

Wakako Kaku
覚 和歌子
山梨県生まれ。大学卒業と同時に作詞家デビュー。小泉今日子、smapからジャズ、クラシックまで数百編の日本語詞を発表。落語とのバトルライブ「噺詩の会」や自作詩朗読パフォーマンスを国内外で行う。映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」作詞で2001年度のレコード大賞金賞受賞。
覚 和歌子 さん(作詞家)
「ゼロになるからだ」。
死を思わせる言葉でありながら、不吉さよりも懐かしさを覚えるのは、それがあまり現代人の使わなくなった「魂」を連想させるからだろうか。私たちの魂はどこから来てどこへ行くのか。
その生と死の不思議さを詠む覚和歌子さんに詩に込められた思いを尋ねました。
そうですね。不思議といえば、「さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳をすませる 生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ」。
この4行を書いているとき、何故だか泣けて仕方なかったんです。自分でも変だなと思いました。自分で書いているのに、自分が書いていない感じ。そういう状態で書いた詩はあとから何度読んでも、たった今初めて出会ったみたいに新鮮なんですよね。

歌い手の木村弓さんとは8年来の仲ですが、彼女は20数年前に脊椎を痛めてその治療に必死になって生きてきた人なんです。そんな理由からほとんど遊ぶための外出もしないんですが、たまたま「もののけ姫」を見に行ったらひどく感動して、その感動のままに宮崎駿監督に自分の自主制作CDやテープを添えて手紙を書いたんです。そしたら一週間後にご本人からお返事をいただいたんですね。監督のもとには多いときで一日に段ボール3箱分の手紙が来るのだそうで、それに目を通すこと、まして返事を書くことは天文学的確率の低さだと後から聞いて、ああよほどのご縁だったのだと思いました。
監督からの返事には、「いま進行している企画の音楽をお願いするかもしれないが、期待しないで待っててください」といった内容が書かれてあって、木村さんはその手紙を私に見せてくれながら言ったんです。「今ずっと頭の中で鳴っていて消えない曲があるの。もしかしたらこれのための曲かもしれない」。
その作詞を木村さんから依頼されてテープを預かったものの、私は3ヶ月間、それに手をつけず曲を聞きませんでした。なぜだかすぐに詩をつけるのがもったいない感じがしたんです。さすがに催促を受けるようになったので、ようやく机に向かって書き始めたらそれこそ12.3分でできてしまったんですね。ちょっと普通じゃない感じでした。
木村さんはとても喜んで歌ってくれて、それをテープで宮崎監督に送ったのですが3ヶ月後、企画自体が潰れました、ごめんなさいという返事をいただきました。私はまあ、そんなもんだろうと思い、木村さんとは、いい曲が出来ただけでよかったじゃん、と言い合い、その歌は木村さんにライブで大切に何度も何度も歌われました。もう曲が主題歌のために作られたなんてことさえ忘れかけた頃、作ってから勘定してほぼ2年半後、ジブリからの電話で「あの曲を宮崎監督が忘れられないので、『千と千尋の神隠し』で使わせて欲しい」と申し出を受けたんです。これ、ちょっとないような、珍しい話でしょう。運命的というか(笑)。

朗読がブームになっていますね。時代の欲求としての自己実現ということが言われてきていて、さしあたってじゃあ何をしたらいいんだろうという問いに、手軽な「朗読」というものが、はまったんだと思います。それをきっかけに「表現」ということや、「自分」というものを考えはじめている感じがします。
普通に暮らす人たちの表現意欲が高まっているというか、表現したいという気持ちを隠せなくなっているんでしょうね。中心は主婦層で、各種の朗読スクールでは断るくらい入会希望者が殺到しているそうです。
朗読ではバイオリンやピアノを弾くのと違い、専門技術は特にいらないし下手でもそれなりに楽しめる。例えばそこに新聞があれば、いますぐにでも始めることができる。気軽に自己表現したいと思っている人の数が増えて、その欲求に朗読は応えてくれるわけです。そうしているうちに、声を出すという行為から自分の身体ときちんとつきあっていく感覚が生まれます。身体に対する気づきが生まれてきます。ステージに立つようになると真剣勝負になりますから、これは魅力がありますし、そうなるともう子どもに読み聞かせるレベルではない"表現"になってきますね。

作詞は歌のためのものですから、歌い手の声や滑舌や生理感覚、もっと言えばその人が経てきた経験を前提にしないでは、聞き手には届かないでしょう。 第一作品集『ゼロになるからだ』は詠むためのテキストを集めたものです。
収録されているような散文詩を書く場合「歌い手」は自分なので、自分が発語して説得力のない言葉は書かないし、また自分には難しいけれどどうしても伝えたいと思った言葉は、自分の身体の方をその言葉に添わせます。言葉にふさわしい自分を生きてみる、というか。
そのときに心がけているのはリズム、つまり音楽性、身体性ですね。テキストを書き、それを身体で伝える、詠むというところまでしてはじめて私の表現は完結すると思ってます。
例えば、「かなしみ」という語を発するとき、どれだけそれを人の深い部分に届かせる経験を持っているのか。その言葉に対する感受性をどれだけ持っているのか。その言葉の含みをどれくらい想像できるか。それらは言葉を発したとき、聴き手に全部わかってしまうものです。言葉がしっかり立体的に立ち上がるかどうか、これは自分という人間がさらけだされる瞬間ですからエキサイティングですよね。

それがおもしろくてライブ活動をしているところがありますね。反応が、コミュニケーションがダイレクトなんです。こっちから投げかけたエネルギーが聴き手に渡ってまた私に返ってくる。そのことでものすごい一体感が生まれる。何にも替えがたい強烈で味わいの深い感覚ですね。
朗読に限らず、歌でも芝居でも舞台の魅力はそういうことにあるんだろうと思います。それだけに身体の裏づけのない言葉を発しても意味はないんじゃないかと思っています。
子どものころから合唱部だったり、大学ではバンドを組んでライブハウスに出たりと歌うことはいつも近くにありました。そのままそれが仕事になり、作詞家となったわけですが、作詞の仕事は、歌い手のタイプやCDの売れる枚数などという制約のなかでの表現なわけです。それはそれで楽しくもありますが、自分の身体を使うんだったらもっと自由に作れるんじゃないかとは、常々思っていました。
92年、淡路島で開催された世界環境芸術会議で、現地の小学生12人とオープニングイベントとして実験詩の朗読パフォーマンスを行いました。それをきっかけに、メロディはついていないけれど、声として発せられる言葉に目覚めたという感じですね。
それと同時にその頃、メビウス気流法(注)という身体技法を始めまして、名前だけ聞くと怪しいでしょうが、自分の身体の内を見ていくという武道のようなダンスのような気功のようなもので、それでさらに身体を意識し始めましたね。
(注)日本古来の武術や伝統芸能の身ごなしなど、ジャンルを超えて共通する無意識の動きを、呼吸、姿勢などともに捉えていく新しい身体技法。創唱者は坪井香譲師。

そうですね。昔からスポーツで身体を動かすのは好きじゃないタイプでした。それが変化したのは、30歳のときいろんなことがうまくいかなくなってウツになってしまったときでした。心配した母が「スポーツクラブで身体でも動かしたら?」と勧めてくれたんですが、スポーツ嫌いの私なのに、もう自分で物を考える気力がなくなっていましたから、言われるがまま入会して、ぼんやり筋トレなんかをしていたんです。
始めたら確かに筋肉が美しくついてきてプロポーションは整ってくるんですけれど、気持ちはいつまでも落ち込んだままで、この状態は逆にものすごく不健康だと気付きました。そのとき担当してくれていたインストラクターが、かつて古武術系の身体技法を学んでいたひとで、私に「止めた方がいいですよ。こういうのは合ってない気がする」とアドバイスしてくれたんです。こうして紹介された、筋トレとはまったく違う東洋系の身体技法に出会って、自分の身体の本来のありようについて考えるようになりましたね。

物腰とか振る舞いから人間の内面を見ていく、ことでしょうか。例えば、歩いていて、左足が外に向く癖のある人は、それをさせる内面のありようがあるわけです。身体を見ていくことは自分を見ることでもあるし、世界を見ることでもあると気づいたんですね。そういうことに目を向けだしたら世界が全く違って見えてきて、出てくる言葉も変わりましたよね。確実に豊かになった。目から鱗が落ちるような感じでした。
水戸黄門が立ち回りで使っているような杖を使って体捌きをしたり…、道具を使うといかに自分の身体がしなやかでないか、頑固に生きていたか、そんなことがわかって物凄くおもしろいんです。
自分が言葉を繰り出していく行為は、宇宙のエネルギー循環の一部分ではないか。それまでは簡単に言うと、自分しか見ていなかった。それが世界と自分とのマッピングの中で物事を考えるようになった。私とは、エネルギーを通すチューブの一部分に過ぎないのなら、そのチューブの通り具合をよくしておきたい。そういう発想で身体や精神を見るようになりましたね。
それまでは作詞家として早く一人前になんなくちゃとか、置いて行かれないようにしなくちゃとか、ひとつでも多く仕事をとらなくちゃとか、目の前のことだけに心をとらわれて苦しくしていました。
今はもうただ出会う人との縁を大切にして、誠実にひとつひとつ仕事をしていこうということだけです。そう考えるようになったら信じられないくらい楽になりましたし、そうなると逆に仕事がスムーズに行くようになるから不思議です。
しんどかったですね。気を抜くと食えなくなるというような怖さだけじゃなくて、生きることそのものに全然自信がなかったんです。まあ若かったっていうことなんですけど。(笑)自分の存在している意味も場所もただ不安定。いつも手を挙げて、「私はここにいます」と言っていないと安心できない感じでした。
今思うと、不安の根源は大いなるものとつながっていることに気付いていない感覚だったんだな、なんて自分なりに説明できるんですけど。
死を扱った詩が多いですね。死とちゃんと向き合うことをしないと、きちんと生きられないと思っています。
すばらしく死んでいく姿を誰も考えないですものね。先だって亡くなった柳家小さん師匠は亡くなる前日にちらし寿司を食べ、「うまかった。明日は鰻だ」と言って床に就き、明くる朝それはそれはいい死に顔で亡くなってたそうです。そんな大往生が、法律的には変死扱いなんですね。病院で迎える"死"しか正しい死ではない。とても変です。
昔から門づけといって家の門口で歌を歌うなどして、お金や食べ物をもらう芸がありましたが、それはパフォーマンスのあり方の基本だと思うんです。家々をめぐり、芸事を披露してその家を祝福したお礼に生きるための一宿一飯を提供されながら、旅をする。この世を寿ぐことがそのまま生きる手段なんて、素晴らしいですよね。神様とのコミュケーションそのものですよ。そういった旅の途上でのたれ死にしたりするのは素敵だな、なんて思うんですけど、おかしいですか(笑)。

Wakako Kaku
覚 和歌子
山梨県生まれ。大学卒業と同時に作詞家デビュー。小泉今日子、smapからジャズ、クラシックまで数百編の日本語詞を発表。落語とのバトルライブ「噺詩の会」や自作詩朗読パフォーマンスを国内外で行う。映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」作詞で2001年度のレコード大賞金賞受賞。
覚和歌子さん公式・公認サイト:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~misohito/
【覚 和歌子さんの本】

『ゼロになるからだ』
(徳間書店スタジオジブリ事業本部)