

Mana Yasuda
安田 真奈
神戸大学映画サークルで8mmを撮り始めて以来、メーカー販促部門に勤めながらも年1〜2本撮り続けた。94年、97年、98年と3回のあきる野映画祭グランプリをはじめ、各地映画祭で入賞多数、グランプリは計6冠。
安田 真奈 さん(映画監督・脚本家)
「社会の大事件より個人の大事件を撮りたい」と安田真奈監督は言います。ニュースにはならないけれど、今日見聞きした他人にはちっぽけなことが、その人にとっては、その後の人生を変えるくらい大事件だったりします。日常は地味だと思われがちだけれど、実は大事件が日々起こっています。「幸福のスイッチ」が劇場初公開作品となる安田監督は、そうした何気ない日常の中の気配を巧みに取り出します。どういう眼差しが小さくて大きい事件を読み取るのでしょうか。
都会に住んでいる人は、「いまの時代にそんなことありえない」と思うかもしれませんが、私が電器メーカーに勤めている時代、「留守の間に修理しといて」と家の鍵を預かったり、工事が終わったらご飯をいただいたり、家族の悩みを相談されたりとか、電器屋を軸に非常に濃厚な人間関係があることを知りました。電器屋を舞台にみんなの知らない世界を見せられるとそのとき思いました。

9年半勤めた会社を2002年秋に辞めてから本格的に脚本を書き始めました。とにかく取材を重ね、電器屋をお手伝いしてみたり、出入りしている業者やお客さんに話を聞いたりして、脚本の中身を厚くしていきました。
「幸福のスイッチ」では、私の気に入った「電器屋」「家族」という物語の設定そのものがネックになって、「電器屋の映画じゃ客はこない」と言われ企画が難航しました。脚本執筆から撮影決定まで3年かかりました。
地元のコミュニティー的な存在ですね。実際、店内に茶菓子の食べられる接客用のテーブルがあってお客さんがそこに集ったり、月に一回料理教室があったりします。そういう場が販促の機会にもなっているわけです。製品を買ってもらった客へのフォローと買ってもらえそうな見込み客に向けて新製品を使ってみせるわけです。
映画に出てくるネタはほとんどが、実際田舎の電器屋であるエピソードをベースにしています。
私は「社会の大事件」よりも「個人の大事件」を描きたいなと思っています。こわばった気持ちがほぐれていくとか、知っているようで知らなかった人の姿が見えてくるとか。これは映画に関わり始めた頃からですね。

かといって、殺人など派手な設定を絶対書かないわけではないです。どれだけ大作であっておもしろくても、見終わった後、自分に跳ね返らない映画は、個人の描き方が薄かったり、感情移入できるところが少ないんだと思います。
どんな大きな設定でも、また非現実的な話でも、登場人物の心の機微や成長、変化を描きたい。だから個人の大きな事件を大事にしたいんです。
こないだまで会社員をしていたのに「沢田研二さんでなければイヤ」とは言えませんから、それはプロデュースサイドの働きのおかげです。
はたから見たらとんとん拍子に見えるかもしれませんが、やはり会社員から映画業界に入るのは、かなり無理があります。普通はありえない。
ただ、会社員時代はメーカーでチラシ、カタログの制作等の販促活動をしていましたから、自主製作の作品を売り込んだりすることは、会社の仕事とリンクして考えられました。
たとえば製品のカタログをつくったら、流通先で成果を検証して、次に生かします。それと同じで、自主映画を撮ったら棚に寝かさず上映して、コンペに応募し、観客や審査員の評価を次に生かす。そういう声をスタッフ、キャストにフィードバックしていくと、励みになるのでノーギャラでもまた手伝ってくれます。
そんなサイクルを続けて、なんとかやってきました。映画祭に行ったら手裏剣のように名刺、プロフィールを配ってましたよ。
作品のビデオを配るときは、絶対に予告編や観客の感想を一言つけたりとかしてました。大阪で会社勤めという時点で映像業界では不利です。でも、その枠の中でできることはできるだけしていました。
親しい上司・同僚にしか映画制作のことは話しませんでした。ミスがあったとき、「映画撮ってるからや」と言われると不本意ですからね。そんな中で、年に1本くらいの割合で撮っていましたが、映画祭で賞をもらうようになってからは、ますます映画熱が上がりました。メディアにOL監督と取り上げられて、初めて職場に知れ渡ったので、逆に皆さんから応援していただけました。
よく女性で新人監督、しかも初めての劇場公開作品だというと、「さぞかしご苦労されたでしょう」と言われますが、そういうのは会社でもあることです。出張先で「責任者ではなく女が来た」と言われたこともあります。いろいろ思う人はいるだろうけれど、そういうことを気にしていたら、仕事は前に進みません。

普通の大学のサークルで、しかも遊びで8ミリをまわしていたから、映像業界へ行くルートも、技量もありませんでした。これが芸大へ行っていたなら、あるいは非現実的な大掛かりな映画をつくりたいと思っていたら、何が何でも映像業界へ行ったと思います。
でも、日常生活からドラマをつくる作風だし、業界にかぶれて、あまり観客目線を失うのはよくない。それにメーカーの活動にも興味があったので、とりあえず年1本つくるペースでやろうと思いました。挫折したら映画に対してそこまでの情熱しかなかったわけだし、会社員をがんばれいいやと考えていました。
大学時代に10本程度撮ったんですが、転機は4回生の時に撮った「わっつ・ごーいん・おん?」です。この作品が社会人になってからの94年に映画祭でグランプリと観客審査員賞を受賞しました。それが会社員になってからも撮影を止めなかったきっかけになりました。

センスという意味では自信はありませんでした。ただ、下手だけど、何かを伝えたい想いは強かったのです。観客や審査員に「感動した」と言ってもらえたのが、最大の原動力になって、続けていけたと思います。
9年半、会社に勤めましたが、後半は関西テレビのプロデュースで「オーライ」「ひとしずくの魔法」を撮るうちに、他からも脚本を依頼されるようになりました。そうなると趣味の範疇を超えるわけで、これは選ばないといけないと考えた末、退社しました。悩みましたね。やっぱり食べていくには厳しい世界ですから。実際、この企画が通るまで3年かかって、1年は無収入でした。
でも、この企画は10年近く温めてきたわけだし、絶対にやりたかった。地味だと言われれば言われるほど、「私が撮らない限り、二度とこのような映画はつくられない」という使命感が生まれてきました。それに、これを撮らないと前へ進めないという思いがありました。
気づきです。何かに気づくことが創作の源です。
「毎日が不幸だと思うのは、結局、主観だ」とか「意外と自分は幸せなのね」という気づきが生活にあったとしたら、それをベースに物語をつくります。
「オーライ」という作品では、会社員経験を重ね、うわべの付き合いは得意になったし、口もうまくなった。
でも、誰かのために同情したり、泣いたりできない自分に気づく。そんなとき職場を去ったOBが「会社を辞めてから年賀状が少なくなった」と言った言葉に、「あ、みんなも人間関係がうわべかもと不安に思ってるんだ」と気付く。
私もそういうことをストックして、ストーリーをつくっています。
この映画に引きつけて言えば、主人公の女の子が「自分は意外と不幸じゃない」と視野が広がる気づきがあります。
観客の感想でわかったのは、それぞれの観点で気づきを見つけているということです。
ある人は、自分の家族に重ねあわせて感情移入され、ある人は「商売もドライになって、人間関係も薄くなっているのに、こういう商売のやり取りがあったのか」とか「前は酒屋を経営していたけれど、いまはコンビニになってしまった。でも昔の知り合いは酒屋で外回りをしていて、ちょっとうらやましい」。そういうふうに商売に重ねていろいろ思う方もいました。それぞれが仕事や社会、家族に重ねて何かに気づいている。
全国統一の電器製品なのに店主の人柄によってお客さんへの届き方が全く変わってくるんだ、ものすごく濃厚な人間関係のある商売なんだ、という気づきをきっかけにこの映画を構想しました。何かに気づく瞬間がベースにあるからつくれるんだと思います。
電器屋を舞台にする前に、家族を撮りたいと思ったきっかけがありました。というのも、入社する前、私はおじさんが苦手でした。
説教されそうなイメージがあったり、電車の酔っぱらいの悪印象があったりして。
実際に一緒に働いてみると、日々すごくがんばっていて、その姿に親しみを覚えました。でも、一緒の職場にいるから親しみを感じても、家族は身近にその姿を見ていないから、疲れて帰ったお父さんに奥さんは文句を言うだろうし、子供も反抗する。家族は互いに見えているようで見えていない。お礼とか感謝とか言いやすいようで言いにくい。そういう関係が日本の家庭にあるのではないかと思います。
私も父の働いている姿を間近に見たことなければ、特に対立したこともない。きっと父の日々の苦労を知らないと思います。
親が自分にとっての障害に思えてしまう時期があります。でも、障害になっているとしたら、それは自分の思いを伝えていないからかもしれません。だから理解されていない。
そもそも、子供を理解したくない親なんて、いないはずです。普段親と話すことを避けておいて、いきなり「アレ買いたいからお金ちょうだい」と要求だけつきつけると、衝突するわけです。やっぱり話すことが大事なんでしょうね。

私の場合は、自分に才能があると思ったからではなく、とにかく好きで続けていました。最初の頃の作品は、カット割りも変だし、いま見るとひどいものです。でも、想いは溢れていたと思います。それで観客や審査員の反応を見て、ちょっとずつ成長していった。「自分にはきらりと光るセンスがあって、誰か引っぱりあげてくれる人が現れて、監督になれるんだわ」といった幻想を持っていませんでしたね。ジリジリ自分でやるしかないと思っていました。
幻想は持たず夢を持つのがいいんじゃないでしょうか。才能よりも継続してやること。途中で止めたら、そこまでの情熱だからあきらめもつく。才能ではなくやりたいかどうかが一番ですね。
あとは、「回り道なんてない」のが実感です。会社員が回り道とは思ってなくて、その時代があったから地味な映画でもPRするテクニックが身についたし、共感してもらえる視点で撮れるようになったと思っています。
違う仕事をしてきた経験こそが、ほかの人にはない糧になっています。いまパン屋で働いていて、映画の世界に行けないと思って焦っている人がいるとします。でも、その人にパン屋の映画を撮らせたら世界一のはず。そういう発想でいたほうがいいですよ。

Mana Yasuda
安田 真奈
神戸大学映画サークルで8mmを撮り始めて以来、メーカー販促部門に勤めながらも年1〜2本撮り続けた。94年、97年、98年と3回のあきる野映画祭グランプリをはじめ、各地映画祭で入賞多数、グランプリは計6冠。 関西テレビプロデュースにより製作した初の16mm『オーライ』(2000年)でも3つの賞を受賞、 日本映画監督協会新人賞にもノミネートされた。2001年には『ひとしずくの魔法』を製作。
2006年、初の劇場映画「幸福(しあわせ)のスイッチ」原案・監督・脚本を担当。上野 樹里主演、本上まなみ・沢田研二・中村静香出演。10月からテアトル新宿、テアトル梅田他、全国公開。
「幸福のスイッチ」公式サイト:
http://www.shiawase-switch.com/
安田真奈監督オフィシャルホームページ:
http://www.manafilm.net/