

Takashi Ukaji
宇梶 剛士
1962年、東京都生まれ。映画「お父さんのバックドロップ」や「GTO」をはじめ数々のドラマ、バラエティーに出演。舞台では作・演出も手掛ける。主な著書に『転んだら、どう起きる?』(大和書房)『不良品』(ソフトバンクパブリッシング)。
宇梶 剛士 さん(俳優)
近年、討論番組やバラエティー番組でその姿をよく見かける俳優の宇梶剛士さん。多弁ではないけれど、思わず深くうなずいたり、聞き入ってしまう言葉をさりげなく口にされる姿が印象的です。きっと、それは人の心の陰影、哀歓の振れ幅を知っているからではないでしょうか。どういう人生を歩んできたのでしょう。宇梶さんの来し方を尋ねました。
一言で言えば、親が不在の中で育ってきたため、不安で寂しかったからです。父親は単身赴任で、母はアイヌの血を引いていて、権利獲得の運動に忙しかった。
幼い頃、僕は寂しくても仕方ないから諦めようとしていました。けれど、頭では納得できても、心はそうはいかない。
親と自分の人格は違う。それが理解できないでいたんです。好きだけれど、許せない。親という身近な他者を否定したり、そういう自分を正当化することで、崩れそうな自分を保っていたわけです。
誰でもそうかもしれないけれど、若い時期というのは、もろく弱いもので、心のバランスが崩れやすい。夢や希望という光と不安と恐れという影が混在しているものです。経験がないから、心の中に光と影の部分が同時に存在していることを理解できないわけです。
大人になればわかるけれど、生きることは楽しいことばかりじゃない。むしろ楽しくないことのほうが多い。それをある程度わかった上で、それでも「がんばろう」とか「少し休もう」と思い生きている。親には親の人生があったということが、当時は理解できなかった。

プロ野球選手になろうと思っていました。自分の好きなことに没頭することが未来を思うことで、そこに向かっている間は自分のスタンスが決まる。夢に向いていれば立っていられたし、歩いていけたという感じでした。
夢の完全な喪失でした。高校球児は坊主頭だし、おしゃれの気になるときにそういうことに向けるエネルギーをぜんぶ野球に注いでいたわけです。まして、高校球児は「夢に向かって努力しているいい子どもだ」というような、ある種のイメージがあって、そうであるように僕も努力もしていたわけですが、野球を辞めたことで、両方がなくなってしまった。なくなって0になったのではなく、マイナスにいってしまった。
いままでは皮膚があって、心が体のうちにあったのに、それがむき出しになった感じがしました。心がひりひりして、不安とか恐れでいっぱいになって、そこから目を背けるために、僕はグレて暴走族に入った。人を寄せつけないで吠えて、怒鳴り散らして威嚇するようなことを始めたわけです。
もちろん、いいことをしているなんて思っていなくて、ただそうしなくてはいられなかった。不安を振り切ることで精いっぱいだった。
言い方は悪いけれど、気が済むまでやったし、あとは逮捕されて少年院に収監されたことで、社会から遠ざかったからです。隔離され、これまで吠えていた社会や大人、教師、親から遠ざかることができた。そういう生活の中で少しずつ外に向かっていた気持ちや心がだんだんと内側に向いていった。静かな状況で、足下をよく見るようになって、そこから自分の心を見つめるようになりました。そうしたら自分のことを客観的に見られるようになりました。
社会の中にいると不安に飲み込まれて、それに抗うのに懸命で、常に主観でしか物事を見られなかったのですが、社会から離れてわかったのは、自分は大人や教師、親にいかに求めていたかがわかりました。
僕がしていた反抗というのは、「振り向いてくれ」ということでした。自分の存在を認めて欲しかった。でも、それは人に求めても仕方ないことだったんですね。得られないからわめき散らしても無駄だと気付いて、だったら自分はどうすればいいんだろう。そこでようやく原点に立ったと思います。
そこで出会ったのが、チャップリンの自伝で、きっと社会にいたら、気をまぎらわしてくれることがたくさんあるから、絶対に読まなかった本だと思います。ああいう閉ざされた中で心が内に向き始めたからこそ読んでみようと思ったんでしょう。
読み進める中でチャップリンは不遇な状況で生きてきたことを知りました。僕なんかよりももっと光の差さないところを歩んできた。彼はそれでも夢を諦めなかった。
僕は世の中が許せないから吠えていたけれど、そういう表現は、やればやるほど人に嫌われます。でも、チャップリンは暗闇を歩いてきたにもかかわらず、人に夢や希望、勇気を与えていた。それを知って、自分を恥じました。本当に耳がじんじんと赤くなりました。「ああ、自分は愚かで、自分のやってきたことは、空しいことだった」と心底思いました。そういうことを認めるうちに恨みや許せない気持ち、憎しみが薄らいでいきました。ひりひりとした思いから自分が逃れられた気がして、なんだか「自分も俳優という仕事をやりたいな」と思うようになりました。

そこ考えないところが若さというものですね。そのためには、とりあえず夜間高校に行こうと思いました。そして、現実に暮らしている少年院という場所で一番になろうと決めました。少年院で一番というのは、一番まじめにやることだと思ったので、なんでも懸命に行いました。
だから少年院を出てからは、社会でちゃんと生きていくんだということを強く思いました。勉強していい大学へ行き、いい会社に入るという形で社会を生きるのではなく、自ら選びとっていこうと思いました。
いまの自分には学歴も資格も進む道もない。そういう状況の中で自立することの大事さに気が付いたのでしょう。
錦野さんには、いくら自分が正しくても、喧嘩して勝ってしまえば悪く言われる。それが社会だから、暴力は絶対だめだと教えてもらいました。それから弟子にしてもらった菅原文太さんは、こうしろああしろと言われませんでした。けれど、文太さんは仕事のないときは、常に本を読んでいるか、ビデオを見ていました。そういうひそかな努力の仕方に、自分なりに学ぶことがありました。これが弱い立場の人に威張りちらしたりする人に付いたとしたら、僕は忍耐力がないから俳優になろうと思わなかったかもしれません。

よく「自分のやりたいことをやって、それで食べていけるかどうかわからない」と言うけれど、安定が欲しいなら冒険はできないし、冒険するなら安定には、ある程度背を向けるしかない。どう食べていくかは、覚悟しかない。それは自分で決めることだし、それが心の自由というものです。
自由は与えられたり、元々あるものではなくて、どんなに時代が変わっても心の自由はつかみとるものだと思います。商業主義の世の中では、気付きにくくいし、そこらへんはうまく隠ぺいされています。けれど、自由や平等は幻想で、自分でしっかり認識して、選びとらないと決して手に入るものではないと思います。
認識するというと、つい自由を「自分さえよければいい」と解釈しがちだけれど、「人間」という語は個体であり全体を表すように、人と関わっていかないと人間でいられない。そこを感じるか感じないかで自由を手に入れることができるかどうかが変わってくると思います。

どんな人でも「目に見えないものを見る力」があって、それが人間のすばらしいところです。人間は目に見えるものに惑わされます。
好きな人ができたり、プロ野球選手になりたいという希望があったとしても、自分がそこで求めているのは、形ではなくて目に見えない何かでしょう。それが何より大切なことで、すばらしいこと。そういうものを感じなければ、生きていることは空しい。その空しさを蹴散らそうとして、たとえば目に見えるものの象徴でもあるような、お金を稼ぐことに走った人はたくさんいます。でも「金こそすべてだ」と言い切った人たちの顔はみんなひきつっていた。目に見えるからといって、それが大切とは限らない。そのことを高校生には知ってほしいですね。
「嫌な人と付き合うにはどうすればいいか?」というような項目を立てて書きました。世の中に出れば、自分のしたいことができるとは限らないし、嫌な人とも付き合わないといけない。嫌いという思いに輪郭がつくと、やがて憎しみになっていきます。それが具体的な行為に現れたら戦争になります。
僕は戦争反対だから、相手に嫌われないようにします。へりくだるし、ニコニコと微笑み、相手が気味悪がっても、媚びたのかと思われても、ずっと続けます。そしたら、相手はだんだん以前のように自分を嫌う態度をとらなくなります。むしろ、何か頼みごとをされたりする。そうなったら相手のことを好きになれるかもしれない。
なぜそういうことをするかと言うと、いろんな国を旅する中でわかったのは、どこの国にも嫌な人間はいて、深い理由もなく人を妨害します。でも、必ずいい人間もいて、他人のことを親身に考えてくれる。
若いときは、いまの考えが世界のすべてだと思いがちだけれど、いまだってイラクでは劣化ウラン弾の被害で子どもが死んでいったりしている。アフガニスタンではお腹が空いて死んでいく子どもがいる。そういう自分以外の現実を知りながら生きると、いまの自分を支配する考えや感情だけがすべてではないし、もっと人とうまく生きることができるし、そういう努力をすることが大事なんだと気付くと思います。

水道の蛇口をひねって水を飲んでも、冷たくないし、喉ごしもよくない。でも、喉がからからで飲むと実にうまい。水は何も変わっていない。
いまの自分が大変だと思っていても、それを行うことでいいことがあるなら、それは人と出会えるし、新たなものが得られることです。
それが、「ただの水がおいしく感じられること」です。愛しく大切なものに出会わないと、人生もおいしく感じられないと思います。
ある番組で「学歴は必要じゃない」と言ったら、批判されたことがあります。でも、学歴が必要ないからといって「勉強しなくていい」わけではありません。学ぶことと学歴は関係ないし、ただ学歴が必要だと言うのは、体制維持の考えでしょう。
学ぶことが大事なのは、いろんな体験をして、それを整理して考えられることだと思います。そうでないと、ちょっとしたトラブルでいままでやってきたことが面倒になって投げ出してしまったりする。人生の醍醐味に近付けないし、つまらないままに人生を終えてしまう。
字が読み書きできると、切符が買えて電車に乗れる。時刻表や地図が読めて、好きな所に行ける。会えない友だちに手紙を書ける。これがすばらしいことだと思います。
僕はサインを求められと「よく遊び よく学べ」と書いたりしますが、よく遊び、よく学んだ人は物事に柔軟に対応できるし、アイデアも豊富です。遊ぶためには、ただ教えられたことを行うのではなく、自分で学ばないといけない。物事をより深く体得することが遊び、学ぶことだと思います。

Takashi Ukaji
宇梶 剛士
1962年、東京都生まれ。映画「お父さんのバックドロップ」や「GTO」をはじめ数々のドラマ、バラエティーに出演。舞台では作・演出も手掛ける。主な著書に『転んだら、どう起きる?』(大和書房)『不良品』(ソフトバンクパブリッシング)。
【宇梶剛士さんの本】

『転んだら、どう起きる?』(大和書房)

『不良品』(ソフトバンクパブリッシング)
宇梶剛士さんのhp「a crow in the dark」:
http://www009.upp.so-net.ne.jp/a_crow_a_pigeon/