

Naito Yamada
やまだ ないと
漫画家。1987年『ヤングマガジン』誌(講談社)で活動開始。この頃の作品に「王様とボク」などがある。93年以降「フレンチドレッシング」など多数発表。また96年頃からコンピュータでぼかした線、バンド・デシネ(仏語圏のマンガ)を意識した独自の画風で注目される。
やまだ ないと さん(漫画家)
見慣れた日常が突然、見たこともない風景に見える そんな瞬間がある。
やまだないとさんは、おしゃれな恋や激しい性愛の物語を紡ぎ出す中で、そうした神話的な時間をかいま見させてくれる作品を次々と発表している。
やまださん自身は日常にどんな風景を見てとっているのでしょう。
うーん、それは意外ですね。もともと暴力を描く必要はないと考えていますから…。暗黒小説云々も、恐らくフィルムノワールの文脈で言われたんでしょう。ですが、『エロマラ』を描いていたときは、いろんなことがクリアになっていたから、とりたてて人の心の闇や暴力を特別視していないんですね。そういうものは私や隣人にも、誰にもあるわけですから、それを伝えたいとは思っていませんでした。ただ、載っている雑誌や取り上げられ方でそうなるとは思いますが。

それ以前は商業的な作家にならなくてはいけない、描くものも商業漫画にならないといけないと思っていたのですが、そうなるには技術が伴わなかったのです。『エロマラ』では、これが描きたいという思いと、こういうものは描けるんだという技術とが合わさった。それ以前は技術がなくて、後回しにしていたものをその作品では描くことができたと思っています。
確かに中学生の女の子が中年の男にペットみたいに飼われている話を描いていましたが、それは「女の子が酷い目にあっている」とか「薄汚い男の醜さ」を描きたいというのではないんですね。これは女の子が読めば素直にわかるのかもしれないけれど、あれは主導権は女の子にあるんですね。彼女は力や、決して金、暴力に屈しているわけではない。そう考えるのは、女の子は性的なものを自分からは求めないという思い込みを抱いているからじゃないでしょうか。
例えば、援助交際をしている女の子を指して「あの子たちは本当は寂しくてああいったことをしている」だとか、「世の中が悪いからあんな売春をするのだ」と言いたがります。そうではなく、女の子というのは先に行ってしまうもので、売春もその現れでしかないんだと思いますね。
自分たちがいつまでもきれいなままでいられないことを知っているから、自分たちの意志できれいな時代に終止符を打ちたい。人から「おまえはきれいでなくなった」と言われる前に自分たちで汚したいという気持ちがあるものだと思います。一見すると強いられた関係も、大人が彼女を汚すわけではなく、自分がいつか汚れるのを知っていて、だから人から言われる前に自分の力で先に歩を進めてしまう。
女の子の中には、そういうことを夢物語のような憧れとして受け取っている人も多いと思いますよ。そのようにして自分がきれいだった少女時代を捨てる。それはある意味での理想だと思いますね。

自分が女の子の立場になって描くと、とてもあざといものになるんですね。「私はこのように美しい心を持っている」といったことを描くのはプライドが許さない。そういうのは他人に語られてはじめて成立する物語だと思います。
語る人ではなく、語られたいんだという夢。そういう子たちが時に「不思議ちゃん」と言われますが、そんな子の気持ちは痛いほどわかりますね。
寄せられるメールや手紙の中には、「漫画の中にいるあの人物は私です」と書いて来る人もいます。それは10代よりも20代に多いですね。たぶん一番きれいな時代を語られなかった子でしょう。
女性には実はそういった人が多いのだと思います。そういう人が語る仕事に就いたとしたら、癒されるかもしれない。そうでないと、自分が語られる理想の物語をずっと探していないといけない。それはなかなか辛いことだと思いますね。
まあ、自分は語る仕事に就いてしまったので、自分の役割はそうした子たちの語られたいことを代わって語ることだろうと思っています。

確かに私も10代の頃はありましたね。自分は他の人と違うはずと思って…、"はず"というのが悲しいんですけれど。「同じじゃないはず」と思っていましたが、よく考えれば、みんなと同じと思っている人なんていないですよね。「私はみんなと違う」という思いを抱く時代は誰にもあって、でも「みんなもそれを思っているんだ」とわかることで語る側にいけるんでしょうね。
漫画を読むのが好きなら、落書きも好きで、空想も好き。高校では脚本が書きたくて演劇部に入りました。卒業して映画学校にも行きましたが、かといって映画をやろうとも思わず。芝居をやってもこれだと思えずに過ごしていましたね。中途半端だなと自分でも思っていました。けれど、その一方で、それでもこの状態を止められないということは、たぶんやるべきことにまだ出会っていないのだろうなと思っていました。そうするうちに漫画を描くことに行き当たって、ああこれだったんだなと思ったんです。

漫画家になったのは、福岡の高校で寮生活をしていた頃、投稿したことがきっかけといえばそうですが、そこでの漫画を描く行為は、外の世界とつながるひとつの手段としてであって、職業として意識したわけじゃないんです。その後、ビデオの会社に就職して、ショップに出ていたんですが、そのときにこの先自分のやっていく仕事について強烈に考えたんですね。これをずっと続けていくかと思うと気を失いそうになりました。
単調だとか、退屈だとか、よくそういう言い方をしたくなりますが、それはずるい言葉ですね。退屈なのは自分の生き方であって、周りが退屈であるわけではない。退屈な生活だと自分がダメになると思いたかったけど、そうではないと自分でも気づいていたので、人のせいにするわけにはいかなかった。
じゃあ、どうするか。まず朝は決められた時間に起きたくないし、天気のいい昼間は考え事をしながらブラブラ歩きたい。そうした自分の好きな状態を思い浮かべ、それを日常にできるように努力しようとしたら、働いている会社では実現できない。よく考えたら、そういう時間の過ごし方は漫画を描いている状態だと思って、そこで漫画家に絶対なろうと思ったんです。そこまで強く思ったのは、初めてでした。
先行きについては妙な自信はありました。それしかやれないし、やりたくない。自信という気持ちに置き換えて不安を逃がしました。自分のこの状態は自信だと勘違いさせてしまえばいいや、と。

最初は週刊連載、その後は月刊誌の連載で取りあえずは漫画家として生活していけました。月刊誌だと、だいたい1本書いてOLくらいの月給で、大きい出版社だと専属契約を結べばより安定する。その状態であれば、会社に就職するのと同じくらいの安定度はあったわけですが、そのときの私には描く本数が一本では足りなかった。いっぱい描きたいことがあったので、途中で契約を止めました。もちろん契約をしていたからといって出版社から先が保障されているわけでもない。
契約を止めて、描きたいことを周囲にアピールし始めたら、出会った編集者にその場で「やってみましょう」と言われたりして、それが縁でいろんな雑誌に描くようになったわけです。メジャー誌路線から外れたし、契約をしたままなら収入はいまよりよかったのかもしれないけれど、漫画家として考えた場合、描きたい作品を描くことができたので、それはよかったと思っています。
ずっとつながっていますね。当時、青年誌に持ち込んでいたものが、結局いま描いているものなんです。持ち込んで、読んでもらった人に「これはダメだ」と言われても自信はありましたね。それなら、いまできるものを描いて、これは後に回そうと思っていましたから。
よくダメと言われた作品をいろんなところに持ち込む人がいます。新しく描きたいものがないのなら仕方ないけど、ダメと言われたのなら「ああそうですか」と思って、とって置けばいい。そのうち力が備わった時に出せばいい話でね。
どういうわけか、ダメと言われても腐ることなく持ちこたえる力はありましたね。反骨精神を持った高校時代ではあったけれど、他の人と同じような反抗はしたくないと考えていたからでしょうか。例えばスカートを長くするのが流行だったら短く、さらに短くするのが反抗になるのなら、「反抗していない」ということで反抗しようとか、いろんな考え方をして遊んでいたので、強くなったのだと思います。ひとつの事柄をいろいろな角度から見て楽しむことができるようになることが強くなるには必要かもしれませんね。

Naito Yamada
やまだ ないと
漫画家。1987年『ヤングマガジン』誌(講談社)で活動開始。この頃の作品に「王様とボク」などがある。93年以降「フレンチドレッシング」など多数発表。また96年頃からコンピュータでぼかした線、バンド・デシネ(仏語圏のマンガ)を意識した独自の画風で注目される。主な著作に『イはイチゴのイ』『西荻夫妻』など多数。
やまだ ないとさん公式サイト:
http://www.neoplan.co.jp/nuit/
【やまだ ないとさんの本】

『イはイチゴのイ』(太田出版 )

『パリの友達』やまだ ないと・ナツ ヨウコ著
(ベストセラーズ)

『西荻夫婦』(祥伝社 )