

Jean Noel Clain
ジャン・ノエル・クラン
1955年、フランス・パリ生まれ、日本在住。ICU国際基督教大学教養学部卒業。
幼少より父親の仕事の関係で世界中の国々を訪れる機会に恵まれ、フランスとアメリカの二カ国で育つ。
ジャン・ノエル・クラン さん(「ピオンズ」代表)
漢字と聞くと、覚えるのが面倒だとか、難しいという印象を持たれがちだ。日本語の読み書きに欠かせない文字であるにもかかわらず、敬遠されがちの漢字。そんな中ジャン・ノエル・クランさんは漢字の魅力にとりつかれ、漢字を使ったゲーム「ピオンズ」を作り出した。どういう思いでゲームをつくったのだろうか。
一般的に日本人の漢字に対する印象は「とっつきにくい」といったものがあります。そのため自国の文字でありながら漢字離れが着実に進んでいます。その対策として、というと大げさですが、あくまで遊びを前面に出して覚えるにはどうすればいいか。20年以上前にそう思って、真剣に取り組むようになったのは、5年くらい前です。

大学時代でした。そのときは日本語学を専攻していたのですが、文字に触れながら家族だんらんをはかれて、小学生から100歳まで楽しめて、日本語を知っている人なら誰でもできるゲームをつくりたい、と漠然と思うようになりました。卒業後、同時通訳の仕事をしているときも、頭の片隅にゲームの構想はあったのですが、忙しさで何も手掛けられませんでした。少し生活に余裕ができたときに具体的にゲームになるのかやってみようと着手しはじめたわけです。
昔から感じています。漢字を知らないことで抽象的な概念を知らない人が増えているんじゃないかと思います。常用漢字をアルファベットのように記憶はしても、漢字の持つ物語を意識しているわけではない。そうした漢字の物語性についての教育がされてないのも漢字離れ現象の要因のひとつでしょう。情報化社会の影響で欧米の文化が氾濫して、欧米の文字を使うほうがかっこいいという流行りもありますね。
概念が文字と結び付いていないので自分の生活の中で文字が生き生きいしていないし、身近に感じていません。だから字を読めたとしても概念を表す文章はうまく書けない。漢字を覚える=勉強というイメージがあって、漢字を使うことは難しいという認識があります。確かに漢字は覚えないといけない。漢字のおもしろさを教えるための工夫はされても、記憶に訴えるしかない。そこで脱記憶力というか、遊びながら認識を高めることが先決だと思ったのです。勉強を一切忘れさせてくれる。そういうゲームを考えようと。複雑な構造や部首、つくりなどを記憶しないといけないのではなく、遊びながら自然に認識を高めるゲームにしようと思いました。
欧米ではアルファベットを使ったそうしたゲームがありますが、それほど奥深くはない。ただ文字に接する機会があって、しかも家族だんらんの中で単語を覚えられ、和気あいあいの雰囲気でゲームができる。
日本の家族の復権というか、文字に接しながら、皆で遊べるゲームができればいいなと。
常用漢字は1945文字。これだけは何とかしっかり覚えたいし、読みたいものです。とにかく常用漢字の中でゲームはできないか。それだけだと面白くないので、麻雀や囲碁、将棋のような東洋ならではの発想が見られるゲームの要素も取り入れて、より奥深いゲームにしたら、おのずと漢字への認識も変わるし、意識も変わるだろう。それに他人からも学べます。
ゲームの基本的な構想は駒の表裏を使います。両面には関連のある文字を記してあって、「学」と「楽」のように音読みが一緒です。記憶力を増進しながら、ゲームをやればやるほど字に対する知識が身に付きますし、熟語をどうつくればいいかという攻略を身に付ける中で集中力も増します。

漢字が苦手でもそれほど知識がなくても逆転を狙える。そこが面白いところだと思います。それに得点数を競いながら認識も変えられる。実際にやってみると競争しながらなので、かっこいい言葉だけ作ろうとする人、得点を稼ぎたい人、戦略的に振舞う人と様々でかなり熱くなるというか、性格が出ます。学歴も年齢も問わずにできます。最初は「漢字は嫌いだ」といっていた人も、やりはじめたら「面白い」と言い出したりしたことが何度もありました。文字を知っているだけでなく、戦略的な見方とか様々な楽しむ要素があるのだと思います。
日本に来たのは14歳のときで、日本人との付き合いも長い。生活の中で自然と漢字に触れたので、特別難しいといった考えはありませんでした。ただ好きでした。漢字のデザインというか、文字の持つ魅力は他の文字にはないものだと思います。ひとつの文字の中にいくつかの読み方があり、また意味があるだけでなく、構造から想像できる物語が潜んでいます。
確かに画数が多ければ難しいなと痛感しますが、ローマ字などの表音文字よりもずっと便利な面もあります。つまり、目に触れただけで訴えかけてくれるから便利なわけです。画数を覚えるのが大変だというよりも、頭に浮かんだイメージは美しい。直接的に概念を訴えてくるのは他にない魅力ですね。
私は取り憑かれたかのように漢字が好きで、研究対象にもしました。また中国語も勉強しました。しかし、日本に住んでいると、様々な場面で人が字を覚えてないとか、認識が足りないとか、看板の文字が間違えているといったことが目立つようになっています。
情報化社会の中では、文字は「見るだけ」になっていて、書く機会が減っています。直筆もメモを取るくらいのものですから、それは哀しいですよね。文字の持つ魅力を改めて考え直すような工夫をしたらどうか。それは勉強の仕方をするだけではおもしろくないからゲームにしようと思った。勉強はもともとが強いる意味ですから、楽しくやろうと。何故いままでそういうゲームがなかったのか不思議なくらいです。
一般的に日本の家族にはコミュニケーションが不足していますよね。自分の心を見せないのが美徳とされていたせいかもしれませんが、あまりしゃべる人は歓迎されません。欧米の真似をしろとは思いませんが、もう少しいまの時代に合わせて自己主張や自己表現力を高める必要があるのではないか。でしゃばるわけではなく、上手にコミュニケーションするためのツールが必要だと思ったのです。ちなみに、このピオンズは黙ってやることが出来ません。冗談をとばしたり、「こんな漢字はないぞ」とか、言いながらやってしまいます。それが狙いでもあります。
都会では自分が住んでいるマンションの住人同士でも挨拶しない。電車に乗っても「すいません」とも言わずに押される。人が人を恐怖する時代です。
そういう現象を見ると、コンピュータはコミュニケーションの道具と言われても、自分のコミュニケーションのためには使われていないのではないかと思います。

そういうことはありませんが、口論にならない程度の議論はします。議論という過程を楽しみます。言葉が好きなのは、言葉の持つ色や重みが面白いからです。これは日本語に限った話ではないし、どこの言葉が難しいと言うのは意味のない発想で、どんな言葉も難しい。奥ゆかしさはどこにもある。
言語はどんな文化においてもコミュニケーションのためのエンジンです。それが主要な部分であって、言葉は意志を伝えるためだけではなく、相手から貰った言葉に反応するためにもあります。それは反論のための反論ではなく、それを楽しむことが重要です。
議論を楽しめば言葉の様々な面が見えて来ます。議論に耳を貸すことで、自分の意志表示あるいは表現力がおのずと高まります。やはり黙っていてはわかりませんから。
議論の中には機械的な議論と人間の感情のこもった議論があります。淡々とコンピュータみたいに議論をやっても意味がない。でも、現代社会の議論はほとんどそうです。人間の基本的な感情を言葉でいかに表すか。その原点に戻るための場が、いまの社会には亡くなりつつあるのではないか。そういうものを復活させたいのです。言葉を機械的にではなく、楽しく交わしたい。世界で最も面白い文字を使っているのだから、それで楽しい場面を設けるに越したことはないでしょう。
漢字がもともとなかったので、当て字をしていたわけですから、日本人の漢字に対する意識は中国人とは違うでしょう。何とか自国の言葉に入れても問題があって、ひらがな、カタカナを作った。それだけではなくローマ字も使って、代わりに常用漢字を定めて文字数が減った。そうした時代の流れの中で日本語は変わってきました。
現代人は漢字ばかりだと硬く思う。でも、どうしてミルクと牛乳をわけるのか。わざわざカタカナでミルクと表記する意味がわかりません。英語ではmilkはmilkでしかない。わざわざ新しい概念をつくるから余計に複雑ではないかと思います。漢字にできるのにそうはしない。わざわざカタカナを使うのは変だと思います。

それは日本だけでなく世界的な傾向です。ボタンを押せば済む世界では、批判精神は養われない。なんでも鵜呑みでは、頭脳を鍛える発想にはなりません。いまは考えないようになりつつある社会です。何より経済的に効率がいいからという考えが重視されています。考えることは経済的ではない。だから、そういう現象が起きている。
私としては、街角で一局できる社会になればいいなと思います。それが無理でも、せめて週末は人と人のあるべき姿でありたい。だからコミュニケーションをはかれるようなゲームをつくりたかったのです。
批判精神は否定的に聞こえるけれど、ものを考えるためには、教わったこと読んだこと、言われたことを鵜呑みにするべきではありません。言われたから正しいと思うことなく、あくまでも懐疑心を持って、「これで本当にいいのか」と自分で考える。自分の背景の文化にこだわらずに、ものを考え、話す。他の考え方もあるのではないかと考えるべきです。
ピオンズはフランス人が考えた漢字のゲームではなく、もっと普遍的です。人はどこで生まれたかを選べません。生まれた環境の中でものを考えています。だからこそ極力偏見を無くす努力をすることが大切だと思います。先入観をなくすことは難しい。けれど自分の考えははたして正しいかという問いは重要です。なぜなら絶対的な考えなどないのですから。
Jean Noel Clain
ジャン・ノエル・クラン
1955年、フランス・パリ生まれ、日本在住。ICU国際基督教大学教養学部卒業。
幼少より父親の仕事の関係で世界中の国々を訪れる機会に恵まれ、フランスとアメリカの二カ国で育つ。大学卒業後、英語、フランス語、日本語の通訳者として活躍、また大学時代に学び始めた中国語についても、数回の訪中を経て、通訳者としての技術を習得。現在はコミュニケーションの分野でクリエイターとしての活動に比重を移し、今後さらに展開させていく意向。
ピオンズHP
http://www.pionz.com/