

Kenji Yagi
八木 健次
1967年静岡県生まれ。91年パリに渡り、写真を学ぶ。その後、パリとニューヨークを拠点に出版社、通信社のカメラマンとして活動。2000年10月4日、パリで行われたイスラエル・パレスチナ和平会談の取材をきっかけにパレスチナ問題に取り組む。
八木 健次 さん(写真家)
敵がい心をあおる大人がいる。
「夢は自爆」と誇らしげに語る子どもがいる。
兵役を拒否する若者がいる。
殺し、殺される。この関係を解きほぐす希望の光の見えないイスラエル・パレスチナの紛争。
憎しみの連鎖が続く中、一冊の本が出版された。
『正直な気持ちを話そう』。
イスラエル・パレスチナの45人の若者の肉声だ。
カメラマンの八木健次さんが聞き取った声とはどういったものなのだろう。
20代はファッション関連の仕事が中心でした。『SPUR』のパリコレクションやニューヨークコレクション。あとは『anan』『流行通信』といった媒体などで仕事をしていました。
でも、30歳を節目に、本来志していた報道カメラマンに軌道修正し、共同通信Paris支局の専属カメラマンになりました。そこでしばらくヨーロッパの政情を伝える仕事を中心にしていました。そして、2000年10月、パレスチナとイスラエルの和平会談がパリで行われ、その取材を行うことになったのです。
実は、その1週間ほど前、イスラエルのシャロン首相がイスラムの聖地「ハラム・アッシャリーフ」(ユダヤ名は"神殿の丘")を強行訪問し、パレスチナと衝突が始まっていたのですが、そうした問題についてまったく理解していませんでした。だから、パリの会談の様子を取材するといっても、名前は知っていても顔は知らない有名人を撮るようなものでした。
その取材は、もともとはアメリカ大使館で行われるはずが、急きょシラク大統領官邸で行われることになってしまい、フランス政府発行の記者証をまだ持っていなかった僕は、そこに入ることはできず空振りに終わってしまいました。
でも、それは記者証だけの問題ではなく、僕自身がその問題に関わる資格がないと思えたんです。これではいけないと思い、それからはパレスチナ問題について書かれた本や新聞を読み始めました。そうこうするうちに10月上旬、パレスチナ自治区のラマラで起きた銃撃戦で12歳の少年が射殺されました。父親がかばい、射撃を止めるよう懇願する中、殺された事件でした。この映像を見たとき、「ああ、これは行かなくてはいけない」と思ったんです。

イスラエルへ突っ込んで行った感じですね。そこまではよかったんですが、空港に着くと3人のセキュリティが来て、「おまえは何しに来たんだ?」という物腰で個室に連れられ、そのまま30分ほど取り調べを受けました。
いや、イスラエルは初めてですし、報道カメラマンとしての経験はあるけれど実弾が飛び交う現場は初めてです。どこで戦闘が起きているかもわからない。ホテルへ行っても情報がないから、たまたま知り合った日本語の話せるイスラエル人-ノアという女性にガイドを頼み、エルサレムへ行きました。そこで友達の知りあいであるブルーノ・スティーブンスというカメラマンを捜しました。彼はフランスの『リベラシオン』で活動している著名なカメラマンで、幸い初対面にも関わらず僕が「一緒に動きたい」と申し出ると、「そしたら明日7時に来い」と、彼の泊まっているホテルに来るよう言われました。でも翌朝、行ったらとんでもないことになってしまった。

いや、そこにはそうそうたるカメラマンがいたんです。まずはマグナムのルーク・ドラエ。ジェームズ・ナットウェイ。ジェームズはアパルトヘイトを報道するなど、とにかく世界のトップフォトグラファーです。夢にまで見ていたカメラマンの隣に僕は座ってしまって… 経験のない小僧としては、テーブルの片隅で食事をするだけで精一杯。そして30分程経つとレッツゴーのかけ声でみんな一斉に飛び出したんです。何が起きたのかわからないまま、僕も飛び出すと、ジェームズが「俺の車に乗れ」と言い、その言葉に従いました。150キロくらいのスピードで現場へ向かうんですが、僕以外は世界のトップの戦場カメラマン、その中に自分がいることが信じられない上に、とにかく緊張と興奮でおしっこを漏らしそうになりました。
衝突の起きている現場に着くまでに検問を3カ所通りました。みんなはイスラエル政府の発行した記者証を持っているけど、僕だけニューヨークコレクションの『SPUR』の記者証。不審がられましたが、何とかクリアしました。
やがて、兵隊と炎と煙が見え、遠目にも殺気が感じられる中を車はフルスピードで飛ばしていきました。その瞬間、どういうわけか僕自身が変わってしまった感じがしたんです。
それまでは危険なところで常にブレーキを踏んでいて、一か八かのところに踏み込むことができなかった。でも、猛スピードの車内で、僕は報道カメラマンになった気がして、気がつくと投石の現場、イスラエル軍が撃ってくる中に降り立っていました。そこで撮った写真が、『正直な気持ちを話そう』を作るきっかけにもなった、頭を撃たれた少年の写真です。

怖かったけれどこのメンバーについていれば何か学べるのはないかとも思っていました。とにかくある種の感情は働かなくなりました。実際に弾がヒュンと自分の30センチ以内を飛んでいくのを感じながら、僕は射撃の現場でシャッターを切り続けました。
少年が撃たれたとき、ファインダー越しの風景が止まる感じがしました。それから30人くらいのイスラエル兵がどんどん撃ってきて、10人くらいのパレスチナ人の若者たちがバタバタと倒れていく…
僕は少年が撃たれたのを確認したとき、「ああまずい」と思い、近くにあった狭い幅のブロックに体をねじ込みました。そこは何とか腰まで入っても足が出てしまうくらい狭い。膝の近くを弾がかすめました。

周りにいたパレスチナ人が撃たれた少年を後ろに控えた救急車に運ぼうと走り出すと、ジェームズたちは駆け寄って撮っていましたが、そのときも兵士は撃ってくるので、僕は体を隠して撮っていました。
報道カメラマンを志したのは20歳で、これを撮ったのは33歳。自分の中で結果を出すまで13年かかりました。その夜は、重荷が降りた感じで嬉しくて、バーでひとりで乾杯しました。ですが、グラスを傾けながら、僕はどんどん複雑な気持ちになっていきました。
「人が死んだ。でも、僕はある種の達成感を覚えている…」
これは何かやらないといけないのでは、と思いました。
それからの2週間、いろんな現場で撮影しました。衝突が起きれば、その翌日は死者の葬式が、そして報復が起き、また葬式が行われる。何かをやろうとしても僕がやれるのは写真しかない。報道カメラマンになるという自分との約束は守れた。でも、その夢がかなった瞬間にそれが使命に変わって… ではどうすればいいのかと1年間考えました。そして、この問題をすごくわかりやすく伝える本をつくりたいと思ったのです。
幸い報道カメラマンの中では異色のファッションカメラマンの経験があったので、その経験を活かしてみようと思いました。ファッション雑誌の感覚で手に取ってもらって、でもちゃんと伝えられたら… 専門家でもわかりにくい問題なのだから、とにかく手に取りやすい内容にするためにインタビュー方式を思いつきました。

ほとんどの人は協力的でした。インタビュー用紙にヘブライ語、アラビア語、英語で「宗教とは?」「戦争とは?」「夢は?」といった15の質問を用意し、すべて書き込んでもらいました。撮られる人もファッション誌の時と同じで、中には「ちょっと待って…」と自分の好きなポーズを決める子もいました。

インタビューを行う中でわかったのは、日本人が思春期に悩むようなことで彼らも悩んでいたり… とにかく、同じなんだなということ。でも、イスラエル人は兵役があって、特に男の場合は、最前線に行かされ、身を守るために発砲します。3年、軍にいたら誰かを殺す経験をせざるをえない。社会のシステムとしてその様な経験をしてしまうのは不幸なことです。長い人生において経験しなくていい経験もいっぱいあります。
対してパレスチナ人は、生まれたときから憎しみを抱えて戦っています。パレスチナのために戦って死ぬことが、自分たちの存在理由になっています。7歳くらいの子どもが投石を行っている。そういうこともしなくていい経験なのかもしれません。
ただ、イスラエル人とパレスチナ人とで違うのは、イスラエル人はまだ人生のビジョンを描けます。それは社会的な基盤が整備されてはじめて可能なものです。一方、国家のないパレスチナ人にはそれができません。

パレスチナは思われているほど貧しくはないですね。ある程度の援助で生活が成り立つところもあるし、中には高級車に乗っている人もいました。難民キャンプと言っても、50年も住んでいるから、かつてのテントが立派な家になっているところもあります。
だから、国際援助ということを考えると、何が援助なのかよくわからない。誰かに戦争させられている気もしてしまいます。投石だって、ゲームみたいになっている部分もあります。とにかくパレスチナ人の子どもはイスラエル兵をおちょくる。野原の草に火をつけ、基地に煙がいくようにし、兵隊を怒らせ、発砲させる。どっちかが仕掛けるわけです。娯楽が何にもないから、それがある種のゲームになっているのではないかと思います。
この写真集を出すことで、あの少年の弔いは果たせたように思っていますが、まだまだ僕の使命は終わっていないと思います。また近い将来、中東に行くつもりです。
実は、日本にいる現在、いわゆる雑誌や新聞の専属カメラマンの仕事は引き受けないようにしているのです。その時が来たら、いつでも日本を離れられるようにしておきたいからです。それに日本にいると、ファインダーをのぞく先についあの戦場の景色が見えてしまうような気がして… 気持ち的にも、今はカメラマン以外の仕事をしている方が楽な面さえあるんです。
22歳のイスラエル人の男性に取材したとき、「尊敬する人は誰か?」という問いに彼は「人は自分自身になるために生まれた。ある者はそうなれるし、ある者は失敗する」と答えました。またある青年は「力で人を支配することや、国家、民族、あるいは動物や自然を支配することはできない」と話してくれました。
人は何かに無理になろうとするのでもない。力で誰かを抑えるのでもない。これらは美談かもしれないけど、問題の解決を導くのは、彼らのそうした言葉ではないかと思います。みなさんにも、このことについて一緒に考えていって欲しいです。

Kenji Yagi
八木 健次
1967年静岡県生まれ。91年パリに渡り、写真を学ぶ。その後、パリとニューヨークを拠点に出版社、通信社のカメラマンとして活動。2000年10月4日、パリで行われたイスラエル・パレスチナ和平会談の取材をきっかけにパレスチナ問題に取り組む。
八木 健次 さんの本

『正直な気持ちを話そう-イスラエル,パレスチナ45人のリアル・ライフ』
(たちばな出版)