本岡 典子 さん(ルポルタージュ作家)
ジャーナリストの本岡典子さんは、ニュースキャスターとしての経験から夫婦・家族・仕事などを取り巻く問題に光をあてた作品を発表してきた。その本岡さんは昨春まで南アフリカで暮らしていた。日本からは地理的にも心理的にも遠い国。いったいかの地で暮らした経験から日本を改めて見ると、私たちが当たり前としていることはそうそう当たり前ではないようだ。
南アフリカに行った一番の目的は、多感な時期の子供たち(当時小3と中1)をどこで育てるかということでした。2001・9・11後、世界は全く違う方向に進み始めました。今、この時期に子供たちにヨーロッパやアメリカの視点ではなく、アラブやアフリカの人たちの視点で物事を考えられる子供に育って欲しいと思ったからです。
南アフリカは、ご存知のように10年前までアパルトヘイト(人種隔離政策)が行われていたところです。27年間も政治犯として刑務所に閉じ込められていたネルソン・マンデラさんが初めての黒人大統領になって、民主化が進んでいますが、今でも世界でもっとも貧富の差が激しい国です。
でも、この国は宗教や肌の色、民族や文化を超えて、新しい国を作って行こうという壮大な実験を始めています。この国に暮らして、多くのことを学びました。

私は南アフリカのヨハネスブルクに住んでいましたが、日本に比べたら本当に治安が悪く、暮らしていくのは大変でした。日本人を含め、中流以上の家庭では、生活レベルは信じられないほど高く、プールがある邸宅は特別ではありません。その反面、家中の塀に高圧電流を流して、セキュリティボタン部屋中に取り付けられていました。武装したガードマンがいつでも飛んでくる状況で暮らしていました。多くの黒人は貧しい中で暮らしています。私も高圧電流で囲まれたプール付きの、全ての窓、出入り口を鉄格子で覆った家で、暮らしていました。
南アフリカに暮らして、溢れる物量の中で豊かさを享受している自分が限りなく「気恥ずかしい」存在に思えました。アフリカで出会う日本女性たち(主にNGOの人たち)は、淡々と静かに強い意志と自負を持って仕事をしていて、そんな彼女たちに会うにつれ、ふわふわと曖昧な自分が気恥ずかしく思われます。もっと、強く、「くっきり」と生きなければ…そう思わせるものがありました。アフリカで生きたことで、私は新たな自我と出遭い始めた自分を感じています。
南アフリカは地球でもっとも古い大地、雄大な自然の景観があります。ヨハネスの冬は雷鳴がとどろき、大地から稲妻が駆け上がる凄まじい落雷の季節なのですが、精一杯、生きて、愛して、死んでいきたいと思わせる強烈な「生」への肯定感があります。
去年の春に日本に帰ってきたのですが、希望を持ちにくいといいますか、ものすごく住みにくい国だと感じるようになりました。
日本は安全です。だけど息苦しく狭い。それは国土の狭さから来るだけでなく、どうでもいい小さなことがとても大事にされて、生きることや死ぬことの本質が忘れられています。世界から見たら取るに足らないことにかかわり合っている。テレビのワイドショーがいい例ですね。
たとえば日本では自殺する人がたくさんいます。でもみんな服を着ているし、ちゃんと靴を履いています。「いま自分たちはいい時代に生きている」「自分は自分でいいんだ」「生きているだけですばらしい」というまっとうな自己尊敬、自己肯定が大切だと思います。

第一多様性があまりにも少ないでしょう。みんな同じ髪型をしているし、スタイルも似通っている。それでいて特に男性がそうですが、姿勢がとても悪くて背中が曲がっています。身体がヘナヘナしている。
帰国して感じたのは、日本を覆っているペシミズムです。成田空港に着いて週刊誌を買ってわかるのは、これだけ豊かで清潔、便利で勤勉な国なのに悲観的な内容の記事が多くて、「そんなにペシミズムが好きなのか」と不思議に思うくらいです。
ペシミズムで生きるのはすごく楽なんです。動物実験で犬を部屋に閉じ込めて、床に電流を流して苦痛を与えると最初は抵抗しますが、やがていくら入り口を開けても、犬は外に出ていこうとしなくなります。苦痛になれることを学習すると決して外に踏み出さないように、日本人はペシミズムに守られて生きているように感じます。
だから「日本を離れ世界に出て活躍しろ」といった単純なことは思わないけれど、若い人には日本の価値観だけで生きる必要はないことを知って欲しいです。自分を守る家庭や学校、親子関係というシェルターから外れて欲しい。世界は広く輝きに満ちています。もっと視点を広げて欲しい。小さな世界で「ああでもない」「これじゃダメ」と自分を過小評価するのはやめましょう。
向こうの子どもは本当にみんな元気で明るい。私の娘が帰国後、日本の高校でそういうふうに振る舞ったら、「笑い声が大きい」とか「元気なのはおかしい。変だ」と言われました。
日本の中にいるとそういう自己規制を迫られます。人に迷惑をかけるわけではないのに留学生と英語で話すと「なんで楽しそうに話すんだ」と揶揄される。人より抜きん出たり、自由にしていたり幸せな人をうらやむ風潮があります。
だからそういう環境で参っている人がいたとしたら、がまんする必要はないし、弱気になったりする必要はないんじゃないかしら。無駄な自己規制で自分を苦しめるのはやめましょう。

ニートが生まれる背景には、自立する訓練が学校でも家庭でも行われていないことにあるのではないですか。
ひとつには親が丁寧に子供のケアをしすぎていて、自分で考えたり、挫折するチャンスを与えないからでしょう。自分で行動を決定する経験がないので、成長できない。
自己決定とは、別に人生の岐路の選択といった大したことだけではないのです。あるフォトジャーナリストが貧しい黒人の子供にカメラの撮影の仕方を教えていました。その中で彼は「シャッターを押すのは自己決定で、どの瞬間をとらえるかを考えるのは大事なことだ」と言うのです。
つまり自己決定とはそういうものです。それは未来を選ぶといったことだけじゃなく、机を片付けるとか写真を撮るとか具体的なアクションをともなうもので、それが自己決定の訓練になるんです。
わがままと自己決定は日本では混同されますが、明らかに違ってシャッターを切るのがそうであるように自分で考え、自分で責任を取るのが自己決定です。
たとえば南アフリカのある中学では高校に進級する際、学力テストはなくサバイバルキャンプを達成しないといけません。
南アフリカでは雨が降ると滝のように降ります。野宿するといっても漆黒の闇だし、動物が襲ってこないとも限りません。2週間分の食料を持たされ、自分で担がないといけない。川を下るのも自分で木を切り、筏を組み、食料だけを載せ、筏につかまって下る。火も自分で起こすし、仲間が困った時は助けますが、最終的な責任はひとりで負う。とにかくすべてひとりで行うわけです。激流を下ったりして、岩にあたって骨がとび出るようなこともあるし、それでなんとか目的地にたどり着かなければなりません。その苛酷な試練の中で生きる力や友情を育てるのです。
人にかまってもらって他人が決定するままに生きていたら、自分が何者で何をしたらいいのか一生わからないままかもしれません。

現地の日本人はわずか1000人程でダイアモンドと鉱物関連・自動車などの製造関連の商社員やメーカーの駐在員が経済活動のみを行っているという構図です。アパルトヘイト時代は、この国のダイヤや金などの鉱物の取引を日本の商社が一手に握っていて、今でも日本人はこの国では豊かな白人の生活を享受しています。
南アはすべてのものが激しく両極端に位置しています。日本のあいまいさは通用しません。富と貧困、白と黒、天国か地獄か。たとえば、中流以上の家では高圧電流が流れる高い塀で厳重に守られています。広大な庭中に松明を灯してガーデンブライ(バーべキューのジャンボ版)パーティが盛んです。深夜まで、バンド演奏やプールサイドで大騒ぎ。その相関図として、桁はずれの豊かさの外では凶悪犯罪が日常と化しています。
私は日本人だけど同じ日本人がおかしいと思えました。彼らはほとんど日本人としかつき合っていないです。とてもいい顔立ちだった人も半年経てば変わってしまって、とんでもなく威丈高になった様子を目の当たりにしたことがあります。
女性たちは夫の会社のランクや社内の上下関係に神経をすり減らしていて、一種異様な世界でした。子どもの教育だけには大変熱心で夏休みに日本の進学塾で勉強させるため子どもを帰国させていました。
アフリカの太陽は輝いているのに、それを見ないで日本の価値観だけ汲々として生きているのはもったいない気がします。南アフリカは人類のゆりかご。最初の人類が住んでいた洞窟があって壮大なロマンを感じる場所です。
いまの日本の価値観になじんでしまうと何かの恵みで生かされている。人間以外の何かに生かされている感覚を忘れますよね。アフリカでは空と大地に抱かれている自分をいつも感じていました。誰かによって、何かによって生かされている自分を感じることは、とても大切だと思います。

私は兵庫県の加古川に生まれ、元禄時代に建てられた築300年の家に中学まで住んでいました。そういうところで暮らしていると、いい意味では家屋の太い柱や梁に300年前を感じられて、そこにいつでも帰れる感覚がありました。でもそういう家だからこその規制や抑圧もありました。
私は女だから家の掟を守らなくてはならない対象に数えられなかったので、自由に振る舞えましたが男なら葛藤もあったろうと思います。
地元ローカルのテレビ局に10年勤めました。そのころ関西の放送局の女性の職員の平均年齢が51歳。つまり放送開始以来、タレントやバイトはいても女性社員を採用していなかった。女性社員はいつまでたっても「女の子」扱いで対等に見られていませんでした。まともに話すと「かわいくない」と言われたのです。
男性は10年経ってもニュースを読ませてもらえない人がいたのに、入社してすぐ私はレギュラーを持ち、最高で1日8本くらい担当していました。ようは使い捨てなんです。だからアナウンサーに未来は感じられなかったし、いつも笑ってないといけないのは苦しかった。仕事の上で葛藤があったから、時間をかけて本当のことを伝えたいと思っていました。そこで初めて本を書いたのが若年離婚の問題でした。
その頃、私は30歳前で結婚しないつもりはないけれど、恋愛しても結婚する気になれなくて、結婚ってなんだろうと思ったのが本を書きはじめたきっかけでした。
古い家に育ったせいか形に捕われることの空しさを知ったからではないですか。だから視点が外に向くんだと思います。小学生の頃、ベトナム戦争がありましたが、その当時は戦争特派員になりたかった。生と死の間で生きている人の様子を伝えたい。その延長にいまもあって、あまり変わっていないと思います。視点が小さいと息苦しくなるのです。
日本社会は人の視線や他人の評価を気にしすぎていると思います。
そういう時にいいのは「ああいう人になりたいな」って思えるモデルを持つことです。身近な人でもいい。教師でも先輩でもいい。「こういう人になりたい」と思える人はなるべく多いほうがいい。親は近しい存在なので思春期に役立たないし、むしろ足を引っ張ります。親ではない世界に目を向けることが必要だと思います。
他者との関係を築くこと、誰か見守ってくれる人がいれば生きていける。それさえあれば人はきっと生きていけます。「私は私、他人の評価は気にしない」。目線をあげて、背筋を伸ばして生きていけば、たいていのことはOKです。

アフリカの空の下で
Noriko Motooka
本岡 典子
ルポルタージュ作家。元ニュースキャスター。現代家族・夫婦の危機と再生、更年期問題などをライフワークとし、取材・執筆・放送・評論・講演活動を続けている。著書に「ダイアナ・クライシス」「ある夫婦のかたち−『もう一度』と考える妻たち」「男時間では生きられない」など。2001年から南アフリカに取材拠点を移し、2004年帰国。