

Hidehiko Kataoka
片岡 英彦
MTV JAPAN Inc.(エム・ティー・ヴィー・ジャパン株式会社)マーケティング本部 広報部 部長。94年、京都大学卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社。01年アップルコンピュータ株式会社カスタマーコミュニケーション課長。04年1月より現職。
片岡 英彦 さん(MTVジャパン広報部長)
「コミュニケーションが大事だ」という言葉を聞かない日はないくらい、誰もが口にする。その重要さを、日常を送る心がけの問題ではなく、仕事とした場合、どういう職種、内容になるだろう。今回登場いただくのは、世界166カ国、4億世帯以上をネットするMTVネットワークスの一員「MTVジャパン」の広報を務める片岡英彦さん。「コミュニケーション」という仕事、その可能性について尋ねた。
現在の役職は広報部長で、英語の場合はコミュニケーション・ディレクターと呼ばれています。MTVの持つブランドイメージを高めながら、どうすればもっとMTVについて知ってもらえるのか。若い人々を中心にMTVの「魅力」について「コミュニケーション」する仕事です。MTVは世界最大の音楽専門チャンネルですが、日本での視聴可能世帯は現在、約500万世帯。MTVの魅力を放送だけではなく、イベント、インターネット、モバイル、フリーペーパーなどさまざまな方法で広げていく「360°展開」を実施しています。「多チャンネル、インタラクティブ、グローバル化」をキーワードに、テレビ、雑誌、Webなど、皆さんが毎日接する様々なメディアを通じて、どうすればもっとMTVのことを好きになってもらえるかを毎日考えています。

最初はテレビ局の報道記者でした。ちなみに「コミュニケーション」という単語を英和辞書で引くと「報道」「報道機関」という訳語がでてくるのですが知っていましたか?
同期入社の社員に報道志望は多かったのですが、私は広報、宣伝やイベント事業に興味がありました。でも、配属されたのは報道局で、1年目は何もできないへっぽこ記者でした。大学出たばかりの新人記者が「行政の対応には困ったものです」みたいなレポートをして、後ろめたいこともありました。
ところが、年が明けた95年の1月に色々と考えさせられる事件が起こります。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が立て続けに起き、報道局がにわかに大騒ぎになりました。私のような新人記者も現場での取材、レポートに駆け回り、泊まり勤務の連続になりました。今から思えば、そうした現場の経験がコミュニケーションという広い意味での仕事の基礎になったと思います。
神戸では、震災の惨状を報道記者が全国ネットでレポートするという「コミュニケーション」があった一方で、避難所になっていた公民館では家族の安否を知らせる「貼紙」があちらこちらにしてありました。「口コミ」によって給水などの重要な情報が伝達されていくのも目の当たりにしました。そういう手段も全て「コミュニケーション」なんだと知りました。
はい。4年目になると報道局から広報局の宣伝部に異動し、「進め!電波少年」や「劇空間プロ野球」でジャイアンツ戦中継の宣伝に携わったことで、今度は「影響力」というものを実感しました。「電波少年」は視聴率が良かった半面、やり過ぎではないかと週刊誌などからのバッシングもあり苦労もしましたが、毎回30%近い視聴率を記録する番組の広報を担当できたのは良い経験でした。報道番組の場合、実際にはものすごい影響力があっても、視聴者とのインタラクティブという感覚は持ちませんでした。一方、「電波少年」では番組に感化されてヒッチハイクを真似する人が現われたり、わずかな告知で大勢の人が番組イベントに集まってくれたりと、「影響力」を目に見える形で感じました。

そうした方法はあるようでありません。番組はあくまでプロデューサーを中心に大勢のスタッフと出演者が一丸になって作るものです。視聴率はこの協力関係がうまくいって質の高いエンタテイメントになるかどうかで決まります。広報担当というのは、スタッフの1人として「どうやったら、もっともっと番組の良さを知ってもらい、実際に見てもらえることができるか」という部分にこだわる仕事です。例えば「インパクトのあるキャッチコピーを若い女性向けに集中して展開したから成功した」と後でわかることはあります。そっくり同じ状況は二度とないので、同じ方法は使えませんが、失敗や成功を繰り返していくと応用がききます。プロ野球選手が予想もしない変化球が飛んできても無意識に打てるのと同じです。
常に計算した計画がうまくいくわけではありませんから、外れたときにどうやって軌道修正するかが私の本当の勝負です。コミュニケーションは相手あってのことですから、自分の方が相手に合わせて変化していきます。
いや、私が携わっていた頃は、ジャイアンツ人気というか、プロ野球の人気自体が少しずつファンの心から離れ始めているのではないかと報道され始めた頃でした。広報や宣伝の理屈でいくと、一生懸命に宣伝して、良い情報がどんどん伝われば人気は必ず上がるはずなのです。でも、どんなに宣伝をしても視聴率が上がらない時期がありました。情報をどんどん流すという手法に限界を感じたのもこの頃です。その時期、メジャーリーグに日本人選手が移籍し、練習中に気軽にファンにサインをする姿をテレビで見て、「ファンサービス」というものに関心を持ち始めました。グッズをファンに配る時に、グッズの数とか豪華さよりも、これからファンになってくれる子どもたちに喜ばれるようなものを配らないといけないんじゃないかと思いやがて「カスタマーリレーション(顧客との関係)」について考えるようになりました。
マッキントッシュ(Mac)というコンピュータはデザイナーやアーチストなどクリエイティブ関係の方から絶大な支持を得ています。アップルはこうした顧客との関係を長年大切にしていました。当時の社長からこうした顧客に加え、新たなファン層を拡大していくために、カスタマーリレーションをさらに強化していくということを聞き、是非挑戦したいと思いました。「報道」を英訳した時の「コミュニケーション」というのとは違う「コミュニケーション」です。ユーザーの必要とするサポート情報や製品情報などを、電話、メール、ウェブなどを使って提供するという、まさにインタラクティブなコミュニケーションでした。
実はテレビの仕事をしていたときから、一度はモノを売ってみたいと思っていました。というのは、モノの販売を通じて、製品を買った人にどうやったら「満足」してもらうかに興味があったのです。
テレビ業界ではどうしても視聴率という「数字」で人気を把握して、その動向を気にしますが、その人が「どういう想いでテレビを見ているか」とか「なぜ笑ったのか」などについてはわかりません。アップルでは「Macだから買おう」という熱い想いがダイレクトに伝わってきました。
次に現在のMTVに移ったのですが、気がつくと自分がこだわってきたのは、やはりコミュニケーションということでした。地上波テレビでの仕事は4500万世帯に向けたコミュニケーションでした。数だけでいうならばMTVの対象とする世帯数は500万世帯ですが、MTVの場合は有料放送なので、まずは加入して頂かなくてはなりません。アップルの場合は実際に製品を購入してくださった人とのさらに深いコミュニケーションが中心でした。「コミュニケーション」とひとことで言っても、その中身は大きく異なるので、応用力が勝負となります。
特に意識したことはありません。私は高校時代、ブラスバンド部に所属し、部活動には毎日参加しましたが、授業にはほとんど出席しませんでした。朝、登校したら鞄を教室の自分の机に置き、登校しているというアピールをして、朝練に出ました。終わったら昼練、そして午後練。合間は部室にこもって雑用をしました。楽器の演奏よりも演奏会のマネジメントに関心があり、どうすれば客席が盛り上がるかばかり考えていました。
地元では「4年制の高校」と言われるくらいおおらかな校風の高校で、3年間は部活や体育祭などの学校行事に没頭し、卒業後に予備校で1年間みっちり受験勉強をして大学に合格すればいいという雰囲気でした。私も一浪して京都の大学へ行きました。親は「大学に行ったら少しはまともになるだろう」と軽く考えていたようですが、大学は輪をかけてのんびりした校風でした。そもそも学生は大学に行かないし、教授もあまり気にしない。まさに「自己責任」でした。自らビジネスを始める学生もいれば、おかしな宗教や過激な政治運動にはまる学生もいました。みんな自分なりの「居場所」と「生きがい」を必死に探していたようです。

最初の3年間は見事に何もしなかったです。バブル景気といわれた時代で、テレビではディスコで扇子を振って踊っている人たちの映像をよく見かけました。でも、別世界のことのように違和感を感じました。仲間とゲームセンターに行ったり、自転車に乗って近所を毎日フラフラしていましたね。家賃9000円の下宿にひとり暮らしだったから、朝は誰も起こさないし、いつまでも寝ていられます。下宿には風呂がなかったので、洗面器とタオルをもって毎日好きな時間に銭湯に行き、近所の人と世間話をしました。夜中に退屈すると、24時間営業の書店で経済学や社会学の難しい本の立ち読みをしました。誰からも管理されない自由の日々が3年間続きましたが、3年経つと自由であることにだんだん飽きてきました。4年目にさすがにこのままではいけないと思いました。
それで、留学するわけでもなく長期間海外へ行ったり…あとはママチャリで京都から藤沢の実家まで4泊5日で帰ったりしました。本当は自転車で近くの京都駅まで行って新幹線で帰省するはずだったけど、このまま自転車で行けるような気がしてそのままこいで帰ってしまった。
最近、自分に子供ができたこともあり、子供の教育の問題に関心を持っています。教育の問題って結局は社会とどうやってコミュニケーションしていくかっていう問題ですよね。自分は自身のことを振り返ると、インターバルの期間と爆発の時期を交互に繰り返して成長してきた気がします。インターバルの期間は無理に色々なことに手を出さずに、とことん閉塞感を経験できて良かった。無理に生きがいを探したりせず、爆破するほど何かをしたくなるまでは、徹底的に何もしなかった。
知識や経験を社会から学び蓄積していくことも大切ですが、蓄積するだけだと「コミュニケーション」にはなりません。うまい形で外に向けて吐き出すことで私の場合は気分転換ができました。社会人になってからも同様です。一度始めたことは、必ず最後まで同じペースでやり続けなくてはいけないと思い込んでしまうと、私の場合は頑張ってしまうだけにかえって自分を苦しめてしまう。
誰だって閉塞感を感じることはあるはずです。「部屋の模様替え」くらいですむのか、「転職」しないといけないレベルなのかは自分で見極めるべきです。でも、今は社会全体に劇的な変化のないまま、だらだらと閉塞感だけがのしかかってきている気がします。そういう嫌なムードを、コミュニケーションという仕事を通じて打ち砕いていければと思っています。
私にとって、コミュニケーションという仕事は、他のものと「差別化」を図ることです。世の中に似たようなものがたくさん溢れる中、他とは違う良い部分を一生懸命に探し出し、「違い」をアピールして相手に正しく理解してもらう行為です。よく「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指すべき」という言い方がもてはやされています。でも、オンリーワンになるためには少なくても、その分野では「ナンバーワン以上」にならないといけないことが忘れられています。何も挑戦をしないで、低レベルのまま、みんなが「オンリーワン」というのはありえません。私自身はまだまだオンリーワンには程遠いですが、コミュニケーションという分野で、まずはナンバーワンを目指します。「オンリーワン」という言葉に逃げているだけでは、閉塞した気持ちは変わらないと思いますね。

Hidehiko Kataoka
片岡 英彦
MTV JAPAN Inc.(エム・ティー・ヴィー・ジャパン株式会社)マーケティング本部 広報部 部長。94年、京都大学卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社。報道記者として阪神大震災、オウム事件報道に携わった後、広報局で「電波少年」「劇空間プロ野球」などの番組宣伝を担当。01年アップルコンピュータ株式会社カスタマーコミュニケーション課長。Web、メール、コールセンターを通じてユーザー・コミュニケーション活動を行う。iPod、iBookなどアップル製品のサポート情報の提供、危機管理体制を強化。04年1月より現職。