

Michiru Sasano
笹野 みちる
京都府向日市生まれ。1988年「東京少年」のボーカルとしてビクターからデビュー。シングル7枚、アルバム7枚リリースの後、91年解散。93年、ビクタースピードスターよりソロデビュー。95年、幻冬舎より著書「Coming OUT!」を出版、ベストセラーに。
笹野 みちる さん(ミュージシャン)
1988年にデビューし、人気の盛りの91年に解散してしまった東京少年のボーカルだった笹野みちるさん。その後、ソロとして活動するかたわら『Coming OUT!』で自身がレズビアンだと告白するなど、音楽活動以外での活動でも注目を浴びた。華やかに見える経歴の一方で、笹野さんは「手にしたいのはこれではない」という一貫して確かなものを追い求める気持ちに駆られたという。いったいその焦慮にも似た思いはどこから来たのか。今の心境を尋ねました。
違和感を抑えきれなくなったんです。とはいっても、デビューする前から、音楽業界で生きることは、自分にとって厳しいものだろうと予想してはいました。
中学3年から高校時代は、絵に描いたような理想主義の学生で、まるで明治時代の書生のように「真実とは何か」とか、そういうことを考えていて、バンドに賭ける意気込みと日頃考えていたことが一致していたんです。その迷いのなさは10代後半の純粋さで、間違ってはないにしても、音楽業界という人気商売で、売り上げという数字がとにかくものをいう世界では、理想主義と齟齬が生じて悩むだろうと思っていたら、案の定そうなりました。

高校のときに考えていた「純粋なもの」を突き詰めて行くことなんて、所詮は通用しないと思った時期もあります。もっと現実を直視して、数字のことも考えないといけないんじゃないか。それが現実だ、と思いそうになったけれど、30歳になってから、「やっぱり高校のときに思っていたことは間違ってはいなかったな」と思いました。ただ、自分ひとりで育てて行く力が足らなかった。でも、その芽は間違ってはいなかったと思います。
家庭環境でしょうね。両親ともに教師で、母は後に国会議員になったりしましたが、とにかく家の中が温かくなかった。母は正論を常に言い、家庭内はいつも喧嘩が絶えず、毎日怒鳴り声が聞こえるような環境にいたので、「これはきっと何か違う。この現実自体がおかしい」と思っていました。これが現実だって思えないのは、それが他の何かを示唆するくらいのヘビーな感じとして受け止めていたからでしょう。絶対もっと本物があるはずだって。
私もそういう考えを内面化して、人権思想に感化されはしたけれど、それを突き詰めて行くと母に対する刃にもなる。「あんたが家の中でやっているのは人権蹂躙じゃないか」と。
やがて母に対して感情的なことをやり取りすることに絶望していったのは、人と共感しあうやさしさや情緒的なことが、友だちとの間で形作れたからでしょうね。
そういう意味で肉親の血のつながりは、普通は絶対視されるけれど、血とか物質的なものでなくて、もっとピュアなものがあるはずだ。親子関係なんかに囲い込まれて諦める必要はないはずだと思っていました。
それまでは親と、緊張と拮抗しかない正論の詰め将棋ばかりしてきたから、本当に思いと思いが浸透し合あってわかり合う、一緒にいるだけで幸せみたいな感覚がそこで初めて得られたんです。
それは恋愛か?というと、私の場合はセクシュアリティの問題もあってややこしいけれど、そういうふうに区切ってしまう必要もなく、女たちと一緒にいるときのわかり合える感覚、穏やかな感じが、普通の学校の中で起こる行事を媒介にして得られました。
自分でもよくわからないままでした。ただ学生時代は毎年クラスの中で気になって好きになる人がいて、それは憧れみたいな感じでした。自分にないものを持っている人に近付きたい。それが明確に恋愛感情だと思ったのは、高校2年くらいです。
3年生で付き合いだしたんですが、そのことで悩んだりすることはなかったですね。その頃「愛とは何か」と考えていて、何というか…真実に対する忠誠心があったので、差別意識とか自己嫌悪とかの違和感に勝っちゃうんですね。この純粋な気持ちが悪いものであるはずがないと。

ちょうどバブルの時代で、同級生が背伸びして女子大生っぽくして、大人の遊びに入り込んでいくんですが、私はもっと子どもでいたいと思っていたし、恋愛であれ何であれ周りで飛び交う情報に流されなかったですね。
中学3年生のときに友だちに誘われたのがきっかけです。別に音楽で生きて行こうとは思ったわけでなくて、その頃は、親の影響と新しい環境の挟間で自分が何かわからない時期で、ただ、自分がひとかどの人間にならないといけないと思い込んでいました。将来弁護士になるのはどうだとか色々考えてみて、ミュージシャンも考えましたが、作曲能力がないからダメだと思ってました。
でも、文化祭で歌ったりするのは好きだし、学校が好き。友だちも好き。とにかく、そこからやってみようと。「何者かにならなければならない」という呪縛を解いて行った感じがします。
そうですね。最初は形にこだわっていたけれど、自分にとってはそこまでの興味はありませんでした。結局、大事なのは形ではなく、そこで何を深く感じ取るかで、だったら何をやっても同じだろうと思いました。自分は「ミュージシャンだ」と言ってしまえばかっこいいけれど、それを振りかざすことでオッケーみたいな感覚になれませんでした。

だから東京少年を解散するとき、マネージャーから「おまえは清流の鮎だな」と厭味っぽく言われました。それがショックだったのは、自分の弱さ、狭さとして突き刺さったからです。
清流であれ濁流であれ、自分の内にピュアネスを持っていたら、どこにいても大丈夫だったはずで、そこまでは強くなかった。それができるまでには何ステップか必要だった。今から思うと清流に住んでいたんじゃなく甘えがあったんだと思います。
承認欲求が高かった。つまり母親から愛されたい思いが満たされないから、その思いを別に振り向けていたんだと思います。
そうですね。他者の承認でしか自分を成り立たせられない。これは恋愛でも陥りがちでしょう。「誰かに愛されることで私は一人前」みたいな。そういう感覚でいると、すがりつくことにしかならないから破局するしかない。
相手の承認にすがりついている問題に気付けずにいたから、他者や社会に求めていた。自分が問題なんですよ。そのことが気付くべきポイントだった。

30歳を過ぎてからです。東京少年解散後とカミングアウトの後に鬱になって、特に2回目は激しく、京都に戻ったんですけど、徹底的に打ちのめされた感じがありました。なんでこんなに苦しいんだろうと思うと、エネルギーは内面に向くしかなくて、自問自答していました。苦しさを見つめて、あやふやにしなかったのは、まやかしで心に蓋をしても苦しさは残るわけで、それは嫌だった。
まやかしというのは、「あそこでもっといいプロデューサーがいたら」「もっといいレコード会社にいたらよかった」とか、並べようと思ったらいくらでも並べられるもので、でも、それらを剥いでいったら自分自身が問題だということにしか行き着かない。辿り着いたのが承認欲求だった。
自分とは何か?と考えたときに、やっぱり底辺にあるのは、人に対して必死になって気を使って受け入れてもらおうとする緊張があって、だから培ったテクニックで人と接しようとしていた。なんでそういうことをしているかと思うと、母との関係だった。
私のやってきたことは、母との間で満たせなかった代替物をずっと何かに対して求めていただけで、根本的に自分で自分のことをありのままに見つめることをしていなかったことに気付いたんです。
それは今までやってきたこともそうで、人に認められそうなことにはパワーが出る。歌を歌って喝采を浴びることはがんばる。だけど、ひとりで楽しむ趣味に興味がない。スポーツとか自分自身の充足感や自分自身を受け入れて行くことへの興味がまったくない。
母に対して愛してくれと要求するんじゃなくて、自分のことは自分で世話できるんじゃないかと、それからは考えが移行していきました。
カミングアウトしたことは社会的にも意味があってよかった。けれど、内側を見つめたときに、東京少年というカードでは自分は幸せになれなかった、だからカミングアウトというカードではうまくいくかもしれないと思う部分があったんです。ありのままの自分が大事だというメッセージがカミングアウトにはあって、実際に当時しゃべっていたこともそうだった。
でも本当にそう思って言っているというよりは、「そういうふうに言う人」ということで自分を成り立たせればいいし、そういうカードを見せていたらうまくいけるかもしれないというのがあったんでしょう。それは内面の微妙なところだから自分でもわからなかった。
カミングアウトというカードを切ったことで、社会的な影響力はあった。けれど、いずれゲームは終わるし、残るのは自分しかない。でも、揃えたカードは血肉化されていない。そこで初めてこれは根本的に大変だと気付いた。

人それぞれ心の癖があって、そのことを徹底的に見つめるのは大変。でも、人生の意味はそれしかないんじゃないかな。何のために時間が与えられているかと言えば、生き辛くしている自分の癖を見つめて、許してやって手放す。その作業を続けていくしかないと思います。完璧にカードが揃うことはないし、揃えてはいけない。むしろカードをなくしていくことが必要だと思います。
若いときは、持ち札を揃えることばかりに必死で気付かないけれど。でも、得ることでしか、なくしていくことはわからないから仕方ないんですが。
流れに身を任せることで暮らしてきましたね。心の癖は、新しいことが起きるたびに抵抗や反感を生んで、「こう来たら、こう反応する」みたいにしてしまいそうになる。だから、癖が出るたび、「ああ、また出たな」みたいに、距離を置いて、そのことに気付く練習をしていましたね。
感情的な反感、怒り、憎しみとかネガティブな思いに駆られそうになったら見つめて手放す。そうしていると職業とかどうでもよくなった。承認欲求の問題に気付いてからは、歌も変わって来ました。自分自身とより深く仲直りしていく。それが基本トーンでしたね。
今のカフェの仕事も流れです。新しく出会った人と始めたことで、自然に任せたらこういうことが起きたって感じです。
何者かになったつもりで物事を行っていると、どんどん破滅へ突き進むと思うんです。
私は会社勤めして仕事を取って来るなんてことはできないけれど、かといって、それができないと「生きて行く能力がない」みたいな一面的な言われ方をされることが今の社会ではあります。でも、そうではないんじゃないか。
例えば「お金がより欲しかったら働け」という動機で働くかと言うと、そう思い込んでやってはみても、どっかでおかしいなと思っていたりする。だから本当にそう思うことで、自分は本当は何を望んでいるのか。
今すぐ会社を辞めたいと思っても、会社を辞めたいのか、会社で起きている感情の反応が嫌なのか。それも自分の内面に答えがあるような気がします。「金のため」とか「会社が嫌だ」といった一面的な原因に振り回されないよう自分の感情を見つめる作業の中で、本当にどうにかしなくてはいけない問題が見つかると思います。

静かになることが一番いいと思います。試しに携帯のメールを1週間しないとか。自分自身を見つめるには、環境から変えないとできないでしょうね。ありのままの感情の根っこに渦巻いているものを見つめるのは恐い。でも、とにかく批判とか逃げたりせずに、いろんな感情を眺めてみる。寂しくなった時に携帯メールしたいと思ったら、寂しさに留まる。この感情がどこから来ているのか?とちょっと踏み止まって感じて、そこで起こることを味わってみる。ひょっとしたら汗が出て来る感じかもしれない。ぞわぞわとした感じ、胃がキュッとなる感じかもしれない。そういう感覚を見つめるのはいいと思います。観念ではなく、身体から始めるのがいいんじゃないかな。
何かに頼りたいという気持ちこそ何なのか?を尋ねるといいかもしれません。頼りたい気持ちの根っこには、「確固としたものに出会いたい」という思いがあるんじゃないでしょうか。そう思うなら、確かなものでないものに頼るのはやめるべき。確かかそうでないかの判定は、時々によって違うし、深さも違うでしょう。
でも、その時点でいいと思ったことに嘘はない。むしろ嘘だとわかっているのに、寂しいからと身を預けて後で辛い思いをしたりする。
本当のことが知りたい。理由はわからないけれど、そこに人が確信を持てるのは、自身に変わって行ける可能性があるからでしょう。だから、私は「それはあるよ」と言いたい。
恋人同士が純粋な思いで語り合っているのか、下心だけなのか。わかっているにもかかわらず、寂しいというだけで関係を持ったりする。でも、寂しさに委ねてしまう前に、それはひとりで見つめられる感情だと思います。
見つめることがいいのは、人としての重心が定まってくることです。そうすると自分が望む人に出会える力になる。
大事な人に出会いたいなら自分自身に戻るのが先決。意外と回り道に見えて早道の気がしますよ。
Michiru Sasano
笹野 みちる
京都府向日市生まれ。1988年「東京少年」のボーカルとしてビクターからデビュー。シングル7枚、アルバム7枚リリースの後、91年解散。93年、ビクタースピードスターよりソロデビュー。95年、幻冬舎より著書「Coming OUT!」を出版、ベストセラーに。同年アルバム「Girl Meets Girl」発表。女性アーティストでは日本で初めてレズビアンとしてカミングアウトしたことで話題を呼んだ。
笹野みちるさんのHP「これで全部よ!みちる庵」
http://www.obu.to/~sasano/
笹野さんの働くカフェ「FANGSONG CAFE」
http://fangsongcafe.com/
【笹野みちるさんの本】

『Coming OUT!』(幻冬舎)

『泥沼ウォーカー』(PARCO出版)