

Kazumasa Horikiri
堀切 和雅
1960年生まれ。1984年、劇団「月夜果実店」を旗揚げ。作・演出者として、2002年までに23回の公演を行う。同時に岩波書店に勤務、月刊誌『世界』などの編集を務める。現在、出版社ユビキタ・スタジオの代表取締役編集人。
堀切 和雅 さん(ユビキタ・スタジオ代表取締役)
本をつくる作業に人はそんなにいらないのでは? とミニミニ出版社ユビキタ・スタジオを立ち上げた堀切和雅さん。学生時代には爆風スランプの前身スーパースランプをはじめ、卒業後、岩波書店に勤めるかたわら劇団「月夜果実店」を立ち上げるなど多方面で活躍してきました。堀切さんは「二足の草鞋を履くことを勧めます」と言います。そう確信するにいたった経緯を尋ねました。
自分の人生を「ひとつのことをやる」というふうに決められなかったのは、これはもう性格ですねぇ。例えば岩波を辞めたのも、「ここに定年まで勤める」と想像した途端に、「自分」の可能性がキュっと縮まってしまう感じがしたからです。まあ僕が社会に出た頃はバブル期で就職できましたが、いまは、どの仕事に就くかを考えて資格取得まで意識して大学受験する学生も多いようですね。「30代でこれくらいの年収だとこのへんに家を買える」とか、そういう人生設計までする人もいるようです。でも僕はそれは怖い。まあお気楽な考えですが、「就職することは人生を限定すること」と感じていました。終身雇用制だった当時、会社が倒産しなければ、ずっとそこにいるわけで、そうすると人生のサイズみたいなものが決まってしまう感じがしてね。

でも、本当は人生のサイズが就職で決まることはないし、たいていの職場では自由の隙間を見つけだすことはできます。今は若い正社員がこき使われていとそうも言えないかも知れないけれど。僕は大学に6年行った後、岩波書店に入社し、その年に演劇を始めました。普通は、正社員になったら芝居をやめるものでしょう? そのへん相当特異な考え方だったんだけど、僕は本気で、就職がなにも他にやりたいことを制限するものではないし、当然両立できると思っていました。僕の任務は台本書きだったから時間の隙間を見つけられそうでしたしね。
できれば就職しないで生きていきたかったですが、そうも行かないので、「就職する」としたら岩波書店だった。月刊誌『世界』で仕事をしたかったからです。当時、『世界』は、ヒジョーにカッコいい存在でした。金大中氏が東京のグランドパレスで拉致された事件(注1)をしつこく追っていたのは『世界』だけだったし、「韓国からの通信」という連載には、当時の韓国の軍事政権のかなり内部の情報が出ていた。その書き手が誰なのか日本の公安はもちろん知りませんでしたし、韓国のKCIA(秘密情報機関)はもっと激しく知りたかったでしょうね。しかし『世界』編集部のある人物だけが、知っていた。カッコいい。
そうした危機の香りもするジャーナリスティックな仕事に携わることができたので、僕の体の中の「働く部分」はじゅうぶん満足できた。あと、就職の面接で支持政党を訊かれるなど内心の自由に土足で踏み込むことも当時企業によっては行われていました(例えば日本共産党、と答えたらNG)が、そういうことは問題にせず、一貫した考えを持っていれば認める、という社風もよかったです。とくに『世界』は、チームワークでやっているという気持ちのよさがあった。
ところが90年代に入って出版業界が不況になり、一方で自分の演劇活動が大掛かりになってくると、新人のうちは「面白いやつだね」扱いだったのが、中堅ともなると「まだ芝居やっているのか」と言われがちになりました。僕の劇団はちょっと変わっていて正社員の勤め人もメンバーに多く、のちにソニーの幹部になった人など、芝居のせいで仕事をスポイルしていると言わせないため、毎朝誰よりも早く職場に出勤していました。僕はそれほどの根性もなかったので、それなりに遅く行ってましたが。

だんだん、現場にも立つジャーナリスティックな仕事ができなくなってきたのが理由のひとつです。カンボジアのポル・ポト派とその後には非常に関心があったので、今に続くフン・セン政権下でラナリット派のクーデターが起こったときには、報道と僕の知っていることが違う、と感じてフン・セン首相にインタビューを敢行しようと思いました。その問題の第一人者の小倉貞男さんという著者と同行するべく企画を提案したんです。飛行機代はどうせ格安航空券ですから自腹でやるから、会社として出張と認めてほしい、と。万一という時は組織的に助けてもらわなくちゃいけませんからね。でも「ダメ」だって。そういう「守り」の態勢に、会社が入っていたんだと思います。そうすると、働く者としては面白いわけがありませんよね。
30代後半は、家族もできて、親も老いてくるし、だんだん若いときのようにはフットワーク良く動けなくなって来る時期ですよね。「ああ、俺の人生こんな感じなのね」と見えてくるような気がしたし、編集作業という基本的に同じ仕事を自分が白髪の年齢まですることを想像したとき、すごくのど元を締め付けられるような閉塞感に襲われたのを覚えています。
そういうときに演劇を教えて欲しいというある大学からのオファーがあって、「あ、まだ動けるんだ」と思って会社を辞めることにしました。

80年代にあった発展的で変化に富んだイメージから淀んだ、暗い、先細りのイメージに移行したと思います。さらに2000年になると、勝ち組・負け組と騒がれ、そう簡単に職を変えることは恐いという風潮も蔓延していました。
いま高校生の皆さんに言うとすると、職を途中で変わるなら、説明できるキャリアにしておいたほうがいいよ、ということですね。「1年間、外国に行ってました」というのを面接で話すにも、半分嘘でもストーリーとしてつくりあげることが大事だと思います。「デンマークにおける風力発電の現況を見ておきたいと思いました」とか。そういう想像力、プレゼンテーション能力が必要ですよね。「まず接客業の基本を学びたかった」からファミレス、とか。
ところで大学では、幼稚園教諭や保育士になる学生を教えていましたが、保育という仕事の専門性が日本ではあまり大事に考えられていないことがわかりました。保育ものは若くて賃金が安くて体がよく動くうちに働いてもらい、結婚はまだしも出産で辞めざるを得ないところがまだ普通です。資格を持っていれば就職先はかなりあるのですが、賃金が安い。独り暮らしをして家賃を払いながら仕事をするのは例えば都内ではかなり厳しいです。
現実には保育士の資格を取って卒業しても、「これ」と決められずにフリーターになる人も多いし、ドイツの自然農場に働きに行ったりする子もいます。いいですね。若いときはたいてい動けるんだから。新奇なものを買いたいという衝動に負けなければ、10年くらいフリーターでふらふらすることは可能です。若ければ、食べ物がまずしくても気持ちがみじめにならないし、友達の家に雑魚寝して床が硬くても、体の柔らかい若いうちなら大丈夫なんですよね。だから何でもできるんですよ。けれどその時代を後でキャリアとして説明できる知恵を持つべきだと思います。

あんまりものを買わないのが一番です。時給1000円ちょっとで働いて、1万5000円のブラウスを買ったら、なんのために生きているのかわからないですよね。いまの社会はそれほどお金を持っていないはずの若者からお金を搾り取るシステムがすごく発達していますね。携帯電話やダウンロードするゲームなどがまさにそうで、少額の決済にコストがかからなくなったから、ひとつのサービスがたとえ15円でも200万人の若者に使わせたら儲かる、という考えで若いオッサンたちが企んでるわけですよお。少額搾取システムは特にネット関係で発達しているので、そこであまりお金を使わないことです。携帯の画面を見るなら景色を見ろ! 景色が悪かったら人間観察でもしたら? と言いたい。
好きなものや可愛いものを部屋に飾りたいなら、お金のかからない方法でそうしたものはないかと探すのが知恵だと思います。とりあえずバイト生活をしているなら、スポットで使う「これ安いけど素敵!」的な買い物はいいけど、毎月吸い上げられるお金は小さくすることですね。PCがなくても携帯でできることは増えていますが、メールくらいにしたほうがいいですね。向こうの仕組はどんどんあざとくなっていますので。
住宅ローンを組んでしまった自分が言うのも何ですが、長期でかつ定額に出ていくお金をつくらないことです。ブランドものを買いはじめるときりがない。揃えたくなるから長期的出費になりがちです。これだけは! と目に留まったものは買ってもいいけど、ほかは工夫して1000円のTシャツにワッペン縫いつけて自分なりのおしゃれにするとか。お金は、使った瞬間には自由に似たものを感じるけれど、使った後は自由ではなくなります。お金を使うって、この経済化された社会では、自由を売り渡す行為なんです。
もし、いまの社会がよく言われるように二極化されているのなら、本当に自由な人は、ものすごく稼いだ人かお金に頓着しない人かのどちらかです。これまでは中間層がいて、そういう人たちが国民経済を支える仕組みになっていました。けれど、中間層でい続ける、しがみつく選択は限られてきています。そうなると市場も変化せざるをえない。2000万円の車をバカバカ売る一方で、「下流」からは少額搾取するわけですね。会社で正社員として働けば収入に応じた場所に家が買えて、間違いなく家族を養え、子どもに教育を受けさせられる、そういう時代は終わりました。
いまの若い正社員は死ぬほど働かされます。「下流に落ちる」という恐怖を背景に、正社員でいたければ人間辞めるほど働け、と事実上言い渡されている。ニートやフリーターが増えるのにもこの一面がありますね。
マネジメントする人間ではなく、労働する人間の賃金を極限まで下げるのがグローバリゼーションと連動した新自由主義で、若い人の賃金がそれで下げられています。それへの抵抗として、「IT企業を起こして巨万の富を稼ぐ」というのは、冒険としてはあってもいい。でも、だいたいの人は落っことされる側にまわるから、その仕組みそのものに抵抗するしかない。だからビジネス書によくあるようなコーチングなどの「あなたも成功して輝ける!」みたいな金銭的成功に向けたモチベーションを高める方法はお勧めできません。そういうメッセージは、「あなたが成功すると信じたら成功する」に終始していて、それは人を労働にいっそう駆り立て、「まだあなたは競争できますよ」と囁くものでしかない。成功するという話は疑ってかかったほうがいいです。
東大の院を出ても仕事がないし、企業で伸びる力もないからずっと大学にい続ける人なんてざらにいます。学歴があっても成功するとは限らない。とにかく「上層」に足場を得ていない人間にとって搾取がよりきつい時代です。

搾取されるのは、消費者であり続けるからです。それなりのものを食べたいとか東京に住みたいといった欲望があるわけです。気取りはあっていいし、確かに町暮しは楽しいものです。三畳一間で風呂なしでも、若いうちは、別にみじめったらしくない。ただ見栄を張って雑誌の世界にあるようなインテリアに凝ることはやめたほうがいい。インテリア好きで「IKEAでぜんぶ揃えました」ってなれば家具奴隷になってしまいます。街の中にいるとそういう誘惑が多いですね。実際カッシーナーのショールーム見ていたらきれいだなと思うし、僕もソファ買ってしまいましたが、実際、製品としてよかったりします。
でも、ブランドものを買うのは、「間違いなさを手に入れるためのお金持ちの振る舞い」であって、トレンドだからと背伸びして買うと痛い目にあいます。ローンで買ったりすると、「この夜勤の郵便物の仕分けのアルバイトは自分の3年後のためにならないと思う。けれどやめられない」ということになります。
チープさを楽しむ心があれば暮らしは楽しくなります。絵を買うのではなく、大家に内緒で壁に絵を描くとか。独自性はものを買う中にはありません。そういう、カネでつくられたのでない暮らしぶりが都築響一さんの『TOKYO STYLE』という本にもなりましたね。
ただでさえ少ない実入りを流行りものに注ぐよりも、自分たちなりの想像的行為で飾ったほうがいい。事実、不景気の長いヨーロッパの若者はそうしてきました。企業社会の思うようにみんながお金を使わなくなったら、ざまあみろ、です。賃金が下がっても、それに左右されないそれなりの生き方を選べるのが、その人の自由。そのときそのときの収入で、時間を奪われるよりは月収10万円でもいいから時間を奪われずに遊べる暮らしはどこにあるんだろう? と探すのが自由じゃないですか。健康であればね。それを喜ばなくちゃ。
それがないとお金を持っているかないかの価値観でしか判断できなくなりますから、この恐ろしいシステムの手のうちに絡めとられるので、辛い目に遭いやすくなります。そういう意味で、10代の頃やっておいたほうがいいと思うのは、親に反対されてもバンドであれ絵を描くのであれ、好きなこと、自分なりにクリエイティブなことをするのがいい。働いて得たお金で人の創ったものを楽しむよりも、自分の手作りのものでスキルをあげて、それなりに人と交換し会えるようになれば楽しいじゃないですか。
僕はできるだけ二足の草鞋を履くことを勧めます。仕事がそれどころじゃなく忙しければ、辞めるしかない。ただしその後にやることと、それをまたやがてどこかで働くときには「そう説明できるか」考えてね。かつて、成長期に会社で働くだけが自分の人生になって、定年後何をしていいかわからない人は、「濡れ落ち葉」と言われて苦しみました。「二足の草鞋」で何とか、「働く自分」と「愉しむ自分」を両立させていれば、世情が変わっても、生きる余裕に違いが出てくると思います。

(注1)
1973年8月8日、東京のホテル・グランドパレスで、韓国の政治家、金大中氏(後の韓国大統領)が拉致された事件。当時の朴正熙政権は、躍進する金氏に対して大きな不安を抱いていたため、KCIA(現在の国家情報院)が拉致を行ったとされる。金氏は殺害されることなく事件の5日後、自宅に戻った。
Kazumasa Horikiri
堀切 和雅
1960年生まれ。学生時代には、バンド「スーパースランプ」を創始する。
1984年、劇団「月夜果実店」を旗揚げ。作・演出者として、2002年までに23回の公演を行う。作品に「落ちる星☆割れる月」「トナールとナワール」「アインシュタイン・ロマン」「プレゼント/プレゼンス」など。
同時に岩波書店に勤務、月刊誌『世界』などの編集を務める。現在、出版社ユビキタ・スタジオの代表取締役編集人。