

Yuta Mizuki
水木 雄太
1979年、富山県生まれ。2000年にルワンダへ旅する。2001年同志社大学文学部卒。2002年(株)東宝サービスセンター入社、劇場(映画館)運営に携わる。2005年4月、退社。 2005年6月「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」を立ち上げる。
水木 雄太 さん(「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」代表)
ルワンダ大虐殺をテーマにし、アカデミー賞にノミネートされるなど話題を集めた映画「ホテル・ルワンダ」の日本での公開が決まった。実はこの作品、日本での公開が危ぶまれていた。ぜひとも日本での公開を、とと立ち上がり活動を始めたのは、一映画ファンだった水木雄太さん。誰に頼まれたわけでもなく始めたことが、ついに現実を動かした。
私が高校1年だった94年の春にルワンダで大虐殺が起きました。(注2)夏休みくらいになると「難民が溢れている」と報道されていて、その間で数十万とも100万ともいわれる数が殺されたといいます。
私の通っていた学校は進学校で、高校に入った途端、受験勉強のことをとやかくいわれるなど、理想と現実の違いというか、そもそも何をやりたいかわからない中でそういうことを言われることに違和感を覚えていました。そんな頃ふと目にした新聞記事で難民の行列を撮影した写真があって、ひとりの子どもがこちらをじっと見ていたのです。そういった写真はいつでも、どこでもあるようなものなのかもしれませんが、それが引っかかってしまいました。
私と同じ年くらいの子どもが毎日殺されている。それからとてもルワンダが気になって、ルワンダに関する新聞記事を特にスクラップするようになりました。
将来のことを考える間もなくただ受験のために「覚えろ」と言われる毎日に嫌気がさしていました。それも大事なことだと今では思えますし、また当時から「自分がこうして勉強している間にも殺されている人たちがいる」という思いから現状の学校生活に疑問を持つのも、ある種の言い訳だとも気付いてはいました。そうは言ってもやっぱり気になるのは仕方がない。そんな経緯があってルワンダに興味を持ちました。

扱っている題材が題材だけに「平和とは?」みたいな角度で興味を持っていると考えられがちですが、もともと映画が好きだったのです。
高校に入りたての頃に知ったルワンダの問題で、「何のために生きるのか」と考えがちだったのですが、映画をたくさん見る中で「あまり悩んでいるだけなのもバカバカしいな」と思うようになって、それ以降は事件の報道自体がなくなっていったのもありますが、あまり思い悩まなくなりました。
大学卒業時の2000年、ルワンダへ旅行に行きました。大学4年と言えば就職活動をするものですがそれもあまりしませんでした。漠然と「映画関係に進みたいな」と思っていても、単位を取るのに精いっぱいだったという理由もありますが。
とりあえず学生生活の最後に旅行しようと思い、振り返ると15歳で考えていたことが大きかったなと改めて思い、それにケリをつけるというか、整理しなきゃいけないなと思い、ルワンダに行きました。あれだけ気になった国だから一度見てみたい。実際は2泊しただけですが、とにかく大自然が印象的で、それに寄ってくる子どもがかわいい。そういう光景を見ていると、昔ルワンダについて考えていたことは現実のすべてではないかもしれないと思い、そこで自分の気持ちに一区切りついたのです。
いいえ、2000年の時点では、そういうことを感じさせませんでした。人も温かい。ただ虐殺と関係があるかわかりませんが、足が片方しかない人を見かけました。

わからないですね。現地のルワンダ人でもわかることはないと思います。自己申告しないとわからないでしょうね。
実は映画監督になりたいなという思いがあって、何のあてもなく東京に出てきました。フリーターで1年過ごしてみたら、日々の生活に追われて何も進まなくて、早々青臭いことも言ってられないと思い、就職しました。本当にやりたかったら自分でカメラを回して撮り始めているだろうから、「映画監督になりたい」というのも、その程度の思いだったのかもしれないです。
でも、映画は好きだし、好きなことをできるのが幸せだと思い、たまたま映画館の営業係に就職することができました。お客さんの誘導とかチラシの管理とかの業務です。職場が映画館というのはすごくうれしくて2年9か月勤務し、この春に退職しました。
辞めるにあたっては、強烈なきっかけがあったわけでなく、むしろ仕事のやりがいも感じていたのですが、仕事を始めた頃の初心が薄れてきているところも感じましたし、それにもっと可能性を望む気持ちがあって…もちろん映画館で働くことに喜びはあったのですが、その気持ちが日々の仕事に追われる中で薄れていて、もう一回リセットしたいと思ったのです。
あと単純に「辞めたほうが人生面白くなりそうだ」と思ったのも正直なところありますね。
たまたまです。退社してからしばらくは、いわゆるニート状態でネットを見ていたら、「ホテル・ルワンダ」を上映しないと知って、時間があるから何かやってみようと思ったのです。
ルワンダを題材にした映画が、しかもアカデミー賞の3部門にノミネートされているにもかかわらず公開されない。これが映画ファンとしてまず信じられなかった。ルワンダに行って気持ちに区切りはついたのですが、やっぱリ自分でも整理できないところがまだあって、高校の頃にうやむやにしてしまったところがあるのだと思い、当時の借りを返したいといった気持ちが起きたのです。
まずミクシィ(注3)の中で「ホテル・ルワンダ」に関するコミュニティを立ち上げて、なんとか上映したいという内容を書きました。映画ファンの中ではドン・チードルが出ていて、アカデミー賞にノミネートされたといえば結構な映画なので、「それならちょっと自分も何かやるよ」という人が増えて、輪が広がっていきました。

実際に見たのは7月の中頃でした。英語の字幕だったのでどこまで理解できているのかという問題はありますが、思い入れが強かったので、映画が始まった時点でぐっと来てしまいました。内容がとっつきにくいイメージがありますが、年に1本しか映画を見ない人でも心揺さぶられる映画だと思います。日本で公開されておかしくない作品だと思いました。
わからないですね。やっぱりどうしてだろうという思いがあります。私が旅行に行って思ったのは、別に彼らが特別気が荒いとか部族同士憎しみを抱いているわけでもないということなのです。ルワンダは植民地にされた歴史があって、ドイツやベルギーといった宗主国が支配するために都合よく操られたせいもあるんじゃないかと思います。
正直、ルワンダに行くのは恐かった。数カ月に数十万人が殺しあう国民だとも考えられるわけですから。でも、実際行くと私に対しても、彼ら同士もフレンドリーで、国民性が原因というのは違うんじゃないか。もちろん虐殺が起きたのは、ルワンダ国民の責任もあるけれど、必ずしも国民のせいだけでなく、周囲の対応も要素としてあったんじゃないかと思います。
正直まだ信じられない気持ちもあります。嬉しさの反面、急な決定だったので戸惑いもあります。一番強く思うのは、自分一人ではとてもじゃないけれどこのような結果はあり得なかった。公開に向けていろんなところで多くの人が様々なやり方でこの輪を広げてくれました。この公開運動に関わった全ての方への感謝の気持ちでいっぱいです。そして公開を決断してくださった配給会社をはじめ関係者の皆さんの期待に応えるためにも、これで終わり、というわけではなく映画の公開を成功させるために、今までと同じスタンスで応援していきたいと考えています。

一見、'大虐殺を扱った社会派の作品'と思われがちですが、実際は一人のホテルマンが困難な状況のなかで家族を守り、そしてそれが結果的に1,000人を超える人々の命を救うことになる、という感動的なストーリーです。ある意味では夫婦間のラブストーリーでもあると思います。そういう意味では、最近公開されている多くの作品とは一線を画すものですので、映画ファンにとってもインパクトのある作品だと思います。と同時に、たとえば僕のように、日ごろ何不自由なく平凡な毎日を過ごしている人間にとっても'世界にはこんなにも恐ろしい事件があった国があり、そしてそこに'とても熱い男がいて多くの人の命を救った'という事実を単純に知る意味でも価値のある作品だと思います。
自分の高校時代を考えると、明日の授業の予習と何千キロと離れたルワンダのことを憂うのはどっちも大事でした。ただ自分の身分というか、現実を踏まえると明日の予習をすることのほうが大事だと気付くことがあって、それで多分憂う気持ちが薄らいで、普通の学校生活を送り出したのだと思います。もやもやは多少あったけれど、バンドを始めたりとかして、日々の自分の暮らしを懸命にやっていこうとしました。
その後映画監督になりたいと思うようになって、アメリカに留学しようと英語の勉強を結構やりました。とにかく自分の生活に必要なことをやっていました。留学については、経済的な理由で日本の大学に行くことになりはしましたが、それも留学しないと映画監督になれないわけじゃないだろうと思って納得してました。
大学卒業後、映画監督を目指そうとフリーターになって、親に色々と心配されました。けれど、なりたい気持ちがあるのはしょうがないにしても、いつまでもそういうことを言うつもりはないと自分でも思ってました。だから一度映画館に就職したのは、映画監督になりたいと言ったものの、実現させるだけの行動力がなかったから、ある意味見切りをつけたのです。
ただ、今回の活動を行う前に会社を辞めたのは、漠然としたことしか言えなくて、自分に対する「可能性」とか「映画ファンの初心」とか、あくまで26歳の人間が言うことなんで、あまり他人には説得力はないんです。自分のやりたいこと、好きなことを大事にしたいというのがあって、2年という期限つきでやっています。またバンドを始めましたが、いつまでもするつもりはなくて、やり残したことを片付けたいという気持ちが強いですね。
好きなことを仕事にして、それを3年弱やってみて、「いかに面白く生きるか」というところで辞めたわけですが、その間学んだのは、よくも悪くも何でもやりがいを見つけられることです。今度は出版関係で働きたいナとは思いますが、あまりそこにこだわると今までの経験が無駄になる気がします。
やりたい仕事というのと、やりがいを見出すのは似ているようで違って、やり始めたら何だって楽しくできるものじゃないかと思います。

(注1)1994年にルワンダで起こった大量虐殺事件をテーマにした作品。ドン・チードル、ホアキン・フェニックス、ジャン・レノといった名優たちを大胆に配し、トロント国際映画祭では観客賞を受賞、昨年度のアカデミー賞では主要3部門にノミネートを果 たすなど、各方面で並々ならぬ注目を集めている。
暴徒化したフツ族の手により約80万人のツチ族が次々に虐殺されていく絶望的状況の中で、ドン・チードル扮するホテル支配人は自らの勤務先へ成り行きで多くのツチ族を匿うことを余儀なくされる。当時、国際社会が陥っていた深刻な無関心の連鎖がこの国での被害を拡大させたのとは対照的に、ルワンダに暮らすごく小さな存在でしかなかったはずの彼の行動は、やがて1200人ものツチ族の命を救うこととなる。
(注2)ルワンダは第1次世界大戦前はドイツ、以後はベルギーの植民地であり、1962年に少数民族であるツチ族を中心に独立した。これに対し、多数派民族であるフツ族の勢力が1973年クーデターを起こしたことで、フツ族がツチ族を支配するようになる。ツチ族はルワンダ愛国戦線を組織、反政府活動を行っていく。90年ルワンダ愛国戦線が北部に侵攻し、内線が勃発。
93年8月、和平合意にいたるも94年4月6日フツ族のジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプレン・ンタリャミラ大統領の搭乗した飛行機が何者かに撃墜されたことをきっかけに、フツ族によるツチ族への大量虐殺が開始され、約3か月で100万人が殺されたといわれる。94年7月、ルワンダ愛国戦線が全土を制圧、ツチ族のパステール・ビジムング大統領とする政権が成立、紛争は沈静化した。
(注3)既に登録している知人・友人から招待状を受け取ることで参加できるコミュニティ。
Yuta Mizuki
水木 雄太
1979年、富山県生まれ。2000年にルワンダへ旅する。2001年同志社大学文学部卒。2002年(株)東宝サービスセンター入社、劇場(映画館)運営に携わる。2005年4月、退社。 2005年6月「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」を立ち上げる。
「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」
http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/
(渋谷シアターN渋谷(2005年12月オープン)にて2006年新春公開)