

C.W.Nicol
C.W.ニコル
1940年、英国南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究家の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たる。1967年より2年間、エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。1972年よりカナダ水産調査局淡水研究所の主任技官を務める。
C.W.ニコル さん(作家)
日常の中で便利や効率という言葉に比べて、「美しい」という言葉を耳にする機会はあまりない。経済が何より大事という考えが、これほど行き渡れば、利益にならない美とやらの出番はそうそうないのだろう。しかし、金銭にも何にも換算できない美しさには、人を深い感動へと誘い、ふと足を止めさせる力がある。森の持つそうした美しさに打たれ、C.W.ニコルさんはここ日本に住むことを決意したという。美しいものを守りたい。そんな思いを抱いたC.W.ニコルさんの来し方を尋ねた。
12歳で探検家になるんだと決めていました。僕の世代まで探検家はすごく尊敬されていました。そういう憧れもあったんでしょうね。それと、いずれ日本に行って空手を学ぶことも決めてました。
探検家になろうと思ったのは、12歳のときにイヌイットを撮った16ミリのフィルムを見たことがきっかけです。猟師が大きな槍を手に、細長いカヤックに座ったままの姿勢で、頭上を飛んでいた一羽 のケワタガモを撃ち落とす様子が撮影されていました。それを見た僕はいつかこの人たちに会いに行こうと思ったんです。それからは、北極についての本とか、探検に必要な体つくりを行ってきました。暇があったらカヤックか狩りをし、柔道、レスリング、重量上げをして体を鍛えました。悩む暇なんてないくらい!確かに年頃だったから、女の子に興味はあったけど…面倒臭いって思っていました。

北極には、人間に荒らされていない自然があり、そして戦争のない素晴らしい世界がありました。何しろ最高でした。英国という小さな島国で育ったから、まずその大きさに圧倒されました。地図で確認していた川も、大きいといってもテムズ川並に幅は200メートルくらいだろうと思っていたら、河口からだいぶさかのぼっても幅が1キロから2キロはありました。
とにかく大きくて広い。どこを見ても電信柱なんてない。それにイヌイットは逞しくて優しかった。当時はまだカヤックと犬ぞりを使っていましたから、それも素敵に思えました。
……初恋をしましたね。本当に初めての恋だった。言葉も通じないし、文化も全然違うけれど、「この人とだったら一生ここで暮らせる」と思いました。彼女は私より年下だったけど、大人でした。
比べて、英国の学校で出会った女の子は幼かった。プライドはあるんだけど、実際には犬の喧嘩を止められるとか、自分でアザラシをしとめるとか、テントを自力で立てられるとか、そういうことはできないわけです。イヌイットの女性はそうしたことができたし、それにとっても純粋でした。
親父は海軍出身だったというのもあって理解してくれました。けれど母はまったくダメ。彼女は、僕が大学を出て学校の先生になって、毎日スーツを着て、ときには母も連れてボーリングやダンスをするような暮らしを望んだ。でも、そんなの嫌でした。
何が嫌かって?ネクタイだよ。学校では11歳からネクタイ着用だった。制服はまだいいけれど、ネクタイはねぇ…。だって、喧嘩のときにつかまれるじゃない?(笑)。何でそういうことを考えていたかと言えば、僕がウェールズ人で少数民族だったからです。周りはアングロサクソンだから、週1回の割合で喧嘩しなくちゃならなかった。侮辱はひとつも許さなかったからね。狩りと喧嘩と探検が僕のすべてだった。
でも18歳のときに行った2回目の北極探検後、母の圧力で先生になるための学校へ入りました。心の中では絶対になるつもりはなかったけど。
というのも、そのときプロレスにリクルートされて試合にも出ていたんです。月2回プロレスをやったら、少なくとも月に50ポンドの金が入った。親父は27年間、海軍に勤めたけど、週10ポンドくらいの稼ぎだったから、それは大した稼ぎだった。おまけに僕はジャズバーでバウンサー、用心棒もやっていたからお金はありました。
バウンサーとしてはとてもよかったと思うよ。丁寧に「お客さんお引き取りください」と言っていたし…。言うこと聞かない人は殴ってましたけど。でも、その一方で詩や花が好きだったりしたんですよ。とにかく、そのときの僕は困った野郎だった。1年に11回、喧嘩で逮捕されてたね。
ある日、学長に呼ばれて「プロレスは学生としてふさわしいことじゃない」と言われて止めました。もちろん学校を、ね。
その後は、小さな島で渡り鳥の調査の手伝いをするかたわら、プロレスをしていました。そしたら今度は越冬隊に呼ばれてカナダへ19ヶ月渡りました。それから日本へ空手を学びに来たわけです。22歳のときです。

『LIFE』という雑誌で空手の特集を見てから興味を持ちました。すでに柔道はやっていましたが、空手の先生は英国にはいなかったんです。
空手を選んだのは…やっぱりその頃、何か探していたんでしょうねぇ。精神的なもの、"道"を探していました。
15歳のとき新渡戸稲造の書いた『武士道』を読んだんですが、とても素敵な本でした。しかし、第2次世界大戦後、いろいろと武士道についての本が出版されましたが、その内容は新渡戸の書いたものとはまったく違うものでした。じゃあ本当のところは何だろうと思って知りたくなった。
それまでは喧嘩に負けたことなかったけど、いっぱいやられました。とてもいい教育でした。悔しい反面、新しい目的ができたと喜んでいました。空手の道場で学んだことは、たくさんありますが、その中のひとつに「相手を敵にしないために、自分の威厳を保つ」があります。その考えを学んでから、昔を振り返ると、あんなに喧嘩をしなくてもよかったかなって思います。僕は言葉は優しいけど、とことんまでやってしまうチンピラだった。

探検家、そして作家です。経済的に安定することは考えてもいなかったし、そもそも60歳まで生きるとは思っていなかった。どうにかなると思ってました。
22歳で日本に来て、40年ほど経ったけれど、そのうち29年は日本で過ごしています。僕は日本の自然と日本人が大好きです。
日本には言論の自由や宗教の自由があります。他の国を見たら、それがどれほど大事なものかわかるでしょう?だから、この国のために何かやりたい。何ができるだろう。そう考えたとき、美しい小さな森を残そうと思ったんです。その上で、何か気にくわないことがあったら、面と向かって言うし、書きます。僕の役割はそれだと思う。誉めるべきときは誉める。それが捕鯨であってもね(笑)。捕鯨を弁護したら敵をいっぱいつくりましたよ。

森の再生に手をつけ始めたのは84年です。長野県の黒姫に行ったときに初めて知ったのは、日本の原生林が破壊されていることでした。水源地でもある原生林を切っていたんですよ。それはショックでした。それで林野庁と大喧嘩しました。彼らは、「昔から人が森に手を加えていたから、日本には原生林はない」と主張した。その理屈なら、世界中に原生林はないって話になる。原生林というのは、人間がそこに入って活動しても森の生態系が変わらないものです。
他にも「切らないともったいない」とか「林道は地元のため」とか、そんな言い訳ばっかり!でもね、林野庁の中にも、森が大好きな人はたくさんいるんです。
外人が下手な日本語で愚痴を言うともてはやされたりするでしょう?金儲けにもなるけれど、僕はこの喧嘩は儲けるためではなく、森をよくしたかったからしたんです。
(注)長野県の荒廃した里山を、再び野生動物の棲める豊かな森にすべく始めた再生活動。詳しくは、http://www.afannomori.com/
私の住んでいる地域で言えば、30年前くらいに植えた杉は大根並に安い。たくさん植えたけど、間引くことなしに育てたからそういうことになってしまった。
森を再生するため、里山を少しづつ買ってきました。そして人を雇って、手入れをしてきました。一緒に働く中で、僕の言っていることとやっていることが一緒だとわかったからその人との信頼も培えた。それで、貧弱な杉だらけの場所を30年くらいかけて混合林にしようと計画を立てたわけです。

僕はある大きな製薬会社で部長クラスを相手に英会話を教えていました。そこで水の汚染とか環境問題の単語も必要だと思って教えていたんです。水俣病も問題になっていましたからね。そしたらある人が「環境汚染は私たちの日常生活に関係ないから必要ない」と言った。僕は「バカはバカでうまれてバカで死ぬ。俺はバカと付き合う暇はない」と言って、テキストを放り投げて帰ってしまった。1時間5000円の仕事だったから…、短気は損気ですよ。
そうですね。動物も戻ってきたし、目に見えて変化してきました。
ナイフとかノコギリといった道具を使った経験がないせいか、目と手とバランスの悪い子どもがいますね。僕が心配するのは、テレビやパソコンのスクリーンばかり見て、それがリアルだと思うこと。あくまでそれは道具であって、そこにリアルはないよ。鳥を見たかったら、その道具を使って見ればいい。でも、出掛けて欲しい。格闘技に興味があるなら見るばかりじゃなく、やってみて欲しい。自分の体をもっと使って欲しいね。そして、人が教えるとき、相手が人間なんだとちゃんと意識して欲しいよ。
ビートルズが「A Hard Day's Night」で「人生の大部分の時間は中年と年寄りに費やされる」と歌っているけど、そういうものだと思う。だから、いろいろ経験することは大事だよ。
それと若いときはパッションがあるから、そのぶん憂鬱にもなりやすい。経験から言えば、「だから、あんまり悩まないでやれよ」って言いたい。それと付け加えるなら、あんまり喧嘩はよくないから止したほうがいいよってことも。

C.W.Nicol
C.W.ニコル
1940年、英国南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究家の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たる。1967年より2年間、エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。1972年よりカナダ水産調査局淡水研究所の主任技官を務める。1980年、長野県に居を定め、執筆活動を続けるとともに1984年より、森の再生活動を実践するため、荒れ果てた里山を購入。その里山を『アファンの森』と名付け再生活動を続ける。2001年、この森での活動や調査等をより公益的な活動を全国展開するためにNPO法人を設立、2002年5月、「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」に統合。主な著書に『裸のダルシン』(小学館)「小さな反逆者」(福音館書店)など多数。
【C.W.ニコルさんの本】

『小さな反逆者』
C.W.ニコル作 鈴木 晶訳
(福音館文庫)

『風を見た少年 映画版』
C.W.ニコル原作 成島 出脚色 山田 由香文
(ポプラ社)

『C.W.ニコルの森の時間』
C.W.ニコル著 森 洋子訳
(中央公論新社)

『C・W・ニコルのボクが日本人になった理由』
C.W.ニコル著 南 健二写真
(ビオシティ)