

Asako Koyama
小山 朝子
東京都生まれ。フリーランスライターとして『Hanako』やインテリア雑誌で活動。99年の祖母の介護を始めライター業を断念。01年、介護を続けながら活動再開。高齢者介護の分野を中心に執筆、講演に取り組む。
小山 朝子 さん(ライター)
若い世代にヘルパーやケアマネジャーといった介護職を希望する人が増えている。と同時に、数年のうちにやめていく人もまた多いという。ひとつには、予想に反して、介護の現場が過酷であったこともあるだろう。人が老い、衰えていくと、昨日までできたことが突然できなくなることもある。それでも何とか快適に暮 らすことを誰でも願う。いったい介護の現実とはどういうものだろう。祖母の在宅介護のてん末を『朝子の介護奮戦記』としてまとめた小山朝子さんに尋ねた。
祖母はくも膜下出血で風呂場で倒れ、大学病院に運ばれました。脳血管れん縮、水頭症という後遺症が二度起き、これで右半身が麻痺し、脳に水がたまってしまいました。水頭症については、脳に管を通し、水を胃に流す手術を行ないました。
それでも完治できるまで大学病院は診てくれるものだと思っていたのですが、実際はそうではなく、突然「退院をしてくれ」と言われました。2か月で退院ですから、治療を放棄されたようで、病院に対する期待や信頼感が崩れました。病院もベッドの回転率をあげないといけない経営の問題もあるのでしょう。

医師からはリハビリ中心の病院かお年寄りの多い療養型の病院、いわゆる「老人病院」への転院を勧められました。リハビリは始まってましたが、もちろん歩けませんし、食事の介護も必要と身体機能が半端な状態でした。けれど「老人病院」が自宅から近かったので、そちらに転院させることになりました。そこで老人医療の現場を目の当たりにしたわけです。
祖母の場合、褥瘡、院内感染になるなど、ひどい状態になりました。
床ずれとも言いますが、長時間同じ姿勢で寝ていたり、栄養不足や不衛生が原因で皮膚が壊死してしまうことです。祖母の場合、肉が腐ってポケット状になっていました。それまで看護師には「おでき」と言われていて、確認していなかったのですが、10センチ×10センチほどの穴があいているのを見た時、ここまでひどい状態になっているのに、どうして言ってくれなかったのかと信じられなかったです。
とにかくやる気がない病院で、患者に異変、急変が起きるのは当たり前なのに「来て下さい」と言っても、「自分がいまやっている仕事の秩序を乱されたら困る」という対応でした。
院内感染にも祖母はなりました。これは元の病気とは別の感染症にかかることで、そのひとつにMRSA菌がありますが、入院していた病院は、このMRSAにかかるのが当たり前だったようで、ヘルパーたちは「Mちゃん」と呼んでいました。それでいて、病院側に何もいえない自分に怒りの矛先が向いてきました。悪いとわかっていながら「退院させてください」の一言が言えなかったのです。
病院や医療は、絶対的に信頼できるものだという考えがあったからです。とは言っても、目の前で行なわれていることが、ひどいことだと思ってはいました。でも「これをひどいと断定していいのか」というためらいがありましたし、自分の中で「よい・悪い」を決める尺度がありませんでした。
雑誌で「全国の信頼のできる病院ベスト100」なんてやっていますが、いまとなっては必ずしも鵜呑みにできないと思います。医師との相性もあるし、ある人にとってよくても、他の人にとっていいかわからない。行ってみて始めてわかると思います。だからああいうふうに病院をランクづけすることは危険な気がします。

そうですね。祖母は入院以来、38度以上の熱が出、呻吟でうんうん唸っていました。どうして熱が出るのか疑問で、それを医師に尋ねても「熱はいずれ下がりますから」とし答えてくれない。とにかく生命を保つ医療をしてほしかったので、何とか「東京都老人医療センター」に転院させました。そこは65歳以上の老人を対象にした総合病院でした。
老人の場合、どこで診察していいかわからないことがあります。褥瘡や呼吸困難など複合的な問題を抱えている場合があるからです。「老人医療センター」は、トータルに体を診てくれ、専門医師が他の科とのパイプ役になり、いろいろ情報交換しながら治療にあたってくれ、そこで祖母は、呻吟は耳鼻咽喉科で気管切開をやってもらい、褥瘡は皮膚科に診てもらいました。
同じ老人を診る医療機関でもまったく違うことに考えさせられました。まず「どこで診るか」ということがわからないとどうしようもない。これからは総合的に診ることが大切でしょう。
そこも治療後は在宅介護という条件があったから転院を受けてくれたと思いますし、いつまでも診て下さいというわけにはいきませんでした。
それと病院とは、絶対に信頼を置けるものではないことがわかったからです。在宅介護を決めるまでは葛藤がありました。でも、必ずしも医療のエキスパートが完璧ではなく、身近にいる家族が本人のことをわかっていることもあります。もっと自分の目に自信を持っていいんだとなんとなくわかってきたのもあります。
「ちょっと今日は熱があるぞ」とかわかるのは、そばにいる家族です。そこに自信を持っていいんです。確かに祖母は話せなくなりましたが、表情でわかることもあって、それを察することができるのも家族です。
とにかくやってみようという思いだけでした。あとは看護師さんから指導を受けたので何とかなるだろうと。
祖母は喉、水分補給のために胃、おしっこを出すための管みっつを体に入れている状態でしたから、その管理が大変でした。特に喉は自力で痰が出せないため、人工的に吸引するのですが、これが大変でした。

何気なく行なっている「ものを食べる行為」自体が大変なのです。食べ物をつかみ、口に入れ、それがパンなのか米なのか判断し、味わって噛み、飲み込む。ただ食べるという動作の中にこれだけのことが行なわれています。だから歩くことも立つことも本当はすごいことなんです。
ものを噛んで飲み込むことを嚥下(えんげ)といいますが、老化するとうまく自力でできなくなります。それは痰でも同じ。出したいと思っても出せない。途中でつまったりして、肺に入ると肺炎になったりします。これが命取りになるのです。そのため喉に穴をあけて人工的に吸引することが必要になってくるのです。
脳こうそくというのは、津液(しんえき)がドロドロになり、すっと流れない状態です。この原因のひとつに水分不足があります。祖母はくも膜下出津後、脳こうそくにもなったので、 水分不足を防ぐため胃から水分を補給する措置をしました。普通、水は飲み込みやすいと思いがちですが、実はむせやすく、年をとって嚥下の機能が衰えると、補給が大変なのです。

朝、顔を拭いて、脱脂綿に消毒液をひたして口内を消毒します。そしてパジャマから服を着替えさせて起こし、車いすに乗せ、栄養の入ったドリンクを胃から飲ませます。これに一時間くらいかかります。
トイレに行けないので、おむつを換えます。健康な人なら歩いてるだけで腹圧の働きで便は自然と出ますが、寝ていると便秘になります。だから摘便といって、お尻に指を入れてうんちを掻き出すこともあります。
介護保険制度によって福祉の社会的な整備はある程度はできましたが、やはり自分から言わないと適切なサービスは受けられません。それと看護師やヘルパーが家庭に入ることで楽になったり、風通しはよくなりましたが、やはり看護師だから絶対だとは限らないことがわかりました。
例えば摘便も、看護師は懸命に掻き出そうとしますが、本人が苦痛に感じていたら、やらせたくないと思ってしまいます。初めはそう思っていることを伝えることができませんでした。
あと、ヘルパーもベテランが多く、自分のスタイルに自信を持っています。その自信に家族のほうが遠慮してしまうこともあります。家族がヘルパーのヘルパーになってしまう。掃除をしてくれるのはいいけれど、その後の掃除機が出したままで、片付けるのは家族。足浴といって足を洗ってくれるのはいいけど、その後のバケツを片付け、汚れた床を拭くのは家族です。外部の人が入ったことで家族の負担が増えることもあります。
自分が出かけたいときに出かけられないというストレスはありますが、サービス提供者とのストレスはなくなりました。言いたいことは言う。それが一番で、遠慮しなくていいとわかったら対人関係のストレスはなくなりました。
ちゃんと伝えることが大事だし、絶対だと思っていることも必ずしもそうではない。もっと自分に自信を持って伝えていいんだと思います。
そういう意味で、介護は自分自身と向き合うことでもあります。本当に自分が正しいのか?と疑問に思い、立ち止まる。そして、何より介護は、祖母と自分とが向き合うことだとも気付きました。
冷たい関係でした。母も祖母も画家で、私はライター。ひとりひとりが自分のことだけにかまいがちで、部屋も別々のためドアは閉ざされていました。介護を決めたのは、懺悔の気持ちもあります。祖母が倒れた日も、私はすぐには様子を見に行くことなく仕事をしていました。しばらく経ってから風呂場をのぞいたら、白目を剥いて、排泄物も周囲に散乱している状態でした。だから救急車で運ばれた後、こんなに泣いたことはないくらい泣きました。なんでもう少し手助けしてあげられなかったのか。申し訳なかったという思いがあります。
でも、それだけではなく、やはり祖母には画家として生きてきたという威厳が今でもあるから介護をしていられると思います。正直、尊敬できるところがないとできないです。
老人病院でいろんな人を見ましたが、それまでどう生きてきたかがわかります。看護師や先生にものをあげて、媚を売ったりする人もいました。それまでの生き方が反映されていると思います。
介護は人生の最終を見ることだし、その人の生き方が見えます。最終地点を見ることは、自分の生き方を見ることでもあります。その年になったときは、自分はどういう生き方をしているかと絶えず問われている気がします。

強くなりましたね。言いたいことを言わないと祖母を守れないですから。あと以前は、ライターにも自信がなく、批評をされたくないから無難な書き方をしていました。いまは批評されても自分を信じて書けばいいじゃないかと思えるようになりました。
相手の意向を汲むのは必要だけど、自分の視点を失ってはいけない。介護をやってきたという実体験のおかげで自信を持って書けるようになりました。
ヘルパーは若い子の出入りが激しい。「祖母との思い出があって始めた」と志を持っていても、下の世話もあるし、想像以上に辛い現場もあります。それぞれの利用者宅でエキスパートになる必要があります。ある人は歩けるけど、ある人は歩けない。そういう変化を前に戸惑っても、誰に相談していいかわからないままの人もいます。これからは介護サービス事業者をはじめ、社会全体で家族やヘルパーなど介護する人の心のケアをもっと考えていくべきでしょうね。
介護は、ある程度長くやらないとわからないことが多いのも確かです。まずは逃げないことが重要でしょうか。その中で自分なりの解決策が見えることもあります。動機は単純でもやってみて続けること。それが大事なんじゃないでしょうか。

東京都生まれ。フリーランスライターとして『Hanako』やインテリア雑誌で活動。99年の祖母の介護を始めライター業を断念。01年、介護を続けながら活動再開。高齢者介護の分野を中心に執筆、講演に取り組む。主な著書に『朝子の介護奮戦記』(まどか出版)

■小山朝子さんの公式サイト:http://www.koyama-asako.com/