

Miho Takai
高井 美穂
1971年徳島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、(株)ダイエー入社秘書部配属。98年より1年間、ワシントン大学語学研修。99年民主党徳島県第2区総支部長就任。2003年11月、四国比例区で初当選。総務委員会、文部科学委員会所属。
高井 美穂 さん(衆議院議員)
思いがかなうことは嬉しいことでもあるけれど、ときにそれが本人も思わぬ形で実現することがある。それが人生の面白さかもしれない。衆議院議員の高井美穂さんもそうで、何となく世の中に対する違和感を抱えていたら、いつのまにか政治家としてそれに向き合うことになっていた。「普通の会社員だった」という高井さんがどうして政界に入ることになったのだろうか。
私が議員を目指したのは99年のことで、民主党の女性候補者公募に応募したのがそもそもの始まりです。初めての立候補では次点で落選、昨年の総選挙で比例区から当選しました。
それまで外から見ていた「永田町」の印象は「何であんなに一般の国民と乖離しているのかわからない」というもので、とにかく「いまの政治のやり方は古いし、理屈がストレートに通らないのはおかしい」と思っていました。
例えば今で言えば、イラクの自衛隊派遣について「サマワは非戦闘地域」というのはフィクションでしかないわけで、それが嘘だということを一般国民は理解しています。「イラク全土が戦闘地域」だと認識していると思います。そうであっても政府は「非戦闘地域だ」と言う。自衛隊を派遣するのは、サマワが安全だからでも国際貢献のためでもなく、その本当の理由はアメリカに対する支援ですよね。対米関係のための派遣であるにもかかわらず、そういうところがストレートに言えなくて、建前と本音がわかれている。それが「永田町」に来てみてわかりました。理屈が正しくても建前のほうが大事なんです。

ここには日本全国のあらゆる団体が毎日のように陳情に訪れます。そういう意味では全国から欲望と利益が集まるところでもあります。そうした団体の意見ばかり聞く機会が多い政治家ならば、一般国民の生活感と乖離してしまうのもうなずけます。やっとわかってきたのは、「永田町」はものすごく生活実感のわかない場所だということです。ある議員が言うには、「ここは台風の目」。周りでは暴風雨が起きているのに、台風の目の中は妙に静かで、起きている問題があまりにも多すぎて感覚が麻痺してしまう。
例えば、犯罪被害者の人たちの話を聞くと、一人の人間としての彼らの思いや苦しみが手に取るようにわかる。でも、団体として話を聞き、いざ(救済のための)法案をつくるとなると、その痛みにダイレクトにつながらないような、薄ぼんやりとした法案にしかならない。大変さの重みが台風の目の中に伝わらないのです。
私は地元徳島に生活の拠点があり、子どももそこにいます。実家は兼業農家で、家に戻れば普通の生活が待っています。それこそ自治会の掃除に参加したりとか。そういう生活の中では、知り合いには「美穂ちゃん」と呼ばれ、こちらも返事するわけで、そうした感覚があるわけですが、永田町に戻った途端、「先生」と呼ばれます。肩書きのある偉い立場の人たちがかえって「先生」と私を呼びます。彼らも年下の私に対してそう呼ぶことにきっと違和感を持っているんでしょうけど。すごく不思議な感じがしますね。
官僚のみなさんも本当に丁寧、というか慇懃無礼なくらい丁寧な言葉で説明してくれます。新人であろうと政治家にずっと接しているうちに、癖になってきているのかもしれませんが。とにかくここと地元のギャップはすごい。
議員がひとたび大臣にでもなれば、地元にも帰れなくなるし、官僚に教えてもらって答弁するのが一番の仕事になったりします。理屈の世界だけに入ってしまうとそれが正しいと思えるようになるんでしょう。

政治に興味を持った理由として、1年間アメリカに語学留学したことが挙げられます。よくある話ではありますが、大学卒業後、就職して4年ほど経った頃、「このままでいいのかな?」と思うようになりました。
その頃、阪神大震災が起こったり、友人が自殺したり、自分にとって事件が重なって起きました。やっぱりこのままじゃダメだと思い、アメリカのシアトルに留学しました。
驚いたのは、ホームステイ先の家庭は5時に仕事を終えると、その後遊びに行くなど暮らしをエンジョイしていている姿でした。東京でそういう生活は考えられない。それまでの私は朝7時に家を出て、定時で終っても通勤に1時間半かかったので帰ると9時。人間らしい生活をその中で忘れていきました。
帰国して、再び満員電車に揺られて、吊り広告を見ながら通勤する人生を再び始めたとき、「何かおかしい」と思い始めました。特に今まで気にならなかった吊り広告に違和感を覚えました。金とヌードかグロテスクな話ばかりで、特にここ数年はその傾向が強い。
そのとき私は20代後半で平均寿命からしたらあと40年は生きるわけで、この国であと何十年もサラリーマンを続けるのはきついなと思いました。アメリカに住むことも考えましたが、留学経験で日本に対する愛着を再認識してもいて、好きな日本だけどここで生きて行く自信が持てませんでした。それに女性として人生をどう生きるかという問題もあって、このまま仕事を続けたら育児しながら働くという選択肢が現実的にない。7時に家を出て帰りが9時でどこにそういう選択肢があるか。いろんなもやもやした思いがわいて悩んでいた時期でした。そんなときたまたま知人で政治家秘書になった女性がいて、その人から民主党の公募に応募しないかと誘われた。そういう経緯があったのです。

政治に詳しくなかったですが、ただもやもやした思いがあって、何か変えるチャンスを与えられたのだから、やってみようと思いました。一回落選しても続けられたのは、初めて知った世界の中で、世の中の不条理や制度のはざまで苦しんでいる人がいっぱいいることに気づかされたからでしょう。そういうものを見てしまうと、これは変えないといけないと思った。
なってすぐの頃は、具体的なビジョンを思いつきませんでした。議員の仕事は法律をつくるものだと思っていたけれど、それはほとんどなく、いまある制度をどう改正するかに大半の議論が費やされます。確かに現実の社会をゼロベースから変えられるわけじゃない。では、必要なところをどう変えたらいいのか。
例えば、吉野川の可動堰の建設が問題になり、住民投票で建設否決の意思が示されました。国が決めなくても地元が決めればいいと徳島の住民は思うけれど、国は可動堰は必要との姿勢を変えていません。これは制度上、一級河川は国が管理することになっているからです。それが戦後の中央集権のやり方で、そうした手法で国がうまくまわってきた。では、なぜいまは地元住民と国とが相反するようになったのか。自分たちの地域は自分たちでつくるという意識と国の意識とがあわなくなって来たからです。
時代が変わる中で、どう制度を変えるか。合致するところは合致させ、人が生きやすい環境づくりをしないといけない。長期的な問題ではありますが、取り組めるところから取り組もうとようやく思い始めてきました。

地元の徳島が好きだし、緑の多い地方が好きなんです。ただ、それは価値観の違いの問題で、東京の生活が好きな人もいます。しかし、東京で暮しても地方で暮しても、最低必要限の生活ができることが大事で、それはかなりな部分達成されていると思います。外交や防衛、通貨政策など国策に関わることは国の仕事ですが、それ以外は地方が決めればいい。分権にしないと地方も自分たちの望む町になりませんから。そういう意味で分権社会をつくることは国のかたちだけでなく、中央に陳情して金を取ってくるという今までの政治のかたちを変えることになるわけで、もっとも大事なテーマだと思っています。
豊かになってしまった社会特有の問題が起きていると思います。不況といっても食べ物も服もある。戦後すぐの貧しい時代の話は本の中の出来事で実感がありません。学力低下と言われても、識字率は100%に近く、国民の大多数は字が読めて計算ができます。どの現象もある程度の豊かさは実現しているけれど、次の価値観が誰もわからず混迷していることを表しているのではないでしょうか。
政治家の平均年齢は50から60歳。小泉首相が代表する世代は高度成長期に青春時代を過ごしました。豊かになった日本を生きてきた人たちが政策決定の中枢にいるわけです。彼らが子どもたちに「何で勉強しなくてはいけないの」と問われて何と答えるでしょう。「豊かになるため」ではもはや答えになりません。これ以上欲しいものはあまりないのですから。それよりも「気持ちよく過ごせる」ほうが優位になっていると思います。
昔は貧しいことが自分の励みにもなり、家族を養うことがエネルギーになりました。道路や橋ができることで豊かさの実感を覚え、それを政策が誘導したし、その通り豊かになった。でも、次の世代になると高度経済成長期のように「何で勉強するのか」に対して「いい会社に入るため」という価値観では動機づけになりません。恐らく、いまの高校生も豊かになるために勉強しているわけではないでしょう。

豊かさが達成された時代に「何のために生きるのか」という問いに対する答を政治でも教育でも見つけないといけないです。目的が一生わからないまま、ただ傷つくのが怖くて、ひきこもってしまう。その気持ちはわかります。人は傷つくのが嫌だし、そもそも私にしても深く傷ついた経験がない。戦時中のように目前で肉親が死んで、それを乗りこえたこともない。激しい労働で肉体が欠損して、それを乗りこえたこともない。乗り越えるべき壁がありません。壁を求めても仕方ないのですから、それに代わる新しい価値観がないといけない。
ニートのようにひきこもってしまって、一生外に出たくないと思う気持ちはわかります。でも、世界にはつらいこともあるけど楽しいこともあるんです。味わったことがないから怖いんだと思います。
恋愛でも傷ついても触れあう喜びがあるからバカみたいに繰り返すわけですよね。「これが生きる目的だ」という模範的な像より、生きていれば失敗もあれば喜びもある。模範にあわせるより自分なりの価値観をつくることが大事なんだと思います。人には本人も知らない未知の領域がある。だから絶望しないで欲しいですね。

Miho Takai
高井 美穂
1971年徳島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、(株)ダイエー入社秘書部配属。98年より1年間、ワシントン大学語学研修。99年民主党徳島県第2区総支部長就任。2003年11月、四国比例区で初当選。総務委員会、文部科学委員会所属。