石井 政之 さん(評論家)
雑誌やテレビではコスメ、美容整形の情報が花盛り。多様なようでいて、その美しくなった姿は画一的だったりする。いったいなぜ日本人はそうまでして容姿にこだわるようになったのだろう。『肉体不平等』をはじめ、顔や身体と社会の関係を中心に取材を行っている石井政之さんに尋ねました。
現代に限らず、人は古来から洋の東西を問わず外見を重視するのは事実です。『「ブス論」で読む「源氏物語」』などを書いている大塚ひかりさんによれば、醜い人の生命力を太古の日本人は畏れ敬っていたそうです。武将は醜い女性を女房にすることで強くなれる。権力に近付けるといった考えもあって、そういう女性を伴侶に選ぶことはあったそうです。
そうした土俗的な価値観と現代が違うところは、昔は醜く生まれたとしても、その顔で生きるしかないと断念し、受け入れざるをえなかったわけですが、いまは美容整形のように、外見をよく見せる技術が進歩して、それを選択できることです。
特に日本やアメリカでは80年代から急速に技術が大衆化していきました。いまや駅前には英語学校とエステ、美容整形クリニックの3点セットを目にすることも珍しくありません。また多くの女性誌やテレビのゴールデンタイムのコマーシャルでも見かけるなど、これほど美容整形についての情報量が増えた時代は、これまでなかったでしょう。

第2次世界大戦後、日本人女性の中には占領軍としてやって来たアメリカ人と交際し、日本からの脱出を望む人がいて、それなら少しアメリカナイズした顔にしたほうがいいという人が増えて市場が大きくなったようです。またホステスや芸能人だとか、外見をビジネス上の重要なツールとしてとらえる人も整形するようになりました。ただ、そういうプロの人たちは美容整形したことを公にしゃべりませんでしたから、いまほど大衆的な選択ではありませんでした。
確かに90年代になると不況の時代に合わせ、「プチ整形」といった安い値段で簡単に整形するサービスが登場し、それを消費する人も増えました。外見を整えるサービスのバラエティの豊富さに関しては、日本は世界最高水準だし、消費大国でもあります。「ホットペッパー」などのフリーペーパーは、前半はグルメのクーポン券が、後半はエステとヘアサロン、ネイルサロンの割引券です。こんなにビジュアルを整えるサービスが最高水準で成熟し、かつ大衆化しているのは日本だけじゃないですか。
「自分は美人ではない」と悩んでいる人は、サービスがたくさんあるので、それを利用し、自分でも工夫すればちょっとはよくなる。肌も艶やかになる。しかも安い値段で体験できるのであれば、「美しくなれるかもしれない」という夢は膨らみます。それに乗っかれる人にとっては楽しいでしょう。
でも、そうでない人は鬱々としている。二極化の状態になっています。努力したらきれいになれる人はいる。努力してもそうはなれないことに気付いた人もいて、そういう人は余計に外見を気にするようになります。
高校生のみなさんに話したいのは、いま私たちが生きている情報環境は異常だと思ったほうがいいということです。大量のコマーシャルが発信され、お金を稼ぐようになったら「整形をしろ」「化粧品をたくさん買え」といったように、産業の消費者になるよう仕向けられているわけですが、これはかなり異様な光景です。それに振り回されないために冷静に辺りを見渡すほうがいい。

「ありのままの身体とは何か」という議論よりも、「女の子はきれいになるのが当たり前」などといった常識とみなされている考え方をもう少し見直したほうがいい。自発的にそう思っているのか。それとも情報に流されて、「そういうものだ」と思っているだけなのか。
「ありのままの身体に戻れ」といっても、ヒゲもそらないといけないし、髪を整えたりしないといけない。人は何かしら手を加えて外見をつくっています。ただ、いつも緊張して他人と自分の外見を比べる作業をしないほうがいいし、それは不毛です。
特に思春期は外見を気にしやすいけれど、成長のスピードには個人差があって、体毛が生えるのも声変わりの時期も違います。そういう意味では自分の身体の成長は、コントロールできません。たとえ、いまきれいでも日々成長しているわけだから、数年後シミそばかすができているかもしれない。そうした時期に身体をコントロールしようとしても無駄な努力になります。
どんな社会でもほんの一部の人はかっこいいけれど、あとはだいたい似たようなものでしょう。そういう一部の美しい人を目指したい人があらわれるのはわかるけれど、そもそも身長、体型が違うわけだから無理ですね。
外見を気にするより、そういうエネルギーがあればスポーツなどをしたほうがいいと思います。というのは、スポーツによって自分の身体は決してコントロールできないことが身をもってわかるからです。「ターザン」「アンアン」などの雑誌の特集で「こうすれば姿勢がよくなる」「きれいになる」といったマニュアル記事が写真付きで紹介されることがありますが、実践してもほとんどそうはならないのは、体格には個人差があるからです。スポーツをすればそれは如実にわかって、同じ内容のトレーニングを行っても筋肉のつき方は全然違います。だったらひとつの基準に自分を合わせることよりも、自分が好きなスポーツを楽しんだほうが、自分の身体がいい方向に変化すると思います。
「ブス」がみじめな思いをしている現実があるので、そうはなりたくない、目立たなくていいから「ごく普通の外見でいたい」という願望もあるようです。
取材した経験から言えば、「きれいになりたい」と人が話すとき、ふたつの要素が混じっています。ひとつは「美しくなりたい」という意味と、ノーマル、つまり平凡で目立たないけれど「普通の外見でいたい」という思いが混ざっています。韓国では整形の動機は「きれいになる」が多数ですが、日本は「普通になるため」が多い。普通であることが大事で、目立たなくなるけれど、ちょっとだけきれいになりたい。標準の偏差値からほんの少しずれたいという欲求です。それに応える細かいサービスが日本はたくさんあります。

他人がどう見ているかをとても気にしていますね。他人に無関心な人が増えたのでそんな時代は終わったのではないかと思っていましたが、化粧文化について調べると、やはり日本人は世間の目を気にしながら外見を整えて生きていることがわかります。女性誌で流行が取り上げられたら、それと同じ商品を買って楽しむことで普通になろうとしている。
中村うさぎさんは、ある意味最先端を走ってますね。彼女は自分の外見が大嫌いだったから、その自分を納得させるために様々な冒険をしているわけです。人からきれいだと言われても、自分が嫌いだと思っているから美容整形をする。世間の目はどうでもよくて、自分が納得できる顔が欲しい。いまはそこそこ満足しているみたいですが、加齢に従って肌が弛んだらそのときまた手術すればいいと笑っていました。自分の顔は部品になっている。
そうした達観は中村さんはできるけれど、他の人がマネをしても内面と外見のギャップから悩み苦しむ人は増えるでしょう。彼女は「こういうふうに直して欲しい」と医師にオーダーできるし、手術が失敗しても、それも自分が選んだのだから自己責任だと思えるタフな人です。

そもそも年間30万件近く美容整形の手術が行われているのですが、誰もその体験を語りません。「沈黙の文化」がまだある。いったい美容整形すると何が起きるかを語るべきでしょう。そうじゃないと、いい医者が残って、悪い医者が淘汰されるという市場原理がはたらかない。現実問題として、医者の言うがまま手術してトラブルが起きても秘密にしたいから裁判を起こさないで泣き寝入りのケースが多い。そういうリスクの高い部分も含めて、メディアはちゃんと説明しない。プラスイメージしか情報として流通しない。美容整形を分析する目を持つべきでしょうね。
メイクやファッションを心から楽しんで、話題にする男が少なくなったのです。江戸時代は丁髷の位置や剃り方もファッションで、着物の着方もあった。それに相当する文化がいまの日本社会では見当たらない。産業構造が変化して男はとにかく働きやすい服装で、質素なスタイルがいいという近代的な意識にとらわれてしまった。近代化に従って合理的に考え始めたわけです。
ふりかえってみれば、日本人の近代は悲しい。欧米人に対する肉体コンプレックスの上に成り立っているとも言えます。肉を食べれば身体が大きくなると思って、すき焼きが生まれ、チョン髷は野蛮だとなればザンギリに断髪する。江戸時代には身体に入墨を彫る文化があって、その模様は町内の火消しごとに違うなど、多岐に渡っていましたが、それも入墨禁止令を施行して禁止してしまう。遅れた日本を欧米並みにするということで過去の伝統的な美しさの価値を捨ててしまった。
日本的な美しさは「かっこ悪い」と当時の指導者が思ったんです。実際、欧米に外遊したエリートが「日本人は短足で腕が短い。これでは駄目だ」と日記に記しています。ファッション雑誌のモデルがほとんど欧米人なのを見ると、いまだに明治維新のコンプレックスが抜き難くあるのだなと思います。
そうはいっても広告写真のようにデジタル加工された肌になれると思っている人はたくさんいます。リアルでない身体を見て「こうなれる」と思っているわけです。
それでもコスメフリークになったら、それはそれで楽しいかもしれないけれど、決してすてきな生き方とは思えないですね。フリークはある種オタクの世界と近くて、メイクアップアーティストの紹介するメイクを可能にする商品を丸ごと買うわけです。そういう消費行動はオタクと似ていますよね。ただ、オタクはキャラに萌えるわけですが、コスメフリークは、美しい顔と身体をつくって「美しい自分」に萌えています。いわば自家発電ですね。

いや、そうとも言えませんよ。ただ、こういうことは同い年の友達と話してもらちがあきません。だから高校生のみなさんには、年上の人とつき合うことを勧めます。どんな人間も年が経つと身体は変化するわけです。それを嫌だといっても仕方ない。人は変化する生き物です。それを冷静に見る目を持ってもらいたいですね。
Masayuki Ishii
石井 政之
1965年愛知県生まれ。豊橋技術科学大学卒業。主な著書に『顔面漂流記』『迷いの体』『肉体不平等』など。
公式ホームページ
http://homepage2.nifty.com/masaishii/
【石井 政之さんの本】

『顔面漂流記ーーアザをもつジャーナリスト』(かもがわ出版)

『迷いの体ーーボディイメージの揺らぎと生きる』(三輪書店)