

Yoko Tada
多田 容子
1971年、香川県生まれ。兵庫県尼崎市に育つ。93年、大学卒業後、保険会社に入社。同年12月退職、作家をめざす。96年、97年、98年 に、時代小説大賞(講談社・朝日放送共催)の最終候補となる。99年、剣豪小説 「双眼」(講談社)でデビュー。
多田 容子 さん(時代小説家)
時代は変わっても根強い人気を誇る剣豪小説。
窮地で発揮される主人公の強さ、胸躍るストーリー展開が魅力なのだろう。
がしかし、読んでいくうちに疑問も芽生える。
往時の武士はどのように刀を振るい、死地に望んで何を考えていたのだろう。
そうした問いに取り組んでいる小説家、多田容子さんにお話をうかがいました。
そうですね。まぁ、時代小説をしかもチャンバラをつっこんで書く女性がいないのは確かなようです。そうしたことから評価して下さる方々もいるんですが、そういうジャンル上の理由だけというのもどうかと思います。内容のよしあしと関係ない話ですからね。でも、それはあまり気にならなくなりましたけど。

作品を偏った角度からみて決めつけられるのは困りますね。『双眼』は実は時代小説大賞に応募していまして、最終選考で落とされたんです。そのときのコメントに「柳生十兵衛ほどのメジャーを扱うなら、何か新しい視点を加えないと駄目だ」といったものがあったんです。それは非常に不本意でしたね。10年以上、十兵衛の眼についてあれこれ考えた上で書いた作品でしたから。結果的に発表してみると、「新しい十兵衛像をつくった」という評価をいただきました。応募時と比べ、細かい手直しはかなりしましたが、要するに読み方の差だということがよく分かったのです。
※江戸初期の新陰流兵法者、柳生十兵衛は隻眼であったと伝えられる。幼い頃、父である柳生宗矩に潰されたという説もある。『双眼』では、十兵衛の隻眼は視力を失ったものの、虚ろな眼ではなく、見える眼と併せて、生と死を、光と闇を、己の心をじっと見つめる生きた眼として描かれている。
本人の肖像画には両眼が描かれていて、そのことが絶えず気になっていたんです。そんなとき、視覚情報センターという研究所で、左右の目の協調がうまくいかない人の事例を聞きました。そこで「そういう人はこういうふうに世界が見えているんです」と体験できる眼鏡をかけさせてもらった。かけた途端、うわーとなるような風景でした。例えば、指を目に近づけて、ある距離を超えたら焦点が絞りきれなくて、二本に見えますよね。全てがああいった感じで遠近感もない。
そこで、もし十兵衛がこうだったらとひらめいた。父親が彼の目を潰したというのは、事故だったという説もあったけど、兵法者だったら二重にものが見える息子の眼をわざと潰したかもしれない。
テレビですね。小学生の頃はたまに「暴れん坊将軍」を見て、隠密の真似をしたりするくらいだったんですが、中学3年生くらいから、受験勉強のため外で遊べなかったもので、夕方に再放送していた「大江戸捜査網」などを見出してから、はまってしまった。

そういう葛藤は大学に入ってから抱いたので、その頃の私は「忍者がかっこいい」とか思っていましたね。それで大学に入って、それまで縁のなかった小説を少しだけ読み出して、ぼちぼち時代小説を知るうちに、葛藤や心理だって時代物でも描けるんじゃないかと思うようになったんです。
時代劇の主人公はだいたい心理的にも揺らぎがないし、最初から強いでしょう?そういうのが疑問になってきた。高校から毎日のように見始めた時代劇もずいぶん見たので、見尽くした感がある。20歳くらいになったとき、だったら自分で話を作ったらいいんじゃないか、もっと強くなる過程を自分は書こうと考えたんです。
どうでしょうね。ただ、こんなにおもしろいことがあったのかと思いました。それまでなら勉強だと1時間もすれば時計を見てしまっていた。ところが小説を書くと3時間くらい時計を見ないで熱中できた。そういうのは他になかったですね。
それでたまたま周囲に読書好きな人がいたので、読んでもらいました。内容は忍者や剣豪が出てくるものでしたが、いま思うとあんなひどい文章をよく読ませたなと思います。でも周りはおもしろいと言ってくれた。もうちょっと小説らしくするには、とアドバイスしてもらうようになって、どんどん直していったんです。ちょうど時代小説大賞というのがあるのを知ったところでしたから、どうせ書くのならそれを目指そうと。

チャンバラは最初は千葉真一さんなどのアクション的な動きを念頭に描いていたんですが、武術家の甲野善紀氏(「Mammo.tv今週のインタビュー」2001.10.01号参照)との出会いを通じて、変わっていきましたね。『双眼』ではチャンバラの解説が細かく、論文小説などと言われもしましたが…。
女性観については、これまで偉大な時代小説作家が多数現れましたけれど、江戸を描いていても昭和のにおいなどが立ち上ってくるわけですね。"男女の機微がすごくうまく描かれている"とされているところを読んでいても、ちょっとした描写で自分の感覚とのギャップを感じる。そういうのが段々気になるようになりました。古典ではないので、本当の江戸の女性を描こうなどと意気込むつもりはありませんが、読者である現在の女性にとって、なるべく引っかかりが少ないものを書きたいですね。

学生のとき、居合を始めた友達が京都の演武会に誘ってくれたんです。「柳生新陰流も来るらしいよ」と。そこで日本刀を振る演武を見たらやりたくなって、その場で開かれていた刀の市でさっそく居合刀を買い、4回生から大学の居合道部に入部しました。以降、いろいろな武術を体験しています。
文筆で生きていこうとは思っていなかったですね。とりあえず働こうと思っていました。

テレビっ子の自分が文芸と縁があるなどとは、なかなか思えませんでした。ゼミの教官は「大学院へ行けば、社会人よりも融通きくから、あと2年小説が書けるよ」とおもしろい助言をしてくれたんですけど、進学となると試験を受けないといけないでしょう。私は経済学部だったんですけど、ほとんど勉強をしていなかったし、興味を持ち切れなかった。いや、そもそも高校のとき何も考えていなくて、経済学部なら就職も何とかなるだろうくらいで決めましたから。そのときは、ただ受験勉強をして、時代劇見ていただけでしたね。
まあ、就職しましたが、近代的なビジネスモデルには向いていなくて、すぐ辞めました。別に勇気があったわけじゃなくて、疲労困憊しただけで、これ以上いたら死ぬかもと思って辞めたんです。
そうですね…パワー不足ですかね。例えば、これまで力で押し合うような作用、反作用の対立関係に陥った場合は、ほぼ間違いなく負けてきたんですよ。学生時代はよく議論をするもので、私もついよくしゃべる方なのですが、そこで自分なりの意見を言ったら「それは今、議論していることじゃない」と時々言われました。知らない間に議論の本題から外れる。そういう自分は駄目だと思っていたんです。何より体力と気力がないんで、後で疲れるんです。

議論が脱線する癖は、文脈を読めない自分が悪いと思っていましたが、そうでもないなといまは思います。頭の中でやっているジャンル分けの仕方や、物事の関連づけ方が人と違うだけかもしれない。議論といったら、相手をうち負かすことを目的にしがちです。でも武術と一緒で本当の議論の術は、対立していると相手がまったく思いもしないように進めていかないと、術として成立しないんじゃないか。自分の言いたいことを伝えるにしても、対立して、押し合っている感じが生まれたらもう終わりだと思います。
最近思うんですが、20世紀は心と体が対立したり、勝つ負けるの二元論の世界だった。かといって、それではいけないとふたつを統合しようとして、うやむやにするのも無理を感じます。ただ、私はなんとなく作用・反作用の対立ではないものを常に求めていますね。
強いこと自体にあまり興味はないんです。苦手なのは天然で中途半端に強い人。あつかましい人と言うか…、そういう人は何も考えなくても強いでしょう? 本来、人は弱いから何とか工夫して渡り合えるようにと考えるわけで、そういう意味で後天的に獲得した強さのほうが好きですね。それも相手がしょんぼりしてしまうような勝ち方ではなく、相手も喜んでいられる状態をつくれるような強さには関心あります。
言葉にしたら終わりとか、言葉にできない世界があるのは、感覚としてわかりますが、なにがしかの実感があるなら何とか言葉になるもんだと、そういう楽観を持っています。言葉にしない美学や重みは大事でしょう。でも、行間で読ませようとするあまり、自分の中でもあいまいになり、読者に伝わらないということもある。それだと実感や内容まで消えてしまう。
だから私は体の実感についても、とりあえず書いてみて、言葉にしていきたいと思いますね。

Yoko Tada
多田 容子
1971年、香川県生まれ。兵庫県尼崎市に育つ。93年、大学卒業後、保険会社に入社。同年12月退職、作家をめざす。96年、97年、98年 に、時代小説大賞(講談社・朝日放送共催)の最終候補となる。99年、剣豪小説 「双眼」(講談社)でデビュー。最新刊は「秘剣の黙示」(同社)。居合道3段。ダウンタウン、松本人志氏の大ファン。
Official Site:
http://homepage2.nifty.com/tada-yoko/
【多田 容子さんの本】

『双眼』(講談社)

『柳影』(講談社)

『やみとり屋』(講談社)

『秘剣の黙示』(講談社)