伊藤 絵美 さん(臨床心理士)
現代はストレス社会だと言われる。ストレスから鬱病、パニック障害などに陥る人も増え、また若年化も進んでいると言われる。カウンセリングによって、症状と向き合う療法の中で最近注目を集めているのが認知行動療法だ。なぜ?ではなく、どのように?と実際的に心の抱える問題を捉えていくという。認知行動療法とはいったいなんだろうか。
通常、日本で行われているカウンセリングでは、クライアント(患者)が一方的に話し、カウンセラーがそれをひたすら聞くことが多いのです。クライアントが自由に話をする中で気持ちを整理し、何かに気づき、違う考えをしてみようと思うようになる。そうした変化をカウンセラーは話を聞く中でじっと待ちます。
比べて認知行動療法は、もっと積極的に話をする心理療法と言えます。つまり聞くだけではなく、話し合いをして具体的に問題解決を図っていきます。

そこで重要なのは、クライアントが体験していることを認知行動療法のモデルに沿って理解することです。心理療法というと、その人の内面を深く掘り下げていく方法を思い浮かべがちですが、認知行動療法では「体験はその人の置かれた状況との関わりで発生している」と考えます。
何かストレスを感じたら、その感じている心の状態について突き詰めて考えていくのではなく、どういった状況に自分はいるのか。どういう出来事があって、誰と関わりがあるのか。それらの何に自分は反応しているか、を見ます。
そうした関わりの中で起きる体験を「認知、行動、気分・感情、身体」の4つの要素に整理し、それらの相互作用の関係を見ていきます。
たとえば仕事でミスをしたという「状況」があったとします。これに対する「認知」は「自分が悪いんだ」「また同じミスをしてしまうかもしれない」といったものになって、「行動」は「パフォーマンスの低下」として現れ、「気分・感情」は「落ち込みや無気力」、「身体」は「疲労感や胃痛、眠気」といった状態になります。
こういったサイクルからなかなか抜け出せないのは、「状況、認知、行動、気分・感情、身体」の中で悪循環が起きているからです。ぐるぐる回っている循環の中に切り込みを入れると抜けられるわけです。
「状況」は好きなように変えられません。すでに起きてしまったことは、働きかけはできたとしても根本的に変えられませんし、「気分・感情」も自分の好きなようにコントロールできません。不安や悲しみ、不快感とか喜びといった感情や気分は、勝手に出て来て勝手に消えてしまいます。意志の力で嬉しくなったり、不安を抑えることはできません。身体的な反応も同じで、眠れないときに眠ろうとしても無理です。胃の痛みを意志で抑えることはできません。それらも勝手に起きて勝手に消えます。つまり悪循環から出るためにコントロールできるのは、「認知」と「行動」だけです。
「認知」は頭の中に浮かぶ考えやイメージを指します。それらは勝手に出て来てしまう考えもあれば、「こういうふうに思ってみよう」と、選択したり工夫できます。「行動」も自分で選べます。「認知」と「行動」なら悪循環から抜け出すための工夫ができるわけです。それをクライアントとカウンセラーが一緒に見付けていきます。
カウンセラーにただ話をしただけでは、困っていることは何も変わらないこともあるわけです。現実的に困っていることを解決しないことには、時間やお金を使う意味がありません。だから認知行動療法では、プラグマティックであることを目指しています。

私は「認知の歪み」という言葉を使わず、「非機能的な認知」と言っています。認知療法を紹介した書物の中には、「べき思考はいけない」と書いてある場合があります。鬱病になるから「べき思考」という「歪んだ認知を止めましょう」というわけです。
確かに「何かをするべきだ」と終始考えて、プレッシャーを感じたり、落ち込んだり、他者に攻撃的になったりするなら、その「するべき」という考え方は「非機能な認知」になります。でも、たとえば電車に乗っていて、目の前に立ったお年寄りに「席を譲るべきだ」と思って席を譲り、自分も相手もハッピーになったとしたら、その「べき思考」は悪くありません。「べき思考」だから悪いのではなく、それも他との関連で機能的に判断していく必要があります。
ひとつには、理想や目標があって、それを目指す気持ちが強すぎると非機能的になるのではないでしょうか。目標があるのはいいことだと思いますが、「結果的にその目標に到達すればいい」と思える人はともかく、「ある目標を絶対に達成しなければならない」という信念がある人には、非機能的な認知がたくさん浮かびやすいと言えます。だから思うようにいかないことが起きたときに、「しょうがないから、次にがんばろう」と思えず、「目標を達成できなかったから自分は駄目だ」と思い込んでしまって「大変なことになった」と慌てます。結果的に到達できるのが目標なのに、その目標に到達しないといけないと最初から決めてしまう。
もうひとつは、幼い時の経験によって、人は自分や世界、他人とは「こういうものだ」という原型的信念を持つようになりますが、その世界観が極端だとしたら、その時々に浮かぶ認知も非機能的になります。
たとえば虐待を受けて育った人は、「他人とは自分を傷つける存在だ」という原型を持っているので、友だちになることのできる相手にも「私を虐待する人だ」と捉えてしまい、ちょっとした口喧嘩でも過剰に反応してしまいます。

「自分は何を感じているのか。どんなことが頭に浮かぶのか」をモニターできることが大事だと思います。人から「どう見られているか」とか「その場をやり過ごすためにどう振る舞えばいいか」にエネルギーを取られてしまうと、自分が何を感じ、どうしたいのか。何を考えているかがわからなくなってしまいます。
人に何か言われたとして、「言われたときにどう感じたのか?」と尋ねると案外答えられない人が多い。何か出来事が起きると、考えようと思わずに、自然に何らかの考えや思いが浮かびます。認知行動療法では、それを「自動思考」といいます。
それに気づけるようになると自分の思考や感情をモニターできるようになります。

おいしいものを食べたときに「おいしい」と思うのも自動思考です。朝から晩まで立ち上がっている考えで、相手が自分の行いの間違いを指摘したら人によっては「自分は嫌われている」という思いが即座に現れますが、それも自動思考です。
自動思考が反芻的にめぐって、気分が影響を受けます。それを「認知、行動、気分・感情、身体」のモデルに沿って検討します。そうなると「自分は嫌われている」というのは事実ではなく、考えに過ぎないことがわかります。本当はどうなんだろうと相手に尋ねてみればいいだけの話だったりします。
よく「自分を見つめましょう」と言われますが、自分を見つめてもあまりいいことはなくて、どうせなら状況を見つめたほうがいいと思います。
モデルに沿って考えるのがいいのは、心の中で起きていることが外在化されるからです。心の中を見つめていくのではなく、「いまの状態はこうなっている」と当人もカウンセラーもわかります。
内面を掘り下げるよりも、外に出して共有するわけです。この外在化して共有することが、認知行動療法の特徴です。
認知行動療法を専門とする私自身、確かに10年前は孤独な状況でしたが、ここ数年は盛んにエビデンス(根拠)に基づく医療の重要性が指摘されるようになりましたし、認知行動療法は鬱病の再発予防効果やパニック障害などに治療効果のあることが数字としてもはっきりわかってきましたから、実際に効果のある療法として認められつつあると思います。

もともとは音楽の道に進みたかったのですが、音大受験に失敗しまして、受かった大学で学生生活を始めました。いったいこれから何をすればいいかと思い、映画をたくさん見るとか人と話すことで日々を過ごしていました。臨床心理を学ぶようになったのは、特にアメリカの映画にセラピストがよく登場して、そこで心理学の存在を知って、おもしろそうだと思ったのがきっかけです。さらに大学4年生で臨床心理士という仕事があるのを知って目指そうと思いました。
認知行動療法は、大学で認知心理学を勉強していたつながりで知りました。そこで心理に対する実証的な姿勢を持つようになったと思います。日本の臨床心理学の領域は、内面を見つめることを重んじる伝統がありますが、そういう見地からすれば、「プラグマティックなアプローチは浅い」という判断をされがちです。「計れないからこそ人の心だ」という考えなのでしょうが、それは科学的な姿勢を持っていないとも言えます。
実際、認知行動療法の実施機関は日本では少ないのです。これだけ効果があるとわかっているのに人材を育てる教育機関もありませんから、何とか広めていけたらと思っています。
不安やネガティブな気分を無理に閉じ込めようとしないで、ちゃんと感じることが大事だと思います。不安になったら、不安になってきたことそのものに悩んだりするのではなく、不安をちゃんとまっとうする。不安だから避けるのではなく、不安を体験する。不安をいますぐ何とかしたいと思っても、むしろ変な不安が続くだけです。不安は気分だからコントロールできません。それに不安を覚えても、知らない間に勝手に消えます。
だから「こういう対処法がいい」というのはありません。その代わりストレスへの対処法をたくさん持っておくことを勧めます。ふて寝をするでも、愚痴を言うのもいいでしょう。自分が楽しいと思えるような対処法を持っておくのがいいと思います。

Emi Ito
伊藤 絵美
臨床心理士。精神保健福祉士。慶應義塾大学卒。現在、洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長。主な著書に『認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ』、『ジュディス・S・ベック著:認知療法実践ガイド・基礎から応用まで』など。
洗足ストレスコーピング・サポートオフィス
http://www.stress-coping.com/kyoiku.html
【伊藤絵美さんの本】