

Akiko Nonaka
のなか あき子
1970年札幌生まれ東京在住。心シビれる出会いを求めて、国内外を旅するライター&イラストレーター。主な著書に『快楽ベトナム』(双葉社)『女ひとり突撃アジア』(青春出版社)など
のなか あき子 さん(イラストレーター・ライター)
旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる。
旅に魅惑された人は、病の床ですら旅に思いを馳せるという。
のなかさんの場合、そこまで大仰ではなくても、勤めていた会社の休みだけでは旅ができないと判断すると早々に辞め、旅立ったという。
いったい旅の魅力とは。
そして彼の地で見たものとは何なのか。
ベトナムの雑貨がかわいいと言われたり、現地のショップが特集されるなど根強いブームです。でも、せっかく旅するなら人々の中に入っていって、いろんな事を知りたい。例えばどういった雑貨が、どこでどうやって創られているのかとか。

疑問を持った私は現地の雑貨屋の店員に「創っている工房へ案内して欲しい」と頼みました。それでわかったことは、現地の会社がとくに収入源のない貧しい村を丸ごと買い上げていたことです。つまり、村全体が工房になっていたんです。ベトナムでは正式に工場をつくるとすごく税金がかかります。だから秘かに村を買い上げ、住人全員を家内制工業というかたちで従事させてしまっているわけです。
ライターの仕事をしていておもしろいのは、「これって何だろう」と思ったところから、奧へとどんどん入ってみることができることです。私の抱いた野次馬根性を満たしてくれるわけです。
そうかもしれないですね。ライターになる前、デザイン関係の会社にデザイナーとして勤めていたのですが、7ヶ月でやめました。盆と正月の休みだけでは、旅ができない。そう思うと何故か焦りが生まれて、辞めてしまったんです。
退社後に行ったのはミャンマーでした。そのきっかけというのも、日本の書店でガイドブックを見ていたら、伊豆に「ビルマ」という民宿があったことなんです。伊豆でビルマって何だろう。そう思って、泊まりに行った。宿ではこれまで食べたことのない料理が出され、そして宿の主人は母国の問題について熱く語るわけです。こうまで語るのは、何かあるに違いない。そんなのりで行きました。
人の親切に衝撃を受けました。親切にも程度というのがありますでしょう。日本では、人の家までずかずか入って来て親切にされることはないですよね。でも、ビルマでは「一人旅は危ないから」と言われ、なぜか知らない人にお金をもらったりしました。また「そのジーンズはおかしい」と言われ、ロンジーという民族衣装をもらったりと、道を歩いているだけで[普通の人にそういうことを言われ]どんどん服装が変わっていって、結局、ご飯も食べさせられ続けられたので、現地の物価がわからない。自由を奪われるほどの親切。親切な人がいっぱい!というより、やっぱりここは変じゃないかという思いが強かったですが。

日本にいると、わりと「ここまで」というように私という範囲が堅くあると思ってしまいがち。でも、ビルマだと人がずかずか入ってくるから、パーソナルスペースも曖昧になってきます。相手が悪いことをしていても、「大丈夫。気にするな」と言ったりします。それは違うだろと思いはしても、それも「私が言うか、向こうが言うかくらいの違いかな」と思えてくるようになります。
高校生のとき、私は自己愛とか閉塞感をうち破る手段が見あたりませんでした。家があり、学校に通い、地元の友達がいて、バイトに出かける。それ以上の関係をつくりにくかった。外の人たちは何を考えているのかわからなかったから、様々な欲望と焦りがありました。でも、ようやく解放されてきましたね。そういうのがあると自分にまつわることしか書けないですから。
将来の夢を語る友人はいましたが、私は今のことだけ、毎日を過ごすことだけで手一杯でした。だから、友人の言うことが理解できませんでした。私が考えることといえば、デートしたい。でも、大学に入るために勉強しなくちゃいけない。だったらデートにかこつけて勉強しよう! それに受験生でもお金は欲しいからバイトをしたい。…そういうことを考えるだけで精一杯でした。
ちなみに体操部に所属していましたが、それもやりたかったというよりは、「学校に長くいれば彼氏がいる確率も高くなるだろう」という考えでした。そのころ好きだった言葉は一石二鳥。それくらい将来とか自分の意志とは無縁でした。

楽しいと同時に思春期だから自己愛がものすごく強かった。教室にいても突然「私ひとりだけここの教室で取り残されている気がする」と思って、机に突っ伏したり…。周りは寝ているとしか思わないですが、そうすると「やっぱり先生にも気にしてもらえない」と泣き出して、そのまま保健室へ行く。そんな激しい毎日を送っていましたね。
若い頃の旅は何かを求めて行きがちだし、私にもそういう自分探しの側面はあったと思います。でも、今ではそういうのは、どうでもよくなりましたね。
そう思えるようになったのは旅のおかげでしょう。迷いや悩みも「まあいいや」と脇に置いて、進まざるをえないのが旅。そうしたら、いろんなことに関してそう思えるようになりました。
とは言え、私が旅に取り憑かれたのは、大人の男と女の世界を見てしまったからという理由もあります。タイのバーで女性が裸同然で踊っている姿を見たことに衝撃を受けました。
短大を卒業するとき初めて海外旅行に一人で行きました。行き先はタイを経由してのネパール。出発前、旅行代理店の社員に「どこかおもしろいところあります?」と尋ねたら「パッポンはおもしろいですよ」と言われ、で行ってみたらバーで女の人が踊っていたというわけです。

「何だよ、外の世界にはこんなにおもしろい所があったんじゃないか」って感じの衝撃を受けたわけです。タイには1日しかいなかったんですが、翌日から過ごしたネパールでの日々は全然覚えていない。それほど印象的でした。
東京でもそうした風俗はあるでしょう。ですから、それは風俗そのものに驚いたというよりも、自分とは直接結びつかなかった世界が自分の目の前にある。そういう驚きでした。世界には、自分の知らないことがある。そんな経験を旅は与えてくれることに気づいたんです。
すぐになったわけではありません。旅から戻るとその後は、年に1ヶ月くらい旅行のため休むという条件のもと、広告会社でデザインとイラストのバイトをしていました。好きな仕事だったからよかったんですが、28歳のときあまりの激務に、ここで仕切り直しをしないと身心ともにダメになると思いフリーになりました。
その後、イラストに文章を添えたり、マップをつくったりといったことはしていましたが、文章がきちんと書けるとはあまり思っていませんでした。でも、仕事で出会った人から「やってみたら」とアドバイスされ、試してみたらできてしまった。そういういきさつです。

そういう意味ではいま始めている仕事がそうかもしれません。布を巡る旅といって、沖縄の染織を取材していますが、それはたまたま呉服屋で手にした読谷山花織のきれいな端切れがきっかけでした。どういう人が織っているのか気になり、それから里を尋ねて歩いています。1枚の布には土地やそこの住む人の感情、歴史が絡んできます。そういったことを聞いていくのが楽しくなってきました。
そうしたことに興味を持ったのは、私が昨年から東京友禅を始めたこともあるでしょう。私の生まれる遙か前、20歳で亡くなった父親の姉が染色をしていて、その作品は私の好きなものが多く、バッグにしたり、部屋に飾ったりしていました。布というキーワードがいろんな形で自分に流れて込んで来て、それならやるかという気になりました。
例えば、宿のランクを変えて泊まってみる。高級なホテルから安宿まで、ステージにこだわらず、いろんな世界を見る意味で転々としてみるのはおもしろい。そこに働く人、泊まる人の違いを知ることができるし、自分が心地いい場所を見つけられる。
後は、あまり構えないほうがいい、とアドバイスしたいところですが、こればっかりは断言できないですね。香港で聾唖だと思って親切にしたら、強盗未遂みたいなことになってしまった。なぜか私はその人の写真を撮っていたから、その人は逮捕されましたが、今でも刑務所の中に入ってるはずです。そういう人を信用するなと言っても難しい。旅慣れると、「この人は怪しい…」といった嗅覚は発達するけれど、時に鼻が詰まることもあります。日常生活にないような楽しいことがあれば、考えられないような嫌なことも起きる。なるべく鼻を詰まらせないようにしたいですね。

Akiko Nonaka
のなか あき子
1970年札幌生まれ東京在住。心シビれる出会いを求めて、国内外を旅するライター&イラストレーター。主な著書に『快楽ベトナム』(双葉社)『女ひとり突撃アジア』(青春出版社)など
■のなかあき子さんのHP「練馬怪楽園」
■連載コラム「美ら島物語 布を巡る旅」
のなか あき子 さんの本

『快楽ベトナム』
(双葉社)

『女ひとり突撃アジア怪しげだから入ってみた、インチキくさいからやってみた!』
(青春出版社)