に人気があるのですが、アメリカには、そうした行為が治安を悪くする原因だと見え、貧困層の住む地域をターゲットにした掃討作戦を行うようになったのだと考えます。
イラク戦争そのものに中東研究者の多くが反対していました。仮に戦争でフセイン政権を倒すのは可能だが、その後はどうするのか。「ヴェニスの商人」ではありませんが、胸から肉を1ポンド切り取るには、血を流さずにはいられません。だから戦争という手段を取らないほうがいいと訴えていました。ところがアメリカの「敢えてやるんだ」という判断を見て、そこまで言うなら奇跡のように血を流さずに済む秘策があるのだろう。そう思ったくらいです。それが結局のところ、秘策がまったくなかったわけで、研究者は誰しも驚きました。そもそも戦後に予測された混乱をアメリカはまったく気にもせずに戦争に突入していた。なぜそのようなことを行ったかの答えはいまだにわかりません。
考えられるのは、やはり9.11ショックでしょう。あの事件によりアメリカはそれまでの中東への基本的な認識を疑うようになりました。CIAがビンラーディンや過激なグループの情報をつかんでおきながら、事件を予測できなかった。ブッシュ政権はその反省から、より情報を詳細に集めるのではなく、CIAや中東研究者は信用できないとして、国防省をはじめとした自分達だけの情報に頼るようになりました。
また、アメリカ国内の亡命イラク人からもっぱら情報を得ていましたが、彼らは当然フセイン政権が転覆さえすればバラ色だという希望的観測を述べます。
あとは、ネオコン(注5)の発想です。「イラクの今後をどうするか」よりも、「民主化を進めるために武力を使わなくてはいけない」という理念を実現したかったのではないかと思います。イラクの安定よりも実験台としてイラクの民主化を行う考えが先行したので、これだけの混乱を考慮に入れなかったのではないでしょうか。
従来、アメリカの中東政策はリアリスティックで、石油の確保とイスラエルの安定が図れたらいい。冷戦時はソ連が南下してこなければいい。それだけを考えていたので、中東の国々が国内でどれだけ人権を弾圧するような非民主的な政権でも関知しなかった。だからこそかつては、フセインとも協力関係を結んだし、サウジアラビアが封建的な体制でも文句を言わなかった。
ところが9.11のテロは、サウジアラビア出身の若者によって主に行われました。アメリカの同盟国の内実は、とんでもないイスラム主義を掲げた国じゃないかという認識の台頭の中でネオコンの声が強くなります。
つまり中東情勢を利害関係だけで見るべきではなく、内政にまで口を出した上で関係を続けないとテロを防げない。従来の政策の大転換です。だからアフガニスタン、イラクの政権を転覆し、おそらくネオコンの発想からすればイランも引っくり返しておきたいところでしょう。アメリカの考える民主的な政権になれば、アメリカに対して攻撃を仕掛ける国にはならない。そういう理念型の発想の人たちが支持を得るようになりました。
私はある種の革命の輸出だと思います。ある意味では、ビンラーディンのようなイスラム主義と違う立場でありながら同じようなことを言っています。
ネオコンのいう民主主義は、一般的な善い意味で言われる民主主義とは様相を異にします。市場経済に基づく民主主義であり、自由競争の中で生きるも死ぬも自由といった類いのものです。こうした民主主義を海外に力をもって進めていく。冷戦期でイデオロギーに基づいて革命を起す時代は終わったと思っていたら、今やアメリカがもっとも大きな革命の輸出の担い手になってしまった。

恐らくネオコンの発想にあるのは、市場を中心にすれば民主主義は必ず選ばれる。それが選ばれないような市場経済は、何か制約があるというものでしょう。パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラは選挙で信任を得ています。イランのアフマディ大統領も投票率が低かったとはいえ、選挙で選ばれた人物です。そうした人がイスラム主義を掲げるのは、アメリカの発想からすれば、「なぜ選挙で選ばれながらイスラム主義なのだ。なぜ民主化が進まないのか?」と見えるのです。そして「イスラムという文化制約により市民社会は成熟していない。それなのに選挙を実施するとは時期尚早だ」と考え、それぞれの地の民主主義を止める態度に出るわけです。民主主義は中東でも十分進展していますが、アメリカは、「アメリカの思う民主主義」を望んでいます。
いまのイラクの状況からアメリカという要素が消え、イラク人の望むシステムの構築を自分たちの関係性で考えていくことにならない限り、事態の収拾は難しい。その意味でもアメリカ軍の撤退は必要だと思います。
そこが一番大きな問題です。湾岸戦争後の経済制裁で、給与所得者がいちばん大きな被害を受け、その間に膨大な中間層が転落していきました。追い打ちをかけたのがイラク戦争で、公職から放逐され、ますます彼らは困窮しています。今ではごくわずかの中間層しか残っていません。
新政権も旧政権にしがみつく人も、優秀な技術者、官僚、医者といった中間層を味方につけた方が勝ちだとよくわかっています。国家再建に欠かせない彼らが支持すれば政権を維持できる。だからこそ国内のテロの大きなターゲットになっていて、国外へ逃れざるを得ない。そうでないと殺される厳しい状況です。

私が自発的に選んだのではなく、大学卒業後に就職したアジア経済研究所で上司から「イラクなら空いている」という一言があったからで、まったくイラクについての知識はありませんでした。ただ、もともと中東に関心があって、レバノンの宗派や内戦をテーマに卒論を書いていました。おもしろかったのは、日本と違って宗派や民族が入り組んでいるけれど、だからこそ融通無碍だということです。
イラク人の自己紹介はおもしろくて「ここではシーア派だと言ったほうが得だ」と思うとそう言い、言わないほうが得と思えば、「私はバスラの出身です」とどちらか特定できないように話します。知らないアラブ人に会ったとき、宗派は絶対に言いません。自分の職業や肩書き、家柄を切り出す人もいます。アラブは日本のような姓名はなく、自分の名前があり、父親の名前があって出身の村、部族をつけます。自己紹介の際、出身部族か出身の村を言うべきかですごく緊張感があります。部族名を言って相手が敵対関係の部族出身だったらどうしようかといった、ひとりひとりが生きていく上で常に政治の中にあるわけです。
いろんなアイデンティティを持っていて、状況に応じて巧妙に一番よく通じる名刺としてそれらを出します。そうした駆け引きをしながら、個人が生活しています。うまくいけば、どんな共同体でもつくれるので、昨日まで小さな村の住民だったのが明日はグローバルな市民社会の一員みたいに振る舞えるといった、広がりのある意識を持っています。それは日本ではなかなか考えられません。
私が最近訪れたのは2003年7月です。その後、日本人外交官ふたりが殺害されたり、人質事件があったりと、2004年以降は、日本人はイラクに行けない状況になったので、ある意味いい時期でした。私がイラクに初めて行ったのは86年で、フセイン政権下の警察国家体制ですから、市民は非常に外国人を警戒していました。顔色をうかがうおどおどした態度でした。それがイラク戦争後、驚くほど明るくなっていて、もう監視や恐ろしい密告を心配しなくていいので、とても目線が高くなっていました。
けれど、そういう時期は2003年中で終わり、今度はアメリカ、イラク政府、反政府ゲリラ、アルカイダのような海外のイスラム主義を恐れなくてはならなくなり、それまではフセイン政権だけを恐れていたらよかったのに、誰の目を恐れていいのかわからず、でも恐れないといけない状況になってしまいました。

「宗派、民族対立があるから内戦が起きている」と括ってしまえば、何となくそう思えてしまいます。でも、そこから先の「なんで混乱しているんだろう」という問いが見えなくなります。中東やイラクの混迷は、宗派や民族など、日本にはない要素が原因だと思うとわからなくなるでしょう。むしろ、戦国時代や幕末といった、日本人がかつて経験した社会的、経済的、政治的要因、イデオロギーの対立といった、すでに得ている知識で考えたほうが、わかることは多いと思います。
起きた問題をどうしても善悪で考えてしまいがちです。確かに物事に善悪はあります。人の命を一方的に奪うことは、どういう状況でも悪い。ただ、民主主義や自由主義など「善い」と思われている言葉や、テロのように「悪い」と思われている言葉を使って議論するとき、相対性を失わないよう気をつけたほうがいいです。
自爆テロも我々からすれば「悪い」ように見えるけれど、それを「よくやった」と誉める人もいます。なぜそうせざるを得ない人がいるのか。高校生のみなさんには、そこに踏み込んでものを見ていくようになってもらえるといいなと思います。
私はひねくれ者で、学校では教師の言うことを聞かず、いろんな本や読み、音楽を聴き、好きにやっていました。70年代だとパンクが流行り出した頃です。違和感はありましたが、良識ある大人にはうるさいだけの破壊的な音でしかなくても、こんなに流行っているから支持される理由があるんだろうと思って聴いてみたら好きになってしまいました。
自分たちの世代がやっていることに大人は眉をひそめる。そこに同調するのではなく、「なぜそういうことをするんだろう」と考えてみる。
自殺やいじめ問題も、当人の立場になってみて、自分はどう理解するか考えてみる。そのスタンスで国際関係を見ると、「自爆テロはけしからん」というだけの見方ではいられなくなります。10代だからこそ、善い悪いだけではなく幅広く物事が見えるはずだと思います。

(注1)
アラブ社会主義を標榜し、政教分離を党是にした世俗主義。イスラム主義とは対立関係にある。
(注2)
イラク戦争後の暫定政府は、バアス党員の公職からの追放を行ったことで、社会システムの崩壊を招いたとされる。
(注3)
マリキ首相の属するダーワ党は、世俗主義、政教分離に否定的で、イスラム主義を掲げる。
(注4)
イスラム教の宗派で、予言者の後継者をめぐり分裂した。イランやイラク、レバノンに多く存在する。
(注5)
新保守主義。内政では弱者救済より市場経済至上主義を唱え、外交では自由主義、民主主義を広めることに価値を置いている。イスラエルを積極的に支持している
(注6)
ネオコンの思想背景には、ナチスによるホロコーストを逃れてアメリカに亡命した、あるいは身内を虐殺されたユダヤ系の政治学者や政治家らの影響がある。大惨事を未然に防ぐことが政治の鉄則だという考えは、ネオコンの先制攻撃の正当化につながるだろう。
Keiko Sakai
酒井 啓子
東京大学教養学部卒業後、英国ダーラム大学で修士号取得。アジア経済研究所勤務。1986年から89年まで在イラク日本大使館調査員。中東総合プロジェクトチーム研究員、アジア経済研究所参事を経て、2005年10月より東京外国語大学教授。大学院地域文化研究科・中東イスラーム研究教育を担当。
著書に『イラクとアメリカ』『イラクはどこへ行くのか』(岩波書店)など多数。
参考HP
http://japan-middleeast.blogspot.com/
【酒井 啓子さんの本】

『イラクとアメリカ』
(岩波新書)

『イラク 戦争と占領』
(岩波新書)

『イラクはどこへ行くのか』
(岩波書店)