

Toyoharu Kii
喜井 豊治
愛媛県生まれ、東京芸術大学壁画研究室修了。1980年イタリア政府奨学金留学生として渡伊、帰国後モザイクを中心に壁画家として作品を作りつづけている。2000年フランスで開かれた第3回国際モザイクコンクールで2席に入賞。
喜井 豊治 さん(モザイク作家)
建物に足を踏み入れると、壮大な絵が目に飛び込んでくる。
ふと階下を見下ろすと、タペストリーのような美しい模様の床の上を、人々が行き交っている。
思わず近づくと、細かく割られたたくさんの石が貼り合わさっていた…
明治維新後、ヨーロッパから紹介されたさまざまな文化のひとつに、モザイクアートがあった。
永遠の絵画、モザイク。
かたくもやわらかい、その絵画を超えた魅力について、モザイク作家の喜井豊治さんが語ってくれた。
広義で言えば、断片化された素材を組み合わせて、あるイメージを具現化させたものです。伝統的には、大理石、ガラスといった素材を割って細かいピースを作り、それらを貼り合わせて絵にするのが、モザイクアートです。硬質な素材を使っているので、油絵や水彩画と違って、頑丈で長持ちします。だから建物の壁や床などにモザイクは取り付けられて、生活に彩りを添えてきました。

紀元前3千年紀のメソポタミアで始まったと言われていますから、今から5000年も前です。それが今も残っているわけです。油彩画が登場したのが15世紀ですから、モザイクの方が歴史が古いんです。モザイクは、ギリシアやローマといったヨーロッパで、教会・王宮といった巨大な建築物を中心に、建物の装飾として、当時の権力者たちに競って用いられました。ローマ時代の貴族の別荘、ヴィラの遺跡を掘ると、必ずと言っていいほどモザイクの床が出てくるんですよ。
全く違います。もちろん共通点もありますが、使う素材、道具、技法、制作に要する時間といったすべてが違います。例えば、油絵は、基本的に同じ材質で色が違うだけの絵の具を使い、筆で布の上に表現していきます。素早く手軽に描け、気に入らなかったら新たに重ね塗りをすることもできます。ところが、モザイクは山から切り出してきた石板をハンマーで徐々に細かく割り、最終的には5mmから1cmのサイコロ状のピースにし、今度はそれをモルタル(セメント)などで貼り合わせていくわけです。一応、石を貼り直すことはできますが、結構面倒です。また、途方もない制作時間がかかります。

材質感や立体的な断片から生まれる光と影がモザイクの表現を膨らませるので、例えばモザイクを写真で見るとその魅力が半減してしまいます。遠くからモザイクを見た場合もそれと同じです。平面的なものとして目に映るからです。ですが、実際にはモザイクの表現は絵画では成し得ないものなのです。
じつは、中世以降、油絵が美術界をリードするようになって、長いことモザイクは脇役を強いられることになりました。例えば、あのバチカン寺院のラファエルの絵は以前は本物が掛けてあったのですが、18世紀に全部モザイクに置き換えられました。原画の保存のためです。原画は美術館に大事に納めてあります。
それらは、細かく割ったガラスを使い、何千色もの色味を使ってぴっちり貼り詰めて作られ、絵と見紛う仕上がりです。そういう高い技術で悪い例ができてしまったんで、18世紀から19世紀にかけて、絵をモザイクに置き換えるということが常態化してしまいました。モザイクはできるだけ忠実に絵を写し取る、翻訳の役割を強いられることになったわけです。
現在でもこの傾向は根深く、ヨーロッパの作家達は、原画を与えられてそれをモザイクに置き換えるのを生業にしている人が多いんです。もちろん作家自身にも問題がありますが、そういう注文を受けていかなければお金にならないという現実もあります。

絵でできない事をモザイクにしないと、面白くないですからね。(作品を指さして)たとえばこういったモノクロの作品の凸凹した感じは絵では出せません。石を割った面の素材感、石に光が当たったときの反射光、あるいは石に光が吸収されて、さまざまな色や色の階調の違いが生まれます。材料自体が持つこうした表現力は、絵画にはないのです。それに、モザイクを作る前に下絵を描きますが、下絵はやはり絵でしかありません。素材感を含めた下絵は絶対に描けない。逆にそうならいと、なかなか本物のモザイクにはならないのでしょう。

ヨーロッパのような長く重い伝統がない分、自由な制作が可能であっていいはず。ところがそうはなってない。日本のモザイク作家は作品を作ると同時に、なじみの薄いモザイクという技法自体を広めるという役割を背負ってきたので、どうしても伝統的な技法を踏襲しがちなのです。作家自身、ヨーロッパの古いモザイクに憧れていることが多く、その影響を進んで受ける姿勢が見られます。一方、ヨーロッパの作家たちは伝統に挑戦しないとアイデンティティーが確保できないという事情があるので、気がつくと、作家としての姿勢が強い人はずっと先にいるということになります。もちろん、伝統を継承することに専念している人もいます。そういう両極性がいかにもヨーロッパだなと思うのですが…
私はヨーロッパに作家の知り合いがいて、そういう情報を入手しやすいということもあり、今、モザイク会議のニュースレターや会報を使って、日本にせっせと現代作家の作品の紹介をしているところです。やっぱり作家自身が新しい作品の情報に触れて刺激を得ることが必要ですから。
じつは、このところ、日本でもデザイナーが書いた下絵をモザイクに置き換える風潮が増えつつあります。ですが、モザイクを知らないデザイナーの原画をモザイクにするというのは、いろいろと複雑な問題を含んでいるのです。これはどの国の作家にとっても同じことで、みな「それではいけない。モザイク作家自身が原画を作るようにしないと、モザイクの質は上がっていかない。」と口をそろえて言います。まずは、モザイク自体をもう少しアピールすることが、全体的な課題ですね。
たとえば、彫刻を絵画として見られたら彫刻家は困っちゃうでしょ。そのくらいの差がモザイクと絵画にもあるのですが、その差がなかなか伝わらない。

モザイク壁画も、あっ、ここに絵があるなという見方をされるのでなく、徹底的に建物と一体化していればいいんです。なんかこの空間の表情が他と違うな、と感じられるくらいに。たとえば壁紙を貼るようにモザイクを貼るとかね、そのぐらいの意識で使われていれば、むしろ質は上がっていくんです。空間構成の一要素としてモザイクがうまく使われていたらそれは絵画と違う表現ができ、表現として質の高いものができる可能性があるのです。

最初は油絵でした。それから壁画、フレスコ、ステンドグラスをやって、モザイクをやってみたら面白くなった。モザイクは表現の可能性がすごくあるんです。たとえは油絵を描いている人はたくさんいて、僕がやろうと思っていることをもっと上手にやれる人がいっぱいいるわけです。ところがモザイクには開拓の領域がまだまだ広がっている。独自の表現言語を使っていろんなことができる。作っていて手ごたえがあるんです。
でも一番大きいのは、材料との相性ですね。石を割ってて面白い! これはねぇ、仲間もみんなそう言うんですよ、石を割るのが面白いって。ちょっとやってみませんか?

そこがいいんですよ。割って、思いがけない形に割れてしまっても、今度は不定形の以外な面白さが生かせたりするわけです。もちろん、石を割るコツはありますし、思い通りの形や大きさに割らないと、全体の統一感が生まれません。でも、あまり同じ大きさにしてしまうと、面白くなくなってしまうんです。貼ったときの石の高低をわざとつけたりすることで、作品に表情がでてくるんです。

緑・青・赤といった色の石もありますが、僕はより自然に近い色の石が気に入っています。逆にいうと、使える石や石の色味に制限があるからこそ、石の素材感を生かした表現が生まれてくるのです。
主に使うのは大理石です。大理石は、石灰岩が熱変成を受けて再結晶したもので、やわらかく加工しやすいのです。あとは、どういう表現をしたいかで、使う石が変わってきます。たとえば、細かい繊細な絵であればそのように割れる石じゃないとだめですが、石の表情をメインに置きたいのであれば、どんな石でも、それこそ川原の石だっていいんです。でも、あまりに脆い石は駄目です。ボロボロにくずれて、思うような形に割れないと困ってしまいます。

ラピスラズリは使いますね。トルコ石は使いません。妙なもので、高価な石を使うと絵が安っぽくなるんですよ。何でだろう。よく宝石を組み合わせて鳥や動物をテーマにモザイクを作る人がいるんですけれど、あまりよくない気がします。材料に引っ張られすぎちゃうのかな。
日本でも採れるのですが90パーセント以上は輸入ですね。イタリア、ギリシア、ブラジルなどから輸入されたものを東京の石屋さんから買います。もちろん日本の石も使います。岐阜の石屋さんから建築用に加工したときに出る端材を安くもらってきたりするのですが、東京に運ぶと諸経費でずいぶんかかってしまい、石そのものの値段をはるかに上回ってしまうんです。面白いことに、カラーラというイタリアの北部の町まで石を買いに行ったことがあるのですが、イタリアから船便で送ったほうが割安でした。
ありますけど、そんな偉そうなもんじゃないですよ(照れながら)。よく哲学的なことをテーマにするのですが、「だからどうなの?」って言われると困ってしまう。何を意味するかっていうのは、作家本人以外はあまりうかがい知れないというか… よくいますよね、「平和がテーマ」と言ってもそれは本人が言ってるだけで、ホントに平和をテーマにしたいのなら、絵なんか描いてないで、PKOでもやった方がいいわけで。だから、いわゆるテーマっていうのはあんまりあてにならないと思います。
と、言いながら、今度、池袋の東京芸術劇場で開催される『平和美術展』でお手伝いすることになりました。縦2.25m横5.1mのパネルに新聞記事を使って地球画像をモザイクにしています。背景となる部分は一面に戦争の記事が貼ってあります。展覧会場に来てくれた人に、その上にさらにチラシやお菓子のパッケージを貼ってもらって虹色のパネルにしてしまおう、という企画です。

及ばずながら(笑)…
話を戻しますと、一応、僕は今、素材をテーマにしてます。ガラスピースを組み合わせて、強烈な青と白の対比を表現してみたり。色数を極端に減らして、石の表情だけで作品を作ったりしています。
じつは、数学に興味があるんです。ゲーテルの不完全性定理の解説本にかじりついてみたり、フラクタルやトポロジー空間にも興味があるのですが、とても理解できているとは言えないですね。ただ、モザイクをやっていると、カオスから秩序へといった、空間の持つ数学的秩序を表す作業に似ているなと感じることはあります。

-喜井さんの作品:『傾いた階段』-
第3回国際モザイクコンクール2席入賞
そうですね、これまで、公共建築の装飾をメインにやってきましたが、もっと個人も視野に入れた作品作りをしたいです。今、小品をいくつか作ってますが、画廊で個展を開いたり、テリトリーをアグレッシブに切り拓こうと思っています。
それから、7年ほど前から日本のモザイク作家が集まってモザイク会議というものを開いているのですが、みんなで刺激し合って、新しいモザイクアートの時代を築きたいと考えています。
今、「モザイクマップ」を作っているんです。これは日本にある何千というモザイク壁画を紹介していこうというものです。壁画の多くは建物の中にあるのでみんな気付かないのですが、このモザイク会議にはそれらの制作者がたくさんいるので、データを寄せ合って、地図にしているんです。
うーん、高校生か… 高校生のころ、もっといろんな世界を知っておきたかったな。高校生のころ世の中にもっといろんな仕事があるのを知っていれば、違ったことをしていたかもしれない。僕のころはサラリーマンか研究者か、漠然とそれぐらいの仕事しか知らなかったんだよね。僕が今こうやって、作品を作って売って生きていけてるなんて不思議だもの。
ただ、こう楽しみながら生活しているのは幸せだと思います。1日中モザイクをやっていて、ちょっと飽きることはありますが、嫌になったことがないんです。こういう石を10万個割るのはいやだけど、千個割るんだったら、楽しくてしょうがないですよ。好きだから飽きない。楽しいから努力が努力じゃない。

うーん、個人差があるし、あとはたまたまなのかな。たとえば男と女の出会いもたまたまだろうし。自分の能力を冷静に分析した上でこの道に進もうって判断するのは、運動選手ぐらいじゃないかな。それ以外はよっぽど偏った能力の育ち方をしていないと、高校生ぐらいで自分が何に向いているかなんて判断つかないでしょう。
自分がやっていて楽しいことを見つけるしかなくて、それがたまたま仕事としてもうまくいけばいい。僕の場合、石という素材そしてモザイクという表現が自分にとても合っていた。もっと根本的には、自分の中で求めている哲学に合っていたのかもしれない。そう偉そうに言えたもんじゃありませんが。みんなにもそういうものがすぐに見つかるかどうかはわからないけれど、見つかった人は、人に言われるまでもなく、いつのまにかその道に生きているということになるのかも知れませんね。

ありがとうございました。(柔和な笑顔と、気さくな語り口のなかに、哲学というかたい信念と柔軟な創造力を感じたインタビューでした。)
Toyoharu Kii
喜井 豊治
愛媛県生まれ、東京芸術大学壁画研究室修了。1980年イタリア政府奨学金留学生として渡伊、帰国後モザイクを中心に壁画家として作品を作りつづけている。2000年フランスで開かれた第3回国際モザイクコンクールで2席に入賞。2000~2002年モザイク会議議長、国際現代モザイク作家協会(本部イタリア)運営委員。東京国分寺駅前の教室(壁画技法教室「マーノドーロ」)で一般の人向けにもモザイクアートを教えている。
喜井豊治さんのアトリエサイト:
http://www1.ttv.ne.jp/~sosos/
※東京芸術劇場(池袋)で開催される『平和美術展』に喜井さんのチラシモザイクが展示されます。ぜひお越しください。
2002年8月10日(土)~14日(水)