

Reiji Yamada
山田 玲司
1966年生まれ。13才で秋田書店に持ち込み。高校では創作研究同好会に入り漫画漬けの日々を送る。美大受験し、奇跡の現役合格を果たすが、大学のあまりのレベルの高さに愕然。電車でクロッキーの二年間を過ごす。1986年「モーニング」にて「17番街の情景」でデビュー。
山田 玲司 さん(漫画家)
今までできなかったことができるようになると、それが自信になる。でも、「何かができること」にこだわった途端、不自由になってしまう。経験は自分が自由になるためにあるのであって、自分を限定するためにあるものじゃないはず。より自由になること。それを成長と呼ぶのではないか? 漫画家の山田玲司さんの描く作品は、絶えず自由とは何か?の問いが響いている。それは絶望に至らないための道標ではないだろうか。
僕の考えは日々変わるから、今日の考えを言えば、考える人は「考えるようにさせられる環境にいる」ということで、考えるタイミングは人それぞれにやって来るんだと思う。でも一方では考えなくても何とかなる人もいて、考えないことが能力だったりする。
かつては「みんなが考えたほうが世の中はよくなる」と思っていたんだけど、そうとは言えないなと近頃思うようになった。
漫画は「自分はこうである」と全力でバーンとぶつけて、相手がそれに共振するかどうかという仕事だから、僕の漫画に共感してくれるのは考える癖を持ってたり、考えないといけないところに生まれてしまった人だろうね。
人間って気持ちいいことをしたいし、そういう欲にがんじがらめになりがち。隣がいいもの食べてたら、「なんで自分はこんなもの食べてんだ」と思う。思った瞬間に考えないようにしようってのは難しいよ。

成長に階段を上るイメージを持っていて、高いところに行けば下がよく見えると思ってた。でも、30代の終わりになって、それは違うなとわかった。むしろ、見えていたけれど「見えてなかったこと」が見えて来る。階段を上がるというよりも、実はずっと隣にいた人に気が付く。
身近にいた人の言葉がよくわかっていなかったことってあるでしょう?たとえば彼女と何年も付き合っていたのに、実はよくわかっていませんでしたって話。
見えてないんだよね。というか見てないし、見ることができない。いろんなことについて見ることができるようになるのが成長かもしれない。「あ、今日から春だな」とか「この風はさっきまでと違うぞ」とか「この花は昨日咲いてなかった」とか、ちょっとしたことが見えて来て、五感が冴えて来る。
見えてなかったのは、コップの中に自分しか入ってなかったからで、それだと他の人が入ってこないんだよ。コップがどんどん大きくなると、いろんなものが入って来る。成長って、このイメージが一番近いかもしれない。
コップの小さい人がそれを大きくするには、いったん外へ出て、器だけにして「どうぞみなさん来て下さい」って姿勢になれるかどうかだろうね。だから僕は40歳になって、いよいよ人生の入学式を迎えたって感じがするよ。
何にもわかってないのに表現していいのか?って話になるけれど、でもいいんだよって思う。何も知らない葛藤の中で出て来るのが表現になるんで、だから「いま」できないことはないはずで、「いま」やれることをして大恥かいてもいいと思う。
「ブラック・ジャック」を小学生のときに読んで、「これはかなわないぞ」と思った。その頃はもう漫画家になりたいと考えていて、他の連載陣にはかなう気がしていたけれど、「ブラック・ジャック」には勝てないと思った。
手塚治虫先生は勧善懲悪を越えた向こう側の世界を描いていたけれど、早い時期から世の中で戦って来た人で経験値が高いから、かなわないのは当たり前。だから、それぞれがやるべきことをやればいい。
本当は似たような経験はないし、似たような朝はない。毎日同じ朝が来てっていうけれど、それは嘘。ダーウィンも進化論を導き出したのは、ダーウィンフィンチっていう鳥のくちばしの形がどれだけ違うかってやたらと集めて研究したからで、それを「同じ鳥じゃないか」ってふうに話をまとめるのが大事な時期もあるだろう。
でも、たとえば誰とも付き合ったことのない男性が「女なんてみんな同じだろ」って言っても説得力はない。逆に女性が「男なんて」と言っても、それも乱暴なまとめ方だよね。
経験はあればあるほど、詰め込めば詰め込むほどよくて、オールラウンドプレイヤーになれると思っているけれど、経験ってそういうもんじゃない。
好きな子が映像作家のタルコフスキーが好きだったとして、確かに良い作品は多いけれど1時間も見ていたら眠くなるよ。でも彼女が好きだったら、知らないわけにはいかなくなる。「タルコフスキーの何に彼女は魅せられたのか?」と考え出す。そうすると当時の映像の状況やタルコフスキーが近未来として描いたのは、実は1970年代の日本の首都高の風景だったとわかるし、おまけに自分が首都高を走っていて「ここがそうか!」と思うと、ロシアと自分が突如つながるわけ。これが経験であり知識だと思う。テストで「ロシアの映像作家をあげよ」に答えるときには、首都高を走ってるようなワクワク感はないよね。
いろんなことに「何でだろう?」って考えたほうがいいと思うんだよ。「何でこんなに朝から晩まで学校にいなくちゃいけない」って思いながら、日本の教育制度について考えればいいし、「何で彼女は自分のことを好きと言ってくれないんだろう」って考えることから始まる科学や数学の勉強もあるだろう。

バブル時期にヤンエグ(注1)に彼女を取られたことがあってさ、そこで初めて「資本主義って何だろう」と考えたわけ。23歳くらいだけど、それまで資本主義って遠い存在だった。でも、よく考えると資本が主義ってすごいことで、全員が消費者?と思うと、それって洗脳じゃないのか?って思うし、洗脳しようとする敵がいると思ってみても、実は自分も共犯じゃないか?と気づく。そうなると「そもそも敵って何だ?」となってしまう。
今も少しは「社会が悪い」という思いはあったりするけれど、そうとは言えないよね。そういうのを若い頃はわかったような大人に見えたんだろうけれど、どっちの気持ちもわかってくるようになった。
思春期のギラギラしている時って、自由だけど闇みたいな空間に放り出されるわけで、最もいろんなことに「何でだよ?」と疑問を持つんだと思う。そうなると誰かに「教えてください」ってなりがちだけど、それでわかった気になりはしても、本当に納得できる? 不満があったら、まず考えてみたらいいんじゃないかな。
別に専門書を読んだわけではなくて、小学生でもわかるような入門書を読んで、「株式会社とは何か」とか「バブル経済はなぜ起きたか」がわかって、そしたら当時の若者がどうして怒らなかったかなと不思議になった。調べたら60年代の学生運動の敗北があったことがわかると、「なるほど、それでセックスピストルズがあって、それが日本ではブルーハーツになるという流れになるのか」という具合につながった。
社会は停滞してどうしようもなくなると、それを打ち破るものが現れて、その繰り返しが起きる。その流れに自分もいることがわかってきた。資本主義を勉強したというより、近代の歴史の背景につながっていった感じがする。
自分を表現すれば世の中は受け入れてくれると思っていたんだけれど、それが勘違いだとわかった頃だね。20歳でデビューして、大学卒業して「山田、がんばれよ」なんて就職していく友人たちに言われているうちに、連載打ち切りが決まったりして、一通り食えるまで大変だった。世の中浮かれているのに自分は落ちて行く。でもいい体験だったと思う。

漫画家デビューしたものの連載を4回打ち切られたりして、崖っぷちの暮らしで、笑えるような状況だった。それでわかったのは年収が○百万円ないと生きて行けないとかいうけれど、それは嘘で1万円で借りられる部屋なんていっぱいあるし、都心から離れれば離れるほど安く住める。
今も埼玉に住んでいるけれど、「何で埼玉?」ってよく言われる。でも僕は日本橋で生まれているから、中央に対するコンプレックスがない。日本橋は江戸文化の先端だし、父親は山の手育ちだからそっちもわかる。しかも高度経済成長期という、世界で最も盛り上がっていた都市の真ん中にいたから、どこかに中心地があると思っていない。だから、中心がどこかにあると思っている人は大変だなと思うよ。何とか世田谷や成城に住みたがるんだけど、その概念を取り払えばすごく楽だよ。
お金がなくて食えないというけれど、それは嘘で、いい暮らしをしようとしているから食えない。その「いい暮らし」に必要なお金というのも、ほとんどがコンプレックスに費やすためのもので、23区内に住まなきゃダメとかいう「与えられた概念」に対して払っている。
確かにそういった概念のいくつかに僕も絡められている。「メインカルチャーよりもサブカルチャーだよね」とか。でも、そういうものを冷静に見つめたいって思う。これは暮らしに必要なのか?社会は必要だと言っているけれど、本当にそうか?って。もっとローコストで生きていけるんじゃないか?苦しかったけれど、そういうことがわかった時代ではあったね。

微塵もないよ。漫画ほど自由な表現媒体はないし、編集者と編集長を騙せば、何万人が読むものを描けるわけで、しかも与えられているのは白い紙だけ。個人的な作業なのに、うまくいけばニューヨークやアジア各国にも伝えることもできる。何をしてもいい。おもしろければいいというのだから、これほどフェアなことはないよね。
阪神大震災のとき、被災地で「神戸元気村」をつくった山田バウさんという人がいるんだけど、彼が言うには「人生はレストランと一緒。注文したら料理は出て来る。世の中はそうできている」。それって魔法のようなことだけれど、よく考えると僕は小学生のとき、恐竜の学者か画家か漫画家になるか悩んで、漫画家になると決めた。で、実際に漫画家になることできた。あのとき「注文が決まりましたんでよろしく」と言ったわけで、だから絶対にオーダーとして届いたんだなと思う。
食べられない時期も止めようとは思わなかったのは、映画でも一番盛り上がるのは危機でしょう?漫画は売れない。お金はない。彼女は出て行った。こんなに盛り上がっている状況はないわけじゃない? これから復活できるようになっているんだし、ここからのジャンプアップはおもしろいぞ、と思ってた。
親も周りの大人も「絵がうまい」と言ってくれたからかもしれない。よく考えたらさ、絵うまくないんだよ。でも、自分では誰よりもうまいって思ってた。実際に予備校や大学に行ったらボコボコにされたわけだけどさ。もとから「できる」って言われていたから平気なわけで、だから誰も言ってくれなきゃ自分で言えばいいんじゃないのって思う。
企画は通らないし、どの出版社も連載してくれないなら、じゃあ自分でやればいいやと自費出版して、画廊で絵なんかを展示して、つくった本を来た人に配ったわけ。そしたら自分を出し切って楽になった。不思議なことに自分が空っぽになると仕事の依頼が来るようになった。たぶん「自分を認めろ」というような、ややこしい気持ちがなくなったからだろうね。出し切って現れた自分は、すごくポップな奴だった。ちょうど、ある編集者に「ナイフを見せていちゃダメだ。隠しておかないといけない。抱き込んで刺せばいい」と言われて、じゃあ、3%は言いたいことを言うけれど、あとは徹底的にエンターテイメントにしようと思った。
やっぱりみんな甘くて美味しいものを食べたがるわけで、美味しそうなのをつくれば、みんな来てくれる。まずは自分を置いておいて、お客さんを第一に考えるようになったかな。とはいっても、つい社会的なことを言いたがるんだけど。

ただ、一方で誇り高い芸術家が成功している例があって、たとえば井上雄彦なんて譲らないわけさ。「スラムダンク」や「バガボンド」なんかのように、純度の高いこと仕事をしている人は強いなぁと思うよ。僕は下手にテクニックがあったせいで、純度を落としたんじゃないか?と思ったこともあった。
でも、それがなかったら漫画の世界からいなくなっていたわけで、ようやくそういう考えから解放されてきたかな。
今思うのは、自分は翻訳家だということで、まさに「絶望に効く薬」がそうだけど、人物を漫画にして翻訳するのに向いていると思う。
映像作家の高城剛さんと話した時に才能の話になって、いわゆる「ひらめき・勘のよさ」は勉強で手にできるものじゃないでしょ?これにはコミュニケーションが関わっていて、3種類あるんじゃないかって彼は言うわけ。
一つ目は人とあって話すコミュニケーション。二つ目はネットやテレビと言うメディアを通じたもの。三つ目が向こうから来るもの。宗教家ならそれを神様っていうかもしれない。
天から与えられるから天才と言うのだし、才のつくものは「自分じゃない何か」に力をもらって活動できる。だから、もし才を求めるのなら、人と会い、経験し、五感で感じることを増やし、メディアでのコミュニケーションを減らせば、三番目の力が冴えて来るんじゃないかな。
確かにテレビなどのメディアが恐いのは、「これだけが世の中で起こっていること」と思いがちになることだからね。
このウェブマガジンを読んでいる人には逆接的だけど、直接会って話すこと。これが財産になるんだと思うよ。
(注1)ヤングエグゼクティブ。バブル経済期にもてはやされた人たちを指す。エリートサラリーマンや弁護士、医者など高収入で派手な消費生活を送る人をおおむね意味した。現在で言えばヒルズ族やIT系起業家に近いイメージ。

Reiji Yamada
山田 玲司
1966年生まれ。13才で秋田書店に持ち込み。高校では創作研究同好会に入り漫画漬けの日々を送る。美大受験し、奇跡の現役合格を果たすが、大学のあまりのレベルの高さに愕然。電車でクロッキーの二年間を過ごす。1986年「モーニング」にて「17番街の情景」でデビュー。
以後、すべての連載が打ち切り。自費出版で絵画小説を制作。91年、絵画教室で小学生を教えながら 描いた「Bバージン」の連載が「ヤングサンデー」で、2003年から「絶望に効く薬」「ゼブラーマン」の連載開始。
【山田玲司さんの本】

『Bバージン』(小学館)

『絶望に効くクスリ』(小学館)