

Shoko Egawa
江川 紹子
東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、神奈川新聞社に入社。社会部記者として勤務後、フリーのジャーナリストとして犯罪、宗教、災害などのテーマを中心に活動。主な著書に『魂の虜囚』『私たちも不登校だった』『人を助ける仕事』『父と娘の肖像』など多数。
江川 紹子 さん(ジャーナリスト)
1995年3月20日、地下鉄サリン事件を機に明らかになったオウム真理教の数々の犯罪。その加熱した報道の最中、一躍テレビメディアに現れた江川紹子さん。ついオウム真理教との関わりで江川さんの仕事を見てしまうが、近年CDを製作したり、10代の若者向けの番組で聞き手として登場するなど、多面的な活動をしています。オウム問題で見えたこと、また若者と接する中で見えてきたことを尋ねました。
もとから興味があったというよりも、オウム真理教の起こした多くの事件を調べていくうちに、あの団体には結構な数の若者が入会していて、その中には自分の生き方を模索する中で吸い込まれてしまった人がかなりいることを知ったんです。もとから宗教やカルトに興味のあった人もいましたが、やりたいことがわからない。そうしたモヤモヤを抱えているときにオウム真理教に出会って、「これこそ確かなものだ」と思ってしまい、その結果、すごく不幸なことになった。
そういう事実を知るにつけ、人類救済のようなやたら大きい話や来世に飛躍しないで、現世の中で地に足つけて自分の生きる道を見つけることができればいいな。そんなふうに思っていたら、NHKから若い人へのインタビューの企画の依頼などが来るようになったんです。

話題となるのは、携帯電話が親から禁じられているとか、もっと生活に近いことが多かったのですが、みんなと話していて、進路を決めるにもやりたいことがわからないといった悩みが少なくないのを感じました。
ただ、そうしたモヤモヤ感は誰もが持っているし、すぐにやりたいことは見つからないのは当たり前です。だから、あんまりそれが見つからないことに焦りを覚えないほうがいい。そうは言っても、やっぱり受験などは、今まで生きて来た中での一番大きなイベントだから、すでに経験した大人が「もっと色々あるから気にするなよ」といっても届かないですよね。
ただ、「夢を持て」と周りが煽り過ぎかもしれないとは思います。確かに夢を持ち、やりたいことを見つけるとパワーが出るから、いいことはいい。でも、「夢はなくても生きられる」と言ってもいいんじゃないかな。
やりたいことは見つけるものじゃなくて、出会うものだし、やってるうちに「これおもしろいな」と思うこともある。出会って初めて気付くこともあるので、やりたいことを求めるよりも、「自分は何をやりたくないか」を考えておいて、それ以外のことだったら縁があったらとりあえずやるのは悪くない。
それに今は転職への抵抗がないし、アルバイトではわからないこともあるのだから、とりあえずどこかに就職する機会があれば就職したほうがいい。3年も働いたら合わないものは合わないとわかります。とりあえずやってみたらどう?とは思います。そのときに絶対やりたくないことだと辛いので、何をやりたくないかを考えたほうがいい。
私は「何ができないか」で考えました。まず、お金の計算がダメで、小さい頃からお小遣い帳をつけさせられていたけれど、帳簿上の数字と手元にある現金があわない。だから銀行や経理には向いていない。それに字が汚くて、自分で書いたメモも読めなかったりするから、人に字を見られる職業もダメ。整理整頓も苦手、そうなると、あんまり選択肢がない。
自分のやりたいことがわからないし、社会経験もないし、社会問題への関心もあまりなかったから、社会のことを見聞きしたら、そのうちやりたいことも見つかるんじゃないか。そう考えて、新聞記者がいいんじゃないかと思いました。
それで毎日新聞を希望したけれど入れなかった。地方紙に目を向けてはみても、当時は女性を採用することはあんまりなかった。ただ、神奈川新聞はその年から女性を採用することになったので、とりあえず受けたら受かってしまった。正直本命ではなかったので、どうしようかと思いましたが、新聞社はどこも3年間はやることは同じだからとアドバイスをしてくれた人がいて、入社を決めました。

男女雇用機会均等法がまだなかった時代で、会社側も採ったのはいいけれど、どうしたらいいか困っていましたね。いきなり警察担当は如何なものか、とかいろいろあって、結局は遊軍的な動きをすることになりました。
扱い方に困っていたけれど、「うちには女性がいます」というPRには使えると思ったのか、だから早くから署名記事や連載を持たせてもらいました。それは私が優秀な記者だからではなくて、あくまで人寄せパンダとしてでしょう。
右も左も全然わからないでやっていましたね。高校生の女性が殺された事件が起きたときは、被害者の同級生の証言を取るのは、女性のほうがいいという理由で、何が何かわからないまま現場に行かされて「話を聞くまで帰ってくるな」と言われ、粘っていたら警察に通報されたりしました。同級生が亡くなったばかりなのに、取材をお願いしても無理な話です。今だったら被害者、関係者への配慮はあっても、当時は「とにかく聞いてくるまで帰るな」というのが当たり前という雰囲気はありました。
ないわけではありませんでしたが、あまり気にせずに済んだのは、同期にいい人が多かったせいもあるでしょうね。結局、5年ほど経って辞めようと思ったのですが、これといった決定的な理由はありませんでした。当時29歳だったから30歳は節目の気がして、30歳までここにいるか、辞めるか決めなくちゃという気分でいたら、担当していた連載記事が出版されることになって、原稿のゲラを見ていたら、何となく卒業論文を書いている気分になって、何となく辞めようって思った。何となくが多いんですよ。別に展望や当てがあったわけでないんですね。
退職後、出版社が声をかけてくれたけれど、せっかく会社を辞めたのに、また会社に入ることはないなと思って、かといって物書きになろうという強い志があったわけではなく、たまたま月刊誌の編集部が冤罪関係の実録をノンフィクションで書く人を探していて、その仕事を1年間することになった。
社会問題に関心はありましたが、「自分はこれをやるんだ」とか「自分の原点はこれだ」というのはなく、それにコンプレックスを感じていましたね。

いや、これも私の方に問題意識があったのでなく、向こうから近付いて来たんです。検察庁に確定記録の開示を求めて裁判を起こしたことがあったのですが、それを報じる記事の中でどこかの新聞が「人権問題に関心のある江川紹子」という説明をしたらしいのです。当時、私は電話帳に名前を記載していたのですが、その新聞記事を読んだ人が私の連絡先を調べて、「子どもがオウムに入って、消息がわからなくなった」と訴える電話をかけてきたのです。それまでオウム真理教について知りませんでした。ただ、子どもに会えないし、連絡も取らせてくれないのはひどいなと思うくらいでした。友人の弁護士、坂本堤さんがその親御さんの相談を受けてくれて、オウムの問題と関わることになったのです。その半年後、坂本さん一家が姿を消した。
経験や現場の状況から犯罪であることは明らかなのに神奈川警察は事件として扱わない。現場の警察官は一生懸命捜査していたけれど、指揮していたキャリア出身の古賀光彦刑事部長が「自発的失踪」という説をマスコミに流したりしたのです。とにかく警察も組織だから、トップがゴーサインを出さないと動けない。
結局、オウムへの捜査が行われず、だから坂本さんの友だちや同僚がいろんな救出運動を始めた。オウムとの関わりはそれからです。

私の場合、坂本さんの行方の手がかりが欲しかったので、純粋な取材者ではなく、半ば当事者の立場でした。
林泰男が私の身辺調査を命じられて行っていましたが、彼らの行動の特徴はまず最初に違法なことから始める。普通なら合法的にできることをやって、違法行為に及ぶけれど、彼らはとにかく盗聴とかから始めようとする。私の生活パターンが一定しないことから、よく実態がわからなかったらしいです。ずいぶん経ってから林が教祖の松本智津夫に「身元がわかりました。電話帳に載っていました」と報告したそうです。彼らは兵器をつくり、サリンを撒くといった事件も起こしたけれど、どこか肝心なピンが外れている。
私が受けた被害で大きな事件は一回だけで、家にガスを撒きに来たことがありました。それを吸って声が出なくなりはしましたが、嫌がらせのレベルだと思っていました。けれど、後で聞くと本気で殺す気だった。そういう意味では、ちょっと甘く見ていたかもしれないです。
というのも、坂本さんに続いて私がいなくなったら、これは誰が見てもオウムがやったと思うでしょう? 普通はそんなバカことはしないだろうと思いますが、平気でそういうことをする。非常識の塊で、それを常識で判断しようとしたところが甘かったと思います。
私は坂本弁護士が失踪したときから関わっていたので、サリンまで撒くとは確かに思わなかったけれど、ある程度免疫ができていたから、いちいち驚きはしませんでした。けれど、世間の人は地下鉄サリン事件で初めてオウムの存在を知ったので、そのショックはすごく大きく、あらゆる信者が殺人を行うのではないかという過剰な心配をするようになったかもしれません。そういう世間のイメージと実態とのずれは感じました。
後は、テレビに出るようになってから、私に対する印象の激しいギャップを感じました。つまり家にガスを撒かれても戦うという使命感を持っている人間だといった、美しき誤解をしている人が多くて、それは面食らいました。

今につながる時代の問題が極端な形で現れたと思います。友だちがいないからとか、自分のやりたいことを見つけるうちに出会ったとかいう理由が印象的です。そういう悩みはフリーターやニートも抱いている問題かもしれない。自分のやりたいことがわからないという思いで入信した若者がいて、あそこで現れた問題が、世の中全体に今になって広がっている気がします。
高校時代、将来は何となく弁護士になるのもいいなと思ったり、大学も受かるだろうと思っていたら落ちたり、のほほんとしていましたね。落ちてから、「あれ、こんなはずじゃないのに」と思ってびっくりしたくらいですからね。人前で丁々発止やるタイプではないから、弁護士は無理だと思い直して、早稲田大学の政経学部に入学したんです。入学してから、政治と経済が苦手とわかりまして、それくらいのんびりしてました。
語学と日本文化に関することをもっと勉強すればよかったと思います。いま仕事で音楽家にインタビューをする機会がありますが、語学ができたらもっといいインタビューができると思うので残念です。言葉はどんなジャンルでも世界を広げる上で必要ですね。
特に海外へ行くと身に染みてわかりますが、自分たちが生きてきた文化を知らないと軽んじられるし、実際話の広がりが違います。このふたつはどのジャンルに進むにも大事だと思います。
高校生に言いたいのは、なるべく会って話すことを大事にして欲しい。メールは便利だけど、いろんな人と会って話をすることは大事だと思います。コミュニケーション能力は、どこか教室に行って学ぶのではなく、普通の生活の中で豊かになって行くもの。そのやりとりの中で自分の進む方向性は決まって行くと思います。決まるのがいつになるかわからない。それは探すというよりも、ただやっているうちに気付くことだと思います。だから今すぐ見つからなくても焦る必要がないんです。

Shoko Egawa
江川 紹子
東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、神奈川新聞社に入社。社会部記者として勤務後、フリーのジャーナリストとして犯罪、宗教、災害などのテーマを中心に活動。主な著書に『魂の虜囚』『私たちも不登校だった』『人を助ける仕事』『父と娘の肖像』など多数。
江川紹子ジャーナル
http://www.egawashoko.com/
【江川紹子さんの本】

『魂の虜囚—オウム事件はなぜ起きたか』(中央公論新社)

『私たちも不登校だった』(文春新書)