

Kazushi Hosaka
保坂 和志
1956年生まれ。早稲田大学卒業後、西武コミュニティ・カレッジで講座企画を担当。93年に脱サラし、本格的著作活動に入る。小説家になることにしようと決めたのは、高校3年生の夏休み。30歳を目前にして尻に火がつき、本気で小説を書くことに。
保坂 和志 さん(作家)
主人公が誰かに恋をしたり、殺人事件に巻き込まれたり。
小説とはそんな事件が解決に向けて動き出すと考えられがちだ。
でも、普段の暮らしの中では、そうそう大きな事件は起きない。
と言うよりも、そもそも生きているということが不確かでわけのわからない事件ではないか。
いったい小説が言うところの事件とは何なのだろうか。
まず、言葉の定義から話すと、楽しいことというのは、明るく笑っていられるだけのことじゃない。努力する対象や、がんばる目標があるとか、そういうことが楽しい状態です。バラエティ番組でタレントがヘラヘラ笑っているのが楽しいもんだと思っている人が多いんだけど、あれは楽しいんじゃなくて不安なんです。で、充実っていうことで言えば、大変なことのほうが楽しい。サッカーの中田とか野球のイチローのように自分で考えて努力している人は、大変だけど楽しいんだと思います。

考えるとは、何か答えを見つけることだと思っているけれど、答えなんかない。疑問を持ち続けることが、答えを見つけることよりも大事で、それがたいていの人はわかっていない。
小説家も一生考えている仕事なわけですけど、解けない疑問を見つけることのほうが大事。で、それは答えに辿り着くようなものとは全然違うわけです。
そうですね。事件を立てると、可能性がひとつになってしまうんです。例えば将棋では、手を指さないことがいろんな手を考えている状態です。指してしまったら、それだけなんで、指さない状態で「こうじゃなくてこうしたらどうなるか…」とシミュレーションするのが将棋を指すということで、考えるということは、すべてそういうことなんだと思います。
事件を起こすと、「結局それがどうなるか」ということしか読者は考えないし、作家もそうなっちゃう。好きな女の子ができたとして、うまくいくかいかないかのどっちかでしょ? 読む人はどっちになるのかを読みたいわけだけど、どっちか選択肢が出たのなら、どっちでもいいんですよ。そういうことには僕は関心がないんですよね。本当に面白いのは、選択肢を絞り込むまでなんです。

読むこと自体で時間は流れますよね。「時間」というのが、どういうものか、ということです。書く前に筋を決めているとは、書く前に書き終わっているってことで…書く人にとって書く時間が、「時間」として積み重ならない。つまり、書く前と書き終わった後の自分が変化しないわけです。
だから、あてどもなく最初から順番に書いていくことだけが、書く前と書いた後の自分が変わることで、そうでないと読む人も変わらないだろうと思います。
個性っていうのは、人と違うことだと思いがちだけど、そうじゃなくて、まったく同じことをやっても少しの差が出るわけで、それが個性でしょう。
よく「人生は可能性の集合体」みたいな言い方をするけど、そうじゃなくて、いろいろやってみて、結局「これしかできない」ことを発見するのが人生。だから、中田はサッカーはできたけど、野球をやっていたら大物になっていないでしょう。
芝居書いたり、映画を撮っている人も小説を書くんですけど、他のことができる人は小説なんて、鈍くさくて続けられない。小説家は小説しかできない、それしか表現する方法を持たない人しかできないと思うんですよね。
僕はだいたい一日4、5時間しか仕事をしないんですけど、最初の2時間は何も書かないで外を見ているだけ。それか家の中ブラブラしたりするだけで、「新幹線に乗っていたらもう名古屋過ぎてるな」って思うんだけど、その2時間を何もしないでいないと出てこない。その間も、気晴らしに外とか運動のつもりで2時間歩いてりゃいいじゃんと思うけど、そうするとできない。2時間動かない時間をつくらないと次が出てこない。やっぱり、他のことができる人はできないような、特殊な仕事だと思うんです。

僕は西武百貨店のカルチャーセンターで働いていたけど、話が通じない人が多くて、結局、僕の態度が悪いってことで昇給しなくなったとか、いろいろトラブルはありました。そういうことがあると、しばらくは頭に来たり恥ずかしかったりするけど、いい会社とか給料が高いっていうのは、生きる上での価値観のいくつかのうちのひとつでしかないと思ったら、どうでもいい。
中高と一貫教育で、大学も2年留年したから6年いた。で、勤めも6年かなと思ったけど、6年経っても何にも変わらなくて、こりゃまずいなと思った。会社で偉くなっても仕方ないし、そうなりたいわけでもなかったし、やっぱり小説書かなくちゃと。でも、それまではほとんど小説のことは忘れてましたね。
なかったですね。小説書くだけでは食えないだろうと思ってました。でも93年の2月に会社が大変革されて、忙しくてしょうがなくなった。ここにいても書けない。書けないか、食えなくても書くか。心細くても書く、ということしか選べなくなった。もし、書けなくなったらサイエンスライターをやろうとかって思っていましたけど。

そういうふうではなかった。ただ、小説では、「何で描写しなくちゃいけなくて、何でストーリーがあって、何で小説っていうのはこういう形なのか?」。書かないけど、そういうことは考えていた。パソコンソフトのロータスをつくった人は、暗算とか算盤で計算したくなかった人なわけです。いちいち計算したくないから、計算しなくていいソフトを考えた。僕もそういうタイプの人間で、小説家になりたいからと言って、一所懸命毎日書こうとは思わなかった。努力だけしていれば何とかなるという律儀な考え方は、その枠組み自体を問わないことで、考えることをさぼっている人だと思います。
登場人物をある程度並べて、物理的な場所を決めるだけですね。『プレーンソング』は、小説世界に登場人物が出入りできるような気楽な語り口で、悲しいことが起きないといったルールを決めて書き出しました。「これは小説と思われないかもしれないな」って思いながら書いて…やっぱり大半の人は「ただ書いているだけじゃん」と言って、受け入れられるのに10年近くかかった。
でも、まだ「なぜ事件が起きないんですか?」「ストーリーがないんですか?」と言われる。これで充分あるじゃん?と思う人はほとんどいない。

そうですね。何かを表現するようなことはしたいと思ったけど、それが何かはわかんなかったし、本も読まなかった。考えているだけっていう状態でした。
高校時代は何にも表すこともないし、表しようもわからないから鬱々としていました。きれいに考えるための道具を手に入れたら、いろいろ言えるようになるんだろうけど、手に入れられない状態が大事なことだと思ってました。
キング・クリムゾンというプログレの元祖みたいなバンドの1枚目のアルバムの中に「Confusion will be my epitaph(私は戸惑いを墓碑銘としよう)」という曲があって、その言葉を知ってから、わかんない状態こそが信じられるというか、途方に暮れている状態だけが信じられると思うようになった。
小説書くことは、すごく心細い。確かなものを手に入れようとした途端に小説ではなくなってしまうからね。
いろいろなことについて明晰に言える人はいます。道具をただ使うことしか考えない人は非常に明晰なんですよ。高校生くらいだと、自分よりすぐれた能力を持っているように見えることがものすごく多いんだけど、そこに負けない図々しさが必要だよね。
自信があるような人の前に出ると動揺してたじろぐけど、それはしょうがない。たじろいだり気圧されながらも「何か違うな」と内心思うかどうかで、とりあえずは充分だと思う。

風景描写だけは絶対必要だと思っていて、そういう描写のある小説はほとんどないし、それだけが文体をつくることだと思ってます。
どうしてかと言えば、見るということは一挙的で並列的、それに対して文章はひとつひとつを順番に並べていく直列の作業だから、風景描写であらゆる苦労が発生するわけです。苦労しなければ小説ってステップアップしない。それは網の目がもっと細かくなるとかそういうもので、そういうことができるようになれば、人間を書く書き方も変わるはず。
とにかく小説家は小説を書いて成長するし、小説を書くことで人生の時間を生きていく。
小説家は、サラリーマンが定年になるまで見ることを避けている人生を見る仕事なんですよ。サラリーマンのように働くってことは、いろんなことで時間を潰し、一番大事なことを見ないですましているってことですから。小説なんて何の役に立つ?と、バリバリ働いているつもりの人は言うんだけど、そういう人だっていずれ働けなくなるし、そのとき人生そのものに向かわざるを得ない。逆にそういうことにしか僕は関心がないし、大事なことだけ見ている時間しかないだろうと思います。
何にもしないことじゃないかな。自分の心細さとか不安だけを信じる。わかりやすい何かを身につけたりするんじゃなく、そんなものは時間さえあれば身につくんで、技術が技術となってくるプロセスを追うような思考力を考えることなんじゃないかな。そういう意味では、高校生くらいって老荘、特に荘子なんか読むといいんじゃないかと思うんですけどね。
後は上下関係が平気な人はやめたほうがいい。それに耐えられないタイプならなれると信じて構わない。それは能力の高い低いじゃなくて、人間の型としてなれるかなれないか。
小説とはどういうものだと自分で定義もしないで小説家としてデビューして新人賞とってデビューする人もいるけど、それからさきが大変です。売れたとしても、小説とは何かをきちんと問いかけていないから、フラフラしている。お金があってもそういう人は幸せじゃないと思う。
この不安だけが正しいんだという意味では僕は確固としていますね。

Kazushi Hosaka
保坂 和志
1956年生まれ。早稲田大学卒業後、西武コミュニティ・カレッジで講座企画を担当。93年に脱サラし、本格的著作活動に入る。小説家になることにしようと決めたのは、高校3年生の夏休み。30歳を目前にして尻に火がつき、本気で小説を書くことに。90年『プレーンソング』(中公文庫)でデビュー。『季節の記憶』(中公文庫)『世界を肯定する哲学』(ちくま新書)『カンバセーション・ピース』(新潮社)
保坂さんのHP:http://www.k-hosaka.com/