

Hidemori Gen
玄 秀盛
1956年大阪市生まれ。中学卒業後、寿司屋、パチンコなど様々な職種を経験し、建設、不動産などの事業を起こす。2000年、白血病を発症する可能性がある感染症と判明し、これを機にNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」設立、02年「新宿救護センター」開設。
玄 秀盛 さん(新宿救護センター代表)
24時間、365日相談を受け付ける「新宿救護センター」という名の駆け込み寺が新宿歌舞伎町という東アジア最大の歓楽街にある。こうしたボランティア活動を行っているのは、聖人君子のような人を思い浮かべるだろうか? 主宰者の玄秀盛さんは、「生き抜くためなら何でもやった」と社会の表と裏の街道を歩んできた。「欲と金の堕落した人生」と自らの半生を指して言う玄さんが、一転して駆け込み寺を創設したのはなぜなのか。
自分でも意外やね。46年の人生を捨てて、まったく価値観も生き方も違う人生を生きているわけだから。それまでの人間関係ぜんぶ断ち切ったし、なかなか生き応えのある3年半やったと思うよ。取って変わるものを得たから変わったんやろね。
金儲けに必死だった人間が、人の相談受けるような活動やっているわけで、それまでを知っている人から見たら姿形は同じに見えるけれど、自身はまったくスタンスも中身も変わってしまった。だから友人との接点がなくなったし、金儲けに対する興味もなくなった。
今はこれまでとは違う世界の人とつき合っているわけだけど、これが本当の姿やったと思う。今までが虚像で、今が実像であり実業だと。だから毎日が楽しいね。

別に恐くないし、怯えることもない。ひとりで生きて来た自負があるんやろね。小さいときから誰にも頼れなかったし、自分を守れるのは自分しかないって思ってた。親にすら頼れなかったよ。
肉親は他人の始まりという環境で生きて来た。歪みきった性格だと思うけど、歪んだ中でも自分というものを信じるし、命ある限り俺は自分を信じるしかなかった。小学生から自分で稼がないと食べられなかったし、負けていらなかった。
学校でも朝鮮人ってことでバカにされたけど、負けるわけにはいかないし、喧嘩も絶対勝たないと生きていけないと思ってたから、必ず返り討ちにしたよ。
とにかく人の評価ではなく、自分の価値基準で生きて来た。だから「逆境って?」って思う。ぬくもりとか暖かみとか、人に優しくされた記憶があれば、逆境と思えるけれど、そういうのがない。ご飯食べるのに必死だった。
そもそも、この世に生まれた出生証明が5歳まで届けられていなかったわけで、5歳で人間として認められた。そういう人間には逆境も順境もなくて、生きるのに必死。というか本能で生きるしかなかった。
でも世の中には、人に採点つけてもらえないと生きていけない人が多いね。自分の人生をなんで通信簿みたいに人に点数つけられないといけないのかな。価値や評価を人に決めてもらい、人に賞賛される人生なんてやめたらいい。
小学校1年から親が3回変わって3回転校、行った先でそれぞれを「お母ちゃん」と呼ばないといけない。義父にはいじめられる。小遣いもない。家出しても公園で寝るしかない。「これはあかん」と思って小学校5年から新聞配達をやり出して初任給が1200円。けれど1000円を親が取った。それが悔しくて原動力になって、とにかく自分で稼いだお金で食べることに力を注いだ。本当に帰る家がないから、精神的に負けるわけにはいかないし、負けたら生きて行けないって思ってた。そうやって何でも勝負だと思って、欲と金の堕落した人生を46年間生きて来たわけです。たくさんの女性とつき合っても満たされなかったから、肉体や物質ではなく精神的なものを求めていたんやろうね。いつも飢餓状態だった。

それも損得感情で坊主の世界を見てやろうと思っただけ。「京都の祇園に行けば坊主ばかり」って言われてたから、本物を見たかった。
阿闍梨さんの弟子になっても、みんなはお経を覚えるけれど、俺は比叡山に上がったら掃除するだけ。何より自分自身のための坊主になったわけで、お経もいらんし、精進しようとも思わなかった。阿闍梨さんも何も言わないし、付かず離れずの距離で、全国を一緒に行脚したこともあった。けれど夜はお酒を飲み食いしたりと破戒してました。それが自分だと思ってたから。
阿闍梨さんから学んだものはない。でも、ないと言いながら、心の中に何か入ってきたと思うよ。だから今こういうことをやっている。最初から形がわかってたら苦労しないし、阿闍梨さんとのおかげで「こういう形になりました」というのもおこがましい。今の活動が、俺なりに阿闍梨さんの気持ちを引き継いだことだと思ってる。だから「駆け込み寺」。お経を唱える前にやるべきことをやろうと思う。
あるとき献血したんだけど、そのデータが送られてきて、それを見たら「HTLV-1陽性」と記されていた。ひと目見た時、HIVに見えた。ちょうど歩けないくらい股関節が痛くて、それが原因不明だったから、てっきりエイズウィルスに感染したと思った。近いうちに死ぬとしたら、「やり残したことは何やろ?」と考えたときに、俺は「どうしても許せない5人を死ぬ前に殺してやりたい」という思いに取り憑かれた。今から思うと人間じゃない、鬼畜だと思う。
普通は経営している会社の従業員や家族のことを思うよね。「俺ってこういう人間なんやな」と改めて思った。
ところが数日後、血液検査の結果をよく見たらHIVではなくてHTLV-1、つまり白血病とわかった。千人にひとりが発症し、発症すれば1年以内に死ぬ。でも治療法はなくて健康を維持するしかない。「自分の人生なんやったのかな」と考えていて、よく行く新宿の紀伊国屋書店をぶらついていたら、「NPO」「ボランティア」という文字が目に飛び込んで来た。神戸の震災で水を配ったり、被災者に風呂を貸したりした経験もあるから、ぼんやり自分がボランティアするなら何かなって考えた。
しばらくして歌舞伎町を歩いていたら、何気なくボランティアという言葉が思い出されて、「ここでは女性や子どもがたぶらかされてるけど、たぶん誰も起こっているトラブルを処理できないだろう」と思った。
でも、自分はこれまで実業、ヤクザ、政財界の世界をのぞいてきたし、金儲けにまい進してきたからトラブル処理は朝飯前。いつまで生きるのかわからんから、自分が生きた証に自分のできることをやろう。やるんだったら24時間やってやろう、という思いでつくったんです。

力や金に対する執着があったから、能力のある人に会社をつくらせては、自分はオーナーとして君臨して人を顎で使うことをしてきた。力で勝った自分が「人の人生を使う」考えでやってきたわけです。非難されることだったかもしれないけど、「それはそれ」だし、そういう経験があるから今のトラブル、闇や裏の世界に対処できると思ってるし、その世界の悲しみや苦しみがわかる。
悲しみ苦しみから来る恐怖がわかるから、それを取り除いたら、あとは方法論の問題だと経験からわかる。自分としては過去には執着してないけど、過去は経験として役に立っていると思っている。
俺のことを憎んでいる人もいるだろうし、今やっていることも「偽善」と言う人もいる。「あんな極悪非道な奴がボランティア?何か企んでいるに違いない」と昔から知っている人間ならそう思う。どうぞご自由にって感じです。ただ、どこまでやるか見ててくれとは思います。
殺されかけたこともあったからね。世の中「命かけてます」って眠たいこと言う人もいるけれど、命かけるのって、みんな本当は恐いし、生きるほどつらいものはない。
とりあえず恐いものがないのは、今は我欲でやってないから。有名になりたい考えや金儲けでなく「誰かのために生きてやろう」と思っている。
けれど煩悩を捨てたわけじゃないし、そういうのはすべて拒否しない。聖人君子みたいに「断ちました」とは言わない。だって「断つ」というのは我慢でしょ。それを拒否せずに受け入れて、なおかつ執着を持たないのが本来の姿じゃないかと思うよ。
いつもニコニコしていたらいいと思ってるし、腹立つことが今はないね。怒ったふりはするけど、心底から怒ることはない。というのは、相談って自分が起因の出来事ではなくて、他人のことやから。他人のことに怒りはない。「何でこの人は理解しないのか?」という思いもない。こっちが「どうしました?」と問うわけじゃなくて相手が来るわけで、だからすべて受け止めるだけ。

本人に問題を気付かせてあげるだけです。悩みのもとは自分自身にある。人を責めることばかり考える人が多いけれど、自分に原因がまったくないってことはない。トラブルは他人ではなく、「自分の身」に起こっていることなんだから。その原因を他人に求めても仕方ない。自分の中で処理しないと成長はないし、人のせいにしている間は時が止まったままになる。精神年齢と肉体年齢のずれが人間のもろさになるんじゃないかと思う。
だから解決できないものはないと思うのは、相談に来る人は「自分の都合で原因に蓋をしてる」ことが多いから。駆け込んで来ても、本当の理由を言わなかったりする。悩みを話してるようで隠す。
例えば金銭トラブルで「脅されて困っている」という。でも、お金持ちでもない人が脅されるのはおかしい。脅す人間はそれなりに論理的ですよ。本当のことを話したら?と言うと、相談者が最初に相手を脅していたことがわかった。原因が自分にあることを放棄しているわけですよ。
死にたいという自殺願望の子も来るね。彼女は今は働いているよ。そういう子の場合、根掘り葉掘り聞く言葉はいらない。一目見たら目が死んでいるから、話しても届かないのはわかる。他のボランティアスタッフは聞くけど、俺は「一宿一飯の恩義があるから、ちょっと掃除して」とか言うだけ。「ここにいていい」という空気さえあればいい。
「明日死んでもいいけど、今日は生きときよ」で、明日になれば「今日は生きておきよ」と言う。その間に住むところも確保して、就職先も探す。できることはそれだけで、後は本人がやるべきこと。その子自身が「何で自分はこういうことをしているのか」って考え出すよ。彼女にとっては、ここに来たことが助かりだし、ここに来たことが答えのすべて。世の中にはこういう世界もあると本人がわかっていけばいい。
確かに、まだ生きようか死のうか悩んでいるみたい。でも、それでいい。徐々に考えることだし、ただ「ボランティアになってもらうよ」と言ってる。今度はあんたが人を助ける番やと。

誰かが愛してくれないという言い方をするんだけど、「愛してくれ」と言う前に果たして自分に愛される権利があるのか?と問うことはないね。愛されたいというよりも甘えたい。自分の都合で「愛されたい」と考えている。それで賞賛も欲しい。
進学するのも親に誉められたい、世間に誉められたい。大学に入ったら目的がとりあえず達成、次は就職を目的にする。そもそも働くこと自体に学歴はいらないし、就職が目的とは「組織に入ること」がゴールになっている。「会社の建物に入ること」が目的なんてアホくさいし、レールから外れたら自分がないと思っていて、絶えず何かに依存している。学校に、会社に、家庭に依存し、肝心の自分がない。
依存している人間は何を我慢しているかと言えば、自分の欲望です。だからストレスがたまって、ふっと出来心で犯罪を犯したり、自己コントロールできないからDVで妻を殴ったりする。
単純に何でもっとのびのびしないのか不思議。とりあえずの進学、とりあえずの就職で「なぜ?」という問いがない。だから、30歳過ぎてから挫折したら立ち上がれない。
「人生に目的はなくていい」という人もいるし、そういう達観できる人はいいけど、高校生にはそんな大人ぶった態度はいらんでしょう。躍動感がないよ。
まず大人向けの解答を出しても仕方ない。自分がやりたいことがわからないなら、最初は物真似から始めたらいい。真似したい人がいないのが問題かもしれないけどね。
確かにこれだけ情報があったら、何をしていいかわからん。そういう社会をつくっているのが大人だけど、流されてばかりでなく泳がないといけない。
それには見るとか触るという五感が平均ばかりではあかん。汗かくこともないままでは皮膚感覚がなくなる。脳みそだけは大人になって、ネットで時代背景を読む能力は長けても仕方ない。
だから働いて得るお金の価値観を知るのが大事だと思う。6000円稼ぐにはこれだけしんどい思いをしないといけないとか。生きて行くには稼がないといけないからね。
誰も急に大人になれないから、いい大人を見つけることが大事。それを探すのが難しいかもしれん。ただ、自分に自信がないから人に承認されることで自信になると考えるのは間違い。
だって、人から承認されて始まる人生なんて借り物やろ?
(注1)比叡山の天台宗の修行僧が行う「行」の中でも最も厳しい荒行。1日約30キロ以上の山の奥深くを歩き、7年間で千日回峰行を満行することになる。700日を終えると9日間の断食、断水、断眠など死と隣り合わせの行。途中で挫折したものは、自害しなくてはならない掟があるという。これを達成すると阿闍梨の称号が与えられる。

Hidemori Gen
玄 秀盛
1956年大阪市生まれ。中学卒業後、寿司屋、パチンコなど様々な職種を経験し、建設、不動産などの事業を起こす。2000年、白血病を発症する可能性がある感染症と判明し、これを機にNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」設立、02年「新宿救護センター」開設。
「新宿救護センター」
http://www.jsma.jp/
玄秀盛さんのHP
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