

Yasuyuki Shuto
首藤 康之
1971年11月11日、大分生まれ。1980年にバレエを始め、1986年、東京バレエ団に入団。1989年「ラ・シルフィード」でソリストとして、1990年「眠れる森の美女」で主役としてデビューした。
首藤 康之 さん(バレエダンサー)
15歳で東京バレエ団に入団し、世界で活躍してきたバレエダンサー首藤康之さんは、近年バレエに限らず映画に出演されるなど異分野での活躍が注目されている。好きな踊りのために単身ニューヨークへ行ったり、高校を3日でやめるなど情熱的な青少年期を過ごしてきた首藤さん。何を胸に秘めて踊ってきたのだろう。
浅野忠信さんが初めて監督されるということだけでも、仕事をお受けしたいと思いました。彼の今までやってきた仕事に対するビジョンやスタンスは、とてもすてきだと思っていたのもあります。映画の内容も詳しく聞いておらず、「男の人が踊っているイメージが欲しい」ということだけでしたが、私が仕事を選ぶ時は、「この人とやってみたい」とか「この人の振り付けで踊ってみたい」といった何か特別なものがひとつあればいいので受けることにしたのです。
今までダンサーとしてダンスばかりやってきましたが、ジャンルにこだわってきたわけではなく、やりたいことがすべてダンスだったというだけでした。実際これまでに色々とお誘いいただいたこともあったのですが、心を動かされることがありませんでした。ほとんどヨーロッパのクリエーターとしか仕事をしたことがなかったので、日本で仕事をできることはとても重要だと思えました。

自分で自分の踊りに振り付けしたのは初めての経験で、客観的に見られませんでした。浅野さんの前で一度踊ってみたのですが、特に何もおっしゃらなかったので、「何か言ってください」とお願いしたくらいです。言葉の助けが欲しかったのでしょう。その後、海辺で踊るイメージだとか、少しずつ言葉をいただき、踊りをつくっていきました。
まったく違う作業です。もちろん音楽を聴いたり、物語を読んだりしていると、それについてのダンスの発想が浮かんだりしたことはありますが、実際やるとなるとやはり違います。人に振り付けて踊ってもらうのとも違って、自身が踊るわけですから、意識的になると余計に踊れなくなるものです。
ダンサーは無意識のうちに振りをつけていて、音楽を聴くと振りをつけていたりするのですが、意識的になるとなかなかそういうことができにくくなります。
今回の出演では音楽を何度もリピートして聞いて、自分しか見るものがいないのでビデオカメラを置いて、音を感じるままに思い浮かんだ動きで踊り、ビデオを見ながらインスピレーションを感じた部分をつなげてつくっていきました。だから昨日と今日とでは全く違う動きになっていて、それをつないでいったので、時間はかかりました。けれど、瞬間や本能に従ってつくっている感じで楽しかったです。
海を背景にしたすてきな場所で、とても寒かったのですが、そういうシチュエーションで踊ることはなかったので、すべてを忘れて踊っていました。
何回も踊るうちに意識的なものがだんだん削ぎ落とされていって、自分にどんどん集まっていって、自然になっていく。10数回踊りましたが、踊るにしたがって自分の中で自分自身に集まっていく感じがしました。
ダンスはテクニックと表現と感情のバランスがあって、テクニックに揺らぎがちょっとでもあるとダンスではなくなります。いくら感情表現がすばらしくてもダンスではなくなる。そこらへんが難しくて、感情のないテクニックは冷たいものになります。でもテクニックのない感情はダンスではない。少なくとも私の思うバレエではないし、それは演劇か芝居になるのかもしれません。

バレエダンサーになってから徐々に体得しました。年齢とともに考えてきましたね。テクニックだけに集中していた時期もありました。10代の頃はそれだけで感情なんて考えませんでした。30歳にもなるとやっぱり10代の頃と体が違ってきますし、昔のようにはいかないので、バランスのことを考えはじめました。次第に自分の中で考えが出てきたと思います。
幼い頃、誕生日に「屋根の上のバイオリン弾き」を見たことがきっかけかもしれません。漠然と劇場空間の居心地のよさに「この中で仕事をしたい」と思いました。それから稽古事のひとつとしてバレエを始めましたが、だんだんとバレエが重要なポイントになり、練習を重ねるごとに生活の中心になっていき、中学生の頃には、それがすべてとなりました。
何でも興味を持つほうだったと思いますが、かなり早い時期にダンスと出会ったので、それ以外に目に入りませんでした。だから、クラスメイトとは、なかなかどころか話がまったく合わず、友達がいませんでしたね。
寂しさはあまり感じませんでした。むしろ共存するほうが辛かったので、自分は孤独とも感じなかったです。孤独であるべきだと思った時期もありましたし、そういうこと考える必要もないと考えたこともありましたが。
両親はびっくりしていました。でも、とにかく思いたったら他の人の言うことを聞きませんでしたから、親に頼み込んで行きました。
私はよく親を驚かせていたかもしれません。中学を卒業して高校に行ったのですが、3、4日で「行きたくない」と伝えたときも、びっくりしていました。でも、「そんなに言うんだったら」と理解を示してくれましたね。それだけ私の性格をわかっていたんでしょう。
とにかく進学するとかいい会社に就職するといったことに全然興味がありませんでした。いちおう中学受験させられたのですが、私にとってはまったくのナンセンスで、いつも頭の中には?マークがありました。自分にとってこれが何になるんだろうだろうって思ってました。でも、そういう中でもやりたいことがあって、ずっと変わらなかったので幸せではありましたね。

その頃は本当に自分にできるのか?とすら考えなくて、ただただ好きだった。15歳で東京バレエ団に入ったわけですが、やはりカンパニーに入ってプロになると、たくさんの人間と共存しないといけない。そうなるとたくさんの問題も起きてきます。いい出会いもあれば怪我もあるし、いろんな経験をします。そうして初めて「バレエは自分に向いているんだろうか」と考え出しました。
自分の能力についても、最近でこそよく疑っていますが、むしろ昔はなくて、自信がありましたね。それが本当の自信かどうかわかりませんが、やはりそう思えたのは若さでしょうか。昔は自分を疑うなど考えもしなかったし、ただやれて楽しかった。たまたまそれが職業になったので、もう喜びのみという感じでした。
東洋人もスタイルがよくなったといわれますが、同時に西洋人もよくなっているので、実はその差は変わっていない。それだけにこだわると何も始まらない。けれど、それをクリアにすることも大事です。なぜならテクニックが関係してくるからです。
ただ、骨格のことばかり先に考えると何も行動を起こせない。だから私が子どもたちに教えるときは、プロの厳しさなどは自分で体得することなので、「向いてない」といったことから始めるのではなく、将来子どもたちが何になるかわからないけれど、ダンスの仕事をしなくても、10年後に「あのときの教えの意味はこういうことだったのか」と思ってくれたらいいなと考えています。
いえ、やはり毎日の訓練のたまものです。毎日ストレッチから始めての訓練があってのことで、確固たる基盤がないと踊りは築けません。崩した踊りであっても、そこを通して崩しているので、ダンスの美しさが保たれているわけです。私にとっては基本は絶対ですね。とにかく練習が好きですし、良くしたいという思いがあります。

私が15歳のとき、基本の重要性なんて考えませんでした。その重要性に気付くには、人によって違いますし、偶然が重なってのこともあるでしょう。
私の場合は、大きな舞台で踊ったことや舞台で失敗したこと、大怪我もあったりといろんな経験が気付かせてくれました。いい経験もいやな経験もすべてが基本の大切さを教えてくれた。
基本の重要性は、自分自身で表現していたときもそうでしたが、人に踊りを教え始めてから余計に考えるようになりました。なるべく早い時期に気付くとラッキーだと思います。いつかは気付くべきことだと思います。そのきっかけが何かは人それぞれですね。
テクニックのことで言えば、尻餅をついたりしました。あとはもう少し体をうまく使っていたら、怪我もなかっただろうと思ったりしました。だから発想の転換がうまくなれば、基本の重要性がわかってくるかもしれません。
たとえば怪我をしたときに「疲れていたから仕方ない」と思えば、もうそこで止まってしまうと思います。怪我をしても自分を疑ってみる。やはり何が成長を助けるかといえば、常に自分に問いかけたり、疑問を持つということです。
最近、子どもとたちに教えて気付いたのですが、子どもはなぜ成長が早いのかと思うと、すぐに疑問を持つからです。どんなことに対しても「どうして?なんで?」と必ず聞きます。それで成長する。
だんだん成長するにしたがって自分に疑問を持ったり、それに答えを出すのが面倒くさくなってしまいます。そのうち答えを出さなかったりすると、疑問さえ持たなくなる。そうすると、そこである種の成長は止まると思います。
基本の重要性に気付くかどうかは、自分に疑問を投げかけることもあると思います。疑問を持ったら突き詰める。本当の答えでなくてもよくて、どうにか答えを自分の中で出す。「何が本当の答えか」に定義はないと思うので、自分の中で答えを出していくことが大事だと思います。
自分で出した答えに、そのときそのときで納得して、またその答えに疑問を持つ。また次の課題が出てきて答えが出てと、その繰り返しです。
それは頭の中だけで起きることだけでなくて、体を動かすうちにもあります。体の動きと考えは微妙な関係で、常につながっていて、どちらにも疑問は起きますね。
すごく危ないことだと思います。自分の情報すら外から知らされて、「おまえはこういう人間なんだ」と思わされてしまう。とても危ないです。なるべく耳を傾けないようにすることです。ひとつでも耳を傾けるとどんどん下らない問題に引き込まれてしまう。まったく向けないことです。自分を信じるしかないです。
今の社会で耳を傾けないのは不可能に近い。だけれども昔の人はそうやって生きてきたから可能ですよね。自信は情報の多さではないのですから。ただ、自信と過信の境目は難しい。「私は私だ」と言い切ってしまっては、これはこれで問題になりますから。
私が10代の頃は、過信状態で自信があり過ぎました。舞台を踏んで、失敗があって、ようやく疑問を持ち始めました。考える時期は人それぞれで、時期が違うと思います。
何か大それた考えはなくて、ただ同じところにいたからシチュエーションを変えたかった。カンパニーの中にいても自由にはしていましたが、いる場所を変えてみたかったのです。独立してみても自分のビジョンやスタンスは変わらないし、考えも変わらないんだと気付きました。

何か確固たるものがあるわけではなくて、バレエが好きで、ダンスを通して自分を表現していたい。劇場にいたい。体を使って表現したい。それ以外は何もないのです。漠然としていますが、それ以上の細かいビジョンは持たないようにしています。あまり確固たるものを決めると、そこばかり見つめてしまいますし、寄り道ができなくなるから周りが見えなくなります。だから柔軟にやっていこうと思っています。
自分を振り返って良かったと思うのは、「思ったときに行動したこと」ですね。高校に進学しましたが、直ぐにやめてしまった。踊るのは、高校を卒業してからもでも良かったかもしれない。けれど、みんなが制服のボタンをとめていたり、同じ方向を向いているのが堪え難かった。これは普通じゃないなって思いました。私は自分の直感や本能を信じていましたし、今でもそれは同じだと思います。そのおかげで、今の幸せはあるんだと私は思っています。
Yasuyuki Shuto
首藤 康之
1971年11月11日、大分生まれ。1980年にバレエを始め、1986年、東京バレエ団に入団。1989年「ラ・シルフィード」でソリストとして、1990年「眠れる森の美女」で主役としてデビューした。1993年にはモーリス・ベジャール「M」の初演、ベジャール振付「ボレロ」に出演する。2004年5月、東京バレエ団を退団し、現在は同バレエ団の特別団員として活躍している。
公式サイト http://www.sayatei.com/manu.htm
アートマンシネマ http://www.flyingjib.jp/atmancinema/