

Tetsuya Ota
太田 哲也
1959年、群馬県生まれ。『日本一のフェラーリ遣い』と異名をとったプロレーシングドライバー。1998年5月3日全日本GT選手権第2戦、富士スピードウェイで多重事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負う。再起不能と言われながら、事故から2年半後にサーキットへ復帰した。
太田 哲也 さん(自動車評論家、レーシングドライバー)
日本一のフェラーリ遣いと言われたレーサーの太田哲也さんは7年前、レース中に事故に巻き込まれ、死の淵をさまよった。炎上する車から救出されたシーンを覚えている人もいるだろう。奇跡的に一命を取り留めた太田さんを襲ったのは、失意と絶望と怒り、悲しみの感情。すべてを失った中、いま一度生きる方向に足を進めた原動力はいったい何だったのか。
そうですね。いま各地の高校から講演を依頼されることが増えていて、そういう場で高校生たちと話して共感するところがあるのは、不安の中でどう生きるかという悩みです。学校の先生から「先が見えない時代になって、いい大学、いい会社へ行けとは言えないから何を言っていいかわからない」とよく聞きます。
やっぱりそれだけ高校生も人生に迷っているってことだけど、そういう意味では僕も同じだから、わりと思いを共有できるせいか、高校生は僕の話をよく聞いてくれますね。

事故(注1)によって、僕の体と心はとても傷ついたわけだけど、3年間病院にいて治療行為はとりあえず済んだわけです。これがドラマだったら「やったー!」で終わりだけど、現実はそうではない。僕は元々レーシングドライバーという社会人で、体の怪我は一応治った。じゃあ社会へ戻ろうとなったときに、仕事がないわけです。レーサーはハンディがあってできない。
レースの世界で長年やっていると、だいたい自分の引退が近いことを知るわけで、チームオーナーや監督、解説者に転身したりします。僕もそういう設計がある程度、事故の前はあったけど、それがまったくなくなった。それに3年間、レースの世界にいなかったことで、転身の足がかりがなくなってしまった。
大学を卒業するときに「これからどういう道に進むか」「何を仕事にすればいいか」と非常に悩んだけれど、それと同じ状況に40代に入ってなったわけです。
社会に出てどうやって生きていくか。病院から出てきたときの大きなテーマがそれだったわけで、高校生と共通した悩みだと思います。
このウェブを読んでいる高校生も同じだと思うけど、とにかく自分が何に向いているか見つけなくちゃいけなかった。ただ、僕が高校生に比べて有利だったのは、ずっとレースをやってきて、その間に技術的なことだけじゃなくて、レースを行う上での対人間関係や、ドライビングに必要な感じる力を磨いてきた経験があったわけで、これまで培ってきた考え方やノウハウが自分を立ち直らせていく上で役立った。
そういうノウハウって、同じ悩みを抱えている人にもきっと役立つだろうと思えたから、これは伝えたいなと思って本を書いたんです。
高校生と同じ悩みといっても、自分の10代といまの高校生を比べたら境遇は全然違います。
僕が10代の頃は、経済がどんどん調子よく上がっていて、未来は明るいと思えていました。だいたいの友達が銀行か証券会社に就職し、そこへ行けば確実だと思われていたし、ともかく会社に入れば人生うまくいくと信じられていた。今は「未来は明るい」と言われても実感がわかないでしょう。だから誰もそう言えない。
でも、僕がそこで言いたいのは先が見えなくても、3年くらい何かすれば先が見えるよってこと。
あの事故は自分がミスしたわけでもないし、自分が悪いわけでもない。でも、そういう運命になってしまった。それに社会に戻ってもみんながウェルカムではないし、事故直後の顔をじろじろと見たりする人もいて、頭に来たことはたくさんあった。
社会が悪いと激しく思った。でも、他人を変えること、社会を変えることはそう簡単にできないことなんです。そうしたいとは思うけれど、そうはいかない。
自分を変えるしかない。誤解して欲しくないけれど、これは諦めるだとか、「ひどい社会の中で適応するからには、悪い人間にならないといけない」という意味ではなくて、いい意味で「ひどい環境をすり抜けるテクニックが必要だ」ってことです。
レースもそうだけど、恐怖心やコンディションだとか、いろいろな問題はあるけれど、結局、変えられるのは自分の意識だけ。だから、社会に適合させる自分をつくるしかないんだけど、この「自分を変える」ってことは、実はすごく難しい。やりたくないし、恐い。ある意味、それまでの自分を否定することだから。

ずっと家にひきこもって外に出たくなかった。何となくほかのことに集中している時間が増えると、気にしなくなってきましたね。
することがなくてデジカメを買ったら、外へ出てみたくなって、そうしたら道ばたに咲いている花に気づいて、「昔はこういうふうに景色を見られなかったな」と思ったりして、そういう変化に気づけた自分が「なんかいいな」と思えて、「うん、人生まんざらでもないな」と思うようになったりしましたね。
その頃は、「あれもできなくなった。これもできなくなった」という思いでいっぱい。そういう感情を持っているときは、新しいことにチャレンジできませんね。それに何かチャレンジしようとしても「どうせ無駄だろう」と思ってしまっていた。
また、周りからの「ここまで治ったからよかったじゃない」という言葉が「身の程を知れよ。無理なことはするなよ」と聞こえて仕方なかった。確かに治ってよかった。けれど、ただ生きているだけでは駄目で、やっぱり希望を持ってないと人は生きてはいけないし、喜びにならない。
それに何でも「無理だ」と言ってしまったら、「仕事をなくしてハンディを負って40歳を過ぎてから新しい仕事を見つける」なんて無理に決まっているわけです。
自分を見つめ直すのはいい。でも見詰めた結果「なんて嫌なやつなんだ」とわざわざ嫌いになることはないよね。自分のことは、やっぱり好きにならないと。今まで自分がやって来たこと、あるいは周りが自分にしたことを分析し過ぎると、どうしても嫌なところが目立つ。だから、あんまり自分を責め過ぎてはいけないし、その必要もない。
世の中滅んでしまえばいいのにという感情に襲われたことがあります。でも、そう思った自分を責めても仕方なくて、絶望的な状況に追い込まれたら誰でもそう思ってしまう可能性があるわけです。むしろ、そこからどう希望を持って、楽しく生きていくか。そこが大事で、それにはまず自分を認めないことには始まらない。
事故の後、「なんであのとき死なせてくれなかった」と思いました。「生きててよかったね」と言われても、「あそこで華々しく終わっていればよかった。こんな嫌な思いをする人生をなんでくっつけたんだ」と思っていました。非常に後ろ向きで周りに不満を言い、運命を呪っていた。そういう自分を振り返ると、あまりすてきな人生ではないなと今は思います。
やっぱり状況に対して不平を言うのではなくて、自分を変えていく気持ちになる。チャレンジとはそういうものだと思います。
事故を経験して、わかったのは物事には永遠はないってこと。レーサーをやっていたときは、「ここまで来たから後は見えたな」と思っていたけど、たった一度の事故ですべて変わったわけです。
世の中は変わる。そして世の中が変化するということは、自分の違う可能性が見えてくることでもあるわけです。

職業ドライバーとしてのレースは止めたけど、アルファロメオでレースに出ています。あるいは今度オリジナルカーをつくってみようという企画もあります。いろいろ試してみるからといって、どれがうまくいくかわからないけど、とにかく何でもやってみようって思いますね。
とりあえず、何か引っかかったことをやるのがいいんじゃないかな。次の仕事は何にしようかと考えていたときも、機械いじりはできるからギタリストでもなろうかと思いました。試したら無理だったから止めたけれど、これもやってみて「無理だ」とわかったわけで、やらなかったらどこに自分の可能性があるかわかんない。
高校生だったら、先生や親に「自分が好きなものを見つけろ」と言われることもあると思う。好きなものを見つけられる人はいいけど、それ以外の人はどうしたらいいんだよって思うでしょう。僕は好きなことじゃなくていいから、「向いているものを見つけろ」って思う。
人間の能力の総和に差はないと思っていて、でも向き不向きは人それぞれであって、だから向いていることと出会うと、その人の短所も長所になる。
例えば、レーサーだとワガママなくらい自我があったほうがいい。でも、それはほかの職業なら短所になるでしょう。そういうふうに自分の特性にあった仕事を見つけることに力を注いだらいいと思う。「自分にはいいところなんてない」と言う人もいるかもしれないけど、それは「今、見つかってない」だけ。じゃあ、欠点はないのか?というとあるわけでしょう。それは職業との出会いによっては、長所になりうるものだということもある。
そうですね。だから「先が見えない時代になった」という言い方も問題だよね。だから、「身の程を知れ」とか「世の中はそんなに甘くはない」と言いたがる大人が出てくるんだけど、それは若い子たちのために言ってるわけじゃなくて、自分のために言っているんじゃないか?自分は夢を修正した。そういう自分を否定したくないために「現実を見ろ」と子どもたちに言う。
僕も大学卒業して「レーサーになる」と言ったとき、親も先生もバカバカしいと大反対で、恋人と一部の友達くらいしか賛成しなかった。
確かにレーサーを志すには年齢的に遅かったし、プロになって生活するのは難しいと予想されました。だから反対は真っ当な意見だった。でも、真っ当な意見が正しいとは限らなくて、現に僕はレーサーになって、十数年間プロでやってきたわけです。それはものすごく僕に向いていたからですよ。
僕がレーサーという仕事を見つけられたように、ほかの人も向いている仕事は見つけられると思いますよ。
だから、若い人に向けて言いたいのは、人生は確かに厳しいよ。けれど、その中で夢を持ち続けていけば、希望が見えてくる。チャレンジ!KEEP ON RACING!ってことです。それは伝えたいね。
Tetsuya Ota
太田 哲也
1959年、群馬県生まれ。4年連続でル・マン24時間レースにフェラーリで出場。『日本一のフェラーリ遣い』と異名をとったプロレーシングドライバー。1998年5月3日全日本GT選手権第2戦、富士スピードウェイで多重事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負う。再起不能と言われながら、23回の手術とリハビリをくりかえし、事故から2年半後にサーキットへ復帰した。
主な著書に『クラッシュ』『リバース』『世界でいちばん乗りたい車』『生き方ナビ』。
太田哲也さんの公式ページ「KEEP ON RACING」
http://www.keep-on-racing.com/
「生きることにチャレンジし続ける」メッセージを発信する活動を行っています。
【太田 哲也さんの本】

『クラッシュ—絶望を希望に変える瞬間』(幻冬舎)

『世界でいちばん乗りたい車—知識ゼロからのクルマ選び』(幻冬舎)

『生き方ナビ—これから未来をひらく君へ』(清流出版)