

Yasushi Kajikawa
梶川 泰司
1951年生まれ。高校中退後、バックミンスター・フラーの『シナジェティクス』にふれる。1981年、幾何学論文をまとめ渡米。フラーは初見でその論文とモデルを採用した。フラーが他者に対して初めて認めたデザイン・サイエンティスト。
梶川 泰司 さん(デザイン・サイエンティスト)
ジオデシックドームやテンセグリティの発明ばかりではなく、宇宙船地球号、バイオスフィア、量産金属住宅、量産ユニットバス、双方向映像通信システム。これらの概念の起源も、バックミンスター・フラーにあることを知っているだろうか。20世紀のダ・ヴィンチと評される彼は、思想家であり、科学者であり、数学者であり、建築家であり芸術家であるとときに紹介される。しかし、それらの肩書きは彼の全体像を表すものではないだろう。いったいフラーとは何者なのか?その問いに対する答えは、その思考のプロセス、提唱した概念に鍵があるのではないか。今回、登場いただく梶川泰司さんは1981年、幾何学論文をまとめ渡米。フラーは初見でその論文とモデルを採用、その後、バックミンスター・フラー研究所で1983年になくなるまでの2年間の共同研究に従事した。梶川さんの考え方、フラーとの出会い、そこで得たことは何かを尋ねた。
高校生にとっては、多少難解に感じても、じっくり読めば自ずと言わんとすることは伝わると思う。
フラーの『宇宙船地球号操縦マニュアル』を最初に読んだのは、高校を中退後、土木工事の現場で働いていた19歳の時、その本から「シナジェティクス」の存在を知った。そして、一番感銘を受けたのが「シナジー」という概念だった。宇宙自体が「完全無欠性」をもっているから、小さな「個人」という存在が包括的に思考すれば、専門家や国家のようなシステムに依存しなくても、宇宙の中のこの惑星の乗員としての役割を果たすことができる。それは、私自身の学校から脱出せざるをえなかった経験からも、間違いなくそうだと思えたし、単純に「その人」に会ってみたいと思った。
それから幾何学の自律的研究を始めた。自律的とは学校社会や研究組織に属さなくても、いつでもどこからでも興味から学習は始められることを指すが、誰でも書物にはない他者との対話なくしては一人では学習できない。だから、独学というと正しくない。10年後の29歳の時、5本の論文をもってフラーに会った。そのなかのアイデアには、その3年後に『サイエンティフィック・アメリカン』(1984年8月号)に掲載されることになる論文「多面体を折りたたむ」が含まれていた。当時85歳のフラーは、その場で、私の論文とモデルを強力なブレークスルーだといって認めてくれた。そのとき、フラーの"think out loud"、しゃべりながら直観に思考をゆだねる方法にも、シナジェティクスと同じような興味を感じた。彼は私にとって期待した以上の心から信頼できる偉大な教師だった。
最近、フラーと出会った時に彼が執筆していた『コズモグラフィ』という、フラー独自のアインシュタイン論を訳したが、そこに生涯をかけて宇宙論と対峙した人の絶対的孤独と宇宙に対するある種の信頼を感じる。だから、私のフラーに対する理解は、人間に対する信念でも忠誠でもなく、やはり原理の発見者を志す孤独な人間どうしの相互作用だと思う。シナジェティクス大全の第2巻が、第1巻の続きではなく、原理の発見によってヴァージョンがどんどん変わっていく編集システムとして、書籍で最初のハイパー言語として開発されたように、「シナジェティクス」の体系そのものも発見された原理とその相互作用がどんどん増殖していく自然の生成システムだった。それは、超専門化した社会システムにはない機能だ。アメリカでは、彼のことをすごく徹底したプラグマティックな個人主義者だと思っている人と、逆に自己否定の極限までいったある意味で東洋的な存在だと思っている少数派がいるが、私は、彼は20世紀を代表する天才である一方で、個人のオリジナリティを否定するメタフィジクスを備えていたと思う。彼は一度も「デザイン」したことはなかった。彼は「発見」しかしていない。これはもっとも知られざるフラーの本質だと思う。超専門化したシステムでは、つねに局所的なオリジナリティにこだわらなくてはならないから、自然界のシステムの等価物を人為的に創りだせる幻想に依存する傾向が生まれる。

彼は私の最初の論文のスーパーバイザーを引き受けてくれたので、彼とシナジェティクスについて喋るとき、私にいつもテープレコーダーを用意することを望んでいた。当時から彼のアーカイブにはそれまでのすべての講義を記録していたから膨大なビデオテープもある。彼は人を「教育」するのに、「皆さん、わかりましたか。では次にいきましょう」という同時的な場を作らない。極端に言えば、彼が亡くなった後も、テープなどの記録媒体を利用して何度も繰り返し熟考するうちに突然わかるという関係、つまり電子的で「非同時的」教育だった。彼には、理解にはそれぞれの個人に異なったタイムラグがあるという認識とアインシュタインの非同時的宇宙観との差はまったくなかった。
「シナジェティクス」とは「思考の幾何学」「時間を含む幾何学」あるいは「複雑系の理論」とも訳され、フラー独自の数学、物理学体系と紹介されるが、それはフラーの概念を既成の概念に置き換えただけで、彼の提唱しようとした全体像の理解を妨げていると思う。これは彼の提唱した「デザインサイエンス」にも言えることだが、デザインサイエンスとは、「形態は機能に従う」式の機能主義的なテクノロジーではなく、自然の原理群に学び、生態学的な相互作用を破壊することのないサイエンスを指した。
そうした考えを踏まえると、シナジェティクスとは、つくり出すものではなく、目には見えないが、宇宙にはじめから備わっている原理や機能を知ることに関する学とするのが適切かもしれない。テクノロジーは創り出されるのではなく、宇宙は先験的なテクノロジーの総体を形成しているというメタフィジクスの理解が伴わない限り、シナジェティクスは、既存のテクノロジーが生み出す有用性の対極に置かれるに違いない。
フラーと初めて会ったときの話に戻ると、彼は私の手紙と論文を読んで「あなたはシナジェティクスを深く理解している」と言った。私はまだ『シナジェティクス』を十分に読んでいなかったので、かなり驚いてしまった。「これからどういう勉強をしたらいいか」と尋ねたら「その前にシナジェティクスに関する自分の発見を論文にまとめるべきだ。次に人類最長のデザインサイエンスの学習過程はさらに12年かかる」と言われた。彼が私の年齢を聞いたことはなかったが、私はアメリカで30歳になったばかりだ。
そのときフラーは、若者が学習する場合の4つのプロセスについて話してくれた。(1)まず興味を教わることはできないから自分で「発電」しなくてはいけない。「発電」という動機付けはけっして教えられない。(2)次に興味あることを前にして、その道の本を読んではいけない。とくにまずいのは本を真っ先に読む学習方法が主体になることで、学問をしたいなら書物からはじめる必要はない。
では、どうするかといえば、(3)その分野で世界で最も秀でた個人に会いに行き、そこではじめて「どういう本を読んだらいいかその人に聞く」という。つまり、そうしてはじめて、勧められた本をその人の近くで学ぶことができる。ところが、その方法からは絶対にわからないところがある。(4)最後は、関連する仕事場や工場でしばらく働いて、「図面化できないノウハウや記号化されない情報系」を、道具の使い方を通じてその達人や職人、そして彼らがいる環境から直接学ばなければならい。それらの修行を経て、はじめてデザインサイエンティストの場合は物質を、すなわち見えない機能をデザインできる。フラーがいうデザインは、明らかにバウハウスのような形態デザインではない。複数の原理の相互作用を調整する行為を意味する。つまり、私は42歳までは不完全なデザインしかできない。デザインサイエンティストとして環境デザイン(フラーは建築という概念を使わない)に関わるまで、私の残りの12年間をどう生きるかという挑戦は、彼に会わなければ生じなかった事実に注目した瞬間に、もう一つの現実を見せ始めた。この瞬間からなすべき仕事と職業との完全な分裂が意識的に始まった。
つまり、仕事と職業の二重性がなくては、仕事は一歩も進まないのだ。これはけっして二足のわらじではない。あれかこれかを脱すれば、仕事は自ずと与えられるという確信は、彼に会わなければ更なる研究成果は分からないと判断した時から比べれば、確実に大きくなっていくように感じた。私は大いに勇気づけられた。仕事と職業が完全に一致することがなくとも、仕事をすることはできる。パートタイムかフルタイムかではない。私の現実と宇宙の現実をどうして自から区分しなければならならないのか。フラーのメタフィジクスに深く魅入った時期でもある。
「宇宙とは、人類が意識して習得し伝達する経験の総体の集合である。その経験は、同時的ではなく、非同質的で、計量可能なものと計量不可能なものが、つねに部分的に重なり合い、全体が変形していく現象の全体である」(1961 RBF)。宇宙は大気圏外の領域だけではないのである。この見解から、人間はどこでも依頼がなくとも自発的に仕事をすることができることを学んだ。今思えば、学習過程にいながらフラーとの共同研究が始まったように、自発的な挑戦で生まれたさまざまな課題がもっとも重要な仕事の全体を形成し始めたのだろう。(1995年、直径11メートル、総重量250キログラムの緊急災害用の展開型のテンセグリティ・シェルターのプロトタイプをデザインした時、ちょうど私はその成熟すべき年齢に達していた。彼の予測はまったく正しかった。彼の数々の科学的予測もこうした千里眼の表れではないかと思う)(注1)
フラーでもそんなことを考えているのかと驚いた。マルクスの「すべての人間は生産過程に従事しなければならない」なら、センスを捨てた方が楽である。お金を稼いでからセンスを探求すればよいとする歴史的には反遊牧民的なタイプの思考法は世の大勢を占めつつある。都市の定住人間である両親やその社会は、たいてい子どもがいだく森羅万象への興味を後回しにする傾向に反対しないので、瞬間の判断がコロニーの生存に直結する気象圏から遠ざかり、気づいたら白髪になっているという後悔は、古今東西ありふれた世間話だ。
若い時、フラーは知人に「金儲けができないから、人類のための研究といいながら、自らデザインする人工物が何一つ実現できていない」と言われ、お金をもたらすアイデアを提供して次々と成功させ、これまで彼を揶揄してきた周囲の人たちに「金儲けはいつでもできる」ことをきちんと証明した。ただし、一度だけ。現在、世界中の空港や駅などのショッピングモールにある造花やガーデニングに使われるプラスティック製の庭石などがそうだ。その後フラーのこのコンセプト-------つまり今でいうビジネスモデル-------を模倣した企業や個人は無数にあったわけだ。フラーは、商品のアブノックス性を本質的に捉えていた。そういう意味では、フラーはものすごくグローバリズムのハッキング(既存のノウハウをできるだけ駆使して社会システムとの関係において、商品開発のメカニズムを遠隔的に操縦する)を熟知していたし、特にサバイバルツールに関しての最初のハッカーだった。ただし最短でも50年先にしかできないものだったので夢想家と言われていたが、彼が予測したおかげで実現までにかかる時間が短縮されたともいえる。
私もデザインサイエンスの遂行に必要な資金のために、企業などの技術コンサルタントや製品開発をしてきたが、デザインサイエンスのノウハウを応用し過ぎると性能が劇的に向上する割合に比較して、生産原価が反比例しすぎて、かえって市場からは非現実的になる場合をいくつか経験した。製品は本質的になりすぎては企業には好ましくない。つまり計画的に陳腐化しなければ彼らが期待する利潤確保の永続性が失われてしまう。(「特許権の存続期間」は出願日から20年である。この期間を過ぎれば独占による優位さも完全にリセットされる。)
英語の実現化を表す「リアライゼイション(realization)」には認識という意味も含まれるが、同時に現金化という意味を備えている。ものごとの実現化には現金化を伴うと言う意味で、ハッキングはお金を稼ぐ基本的な方法だ。そういう意味では世のほとんどの有能なデザイナーほど、アブノックス産業に深く従事していると言える。
しかし、ある種の人間---おそらくフラーがプライムデザイナーと呼んでいた概念デザイナー---はそうしたハッキングだけに従事すると本来的な原理の発見に出会うためのある種の集中力に不安を感じるようにデザインされている。こうしたアブノックス・ビジネスは、ほとんど生存には無意味なアイデアをお金に変換する作業が主目的になりがちで、とても心から喜びを感じる仕事とはいえない。それが社会が要求する「職業」ゆえに疑問を抱いている人はほとんどいないように見える。もし、そうだとすればすべての領域で個人は社会が要求する「職業」により束縛されるだけかもしれない。たとえば「センスがいいデザイン」という言い方が説得力を持ってしまう傾向がある。そこでいうセンスは、お金を出せば所有しやすい個人向けの獲得物質のモードであって、フラーのいうセンスとは「感じられる力」で、生得的なものだ。人々は職業の選択から「感じる力」を捨てようとしているのだ。そのかわりセンスを買うことにしている。これらはすべて移動するための重要なテクノロジー、感じる力を奪われた結果だ。
人間は進化の過程で多様な可能性を探査しているから、あらゆる個人は人と違ったことを経験している。かつて存在しなかった新たな意味や価値を引き出したいなら、職業を最初に選ぶべきではないと思う。

フラーに会うまでの自律的学習段階で重要なことは、幾何学の勉強をすればするほど、大抵の問題は片が付いているように見えることだった。私が知らなかっただけで、何をやってもみんなすでに考えられたことだった。だからといって挫折はしなかった。むしろ人間はすごいぞ、何でも考えていると心から思えた。「誰かが考えていないこと」を考えること、そして、自分に才能があるかないかを毎日考えることに意味があるのかという疑問がどこから生じるかを考えた。そこで他人の業績を勉強するのをすっかり止めた。勉強して「わかった」ことでアイデアを得ても、結果を他人と比較するプロセスが無限循環しているからで、だからいっさいの勉強を止めたとき気づいたのは、「本も読まずに考えるべきことを考えられるか?」だった。つまり考えるべき目的と方法を考えることに気づいた。まず、考えるべきことは自分のことではないということもわかった。自分のことをよくよく考えるといつもどうでもよいことばかりだ。
次に、見落としていたのは、考えるべき目的と方法を考えた結果は、誰かのアイデアと99.9%は同じでも残りの0.1%は違うということだ。それを見分ける力、つまり感じる力が当時は不足していた。何がそうさせているかというと、自分の持っている言葉が「自分は他人と同じだ」と思わせているわけだ。他人との違いを求める言葉も他人と同じ道具だから、どちらの側に立っても「違い」をつくることは、もっとも困難なことだ。ある意味、詩人になるような努力をしないと新しいことはできないという覚悟が生まれた。これは自律的学習段階の最大の発見だった。経験の違いこそが小さな差異を頻繁に生み出している・・・・・・言葉を教わる前に新生児は何かを見る。それは母親と似たものに注目するのではなく、2つの出来事の違いに注意を向ける。ところが成長するにしたがってその能力は低くなることも分かってきた。けれど赤ん坊は、生き延びるために常に違いを感じている。その能力は言語の習得より前にある。これはすばらしい大脳生理学上の発見だ。すべての人はかつて赤ん坊であったにもかかわらず、赤ん坊のことはほとんどなにも分かっていないのだから。あるものを見たり、知ったりした「感じ方」が言葉でつくられているわけで、その言葉がみんなと同じであれば(言葉を共有している以上、絶対そうではあるけれど)感じた結果はずいぶん似たものに思える。だからこそ言葉以前の「そこでどのように感じられるか、その原型」が問題になる・・・・・・・つまり本当は違う感じ方をしていたのに、他人と同じように感じたがる「システム」が介入していたのだ。このことに何度気づいても気づき過ぎることはないくらい「システム」の介入する思考の現実が見えてきた時だった。だから、フラーと会って、幾何学とシナジェティクスの違いをより鮮明に区別できたとき、シナジェティクスにこそ無限の可能性を強く感じられたのだ。しかし、シナジェティクスを研究する環境にいても、将来これを職業にしたいとは考えなかった。すべての職業は遅れてやってくる。私は望んだ仕事を今フラーとしているという事実で十分だった。
(注1)
テンセグリティ(tensegrity)は、tension(張力)とintegrity(完全無欠)から合成した造語。バックミンスター・フラーによれば、「すべての構造体は、張力と圧縮力が拮抗した相互作用からなっている」という。近年の研究では「生物の形を決める原理はテンセグリティ構造になっているのではないか」という報告もなされている。
国家からすればサラリーマンが多いほど豊かな税収を見込めるから、リスクのある短命なベンチャーよりも大多数の国民には一つの職業をずっと一つの場所で維持させるほうがいい。しかし、たとえばプラトンの正十二面体の実用化について最初に個人として挑戦することは、とても社会的にはクレイジーなことだ。これは数学でもなければ、物理学でも、まして芸術でもない。テクノロジーのあり方を問題にする過激なロジックを必要とする。フラーの場合は、イデオロギーを越えて定住させるすべての国家システムに対抗して、モバイルテクノロジーを投入しようとしていた。軽量で分解可能な移動住居システムの量産においては、純粋数学的な対称性を導入するデザイニングがその経済性を決定する。本質的な発明家の全身にエネルギーがみなぎる状態は、フラーの初期のジオデシック・ドームやオクテット・トラス、テンセグリティの3大発明の特許明細書のなかに滲み出ている。デザインサイエンティストを志したとき、フラーの特許文書をテキストで精読して異様な感じを受けたのは、フラーの場合、明細書の文体がそのエネルギーによって、一種の文学の領域に達していることだった。この3大発明は今では広く認知されているが、最初の彼の数学的な興味は、正十二面体の大円(Great Circle)の回転対称性を球面分割理論に応用することであった。プラトン立体を古典幾何学ではなく、動的なシンメトリーや構造システムに変換できるアイデアを得た発明家にとって「それをやって何になるの?」という既存のビジネス上の予測は、どうでもいい話だ。常識が何かを否定することはあっても何かを生んだ試しはない。その常識を基準に意図的に非常識にしたところで、うんざりするほど常識的な裏返しに出会うだけだ。しかし、どんなに非常識でも他人の利益を一番に考えて自分の時間や心をささげていると感じれば、それは意味ある仕事なのだ。そうした稀有な個人と対話することはすばらしい生きている時間である。しかし、それが職業であるとは限らない。
あらゆる職業は固定的で、同時的だ。しかも、より加速している時代に生かされている。真の仕事は非同時的だ。フラーが亡くなって、個人教授で記録されたオーディオ・テープを繰り返し聞けば、当時では解読不可能とも思える彼のビジョンが鮮明に浮き出てくるいくつかの場面があった。この非同時宇宙に属する叡智のコミュニケーションは、私を神秘的存在に誘ってくれる。

シナジェティクスがもっとも自由な学問かもしれないのは、自分で定義していいところだ。そのルールから、新しい構造とパターンを生み出せばよいのだ。そのオペレーションから、やがて構造とパターンの関係はけっして人間は作りだせないという大いなる自然のルールを知ることができる。
大英博物館には、プラトンのつくったとされる美しい大理石の正二十面体がある。正多面体は、別名プラトニックソリッズ(Platonic Solids)と言われ、この25世紀間は大理石などの固体的な物質観でつくられてきた。幾何学を考えるときに、プラトンは無意識に大理石でつくってしまった。永続性や永遠性を固体に求める習慣がある。この習慣は、権力機構が古代から石の要塞を築いてきた歴史と関連しているとフラーは指摘している。テンションの歴史がほとんど隠蔽された時代を作ってしまった。フラーと私が大理石を多面体から排除したのは、ソリッド系は思考の固体性にまで影響していて、いろんな意味を引き出すことができないからだ。面はどうでもよくて辺と頂点だけに注目すれば、いろんな動的相互関係が見えてくる。頂点における角度的自由度は、幾何学の概念をも根こそぎ変えてしまった。これは言葉でいうと簡単だが、25世紀間、誰もやってこなかった。数学のこれまでの定義では「多面体は古代ギリシャのように中身の詰まったソリッド(固体的)にしましょう」ということでやってきたたけで、それ以上のものはなかった。しかし、概念のモデリングがつねに宇宙の真理と一致するかは別の問題だ。個人に言語を生成する能力と自由がある以上、宇宙のルールと調整していかなければならない。
シナジー効果という言葉が、最近のビジネス界などで使われているが、シナジー原理を真に理解すれば、ビジネスを根本的に支える経済システムばかりか、ほとんどの学問はリセットしなければならないほどの古いシステムを作り上げていることに気づくはずだ。たとえば、水という化合物は、水素と酸素の気体から化学反応して生成される物質であるが、分離された状態の2つの構成要素をそれぞれ調べてみても、そこに水という化合物の性質を予測できる情報のひとかけらもない。水素と酸素から水が合成されてはじめて生まれる水の特性はシナジーそのものである。われわれはこのシナジーという重さのない絶え間ない相互作用の海に浮かんでいる生命なのである。テンセグリティのような圧縮材が非連続な構造システムを直観的に理解する能力が遠のいてしまった状態で、シナジー効果という言葉だけが分離されているのが現実だ。重要なことは、学校へ行けばいくほど、結果的に統合力(インテグリティ)が個人からどんどん剥奪されていくという現実だ。リアリティ(現実)は絶えず人間によって作られ、真実はますます遠のいていくように思えるが、シナジー原理の自然な理解を育てれば、学校教育を受けなくても、たとえば科学者や数学者になれると思う。感じること、その次に、発見された真実を数学という形式にすればよい。特に「数学的証明」という形式にするアカデミックな数学の優れた専門家は、国内よりも国際会議などですぐに友達になれるので、感じたことを彼らに変換してもらえればいい。これは発明家の発明を特許の明細書に変換する特許の弁理士との関係とまったく同じだ。協力してくれる専門家たちの中には、シナジェティクスの飛躍の非論理的な構造に興味を持ってくれる友愛的な直観派も少なくない。言語のルールは、自然がどのような働きをしているかを知ることから影響されると考えているけれども、科学的に捉えるまえにすでにデフォルトとして、生まれながらに言語のルールを生成するシステムがインストールされていると考えれば、新しい選択肢が無理なく生まれる。現在の学校教育ではシナジーを教育不可能な概念と思っているだけではなく、自らの教育システムと決定的に対立してしまっている。
私は16歳のときから学校へ行かなかった。しかし、卒業証書はみんなが卒業した後、郵送されてきた。今から思えば履修単位は決定的に足りてない。昔だから不憫に思って卒業させてくれたのだろうが、大きな勘違いだった。学校よりもクラシック喫茶で一日を過ごすことが多かった。夜はジャズの店に通っていた。残りの日々は、つまり私の短い高校生活は「試験制度が学ぶ動機をダメにしている」という直観にしたがってすべての試験を受けないで自律的に学習していた。時には、外部から生物学の専門家を呼んで自主講座を開いたりしていた。当時の私にとって、知りたいことはつねに外部に存在することが問題であった。最大の外部とは「自分以外の環境」である。後に、「20世紀以降、重要な発見は大学の外でなされた」というホワイトヘッドの主張する歴史的事実と偶然ではない視点の一致に気づくことができた。私は外部と私との無数の相互作用のなかで、感じ、思考し、呼吸し、そして眠ることができる。発見という輝きは、それらの意識と無意識の相互作用の予期しないスパークなのだ。
そういうふうに考えられたのも、私には子どもの頃からの長い自律的学習の経験と歴史があったからだ。私の通っていた小学校は、公立だったけれど教科書も試験もなかったし、重い百科事典をランドセルに詰めてローラースケートを履いて通っていた。ランドセルをバックパッカーとして利用する最初の小さな集団を作りだした。多くのクラスメイトは始業時間よりも早く教室に集まっていた。みんなやる気で結ばれていた。教師はあまり介入しないどころか昼寝していて、子どもが子どもを教えれば、それまで休みがちで漢字がほとんど書けなかった子がクラス一の漢字博士になったりするような、教室全体が知的に爆発するような状態だった。しかし、ある日突然その教育は理由もなく打ち切られ、真新しい教科書と罫線の入ったノートが配布された。すべてが陰鬱な世界にだった。そのユニークな教育方針は、後に私の個人的な調査から、アメリカの自由主義経済を啓蒙するために行われた文部省の先端的な実験教育であることがわかった。教職員組合とPTAの猛反対で計画は頓挫したのだった。しかし、そのときの経験で子どもたちに試験や教科書なんて必要ないし、突き詰めれば学校も先生も必要ないことがわかってしまった。子どもたちは、ある場所にある目的であつまれば、それで十分であった。
知的なことを追求するには、アカデミズムの世界に行くほかなくて、それなくしてどう研究するの?と当たり前に言う人は多いが、そういう進路を選んでいたらフラーに会えなかった。
思ったことをしたければ大学へ入ってから、あるいはそのために関連した職業についてからやったほうがいい、と考えがちだ。でも、人類が誕生してシベリアからベーリング海峡を渡り、北米から南米の最南端へ移動したのは、時系列で言えばあっという間に人間が地球上を覆ったということは、大人が言うように「これをやってからでも遅くない」ということを聞いていられない人間が太古から一定層いたということでもある。私はそれをモバイラーと呼んで、そうした人間がいるから文化やテクノロジーが成り立っていると考える。モバイラーはいつの時代もたぶん多くても0.1%くらい---この数字が、先ほどの話で誰かのアイデアと99.9%は同じでも残りの0.1%は違う数字と一致するのは偶然ではないだろう---いて、たいていは失敗して野垂れ死にするから、それを見た残りの人はやっぱりそういう生き方を止めてよかったと思う。けれど0.1%の人間が本当の危険や危機を回避させているのだ。科学史や産業史をみると、こうした少数派の恩恵の連続であることが見えてくる。一世紀以上前までは、科学者は貴族の家庭教師をして生きていくほかなかったし、生存中はほとんど報われていない。野垂れ死にしても「人間を越えた宇宙のルールを理解する方がおもしろいぜ」という人は、どういう状況でも一定数いる。ただし圧倒的な軍事テクノロジーの歴史の谷間での出来事であることを除外して見るべきではないと思う。
クリエイティビティとインテリジェンスは違う。日本人はインテリジェンスの高さでクリエイティビティを見分けようとしている。インテリジェンスの極限にクリエイティビティが発生すると考えている。しかし、知識がなくても考えるプロセスに発見があるにもかかわらず、知識が増えるという生得的な知性、つまりデフォルト知性は全く除外されてきた。
宇宙の統合性(Cosmic Integrity)を科学的にも証明できるとするのがシナジェティクスだが、私は、シナジェティクスを学ぶ前に数学が深く関与するはずだと、そしてこのことに一番リアリティがあったから、フラーと会えただけではなく研究する場を共有できた。しかし、そのリアリティをさらに具体的な形にするには当時の私には、既存の数学的知識があまりにも不足していた。私は明らかに知識からシナジェティクスを探求したわけではない。
しかし、ノウワット(know what=目的意識)ばかりでは、ノウハウ( know how=技術知識)も発見も生まれない。目的意識は簡単に捏造できるから。ノウハウばかりでは、発明はされても何も発見されない。しかも、技術知識は一部の企業に独占されやすい。一方、ノウホワイ(know why=理由・動機を知っていること)には、国家や大企業、教育組織は無関心である。しかし、すべての個人は、ノウホワイを生得的デフォルトから自ら発見できるのだ。
ノウホワイは教育不可能であるという理由から、教育課程では完全に除外されているけれど、私は、フラーとノウホワイについてもっとも対話できた。ノウホワイはつねに自発的である。私は、直観的にこの回路を通って、フラーに会ったとも言える。この方法はシナジェティクスを学ぶ最短の道でもあった。もちろん彼はそれを感じていた。
それから2年後、偉大な師は、ノウホワイ(know why)をデザインサイエンスとシナジェティクスにリンクして去った。友人のシナジェティクス研究者ロバート・グレイ(Robert Grey)が立ち上げたサイトで、バックミンスター・フラーのシナジェティクスの原書のすべてのテキストと図版からいつでも自由に学ぶことができる。
(http://www.rwgrayprojects.com/synergetics/synergetics.html)
このリンクを理解するには学校(建物)と教師は不要だ。それはすばらしい自己教育の宇宙だと思う。われわれは生まれながらに、会社がなくても仕事ができるように、学校がなくても学習はできるテクノロジーを所有している。しかも、現在のわれわれは、必要なすべての既製品のハードウェアのパーツを手にしている。唯一欠けているのは、売買も所有もできない統合するためのノウホワイだけだ。
そう感じられるとき、すべての人はクリエイティブな才能に溢れている。

Yasushi Kajikawa
梶川 泰司
1951年生まれ。高校中退後、バックミンスター・フラーの『シナジェティクス』にふれる。1981年、幾何学論文をまとめ渡米。フラーは初見でその論文とモデルを採用した。フィラデルフィアのバックミンスター・フラー研究所でシナジェティクスの共同研究に従事した。フラーが他者に対して初めて認めたデザイン・サイエンティスト。その成果はフラーの遺作となった『コズモグラフィ』(邦訳近刊)に収録された。
1986年からバックミンスター・フラー研究所主催のカリフォルニアでのシナジェティクス・ワークショップ講師を担当し、1990年、ハーバード大学視覚環境学部のデザインサイエンス・コースの客員教授を務める。1988年シナジェティクス研究所を設立し、新たなシナジェティクス理論や次世代の移動可能な折りたためるテンセグリティー(注1)構造システムなどを開発してきた。
<シナジェクティクス研究所>
http://synergetics.jp/
<犬のしっぽブログ>
http://www.e-shokuju.org/hibagun/
著書
『宇宙エコロジー』
バックミンスター・フラー +梶川 泰司 著
(美術出版社、2004)
訳書
『エッシャー・変容の芸術-シンメトリーの発見』
ドリス シャットシュナイダー 著 , 梶川 泰司 訳
(日経サイエンス社、1991)
『クリティカル・パス』
バックミンスター・フラー 著 , 梶川 泰司 訳
(白揚社、1998)
『バックミンスター・フラーの世界』
ジェイ ボールドウィン 著 , 梶川 泰司 訳
(美術出版社、2001)
『コズモグラフィ』
バックミンスター・フラー 著 , 梶川 泰司 訳
(白揚社、2007、4月出版予定)
【梶川 泰司さんの本】

『宇宙エコロジー―バックミンスター・フラーの直観と美』
(美術出版社)