Shing02 さん(ミュージシャン)
音楽が好きといえば、音楽を聴くのが好きをだいたい意味しているんじゃないだろうか。いろんな接し方があって当然だけど、音楽を奏でる人がいて、その人が国家や戦争だとか、人間が起こす問題だとか、そういうメッセージを発していたりすると、当たり前だけどエンターテイメントだけが音楽の骨頂ではないことを改めて知らされる。今回登場いただいたのは、アメリカに住みながら日本でも活動しているshing02さん。HIP HOPという音楽、その精神性について尋ねました。
僕は89年に家族ぐるみでカリフォルニアへ引っ越し、そこで高校生活を送り、93年に大学へ行くためにバークレーへ移ったんです。当時のバークレーはインディペンデントの音楽をつくったり、チラシをつくってパーティーしたりというのが盛んな時期で、そこで友達がたくさんできた。
日本で暮らしていたときは、レコード屋に通ったりする音楽少年ではなく、工作や絵が好きで、高校生の頃も主に絵を描いていました。そのせいか、バークレーでまずHIP HOPのグラフィティにはまった。それでアーティストのジャケットやチラシなどを描くようになったわけです。
HIP HOPとは何だということだけど、要するに個々の作品だけを指すより、全体でつながった活動を表しています。「自分たちで活動をする」というのが一番のメッセージであって、そこにすごく感化されました。それで自分も音楽をつくったり、フリースタイルでラップも始めて、そのうち日本語を使って詩を書いたりとか模索しているうちに、自分が小さい頃から好きだったものが、だんだん出てくるようになった。手塚治虫だったり。自分の中でおもしろいものをつくっていこうという風になっていったのが、これまでの成り行きです。

小さい頃は、親の仕事でイギリスにいて、その頃はブレイクダンスが流行って、HIP HOPのムーブメントを見たのはそれが初めてかもしれない。僕はどちらかと言えば内向的で、友達がブレイクダンスで逆立ちしたり、床を回っていても見てるだけで、絵とか迷路を描いて友達に配ったりするのが好きでしたね。
HIP HOPという音楽だけでなく、HIP HOPカルチャーに出会えたからだと思います。「HIP HOPカルチャーとは何か」を教えてくれる人が幸運なことにたくさん周りにいた。
今だとHIP HOPはラップ音楽だけが強調されがちだけど、ニューヨークのブロンクス地区で誕生し、カリフォルニアでも独自のHIP HOPカルチャーが始まったりして、そのムーブメントの担い手はちゃんと踊りも絵も、ラップもDJも総合的に考えて、守ろうとしていた。ラップだけが商業的に成功するのではなく、「みんなでHIP HOP文化を守ろう」という想いがあった。
そういう人たちの殆どは、学校へ行って学ぶことよりも凄いことをやっていて、そんな人たちがいるという事実にやられちゃった。それで僕も自然に参加したいと思ったわけです。
一言でいうと「サバイバル」です。自分が生きる上で社会的に問題があっても、意識の部分では負けないということ。そのためには自分をエデュケート(教育)するし、お互いの絆を堅くし、アイデアを交換し、コミュニティーをつくる。そういう自発的な部分ですね。HIP HOPカルチャーはそこが一番大事だし、だからこそ何人であれ、加わることができる。
HIP HOPカルチャーには、「自分のルーツを探し、自分のコミュニティーを探そう」という使命感が存在していて、どちらかというとエンターテイメントとはかけ離れていますね。日常的なお互いの関係をうまくやっていくところに楽しさがあり、音楽のパワーにもなる。
たとえば僕が住んでいるバークレーやオークランド市は、ポリティカルな歴史がある街でブラックパンサー・パーティー(注2)が人々の意識の中にまだ残っている。ちょうど僕らは60年代後半に盛り上がった公民権運動や反戦運動の世代の子どもたちで、親を見て育ったせいか、大学でも民族問題を扱ったエスニックスタディなどを学んで、得た知識や経験を音楽に反映させるのは当たり前だった。そういう意味では特殊な環境だけど、すごく恵まれているし、色んな経験が音楽と融合する場所だと思ってます。
ラッパーは確かに少ないけど、 DJだとアジア系が多いです。グラフィティ・アーティストも。「何人だから」というのはなくて、むしろ人と違うことをプラスに考えてくれますね。アニメが好きだったりして、けっこう日本に関しては好意的ですよ。まあ、なかなかHIP HOPのレベルでリスペクトを得るのは時間がかかりますね。そこは自分でやっていかないといけない。
HIP HOPの曲によってトピックが違うように、問題意識もバラバラだったりします。まずは「自分のアイデンティティとは何か」から始めました。自分がどう思っていようが、人からは決まったイメージで接されるわけです。とりあえずはアジア人、日本人と見られる。そういうところから始めて、普通に生きていれば、世界にはいろんな問題があることを知っていくわけです。歴史や経済も含めて。アメリカや日本以外で何が起きているのか、その関連性を探る。それについて知ったら、ただ黙って見ているんじゃなく、問題意識を広める。その意識をパワーにするのが重要なステップです。
でも、結局は自分の中で考えていても、やっぱり実際にやってみないとわからない。で、いったん外に出すとそれはどういう規模であれ、予想外の反応がたくさんあるもので、そこが興味深いですね。
98年に「パール・ハーバー」というミニ・アルバムをつくったんですが、まず自分に課せられるステレオタイプ(偏見)がありますね。日本人と言ったらいまだに「カミカゼ」と言われたりとか。そういうのを逆手にとって、アメリカの歴史や自分がHIP HOPをやっていることを凝縮して、自分にも若くして戦死した親戚がいたんですが、真珠湾に出撃した日本兵の気持ちだとか、そういうことを含めて、比喩をいわば歴史的にサンプリングして、作品を出したわけです。日本でも色んな反応があったし、アメリカでもあった。アメリカでは「オリジナルなことをやっているね」というものだった。予想してなかった反応があったのは、日系アメリカ人という存在で、彼らは真珠湾攻撃が起きたことで、強制収容所(注3)に入れられたわけです。それは彼らにとって今でも重要な問題。そういう同世代の人からも「よかった」と言われるとびっくりした。全然見えていないところからの反応だった。

自分はたまたま日本人で、そのルーツを大事にしているだけで、そこに固執しているというよりも、自分のルーツを大事にすることで全然価値観の違う人たちと分かち合えることを重視したい。
HIP HOPもそうで、アフリカン・アメリカンの歴史だけでなく、アフリカンすべての音楽、歴史を考える。そういうことを意識した時、自分も日本人であること、アジアンであることを考えるようになりました。そこにこだわるんじゃなく、勉強していくことで生まれる新しい価値が糧になる。
小さいときも外国にいたけど、アメリカで暮らすようになって強く感じるようになった。アジア系の移民もたくさんいて、いろんな考え方を聞いて、意識し出したと思います。特に日本は、外に出て行って初めてわかることはたくさんある。
そういう意味でいえば、自分はアメリカでは日系一世だから、二世や三世が何を考えているか知らなかったし、彼らとの出会いがきっかけで収容所を見学するツアーに参加したり、それがドキュメンタリーになったりと連鎖していった。それはHIP HOPならではのことだと思いました。HIP HOPという表現手段がなければ、出せたわけじゃないし、すごくおもしろいと思う。だから、なおさらいろんなことを経験して、作品ごとに新しいものにチャレンジしようと思ってます。
そこは忘れちゃいけない。HIP HOPのルーツについてのリバイバルが周期的にあるんですが、今はポリティカルな側面が見直されています。表面的には見えなくても、そういった活動をしている人はアメリカにいっぱいます。社会運動と音楽表現を関連づけて、熱心に研究をして広めている人もたくさんいる。僕は、そういう風に活躍している人たちに一番刺激を受けます。

基本的には英語ですね。日本語でラップを始めるときは、当たり前だけど誰も手伝ってはくれないし、自分の周りにはDJはいっぱいいたけど、一緒に日本語でラップする人はいなかった。試行錯誤したし、録音は楽しくてもステージングに慣れていなかったりと、やっぱり積み重ねが大事ですね。
僕の住んでいるところはオープンだから、日本語でやっているというだけで「オリジナルなことをやっている」と肯定的だった。
でも日本語でフロー(ラップ)することだけでも反応はありますね。ラップは言葉の意味だけでなくて声とかフローも大事で、大抵の客はライブでは歌詞なんて殆ど聴き取ってないですからね。マイクでガツガツ煽っているのに反応するわけで。僕はシャイだったから、初めはライブを観に行って、皆と一緒に手をあげるのも恥ずかしかった。だから、ライブなんかで見かける日本人のシャイなメンタリティはわかっているし、そういうところに笑いを入れたり、共感するところを提供してアプローチしてます。
僕はいつもユーモアを大事にしたくて、自分が発したどんなにポリティカルな内容でも、それを聴いてて「おもしろいな」と思いたいし、人の作品でもそう。ラジカルなことを言ってもニヤってする痛快さが大事だと思います。ボケとツッコミの他に、違った笑いを追求してます。
いろんなHIP HOPやアートに触れてそういう部分に感動してきたから、いかにそれを煮詰めるかが、アーティストの仕事であり責任だと思ってます。
サンフランシスコはHIP HOP産業自体は皆無で、雑誌やレコードのメジャーな流通もありません。アーティストの宝庫ではあるけれど、商業的には潤ってない。
でも天才級の人間がたくさんいて、全国区で有名じゃなくても、オーディエンスは世界中にいて、自分のやりたいことをやって、良いメッセージを発している。そういう活動はとても共感できますね。
もちろん「音楽で食べていけるか?」とは、自分でも毎日思うし、音楽を一緒にやっている仲間も生活はぎりぎりっていうのは、みんな同じ境遇だし、そういうのはすぐに変わらない。
けど、アイディアを形にしていくことで、初めて分かることもあるし、それに自分たちはお金のためだけにやっているわけでないし、お金のためだったら他の仕事をすればいい。信条がないと長く続かない。
話は変わるけど、最近感じているのは、実は「日本はアメリカより自由だ」ということなんです。というのも、アメリカは何だかんだ言って世間の目が意外と保守的で、厳しい。ちょっと有名になると少しでも間違ったこと言うと潰される。
その反面、日本は「飯を食えているかどうか」という判断が結構重要な基準になってますよね。ポップ音楽をつくっていようが、アンダーグラウンドだろうが、「飯を食えてる」という事実だけで、自動的に評価される面がある。
アメリカでは仕事をしながら音楽をやっている人はたくさんいるし、博打的な音楽産業に必要以上に依存しないから、良いことだと思う。
日本だと働きながら活動すると、世間的には趣味扱いされてしまう。逆さまですよね。だから、日本だとうまくそれを使えば、形はどうであれ「飯が食えている」ということで認められたりする。あとは好きなことをやっていい。内容は結構自由ですよね。
その通りですね。最近は、お金をどういう方法で稼ぐかより、稼いだお金をどう使うかをよく考えたい。
極端な話、お金はなくても「生きて」はいけます。自分にかかるコストをできるだけゼロに近づければ「お金というシステム」に依存しなくてすみます。ご飯を食べるのも、自分で耕すのも含めてやり方はあるわけで、それくらいラジカルに考えたら、文句を言う暇があれば実際にそう動くべき。そこは気合いで、そこで負けていたらダメでしょう。ちょっとずつでも意識を変えて、それを広めて、良い仲間を見つけて、自分を高めることが大事。
アメリカにDJや色んな仕事を求めて来る日本人もいて、すごいと思う。結局、本物を求めるなら、国内外問わず本場に行くのが大事。自分は今は日本の外で暮らしているけど、日本の中で起きていることも知りたいし、きっかけも欲しい。日本の中で色々探すと、日本の若者が普段見ていないこともたくさんあったりして、「自分で行く」っていう物事に対する姿勢の問題になる。
とにかく自分の勘を働かせて、貪欲に勉強していきたい。そういう心構えが大切だと、僕はHIP HOPから学びました。
そう思います。でもね、そういう子たちだけではないと思いますよ。実際に積極的に動いている人もたくさんいると思う。
それに、皆、きっかけよりも自信の方が大事なんじゃないか思います。やりたいことがあって、分かっているんだけど、誰か背中を押してくれる人がいない。そういう簡単なことだったりする。やっぱり自信を持って、ある程度のところまで自分を高めていけば、人とリンクしやすくなる。ただ何もない状態からいきなりチャンスが来るかどうかはわからないし、待っていても余計に難しい。
そうですね。もっと自分から積み上げていけば、たとえ途中までは誰も助けてくれなくても、きっかけが訪れたときに、ちゃんと準備ができている。
たとえば好きなスポーツだったら、大きいチャンスが訪れるまでは、うまくなりたいから練習しますよね。上達すれば「何かやろう」と言われたときに、よりチャンスが開ける。
それは深く考える以前に、やりたい人はやるんだという自信の問題、メンタリティの問題。スポーツの世界も、日本人が海外で活躍するのが夢だった時代から、自信を持った人たちが出て行って、道が開けた。音楽も昔からそうです。
実際にポジティブな成功例を見たら、それを自分の味方につけることができる。日本の中で閉じこもっているんだと否定的に捉えると、自信をなくしてしまうかもしれないけど。
でも、最近、本当に思うのは、みんなそれぞれ違う才能があるってこと。本当に各自がある種の才能を備えていて、それだけを引き出すことが肝心なんです。それでお互いがリンクしていけば、年齢を問わず助け合って飯を食っていけるんじゃないかと思ってます。

今言ったみたいに、みんなある種の才能があるから、何でも「ただやればいい」とは思わないし、大げさに言えば出会いとか運命がある。だから勘を磨くことが大事になってくるわけです。
僕はたまたまHIP HOPをやっているけど、その中でも方向性は大事。自分がやったらみんなが喜ぶスタイルもあるし、そうでないのもある。
仕事を選ぶことも、自分の中でこだわっているものがあったら、必ず自分に合った道は開けるし、仲間に出会えて、結局は「信念の部分によってのみ起きる出来事」があって、それを呼び込む力を人間は備えている。
社会的に見れば就職難とか問題はあるかもしれないけれど、そういう状況を利用するくらいでないと、自分より大きな力にコントロールされっぱなしになりますよ。親や学校のプレッシャーに対応することに追われていたら自分を見失ってしまう。
ある程度の我慢が必要でも、とりあえず長期的なゴールを見据えて形にする心意気があれば、家族も友達も時間をかけて分かってくれるでしょう。
だから、人の見ていないところで自分がしなくてはいけないロードワークはある。
興味があることは、一人でも勇気を出していく。僕も迷ったけど、やって良かったと思うことはたくさんあります。逆に迷ってやらなかった結果、後悔することも。だから、自分の中で盛り上がっていることは、「迷わず行く」のが大事。礼儀とか心配して遠慮しがちになることもあるけど、そこを突き破って行くタイミングを見極める。たとえば恋愛だって、行く時に行かないと後悔するでしょ?
今は理解されなくでも、絶対にどこかで取りかえせる。それには、「どこまでそれに深く向き合って、関わるか」が大事ですね。
僕も自分では試行錯誤しながら生活していて、充実はしていますが、社会的には駄目な奴っていう見方もある。たとえば税金をそんなにおさめていないし、良い生活はしてないかもしれない。
でも自分にとって大事なものが満たされているから、なんとかバランスがとれている。結局は人それぞれの価値観だから、やっぱり「自分が何を欲しているか」を知ることが、すごく重要なステップだと思いますよ!
(注1)1970年代後半にニューヨーク・サウスブロンクスで生まれた、アフリカ系アメリカ人の生んだ文化。貧困層の多く住む地区の若者は当時流行していたディスコに行くことができなかった。そこでターンテーブルをストリートに持ち込み、DJがレコードを回す中、人々が踊り始め、MCはラップを始めた。やがてグラフィティーアーティストは自らの主張を建物や列車に絵を描くといったことを始めた。
(注2)アフリカ系アメリカ人に対する警官の人種差別的な暴力から自らのコミュニティを守るため結成された自衛組織。握り拳のトレードマークと「権力を人々の手に」という言葉がシンボル。
(注3)1941年12月8日に日本軍がアメリカ・ハワイに対し行った真珠湾攻撃後、アメリカは日本人と日系アメリカ人を「敵性市民」と見なした。42年に敵性外国人を強制隔離できる法律を施行。約12万人の日系アメリカ人が砂漠地帯や荒れ地に強制収容された。同じ適性外国人であったドイツ系、イタリア系には同様の収容は行われず、人種差別的な措置であったとされる。

(取材場所)
TOWER CAFE(http://towercafe.jp/)
東京都渋谷区東3-16-6 LIQUIDROOM ebisu 2F
03-5468-3860
Shing02 さん
1975年東京生まれ、タンザニア、イギリス、日本で育ち、15才の時にカリフォルニアへ。バークレーに引っ越したことをきっかけに、ヒップホップに魅せられ音楽活動を始める。10代の頃に書き上げた日本語アルバム「絵夢詩ノススメ」のデモテープを携えて、97年夏にMCとして凱旋。その後「パールハーバー / ジャポニカEP」(戦争 / 日本をテーマにしたコンセプトEP)と99年に「緑黄色人種」、02年に「400」をリリース。現在はベスタクス「フェーダーボード」の発明者としても、和音とDJテクニックを取り入れた音楽を追求している。
公式HP http://www.e22.com/