

Koukichi Sugihara
杉原 厚吉
東京大学教授。工学博士。1948年生まれ。73年、東京大学大学院計数工学修士課程修了。電子技術総合研究所等を経て、現在東京大学大学院情報理工学系研究科教授。主な著書に『不可能物体の数理』『理科系のための英文作法』など。
杉原 厚吉 さん(東京大学教授 ・工学博士)
私たちは、例えば地図をクリックすれば、詳細な地形情報を立体的な形として見たりすることができ、それを当然のように利用している。それがどのような発想と方法で研究され、技術化されているかはあまり知らない。今回は、そうした「形」の情報処理を研究している杉原さんにご登場いただいた。
「形」の情報処理をする中でロボットの目の開発も研究テーマのひとつにしています。人間は網膜に映った像を脳で処理し、目の前の世界がどうなっているかを理解しています。ロボットならカメラで得られた画像をコンピュータで計算して、環境を認識します。人間であれば描かれた絵から立体を読みとることができますが、それと同じことをコンピュータにさせるためのプログラムを作って、だまし絵を見せてみました。人間なら「おかしい。そういう立体は作れない」と判断します。コンピュータにもそういう判断をして欲しいと思い、試していたら、「作れる」とコンピュータが判断するものがいくつかありました。最初はプログラムの間違いだと思っていたのですが、本当に作れることがわかりました。人間の目では作れそうになくても、実際には作れるだまし絵があります。それらはまじめな研究とつながっていますが、あくまで趣味でやっています。

人間はいろんな思い込みを持って、目の前の世界を見ていますが、コンピュータは無心にデータだけを処理します。人はだまし絵を見た時、「面と面が直角にあわさってできている」と勝手に思い込みます。だまし絵は確かに直角に組み合わせようとしたらつくれません。ですが、コンピュータは与えられた情報だけを計算するので、「面と面が直角」という思い込みを持たず、「任意の角度で立体がつくれるかどうか」を判断します。コンピュータのほうが、ある意味素直に判断します。
でも、それが役に立っているのです。網膜に映った像は2次元で、奥行きのデータが欠けています。でも、経験や思い込みで奥行きを復元しているわけです。こうした思い込みがなかったら恐くて歩けないと思いますよ。人間にとって役立っていることが、だまし絵の世界では裏目に出る。思い込みは、目にとって大事な性質なんです。

コンピュータを使って、図形や立体と言った「形」を処理し、応用するための基礎研究を行なっています。具体的には地理情報処理だとか、コンピュータグラフィックス、パターン認識などに応用されています。
地理情報処理は人口密度、地形や道路のデータ、建物の高さ。そういったデータを利用しながら、例えば「現在地から目的地まで行くのに最短距離で行ける経路はどれか」といったことを時々刻々問い合わせることができます。また、どこかで事故があって、救急車が駆け付けなくてはならないとき、どの救急車が出動すればもっとも早く現場に到着するか。そこから救急病院へ行くのにどの道を使えば効率がいいか。地理情報処理システムに問い合わせることでそれらがわかります。
他にも火事が起きた時、風の影響を見ながら、どちらの方向に広がりそうかといったシミレーションや台風が来るときの影響を計算したりといったことができるのが最終目標です。風がどういうふうに吹いているかわかると、飛行機が現在地から目的地まで行くのに、今日はどういう経路をとるのがいいのかがわかります。タンカーが航行する際にも風と海流の影響を計算できます。こうしたことに必要な計算技術を個々に開発しつつあります。
はい。「形」のデータを解析するときの基本的な構造に「勢力圏」があります。救急車が「どの病院に患者を運ぶと最も効率がいいか」についても、地図の上でそれぞれの病院が勢力圏をつくっていると考えるわけです。そういうときに使える概念で、これをサッカーやホッケーといった選手の勢力圏に応用すると、それぞれの選手がどこにボールが来たら、他の選手よりも先にボールを取りに行けるかがわかります。ボールを持っていない人でも、パスがどの範囲に来た時にボールが取れるかという潜在的な能力を「勢力圏」を描けばわかります。一見、プレイに直接関係していない選手でも、ある位置取りをすることでパスがしやすくなったりするわけなので、触っていない人の貢献度も数理的に評価できます。

小さい頃から絵や形が好きだったくらいで、特に何かになりたいと思ったわけではありません。大人になって、「さて、どんな仕事をするか?」となったとき、ちょうどコンピュータが使われ始めるようになりました。いまから40年くらい前ですが、コンピュータが世の中を変えると言われていました。でも、どう世の中を変えるのか具体的にはわからない。それこそ給料の計算が算盤からコンピュータに変わる程度の話しかわかりませんでした。それならもっと知りたいと思ってその分野に進みました。
大学の修士課程を終えてから、通産省(現経済産業省)付属だった電子技術総合研究所に入りました。でも、「何をやりたいか」と言われても、「何でもいい」と答えるような始末でした。
当時、通産省はパターン認識についての大型プロジェクトを推進していたので、そこに配属されました。ロボットの目や文字認識といった形のデータを処理しながら、人間の目の機能をコンピュータに持たせる研究を始めました。

レーザを使った立体計測技術などは実用になっています。これは、物体にレーザ光を当てて、三角測量の原理で立体の情報をとらえる方法です。このように、人間の目と違って、目の前の物体に光を当てるなどして情報を取りやすくしたコンピュータ独自の目についても開発を行っていました。
少し前だと、車や建物といった工業製品をつくるとき、模型をつくって風が吹いたらどうなるか?地震が起きたらどうなるか?と実験していました。ところが、いまは模型をつくる代わりに、コンピュータの中のシミュレーションで計算できます。製品開発の実験をコンピュータで行なえるわけです。
幾何学では「理論的にこういう問題ならこう処理すればいい」という体系ができあがっています。でも、図形の情報をコンピュータで処理するとき、その体系の理論通りにプログラムをつくっても、コンピュータの中でちゃんと計算が行なわれません。数学の世界では「計算は正しくできる」ことを前提にしていますが、コンピュータの中ではどんな数値も「有限の長さのビット」という近似でしか表現できません。だから計算の中に誤差が入ります。
例えば、平面の上に一直線と一点があって、点が直線の右側にあるか?の問いにはイエスかノーしかありません。しかし、点が直線に近づいて行くと、誤差があるために点が線のどちらにあるかは微妙になってきますから、判断を時々誤ります。数値計算の誤差は小さいけれど、イエスかノーかの判断が誤るのは天地ほど違います。そういう誤りをコンピュータが冒すと、あり得ない世界にコンピュータが迷いこんでしまうことになります。ユークリッド幾何の世界では起こりえないことが、コンピュータの世界では起きてしまい、コンピュータが無限ループに入ったり、データが壊れたりすることがけっこうあります。
ところが数学の理論ではそういう場合、どうすればいいかは何も書いていません。幾何情報処理をやっていると、昔からの伝統的な幾何学がコンピュータの世界では無力だというのを知ってしまいます。そうすると幾何学それ自体を書きかえたくなります。
ですから、誤差がない世界で理論をつくっているのが原因なので、「計算の精度は有限で、計算のたびに誤差が入るんだ」と開き直ったところから出発して、理論体系をつくり直すことをいまの仕事にしています。

はい。例えば、ソフトウェアのプログラマー不足が社会的な問題だと議論されています。確かにプログラマーの不足は問題ですが、どうして不足するくらいプログラムをたくさん書かなければいけないかというと、数学の理論がコンピュータに合った理論体系ではないからです。数学の理論では、誤差がないことを前提にしているので、プログラムに置き換える時、つまり誤差のある世界で動くようにするためには、いろんな工夫をしないといけない。それでたくさんのプログラマーが必要なのです。
私の夢は、誤差があっても成り立つよう数学の理論を書き換えることです。そこで得た理論はそのままプログラムにしたら工夫しなくても動くので、プログラマー不足の解消に大きく貢献できると思います。
村上龍さんの『13歳のハローワーク』が売れていますが、この本には、スポーツが好きな人ならいろんな職業が書かれているのに、数学が好きだと会計士とか銀行員とか、お金に関係することか、あとは暗号作成者くらいしか職業が紹介されていません。どんな分野も数学がないと成り立たないんだということをもっと知って欲しいですね。そういうこともあって、毎年「高校生のための数理工学見学会」(注1)を行なっていて、今年は8月に行ないます。いま勉強している数学が何の役に立つのかがわかっていただけると思いますから、ぜひ来てください。

(注1)8月9日(月)10:00〜16:00場所/東京大学本郷キャンパス工学部6号館で行なわれる予定。
詳細は http://www.keisu.t.u-tokyo.ac.jp/News/docs/20040511140752858.0.html
Koukichi Sugihara
杉原 厚吉
東京大学教授。工学博士。1948年生まれ。73年、東京大学大学院計数工学修士課程修了。電子技術総合研究所等を経て、現在東京大学大学院情報理工学系研究科教授。主な著書に『不可能物体の数理』『理科系のための英文作法』など。
http://www.simplex.t.u-tokyo.ac.jp/~sugihara/Welcomej.html
【杉原 厚吉さんの本】

『理科系のための英文作法 文章をなめらかにつなぐ四つの法則(中公新書1216)』(中央公論新社)

『だまし絵であそぼう 科学であそぼう (12)』杉原 厚吉・早川 司寿乃 著(岩波書店)