

m.yam
えむ やむ
1968年大阪生まれ。高校卒業後東京へ。映画、グラフィックデザインの専門学校をそれぞれ経てグラフィックデザイナーに。フリーのイラストレーターに転身、活躍した後の94年、茨城・笠間市で陶芸・造形作家に弟子入り。96年独立、99年に東京で初個展。
m.yam さん(陶芸家)
焼き物と言っても、お茶碗や湯飲みなど実用性のある器類はほとんど作らない。作品の多くは、一見すると犬や猫、女の人だったりするが、実は何だかよく分からない生き物たち。独自の世界、ストーリーを語るそれらの作品はどれもとても饒舌だが、作品に関して彼女が饒舌というわけではない。粘土を触っているとどんどん勝手に形ができてくるだけ。それが何なのか自分でもよく分からないし、何かを表現したいなんてとくに思わない。 映画学校→グラフィックデザイナー→イラストレーター→陶芸家。陶芸家になるために山に住んで弟子入りまでしたが、「本能のまま、クンクンと嗅覚でかぎつけながら」進んできただけ。今は夢中だけど、明日どうなるかは分からない。でも飽きることなくこんなに続けてこられたのは今のところ陶芸だけ。だからこそ、食べるための手段にはしたくない。
そう、映画が好きで。でも絶対作ってやるっていうのではなくて、とりあえず興味のあることって感じでした。でも映画作りって集団でやる仕事でしょ。学校に入ってすぐに向かないと気づいて、1人で全部表現できる分野を探さなくてはと思った。親の反対を押し切って東京に出てきたから、ちゃんと東京にいる理由を親に見せられないといけないと思ったのもありました。
絵は小さい頃からずっと描いていたからやっぱり平面だなと思って、映画の学校を辞めてグラフィックデザインの学校に行きました。そこを出てからグラフィックデザイナーとしてデザイン会社に勤めながら好きだったイラストも描いていたのですが、やっぱりイラスト1本でやりたくなって辞めました。
そして初めてフリーになったわけですが、営業に回るのとかも全然苦じゃなかったし、マメにやっているうちに雑誌のカットとかの仕事が入ってくるようになりました。中国雑貨屋やモツ鍋屋など色んなバイトと掛け持ちでしたが、全然不満はなかったし、幸せだった。逆に、徐々にイラストで食べていけるような状態になってきてこれでやっていけるのだろうなと分かってきた頃、なんとなくつまらなくなってしまいました。

これで大丈夫なのだと思ってしまって、イラストが、自分の中ですごく深いもの、ずっとやっていく仕事とは思えなくなってしまった。所詮はクライアントがいて、ある程度の制約の中でやらなきゃいけない。仕事と関係なく自分のために描いたものもたくさんあったのだけど行き場はありませんでした。
立体をやってみたいという思いはそれまでもあったけど、素材も無限にあるし何をやっていいか分からなかった。そんな頃、笠間で焼き物の弟子をやっている人の作品を見に行く機会ができました。それがきっかけになって、立体といっても粘土って木や鉄に比べて身近な世界で入りやすいからちょっとやってみたらすっかりはまってしまって、自分も笠間で弟子入りすることに。昔から興味のあることにはどんどん乗っかっていく性格なんです。

私の場合、先生にも恵まれてとても楽しかった。モニュメントなど割とアートっぽい作品を作る先生で、陶芸家というより造形作家。粘土だけではなく素材使いも自由で、伝統的なやり方を押しつけない先生でした。だから、弟子に何かを叩き込むというより一緒に生きるという感じで、自分の子どものように扱ってくれました。でも実は、ぜひこの先生の弟子になりたいっていうわけでもなくて、なんとなく本能のまま、クンクンとなんかにおいのする方に進んできたって感じです。嗅覚で生きているっていうのはずっとそうなんですが(笑)。
当時、同じ先生のところに私以外に3人の弟子がいました。もちろん兄弟子姉弟子って序列はあるけど上下関係ではなく、焼き物を目指している仲間みたいなものだったと思います。本当に焼き物しかない田舎の生活ですが、ずっと都会育ちだったので憧れみたいなものもあった。畑仕事をしたり、田舎を満喫しました。
学校ではないので、先生の仕事を手伝いながら自分で見て感じて学んでいくしかない。だから学んだのは技術的なことより、姿勢の部分かな。柔軟な先生だったから、決まりなんてなくて何でも自由にやっていいんだなってことを学びました。
弟子の間は自分の作品を作ることはできませんが、そのイメージのようなものはできあがっていたと思います。独立して最初に作った作品からすでに実用的でなく今とほとんど変わらない作風(笑)。普通陶芸家っていうとろくろ回して器作ってそうだけど、私はもともとそこと違うところから焼き物に行ったから当然といえば当然なんですけどね。
そして独立後しばらくすると、ずっと同じところで同じ人たちと一緒にのんびりしているのは自分と違うんじゃないかと感じるようになり、自然に、もう動く時が来たなって感じで東京に戻ってきました。

人からは言われます。自分では普段から何も意識していないのでよく分かりません。どんな物を作ろうとかどう表現しようかとか一切考えないで、目の前にある粘土を思いつくままに形にしていくって感じだから。個展でも、全部できあがって展示してから今回はこんな感じなんだねって人に言われてなるほどって思ったり。「これが私の表現です」とか、作品を通じて何かメッセージを伝えたいという気持ちはありません。
好きですね。でも、例えば猫を作ろうとして作っているのではなく、勝手に猫になってる。粘土を触っていて固まりみたいのを作っていると途中で何かの形に見えてきたりして、それに引っ張られて連れて行かれたりしますが、自分の好きなものに見えちゃうんでしょう。女の人は、うーん、自分が女だから? 男の人のことはよく分からないし、女の人だとまわりに色んなサンプルがいっぱいいるから、何かつながるところがあるのかもしれません。

作る過程でいうと、形を作ってきれいに泥を塗った後に、削って線を出して絵を彫っている時。この辺が一番楽しい。ちょうど立体と平面の間というか、両方のことをしているような。粘土の硬さも、サクサクサクッて彫っていくのがすごく気持ちいい。
陶芸に惹かれたのは、そんな手触りの部分も大きいと思います。手の感触から伝わる精神的なもの? 作りたくて作っているというのももちろんあるんだけど、これを作って続けていくことによってなんとか自分がいられるんじゃないか。私がいて私が作るというのではなく、作ることによって支えられて私がいるような気分があります。
粘土って放っておくとどんどん乾いていっちゃうので、すごく手がかかるんです。そんな粘土の様子をつねに見なくちゃならないし、ひとつの仕事のスパンも長いので途中で出かけることもできず、粘土の相手をしているだけで人間の相手をしているような気になっちゃって、気づいたら仕事場にずっといるということが多い。
今は教室もやっているし友達が遊びに来ることも増えて解消されつつあるけど、以前もっと郊外に住んでいた頃は1人っきりで粘土との世界に入っちゃって引きこもりになりそうでした。その辺のコントロールが自分でうまくできないと、現実の世界に戻るのが大変。切り替えが難しい。教室を始めたのはもちろんお金のためというのもあるんだけど、人が来てくれることで切り替えの訓練にもなっています。ギリギリまでガーッて入り込んでいても、生徒さんが来たらそこからパッと戻ってくるって感じで。
レギュラーは3~4人で、単発の人が多いです。レギュラーでも、働いている女性が多いから月1回ペースの人が多いかな。でも色んな人がいますよ。最年少は小学5年の男の子で、すっごくおもしろい。私は、こうやったら割れちゃうとかこうやった方がうまく行くとか言うくらいで、あまりああしろこうしろって感じで教えることはしません。教えているっていうより、みんなの発想の新鮮さから私が学んでいる感じかも。あとただ単に、人に会うのが好きっていうのもあります。定期的に会って近況報告して。友達みたいですね。

毎回楽しみにして来てくれる人が少しずつ増えていて楽しいです。見る人によっては前回と違うとか、色々な反応があって。買ってくれる人は年齢層も性別も様々です。やっぱり人に認められるのはうれしいし、まったく誰も相手にしてくれなかったら続けていられたかどうか分からない。ただ、どこをどうしたら受けるとかって発想は、まったくないですね。
今はね。でも、またいつかすると思う(笑)。例えば個展でそれなりに売れたりしても、お金ができるとまた旅行に行っちゃえ、とか思うし。あると使っちゃうから。なければバイトすればいいんでしょ、くらいにしか思っていません。これで食っていかなくちゃって意識が本当にない。食べるためになると、たぶん粘土に触るのがすごくいやになっちゃう。食べていけるのがプロだっていうなら別にアマで構わない。「脱プロ宣言」だね(笑)。好きなことをやっているって言っても、それで食ってかなきゃならないとなると必ず何かはそれに左右されてしまう。別に焼き物で食わなくてもバイトで食えるんだから、なぜ焼き物で食わなきゃいけないの?って感じです。

粘土に縛られずにひょいひょい色んな素材を使って作りたいという気持ちはどこかにあるけど、今はまだまだ粘土だけで十分満足していて無理やり広げようとは思っていません。やることを広げていくよりは狭めて深くしていきたいって気持ちがあって。私「いっちょかみ」の性格だから、イラストやっていた頃もイラストをやってはいたものの色んなところに顔を出しては友達の映画制作の手伝いをしたり、かなり色んなことに「いっちょかみ」していてまだやりたいことが絞れていませんでした。だからそれを見つけた今は、何でもほいほいとついていかないように気をつけて、狭めていこうという気持ちがある。ほっておいたら自分が散漫になっていっちゃうのが分かるから。
ただ陶芸の範囲内の話では、今までは曲線の有機的な立体が多かったけどこれからは例えば陶板を組み合わせた直線的な形のものを作ってみたいなとは考えています。
娘には普通に見合いして結婚して欲しいというような親だったから、最初はびびってました。笠間に弟子入りした時とかも全部事後報告だったし。でもここ1年くらいかな、私が作ったものを楽しみにしてくれる人がいるのを見て、やっと面白がってくれるようになりました。
でも私がこんなことをやっているのは、実は家族の影響が大きいんです。父が現代美術のコレクターで、小さい頃から色んな作品が身近にあって親しんでいたから、よくあるような美術が難しいという感覚がない。それはすごくありがたいことだと思っています。
時間があるうちに、色んな物をいっぱい見るのがいいと思う。あとは優先順位。信じられるものがひとつあれば揺るがないだろうけど、とくに若い時って少しずつでも色んなことすべて満たされたいと思うから結局全体的に不満ってことになりがち。やっぱりすごく怖いと思うし、決められないってあると思うけど、優先順位というか、これだけは信じられるっていうものを持てるようにすること、その時に一番大切なものが何かを見極めることは大切です。今の私とっては、焼き物を続けられる環境を守っていくことが一番大事なことで、だからそれを守ることができていればあとはいいって感じかな。そのために犠牲にしているものは多いかもしれないけど。
優先順位がはっきりしている分すっきりはしているけれど、まだ本当にこれでいいのかどうかは正直言って分かりません。ただ、今のところまだ飽きていないし、まったくやめる気配はないですね。やめる時っていうのは、手が止まっちゃう時。そうなったらやめるしかない。でもここまで必死に続けているのは、無意識にでもどこかに続けている理由があるんだろうとは思っています。でもやっぱり突然、焼き物を捨てて愛に生きる女になっちゃうかもしれないしね。先のことは誰にも分からない…(笑)。

m.yam
えむ やむ
1968年大阪生まれ。高校卒業後東京へ。映画、グラフィックデザインの専門学校をそれぞれ経てグラフィックデザイナーに。フリーのイラストレーターに転身、活躍した後の94年、茨城・笠間市で陶芸・造形作家に弟子入り。96年独立、99年に東京で初個展。2000年に東京へ拠点を移し、2001年には世田谷区に陶芸教室「m.yam clay works」をオープン。初個展以来、毎年コンスタントに個展を開催し、グループ展などにも積極的に参加するなど精力的に活動している。
m.yamウェブサイト:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~m-yam/
(教室の案内、作品の注文販売などもあり)