

Kanta Hani
羽仁 カンタ
64年東京生まれ。高校卒業後、専門学校を経てアメリカのノースイースタン大学に入学。在学中に環境問題に関心を持つ。94年よりフジロックフェスティバル、レゲエジャパンスプラッシュなど野外フェスティバルでごみ削減、リサイクルなどの環境対策事業を行っている。
羽仁 カンタ さん(NGO「A SEED JAPAN」理事)
フジロックフェスティバルを世界一クリーンなイベントと参加アーティストに言わせたのは、見事なごみの分別回収だった。 ボランティアの活動だけではできない。観客の自主的な意志によるものも大きいという。
そうした流れを結果的につくったのはA SEED JAPAN(注)を91年に立ち上げた羽仁カンタさん。
世の中を楽しくするNGOの可能性についてうかがいました。
野外イベントでのごみ分別などの活動を行う「ごみゼロナビゲーション」を始めたのは94年。きっかけはレゲエが好きで野外コンサートにも行っていたんだけど、すごくごみが多かった。それに痴漢や喧嘩も多くて…。レゲエはラブ&ピースな音楽なのにどういうわけだろうと思って主催者を訪ねた。そこで「ステージからごみ袋を配る方法とかありますよ」と提案したら、会社の部長さんも環境問題に関心があったらしく話していくうちに「だったらやってくれないか」と逆に頼まれて…、それでA SEED JAPANの運動としてボランティアを集めて始めたわけ。

1年目は集めた空き缶が800キロほどで大成功とはいえなかったけど、いまは空き缶だけで5トン、ペットボトルも5トンくらい集めてるね。
外国人のアーティストはイベントの終わった後、けっこう会場で遊んでいたりするんだけど、日本人からすれば誰かわからない。彼らがうちらの活動を見たりするうちに「フジロックはきれいだ」と言い始めて、海外メディアもそう報道し始めた。
野外イベントでの活動は年に18本くらい行っていて、僕らの活動は非営利なんだけど、そうした事業を行うことでスタッフに一日のギャラが払えるくらいの仕事としてようやく成立できるようになった。
ただ、僕らは下請けじゃない。あくまで主催者と対等な関係で臨むからお金をもらっているけど、言いたいことは言わせてもらうスタイル。利害で動くわけじゃないし、主催者側と一緒に楽しいイベントを作りたい。だから、フジロックでは主催者に提案し、NPOやNGOのブースを出したり、オーガニックカフェを運営したりとかしている。商業イベントでも出会いの中で相手もわかってくるし、変わっていくもんだと思う
そうだね。アメリカ社会は、企業と行政と非営利セクター・市民活動で成り立っているけど日本は政官財。後は税金払っていればいいんだといったもんでしょ? それは間違っているよ。アメリカでは、大学生が社会的活動を行うことに人は協力的だけど、日本では未熟だから社会問題やるなんておこがましいと言われる。それはおかしい。"おまえが胸につけている企業のバッジを外してもいまの人格でいられるのか"。上からものを言う人を見てそう思ったね。だから日本の市民セクターを強くしなきゃと考えた。
環境問題に取り組む側にも、政治家になるとか役人になったりして大衆を操作するなんて考えの持ち主はいる。白人で男のエリートはそういうトップダウンをのぞむんだけど、有色人種や女性というマイノリティは草の根運動を志向するね。僕はそっちのほうが居心地よかった。大衆こそ力だと思っていたからね。

確かに社会問題と言えば、人種問題だとか無数にあるよ。でもひとつづつ取り組んでいったら自分の人生80年あっても間に合わない。で、何か共通点があるんだろうと思っていて、探しているうちに環境社会学と出会った。
「白人は黒人より優秀だ」「男性は女性よりえらい」。やっぱりそう思う人はいるわけで、これは論理的に説明しても、制度を変えても心の中の問題だから変えられない。でも水や空気、太陽光線がだめになったら、これは人種の隔てはないから白人だろうが黒人だろうが、みんな被害を受ける。環境問題への取り組みならいろんな人が協力できるんじゃないかって思ったわけ。
いや全然。どっちかと言えば"うざってぇ"と思っていた。でも家が社会問題に取り組む一家で、爺ちゃん(歴史学者の羽仁五郎氏)は学生、市民運動に関わった人だし、母親もそういう爺ちゃんに育てられて保母さんをやりながら、国に対し待遇改善を訴えるデモに参加するとか、そういう環境で育ったわけ。だから小さい頃は「そんなの関係ねぇよ」と思っていたし、興味があったのは映画で小学生のときでも年に50本くらい見ていた。
高校生のとき、映画研究会をつくって好き勝手に映画を撮っていたね。で、日大芸術学部に行こうと思ったけど不合格。専門学校に行ったんだけど、授業の内容は「そんなのもう知っているよ」という内容だったので、会社に就職した。4人くらいの小さいサークルみたいな会社なんだけど、そこでビデオカメラマンと編集を1年くらいやるうちに、やっぱり日米のハーフなもので、アメリカへ行きたいなという思いが湧いてきた。それからフリーランスのカメラマンになって仕事をしながら英会話を学び、ボストンの大学へ留学した。社会で疑問に感じたことを撮りたくて、それを世の中に提示したいという思いはあったから、初めはジャーナリズムを専攻した。

文章の書き方とかそんな内容だったからつまんなくて…、いろんな人に相談した結果、僕のやりたいことは社会学部にありそうだとわかった。そしたら当たりで、公民権運動の歴史とか南北戦争から幼児虐待問題まで扱っていて、そうそうこれが勉強したかったんだよって感じだった。
それで、あるとき大学構内を歩いていたらサークルの勧誘をやっていて、立ち止まったのが環境サークルだった。話をしているうちに、そういや母親が酸性雨がどうとか、添加物がどうと昔から言っていたなあと思って、ちょっと興味を持ったので入ったわけ。そしたら、これがすべての社会問題に通じるところがあるんだと気づいたんだ。
それからは学内で再生紙の使用を促したりとか、熱心に活動するようになったんだけど、大学の先生に見つかっては「おまえ授業さぼって何やってんだ」と言われてさ。
でも「僕の話を聞いてくれよ。ボストンの川はこれだけ汚れていてるんだよ」と話をして出席を免除してもらったこともあったね。そうこうするうちに「環境問題を社会学的な視点で捉えたい」と仲のいい先生に相談したら、それならそういう学科をつくればいいとアドバイスをもらった。そういう制度が向こうにはあって、だから環境社会学科というのは、僕が企画書を提出して設立したんだよ。
サークルが全米学生環境行動連合に加盟していて、そこのボストンのリーダーになったんだけど、92年のブラジルでの国連環境開発会議に青年の声を届けようという国際キャンペーンを世界50カ国で行うことになった。で、僕が日本人だからアジアを担当してくれと言われた。嫌だと断ったんだけど、親に会う機会に日本でちゃんとやってくれそうな団体を探そうと帰ってきた。そしたら日本にはそういう青年団体がないに等しくて、日大と法政、東大と大学を越えたインターカレッジのサークルに話して、いっしょにやろうと持ちかけ、いくつかのサークルが参加するプラットフォームを91年に立ち上げた。これがアシードジャパンキャンペーン。
任務遂行できたと思い、アメリカに帰ってきたらいろいろ日本で問題が起きていて、それを先生に相談したら「単位やるから行ってこい」と言われ、それで日本に戻った。8ヶ月間活動をしてアメリカに戻るつもりだったけど、そのままいるわけだ。

というか、とにかくボロボロだよ。水俣病でまだもめていたし、企業はのさばっているし、市民運動はないに等しい。これはだめだと思ったね。本当はもっと勉強してからプロの活動家になろうと思っていたけど、勉強より体験したほうがおもしろいなと考え直した。

大企業に就職したら物心ともに搾取されるだけだ。これは強調しておきたいよ。非営利活動で食べていくのも面白いと思う。それに金は手段だから、得た金で何をするかが大事でしょ? 貧乏と金持ちのどっちかがいいかと問われたら…そりゃ金持ちだけど、3食食べられて、彼女に飯でもおごってあげられるくらいの、そこそこの金があれば僕はいいね。
でもさ、就職しても会社潰れてるじゃん。銀行だってそうでしょ。だったら起業するのもいいし、街角で弁当売るのもいい。僕もある意味、季節労働者で冬以外はイベントで忙しい。だから給料を10ヶ月もらって、後の2ヶ月は休んでる。そういう働き方があってもいいと思う。
これまではアメリカで学んだノウハウと実践、日本で積んだ経験で環境対策運動などを行ってきたわけだけど、でできなかっったこともある。それは自分たちの活動の一般化と雇用を生めなかったこと。
そのふたつを解決するために音楽イベントで非営利事業としてごみ分別なんかを行っているわけだけど、一般化について言えば、WOWOWやスペースシャワーTVが様子を撮るときは、5分でもいいから活動を紹介してもらったりしている。音楽イベントというメジャーなカルチャーの中で環境問題やNGOの存在について、数万人の入場者の前でスピーチすれば、彼らが日常に戻っても環境に気遣おうという意識を持ってくれんじゃないかって思っている。

アーティストとのコラボレーションで環境問題を来場者の前で話せばもっと一般化していくと思う。でもね、相手が誰であれ「お願いします」と媚びるのはいやなんだ。対等な人間関係が好きだから、目上でも目下でも話すときはオレ。そのほうが楽だ。そういう関係で賛同者は増やしたい。
振り返ると…やりたいことをやってきたね。親と先生の意見は聞かなくていいと思うよ。自分の心と友だちの意見を聞いていればいい。ただし、自分だけで考えるのはよくない。社会が見えないのに自分の中で幻想を抱いても仕方ないからね。現実の社会と接している友だちやバイト先の兄ちゃんとかの意見を聞くのはいい。でも決めるのは自分だ。他人の意見は所詮他人の意見。自分のことは自分しか分からない。
あとは外見にとらわれないことかな。カッコつけても実践がともなわいとむなしい。
昔は安定していること、企業のバッジをつけることが格好良かったかもしれないけど、これからの時代はフリーでやりたいことをやるほうが格好いい。人の意見は聞くけど依存しない。素直に本音で行くのがいいんだと思うよ。

Kanta Hani
羽仁 カンタ
64年東京生まれ。高校卒業後、専門学校を経てアメリカのノースイースタン大学に入学。在学中に環境問題に関心を持つ。91年「A SEED JAPAN」設立。94年よりフジロックフェスティバル、レゲエジャパンスプラッシュなど野外フェスティバルでごみ削減、リサイクルなどの環境対策事業を行っている。主な著書に『NG0運営の基礎知識』(アルク出版)、共著『非戦』(幻冬舎)。
A SEED JAPAN:
http://www.aseed.org/
注)A SEED JAPAN
Action for Solidarity Equality Environment and Development
(環境と開発と協力と平等のための行動)
青年層に環境・社会問題を喚起するべく様々な活動を行う。
92年の国連環境開発サミットをきっかけに発足。
【羽仁 カンタさんの本】

『非戦』坂本 竜一監修
Sustain ability for peace監修 (幻冬舎)

『市民活動のための実践ガイドブック-NGO運営の基礎知識』
A SEED JAPAN / POWER 共編
(アルク出版)