

Koh Nagata
永田 紅
大津市出身。13歳で「塔」入会。97年、第8回歌壇賞。受賞作は第1歌集。現在京大大学院農学研究科博士課程在学中。毎日歌壇選者の河野裕子さんと歌人・永田和宏さんの長女でもある。
永田 紅 さん(歌人)
時代の違いはあっても人が歌に託す思いは変わらない。
短歌という31文字で現代を捉える永田紅さん。
彼女の歌集『日輪』は2001年、第45回現代歌人協会賞に選ばれた。
伝統や古典とだけ考えられがちな短歌という型でいったい何をどのように歌うのか、その心模様をたずねた。
最近では現代短歌でも朗読は流行っていますが、私はやっぱり目で読みます。実際に声に出すことはあまりないですね。

その辺をふらふら歩いていて思いつくというわけではないんですね。夜中にパソコンの前に座って、短歌のモードに入って考える。私の場合は、そういう助走の時間がすごく必要なんです。きれいなものを見たら瞬間的に歌ができるのでしょう、と言われますが、そういうわけではないんです。短歌をつくるにもそういうモードがやはり必要です。
昔は手書きでしたが、最近はパソコンですね。手書きの場合も歌の断片をメモして、くっつけたりしていたので、基本的な作業は変わっていないです。いまはパソコンのモニター上で書く人は多いと思います。ちなみに母はいまでも鉛筆に原稿用紙、父はパソコンです。それが作風に影響するかどうかは…どうでしょう。やっぱり便利だということでみんな使っているんだと思います。
それはいろんな場合があって、映像で見えるときもあります。旅行したときの、外国のなんでもない街角の様子がふっと見えたり。また、言葉を世界に飛ばして、つかんできた言葉からおもしろい世界ができてきて「ああ、こういうのもあるんだな」と、自分でびっくりすることもあります。感情を煮詰めるというと変ですが、そういう感覚ですね。

確かに身近にありましたから、ふつう抱きがちなイメージのように短歌が古いものだとはまったく思わなかったです。でも、身近にありながらも、つくったことはなかったんです。小学校の宿題でつくったりしたくらいなものでした。
ところが、中学にあがる前の春休みに突然兄が「つくりたい」と言い出して、それにつられて私も、となったんです。

そのときなんで歌をつくろうと思ったのかは覚えていないです。とにかく全国に短歌結社があって、そのうちのひとつに父親が関わっていたので、そこに入会しました。毎月10首を会へ送って、そこで選歌された歌だけ雑誌に載せてもらいました。
中学になり、それまでと生活も変わったので、表現手段を得たことが楽しくて、なんでもかんでも5・7・5・7・7にあわせて、歌にしていましたね。短歌でなければいけなかった理由なんてないんでしょうけど、新しい世界を得たという感じだったんでしょうね。
何も短歌ばかりに興味があったわけではなくて、少女漫画も好きで萩尾望都を読んだり、あとは宝塚に通ったりしていました。空想的なものが好きだったんでしょう。お気に入りのスターの退団公演は出待ちもしましたよ。
歌については高校時代は怠けてました。受験もあって、つくらない時期がありました。でも、怠けていた頃を思うと、そのときの時間そのものまでがなくなってしまったような感じを持っているんですね。過ぎてしまった時間の実感がない。歌をつくる作業をしていると、時間におもりをつけるといいますか、時間の実感を確かめて形に残していく感じがするんですね。振り返ると、つくづくそう思います。

10代ではじめたものですから、ツボを抑えるということは早くにできました。一首つくるにしても、ある目立つ言葉をひとつ置けば、あとは流して全体のバランスを整えるといった、小賢しいテクニックは持っていました。でも、そういうことばかりしていると、歌に込める実感がなくなるんです。何か違うな、という息詰まる感じを持つようになる。
テクニックは、表現する上で絶対に必要だと思いますが、それだけではないですね。思い切りというか、自分を開いてやることが必要です。特に短歌は「ワタクシ性の文学」と言われています。作者自身につながる部分があるので、自分を出す恥ずかしさはありますが、そこをどう思い切って開いてやるか。実感でつくる。実感の迫力が必要だと思います。

私の作品については、「透明感がある」と評されていますが、それだけで終わりたくないんですね。もっと形に出せないけれど混沌とした迫力、わけのわからない力が欲しい。それはいまは歌に出ていないけれど、自分はそれを持っているんじゃないかなぁと思っています。「日輪」というタイトルも、わけのわからない力を得たいという意味であえてつけました。
母が言うには「どんな思い切ったこと、大胆な表現をしても短歌という型が守ってくれる」。型が守ってくれるんだ。そう頭では納得していたんですが、なかなか実践できていませんでした。最近になって、優等生的な作り方では息詰まるし、それが破れないとだめと気づきました。

99年から1年間、短歌の雑誌で連載を持ったんです。日付のある歌というもので毎日歌をつくらなくてはいけない。1ヶ月間に4、50首つくらなくてはならなくなりました。それまでは細かいところに目をとらわれ、寡作だったんですが、いやでも数をつくらなくてはならなくなった。でも、数をつくることは大変でしたが、量をこなすうちにいろんなものが見えてきて、自分を開き安くなりましたね。
表現した結果やその過程で新たに得られることもありますよ。よく感受性が強いから歌をつくれるんだと言われますが、それも半々で、自分の作品が次のステップになりもします。作品が自分を照り返すと言えますね。
短歌は詩的な言葉でつくらないといけないという強迫的な考えを昔は持っていました。最近はそれだけでもないなと思っています。もっといろんなものを取り混ぜながら、混沌としていいのではないか。ヒリヒリした、精神の先っぽを目指すものだけではないなと。いまは、その時々でいろんなふうに変わっていければいいかと思っています。若い頃はとかくとんがったものがエライ、人と違っていないとだめだと思いがちですが、そうした肩の力が抜けたんでしょう。

理系の世界もおもしろくて好きですね。昔はお味噌汁を食べるにしても、貝を分解しながら食べたりしていました。
私は数学が苦手で理系をあきらめていたんです。けれど、高校の倫理の授業で、人間が考えることのおもしろさを知り、考えるってなんだろうって不思議に思ったんです。それで生命現象に興味を持って、それを科学のほうでやりたいと理系を志望したわけです。いまは毎日実験室で大腸菌を培養してDNAやタンパク質を扱っています。
どうなんでしょう。でも歌をつくるにしても、どちらかといえば分析するタイプですね。対象を見て、それが自分に返ってきて、その気持ちを分析して、うじうじするという(笑)。
うーん、私は作風として新しいタイプではないし、私なりに淡々としていたいとしか考えていませんから…。ただ、短歌は31文字の短い詩型だから表現する上で窮屈だと思われがちですけれど、そこに言葉を入れることでかえって広がりを得られます。それは定型の持つ力だと思います。かといってギュウギュウに詰めればいいのではなくて、短い中にもゆったりと間があることで広がりが生まれる。
10代でそうした表現形式に出会えたのはよかったと思いますね。歌をつくっていなかったら、いまの自分とは全然違っていただろうから、それを考えると少し怖くなります。
いま世の中では表現することに価値があって、表現すればすぐにアーティストとされます。その一方で友達から「自分の内面を表現して見せられるのは気持ち悪い」と言われたことがあります。確かにそう言われたらどうしようもないので、ごめんなさいというしかないんですが、でも、なんで自分は表現しているのかと考えると、わからない。わかっていたらきっと歌をつくっていないと思いますから。いまはとにかく迫力のあるものを得たいとしか考えていないですね。

Koh Nagata
永田 紅
大津市出身。13歳で「塔」入会。97年、第8回歌壇賞。受賞作は第1歌集。現在京大大学院農学研究科博士課程在学中。毎日歌壇選者の河野裕子さんと歌人・永田和宏さんの長女でもある。
永田 紅 さんの歌集『日輪』 より:

『日輪』(砂子屋書房)
人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
のびやかに君の歩幅は繰りかえすメビウスの輪の上歩まな
両岸が離れていかぬために橋を架けると思う試験終わりて
十代はうしろを向きて進みたり 眩しすぎる戸外のように
二十年同じ一個の脳をもち私はつづく、夢を見ながら
眼が覚めてもう会えないと気づく でも誰のしずかな鎖骨だったか
ガラス棒でつつけばやさしく結晶はくずれあなたは現実すぎる
二十代湯水のように怖ければまた泣きもせむ日輪の下
教室にずっと眠りているような記憶をもちて人の老いゆく
友だちが完全な円をなしており今は草地のようなはかなさ