

Yoko Hara
原 よう子
1975年生まれ。静岡県出身。桜美林大学国際学部国際学科卒業。2000年6月、衆議院総選挙に立候補、25歳、歴代最年少で当選。現在、国土交通委員会、青少年問題に関する特別委員会党環境副部会長。
原 よう子 さん(衆議院議員)
アロマオイルの甘い香りが漂いミスターチルドレンが流れる議員会館の一室。原よう子さんは、堅苦しいイメージの「政治家」像とまったく違ういでたちでmammo tvのスタッフを出迎えてくれた。小泉政権誕生以来、政治が身近な話題になることを「政治のワイドショー化」と揶揄する人もいるが、身近になったぶん余計に"普通"の感覚とずれた発言をする議員が目立つようになったのは確かだ。ここ永田町では"普通"の感覚を持ち続けることはそれほど困難なことのようだ。市井の人から最年少議員となった原よう子さんに当選から2年の日々を尋ねた。
そうですね。いわゆる"オヤジ社会"というところも感じます。でも、実際に議員になってみて、「予想していたイメージ通りだな」と思う反面、いろいろ議員にも個性があり、経歴があり、バラエティに富んでいるのも確かですから、「思っていたほど悪い人たちばかりではないな」というところですね。
私は当初、政治家にあまりいいイメージを持っていなかったんです。実際に議員になってみて男性中心社会だというのは改めて知りましたが、それでも私のような人間でも政治家になれるということは、少しは日本の政治も「普通」の面があるのかなと思いますね。

私が政治にチャレンジすることで、少しは政治を身近に感じてもらえたらいいな。そう思ったのが立候補のきっかけです。だから、当選する・しないは二の次でした。議員の二世、三世でもなく、まして労働組合といったバックアップがなくても、25歳の女性がチャレンジできる。そういう世の中になっているんだということをアピールでき、少しでも多くの人に選挙に関心を持ってもらえたらいいな。それが動機でしたね。
いや、全然です。たまたま学生のとき、社民党議員の選挙の手伝いをしたことがあったんです。そこで福島瑞穂さんと出会って、彼女に「2000年中に選挙があるから出馬してみない?」と声をかけられて、それで「やってみようかな」と…。わりと気楽な感じだったんですよ。
立候補しないかと打診されたとき、就職は決まっていませんでしたし、大学院を卒業したら、実家に帰ろうと思っていました。そういう時期だったからでしょうか、卒業する前に、何かおもしろいことに挑戦するのもいいかなと考えたんですね。そのときの勢いで、気軽に「じゃあやります」となりました。

でもね、社民党自体がそんなに大きな党じゃありませんから、しがらみがあるような組織ではないんです。ですから、友だちに声をかけて「とにかく楽しくやりたいから協力して」と頼みました。社民党の先輩や支持者の方々には、私の方針をお話して、影で支えていただいて、表は若い人たちで楽しそうにやっているという感じで選挙活動を行いました。そうした取り組み方がでけたのもラッキーでしたね。大きな党ならそんな選挙はできなかったでしょう。
毎日がとまどいの連続でしたね。でも、誰でも働きはじめるとはじめは苦労するでしょう。私の同級生だって、就職してそれぞれの職場でがんばっていたし、そういう姿を知っていましたから、何も特別なことをしているわけでもないとは思っていました。みんなが社会に出て、越えていかないといけないハードルだなって。大変だけど、あんまり特別なことだと思わずにいました。
外から見ていると国会議員が何をやっているかは、なかなか見えにくいですよね。私の場合は議員になってみても、どこから手をつけていいのかわからなかった。ようやくここに来て、法律をつくるために必要な手続きや知識だとか仕組みなど、これまでわからなかったことがわかってきました。正直言うと、最初はわからないことが何かもわからない状態でした。
ほんとに普通の高校生でしたよ。ただ部活の水泳部には一所懸命でした。とりたてて水泳部の強い高校ではなかったのですが、そこで水泳がやりたくて選んだんです。部活以外はいま振り返っても、ほんとにいわゆる普通の学生でした。でも、学校は好きでしたね。小中高と学校はほとんど休まず通いました。

でも、自分のやりたいことにはとりあえず挑戦していました。親も子どもが高校になると、それまでと違って「自分が責任をとれるなら、その範囲で好きなことにチャレンジしろ」と理解を示してくれました。だからオーストラリアの高校に交換留学で1年留学したり、手話をならいたいと思ったら通ってみたり…、長続きしなかったものもありますが、やりたいと思ったことには、とりあえずチャレンジした高校生活でした。
そうですね。アルバイトでお金を貯めては、マレーシアやモロッコなど、2ヶ月ほどかけて旅行をしました。マレーシアへは大学のワークキャンプで行き、植林や公園整備の仕事をしたのですが、向こうのホストの手際の良さだとか、受け入れの態度に感心して、次の年は日本で受け入れる側に参加したりと、とりあえずやりたいことをやってました。
それも、ただで海外に行けるし、いろんな国の人に会えるから行こうって感じだったんです。

政治に対する意識が同世代の日本人と比べて高いな、というのが率直な感想です。日本の若者は政治と宗教の話題はしないでしょう。海外で出会った人たちは、もともと意識が高かったということもあるでしょうけど、それにしても「自分はどこそこの党を支持している」とかはっきり言うんですね。そういう態度はまったく違いましたね。
彼らがその国の将来を担う世代になったとき、彼らと一緒になってがんばっていけるのは、やはり同世代である私たち。だから、日本の若者も政治に興味を持たないと、世界から取り残されてしまかも、と思いました。
環境でしょうか。やはり議員が身近な存在だと聞きました。街の通りを歩いていたりするから、気軽に話しかけたりできる。日本の国会議員は車で移動するし、その辺りでは見ないでしょ?そういう意味ではとても身近で、他にも大学の講座やゼミに議員が来て、話をしたりする。だから政治を身近に感じる機会が多い。それだけに言っていることとやっていることが違えば、次の選挙では投票しないわけです。政治家の姿がはっきり見えるし、政治家に対して、市民は自分の考えを言う。普段の生活の中に政治があるんですね。
日本では、政治と言えば「永田町でまったく知らないおじさんが知らないうちに決めている」というイメージがありますよね。本来は、もっとも身近なはず。だからこれは変わらないといけないなと思いました。
でも、暮らしの中で、何か問題にぶつかって、その原因を調べていくと、政治に行き当たるんですよ。世の中の仕組みは、やはり法律が決めているわけですから。国会は立法の場です。ほとんどの議員はホームページを持っていますし、衆議院のホームページもすごく充実してますから、ちょっとした興味からでも、それをきっかけに検索していけば、身近に感じることは可能だと思いますね。もっと身近に感じようと思ったら…、例えば国会の見学、傍聴もできます。ただ、いまは議員の紹介がないとできないので、誰でも傍聴できるように法律を変えていきたいと思っています。

いわゆる「議員」っぽいと言うんでしょうか。そういう意味では、ここの世界に染まりたくないという思いはあります。国会を離れて、外で議員に見られないことが、なぜだかうれしかったりします。仕事は何をやっているの?と尋ねられて、"はい国会議員です"と素直に答えにくいところがあるんです。こういう気持ちは…何なんでしょうね。ときどき「家事手伝い」と言ってしまいそうなんですが(笑)。それだけいまの政治の在り方に私も違和感を抱いているせいでしょうか。好き嫌いで捉えられるものではありませんが。
それはやはり自分に票を投じてくれた人の存在が大きいです。それに、最終的にやると判断したのは自分ですし、そういう責任はあります。選ばれた期間はとにかくやれることをやろうと思っています。

正直思い通りにならないことが多い世界です。でも、会社にいてもそういうのは同じでしょう。ひとつ言えば、法律をつくることができるのは、夢のある仕事だと思います。これは議員でないとできないことですから。そうした力を間違った方向に使わず、私たちの暮らしが豊かになるような方向で活用したいです。
いまの世の中、あまりに暴力的です。その暴力が弱い者へ集中している気がします。とにかく、暴力のない世界にしたいんですよ。とても漠然とした言い方だけれど、人が穏やかに平和に暮らす。自分が自分らしく生きられる。選択肢がいっぱいあって、いろんな生き方が尊重される。それが私の抱いている豊かさのイメージです。
そうは言っても少数野党ですから、思い通りにならないことはあって苛立ちます。でも、この世界が楽しくなったら終わりじゃないかって逆に思いますね。怒りや不満を打破するために活動するなら意味はある。でも、この場にいること、議員であることそのものが楽しくなり出したら、政治家としてはダメになったときじゃないかと思います。
変わる人は変わるみたいですね。聞くところによるとという話しですが。やはり権力や金の魅力でしょうか…。
ええ、そうです。人間って自分を特別扱いされ出すと、「自分は特別なんだから」とどんどん勘違いすると思うんです。だから、そういう今まで通りの生活を続けることで、町に暮らす人々の感覚と、それほど変わらないでいられるんじゃないか。そういう状態であることが、私自身も安心します。
何であれ、「ここが人生の最高点だ」という考えってつまらない。そう思いませんか?そう考え出したら、誰しも今にしがみつきたくなる。ここを何かのステップとして捉えられたら、今取り組んでいることにも新鮮な気持ちで行えるはずだし、次に何か新しいことにもチャレンジできると思います。ともかく、今の活動に一所懸命取り組むことで何か答えが見つかるかなって思っています。

Yoko Hara
原 よう子
1975年生まれ。静岡県出身。桜美林大学国際学部国際学科卒業。2000年6月、衆議院総選挙に立候補、25歳、歴代最年少で当選。現在、国土交通委員会、青少年問題に関する特別委員会党環境副部会長。